キッズジョブ2011は先進的イベントです。

子ども達が様々な職業体験ができるキッズジョブ2011がふじさんめっせで、多くの親子が参加する中で盛大開催されています。私も参加してきましたが、まさしく、キャリア教育としてのプログラムとして富士市ならでは、先進的なイベントであると感じています。

現在、子供達に「生きる力」を身に着けさせ、しっかりとした勤労観、職業観を形成,確立し、将来直面する様々な課題に柔軟かつたくましく対応する力を高める事が重要な課題でありますが、そのために国策としてキャリア教育が進められています。富士市では、各学校において、職業体験や職場体験、職業講話が取り組まれています。また、今年より、富士市立高校ではキャリア支援課が設置されています。キャリア教育としての先進事例としては、工業高校のひまわりの茎から作るトイレットペーパーのひまわりロールや、キッズジョブに出店している福泉産業さんの子ども達でつくるオリジナルポン酢があります。
(セレモニーが行われ開催)(各ブースでは仕事着が着れます)(ロボット作成キッド)

今回のキッズジョブでは、商工農林部が様々な職種や業種に働きかけ、富士市の子ども達への体験を通しての働くイメージを付けさせ、将来の雇用創出や就労支援を促すことを目的としており、お仕事体験コーナー、ものづくり体験コーナー、働く車体験コーナー、商業体験コーナーに40の事業所が設けた30の体験ブースで、様々な体験ができます。
(建設組合ブースで木工椅子作製体験)(自衛隊・NEXCOの特殊車両)

木工作業やロボット作成もあり、私も、子ども達に混ざり、実際に体験させてもらいましたが、楽しいです。また、自衛隊の車両ハマーや、NEXCO中日本に2台しかない路面測定機搭載のロードタイガーの等、普段見ることが出来ない中の装備も見れるので、大人でも勉強になります。職業体験場として有名なキッザニアが賑わう訳がわかります。
今回のイベントは、富士市の商工農林部が主体となってのイベントでもありました。
キッズジョブ2011で体験した子供たちの中には、将来の成りたいものがより明確になるきっかけとなる子もいると思いました。このように子ども達に対してのイベントができる富士市は素晴らしいと感じます。その上で就労支援を取組む「fきゃる」さんも出店していましたが、議会でも取り上げた事として、今回のイベントに関しても、キャリア教育としてプログラムとして、やはり、次代を担う子供達の育成として、キャリア教育の充実は、益々求められ事で、改めて、富士市全体での取り組みとして、学校、産業界、地域、各社団体、行政等様々な団体が共通認識を持ち、連携し組織的に取り組まなければいけない事であると思っています。
その為には、キャリア教育推進協議会の設立は改めて急務であると感じます。
先進的に取り組んでいるキャリア教育を、今後、教育委員会と、市長部局とが連携をしっかり取った上での取り組みを期待します

土曜も日曜も休みでありません。

子ども議会で、子ども議員より
「市長さんは土曜、日曜は休みですか?また休みでなければ何をしていますか?」
と聞かれていましたが、市長の答弁では、
「土曜、日曜もお祭りや体育祭等様々な行事があり、365日ほとんど休みはありません」
と答えていました。

議員も同様に忙しい毎日を送っています。
例えば、私自身の活動として、子ども議会が開催された8月20日土曜の1日を見ても
朝 4時30分起床
  6時より8時までモーニングセミナー参加
 10時〜12時までふじさんめっせで開催されているキッズジョブに参加
昼12時10分地域のバス旅行で挨拶
 13時〜16時まで、市役所議場にて、ふじ子ども議会に議員アドバイザーとして参加
夜16時30分〜18時まで、富士グランドホテルにて富友会総会懇親会に参加
 19時〜21時30分 キッズジョブへ参加してくれた第34普通科連隊の皆様と懇談会 その後遅い食事
 23時ようやく家に充実した1日でしたが、1日ぎっしりと予定をこなしてくると一気に疲れが押し寄せます。
 家についてブログを書いてると睡魔に襲われそのまま就寝。 
朝早くから、夜遅くまで活動があります。
「市長ほど忙しくありませんが、議員も土曜も日曜も休みなく活動しています」
と子ども議員さんに会ったときに説明しようと思っています。

市民が納得できる防災対策とは・・

第1回目の地震防災対策特別委員会はすでに開催されていますが、3月11日の未曽有の大震災を受けて、市民が気にしている想定外の地震に対しての対応をどのようにしていくのかが基本的な問題として挙げられています。1回目の委員会において、当局は、3連動に対しては、国、県の指針を待っての対応であるとの見解が述べられています。

地震防災対策特別委員会は、議員自らが立ち上げた委員会として、その問題を含め、第2回目の委員会では、当局を交えずに各会派での考え方や今後の協議事項の検討がなされました。現在の東海地震を想定した第3次想定での防災計画に対して、それ以上の3連動の防災に対して(特に津波対策)をどのようにしていくのかはこの委員会に期待されている事であるような気がします。
その意味でも、当局を交えず、忌憚のない意見を出し合う必要性があり、今回、委員会は開催されたと思っています。
国、県の指針は、来年にならないと出てこない状況でもある事を考えると、他の自治体での国、県の指針を待たずに、市独自の基準を定め、防災対策を求めるという考え方も当然あり得る事ですが、市独自の基準を進めることは難しいとしている当局に、改めて、国、県の指針待ちである当局見解を確認しなければいけない事であると思っています。その上で、委員が共通認識を持ち、現状を踏まえて、当局との隔たりを少なくして、市民の不安を解消する実効性のある対策や見直しを考えるべきで事であるような気がし、ます。
スピード感を持って市民の納得する不安防災対策をとっていくのかが、委員会として大きな課題であると思っています。
次回は当局を交えての委員会が9月6日に開催される予定です。
興味のある方は、傍聴を・・・

流れ寿司初体験

「え〜回転寿司じゃないじゃん」
「いつからこうなったの、知らなかった」
「どうやって、注文するの」
「でも、混んでるね」

娘がラトビアから帰ってきたので、日本食が懐かしいと思い、お昼に回転寿司でもと入った、西友の魚河岸寿司が回転寿司では無く、流れ寿司になっていました。最近は、回転ずしのスシロ〜が安くて良く行っていたのですが、久しぶりに、魚河岸寿司に行って、びっくりです。

私自身、流れ寿司初体験です。
注文はアイパットのタッチパネルで、画面の指示に従い注文します。

すると、注文した商品が、コンベアに乗ってテーブルの前に流れてきます。注文してから作られており、握りたてと言う感じで良いです。また、ネタも大きいです。アイパットで管理されており、食べた値段も表示されるので安心会計です。食べたお皿は積み重ねることなく、適当な時に店員さんが片づけてくれます。
ただ、シャリが大きいような気がします。回転寿司ではないのなら、紙ナプキンはちょっとって感じです。
でも、それなりに、おいしく頂きました。
お店も、ちょっと、来ない間に、随分、変化するものですね。
回転寿司が増えています。それだけに、競合に勝ち抜いていくには、様々なアイデアを投入しなければいけない事を感じます。
どんな世界も、変化に対応できないところは淘汰される時代なのかもしれません。
流れ寿司を堪能しながら思いました。

東部グラウンドの有効活用を

東部グラウンドはどこにあるか、知っていますか。
場所は勿論、存在すら知らない人も多いと思います。
また知っていると言う方でも、浮島工業団地にある東球場と混同している方も多いと思います。
東部グラウンドは下水道東部処理場内にある、4面あるソフトボールグラウンドです。

ソフトボールコートが4面取れる広さを持つ東部地区の貴重なグラウンドでもあります。
しかしながら、グラウンド整備に関しては、コートにより差があります。
特に南側2面は、コート整備が良くない状況でもあります。また、フェンスは低く、フェンスを越えると草がうっそうと茂った状態でもあります。ボールが外に出ると見つからなくなってしまいます。また、看板も無く、分かりづらいところにある為か、たまに寄るとゴルフの練習をしている方もいます。(ちょっとどうかと思います)

東部グラウンドソフトボール場は、処理施設の将来建設予定地に建設大臣の目的外使用の承認を受け暫定的に設置され、3面は須津、元吉原、吉永、の地区へ解放された経緯がある為に、維持管理は各地区で行う事になっています。残りの1面と、共有部分に当たるトイレや駐車場、グランドのフェンス外周は下水道部施設維持課で管理・対応になっています。
東部グラウンドは、しっかりした整備がされたコートであるならば、河川敷に行かなくても、それなりの大会ができる場所でもあります。
比較するわけでないのですが、現在、東球場は、施設利用振興公社の管理のもと、施設整備もされ、グラウンドコンディションも素晴らしい状態が保たれています。
(東球場には規則看板やバックネット・フェンスも高くしっかりしています)

東部グラウンドでは、先日もソフトボールの大会が開催されましたが、整備不良のコートの状態を見て、当日使用が出来なかった事がありました。
須津地区の行政懇談会の要望でも、平成18年、平成22年に東部グラウンドの整備や、一元管理についての要望は出されていましたが、地区でのバラバラの管理ではなく、下水道部を含め4面を市でのスポーツ振興として一元管理を考えた中で、しっかりと管理し、もっと多くの人に知ってもらい、更なる有効活用ができるように進めるべきだと感じています。

66回目の終戦記念日

終戦記念日を通じて、戦争という事をこれからも風化させることなく、次世代へ引き継ぎ語り継いでいく事が大切な事であると感じています。
今年も終戦66年の15日に、富士市のロゼシアター中ホールで「平成23年度富士市戦没者追悼式」が開催されました。

私自身、戦争を知らない世代ではありますが、戦争と言う悲劇を繰り返してはいけない、今ある平和を恒久的に続けなればいけない、と言う思いの基、毎年同じような内容の繰り返しとしても掲載し続けなければならない重要な事であると思っています。
富士市での太平洋戦争までの英霊は、3697柱、遺族世帯数は1661世帯。
追悼式は、政府主催の全国戦没者追悼式の実況放送を聴取した後、厳かに式典は進行していきました。全国でも戦没者310万人の英霊に追悼が行われましたが、本年に関しては、東日本大震災の被災地からの遺族も多く参加していると聞いています。今も、遺体捜索が続く被災地の光景は戦争の惨状と重なり、戦争の悲劇を引き起こしてはいけない事を改めて英霊の御霊に誓っている事でもあったと思います。また、多く方々が、今ある平和の礎を創り上げてくれた御霊にしっかりと見守る事は追悼をしながらお願いした事でもあったと思います。
ちょっと気がかりな事があった事として、富士市遺族会代表挨拶で、いつもなら、鈴木会長の挨拶で締められるのですが、今年は副会長さんでした。ご高齢ですので体の調子でも悪いのかと心配しています。(何にもないのならいいのですが・・・)
また、管首相は靖国神社への参拝をしない事は、国の礎の為に亡くなられた英霊や遺族を軽視しているように思え、私には違和感があります。
66回目の終戦記念日は終わりました。
いずれにしても、恒久平和は願います。

お盆で祭り、まつりです。

14日江尾ふるさと祭り。
15日川尻薬師祭り
お盆に入り、地域でも祭り、祭りです。

須津地区全体のふるさと祭りとは別に、江尾ふるさと祭りは、江尾独自の夏祭りで、毎年お盆の14日に施設消防が中心となり、開催されます。また、川尻薬師祭りは、地域でまちづくりを進める平成会さんが中心となって行われています。
今年は、震災の事もあり江尾祭りの開催についてどのようにするかの議論があった事は、区長さんから聞いていました。
(開会式の後、様々なアトラクション、また、夜空には花火)

江尾ふるさと祭りは名前の通り、ふるさと江尾に、お盆で、帰省して帰ってきている人や、普段仕事で忙しくて会えない人の交流の場となっています。地域が一体となると言う意味合いもありますが、多くの人の笑顔を見ていると、お祭りは地域にとって必要な行事であると感じます。
(お楽しみ抽選会もあります)

5か月以上経ち、被災地においても、お祭りを自粛という事よりも、お祭りをやる事が地域が力を合わせるための行事としての位置づけであるようです。その意味でも、江尾地区も川尻地区も、お祭りを開催してくれて良かったと思っています。

地域のお祭りは、私にとっても多くの人に接することが出来る大切な場所でもあります。どちらのお祭りも、年々、話しかけてくれる方が多くなっていますが、今年は、特に、選挙があったせいか、あちらこちらで声を掛けてくれます。ありがたい事です。
ただ、暑いせいもあり,勧められるまま、ビールを飲んでしまっている状況に、「赤い顔をして、ウロウロしない方がいいよ」と家族に(特に娘に)注意されています。でも、お祭りだから、仕方がないと勝手に言い訳をしています。
(川尻のお祭りでもついつい一杯)

災害においても地域力は求められています。
隣近所、地域の付き合いは大事です。しかしながら、ライフサイクルの変化や少子高齢化、核家族が進んでいる中では、ますます、地域力を構築する上での地域行事は、衰退する恐れがあります。
今、改めて地域においての、お祭りは大事にしなければいけない事でもあります。私の地区以外でも、多くの地域でお祭りは開催されています。盛況なお祭りがいつまでも続くことを願っています。

この他にも同窓会やBBQ大会等が開催されており、お盆に入ってから、かえって忙しいです。(夜中まで活動をしているためにブログが掲載できませんでした)

「ねんきんネット」の活用を

誕生日が過ぎたころ、日本年金機構より、平成23年の「ねんきん定期便」が送付されていました。
「消えた年金」と騒がれ、ずさんな管理をしていた社会保険庁が2010年4月に廃止され、日本年金機構に変わってから1年以上経ちます。

日本年金機構に変わって国民目線で仕事をしている一つの変化として挙げられることに、「ねんきんネット」があります。
かつて社会保険庁時代は、払ってきた納付記録を簡単に知る事が出来ませんでした。その理由として早くから記録を見せて漏れを指摘されると面倒な仕事が増えるからと言う事を聞かされた時に唖然としたことを覚えています。その後、年金定期便を送付し始めましたが、日本年金機構になり、パソコンで自分の年金記録をチェック出来たり、漏れている年金記録を検索できるツールとして、「ねんきんネット」を立ち上がりました。
この「ねんきんネット」は、日本年金機構発足後,約1年かけてシステム開発されてきたもので、同機構のホームページにアクセスし、基礎年金番号、氏名、生年月日、性別等を登録すると5日程度でユーザーIDが発行され20歳以降のすべての年金記録をパソコンの画面上に呼び出せます。
郵送の特別便と違いは、確認が必要な部分には、赤字で浮き出る仕組みとなっています。年金事務所まで行かずに、じっくりと記録に誤りがないか納得がいくまで確認ができます。(行くまでの手間と、事務所での煩わしさが無くて便利です)
日本年金機構では、約2000億円の税金を投じ、すべての年金記録を知らべ、誰のものかわからない記録を洗い出し持ち主に戻す作業をすすめていますが、複雑な記録の照会作業には完璧は無い為に、個人で、「ねんきんネット」を通じて、年金記録の確認・管理は必要な事でもあります。
ぜひ、「ねんきんネット」を活用してみてはいかかでしょうか。

でも、未納者や滞納が増加している現状で、果たして、年金は持続可能な制度なのか不安でもあります。

児童虐待の現状

2歳の子供を餓死させた事件が報道されていますが、育児放棄と言う児童虐待です。
先日、児童虐待について、“心のネットワーク富士”が開催された時に、静岡県富士児童相談所の中垣さんからレクチャーを受けました。

静岡県の児童虐待の現状として、平成22年度の県内の児童相談所(政令市児童相談所を含む)における児童虐待の相談件数は1,383件で、平成12年は444件であり、10年前に比べ約3倍以上増加してきています。(深刻な問題でもあります)
児童虐待の定義として、保護者がその監視する児童について行う次の行為をいいます。
身体的虐待・性的虐待・心理的虐待・ネグレスト
平成22年の富士市での児童虐待の現状として虐待相談の種類の内訳としては、
身体的虐待42%性的虐待3%心理的虐待16%ネグレスト35%
富士市では、心理的虐待が最も多く、次いでネグレストとなっています。
増加傾向であるネグレストについては、「児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による虐待の放置その他の保護者としての監護を著しく怠る事」ですが、炎天下の中で車に閉じ込めて死なせてしまったと言う事件など、子どもを駐車場において、パチンコをするのも、ある意味、育児放棄で、ネグレストであります。
増加の要因として、都市化や核家族化の進行を背景に地域や家庭の子育て機能が低下する中で、虐待が起こりやすい社会環境、家庭環境になっていることや、虐待が疑われる児童も通告の対象となった通告制度の浸透や、虐待についての社会的認識の広がりなどがあげられます。ただ、相談件数は多くなっていますが、一つ一つの相談内容は、軽いものが増えてきているとの事でした。
児童虐待については、親子の問題ですが、児童相談所の援助は必要であり、地域の支援も重要であります。
問題のある家庭に対しても、地域で見守り、地域で子育て、と地域で関わりをどのようにしていくのかは、取り組むべき事柄です。

「ありがとう自衛隊」

先日、韓国ウルルン島への入国拒否として話題になっていた、自衛隊で”髭の隊長“として有名であった佐藤正久参議院の話を聞く機会がありました。自衛隊OBでもあるが為に、震災直後からの知りうる事ができない被災地で救援活動を続けてきた自衛隊の活動を語ってくれました。

佐藤議員は、自衛隊は今回の災害派遣に対しては、「被災者の為に懸命に人命救助や民生支援にあたる」それを全員の共通認識として、己の命を賭しながら、被災地での厳しい作業に黙々と向き合ってきた姿勢を正当に評価し、自衛隊をしり尽くした議員であるからこそ、自衛隊に感謝の言葉を発信しています。

ちなみに佐藤議員は、震災で活動を含め自衛隊への感謝の気持ちを文章として表すためにも、「ありがとう自衛隊」と言う本を緊急出版しています。私も本は購入しましたが、この本を読めば、今回、話してくれた内容はもとより、自衛隊への感謝の気持ちと親近感が増してきます。(本の宣伝ではありませんが、興味のある方はどうぞ)
また、講演の中で、自衛隊の被災地での動きは、思いやりだけでは務まらないとし、そこには、いたわりの心が無ければ意味がないとしていました。いたわりを漢字で書くと”労り“であり、つまり労働の労であり、気持ちはもちろん大事ではありますが、実際に汗をかかなければ被災地の人達は救えないと言う事を強く強調していました。(政治家も言葉だけではいけないのです)
 今、被災者も被災者でない人も、すべての国民は、希望と安心を求めています。
議員は「政治はみんなを幸せにする為に人一倍汗をかく」と締めくくっていましたが、自衛隊の皆様には改めて、感謝をするとともに、“ひげの隊長”は日本にとって必要な政治家であると感じました。

防災ラジオ、大人気

災害時の情報収集として、防災ラジオは有効な手段でもあります。
3月11日の東日本大震災、3月15日の東部地震を受けて、市民の防災意識は高まっています。

その表れなのか、消防庁舎で防災ラジオの配布が10日に行われましたが、配布に3000台と制限がある事と1人につき1台と言う制約があるせいか、朝早くから、防災ラジオを求めて、殺到していました。

多分購入目的の関係であると思いますが、駐車場も一杯でした。
ちなみに市の負担金として、個人1000円、企業2000円です。
ただ、購入しても、ラジオが受信できないという苦情も多く、出力数を挙げたりしていますが、アンテナ設置をしなければいけない状況でもあります。詳しい防災ラジオについての使い方を、知りたい方は、市のホームページで確認してください。
我が家でも防災ラジオは、以前購入してありますが、難聴地区なのか、ラジオの入りが良くありません。アンテナを別につけなければと思っているのですが、未だそのままになっています。もしもの時に、役に立たなければ意味がありませんので、至急、アンテナ設置をしなければと、購入している人たちを見て思いました。

炎暑の中でのソフトボール大会

須津・浮島ソフトボール愛好会が中心となっての東風会ソフトボール大会が7日に開催されました。開催場所の東部グランドのグランド整備に問題もありましたが、天候に恵まれ????大変暑い中での大会でもありました。まさに、炎暑です。

しかしながら、節電の関係で仕事が土日出勤の選手も多く、参加も危ぶまれた地域もありましたが、それでも、9地域より100名以上の参加があり大変盛り上がった大会でもありました。

私も本部チームで参加させてもらいましたが、他の選手と違い、明らかな違いがあります。それは、最近、特に不摂生をしているのか、お腹が出ています。(恥ずかしいです)
スポーツをやる体つきではありません。(皆が羨ましいです)
日頃より、運動不足でもある為に、体力がありません。(試合前から準備だけで疲れてしまいました)
試合に出させて貰うのは嬉しいのですが、怪我でもして迷惑を掛けてしまわないかもしれない不安もあります。(だから、無理はしません)
それと同時に、暑い夏場での大会ですので、熱中症に気を付けなければいけない為に、水分の補給は十分にしなければなりません。先週までは涼しい感じでしたが、ここの所、急に暑いです。全国的にも猛暑でもあります。じっとしていても、汗が出てきます。まして、炎天下の中で、体を動かすわけですから、汗が吹き出します。
暑い!暑い一日でもありました。
(桶川愛好会会長挨拶)(優勝トロフィー授与)(川尻チームと)

決勝戦では、川尻チームと神谷チームで争われましたが、白熱した試合で、川尻チームの優勝と成りましたが、最後は両チームとも暑さでへとへとになっていました。
川尻チーム優勝おめでとうございます。

私も気が付いたら、顔、首、手が真っ赤になっており、お風呂に入るだけでヒリヒリと火傷をしたかのように痛い状況になってしまいました。。
その夜、熱帯夜で暑く寝苦しい上に、体を動かしただけでも痛く、寝る事もできない状態になってしまいました。
更に寝不足で体が重いです。
お盆中、暑さは続くようです。

不登校について学ぶ、起立性調節障害とは、

私の回りを含め、不登校で悩んでいる方々がいます。
様々な原因はあると思いますが、不登校になった方々にしかわからないつらさ、心の葛藤は多いと思っています。現状を含め気になっている事でもありましたので、富士医師会が中心となっての“こころのネットワークふじ”での公開討論会で、不登校もテーマになっていましたので、勉強にいってきました。

悩みや不安を持つ子供や保護者の状況を、小児科医、精神科医、臨床心理士、養護教諭等学校関係者、幼稚園保育園関係者によっての自由に討論がなされました。個々の事例に関してはプライベートの事もあるので、書けない事もありますが、不登校の原因としては、学校生活に原因(先生が原因、友達が原因、いじめが原因)、家庭生活に原因(親が原因)、本人に原因(病気)、また、発達段階においていろいろな原因が考えられると思われます。
精神科の先生からは、不登校は子供の時代時代の表現でもあり、学校に行かないことで何を訴えているのかを知る必要はあるとしていましたが、その中で、恥ずかしながら、知らなかった事として、起立性調節障害(OD)と言う病名でした。不登校としての原因の一つしての病気について、初めて聞いたのですが、この病気は、朝寝起きが悪く、昼、夜になると元気になると言う低血圧の症状に似た感じのものですが、親からすると、朝ぐずぐずして、夜元気でいる姿を見ると、怠けているように感じ怒ってしまうという事で余計、学校に行かなくなると言う悪循環を繰り返してしまう事が多いとの事でした。病気である以上、しっかりとした医師の治療が必要である事について、親が理解しないと、いつまでたっても改善がなされない訳で、余計悪い方向に進んで行ってしまう事が考えられます。
発達障害と言う言葉もそうでしたが、しっかりした、知識が無いと、簡単に相談や対応は出来ないような気がしてしまいます。複雑な時代だからこそ、専門性は求められるのかもしれません。
現在、富士市においては、不登校対応として、スクールカウンセラーや青少年相談所、また、適応指導教室「ステップスクール・富士」等があります。専門性が必要に成っているので、更なる充実を求める必要性は感じました。

起立性調節障害、最近割と多い病気のようです。私も最近、朝起きれません。(でも寝る時間が遅いのからかも)

娘がラトビア大統領と・・

自分の事が忙しくて、娘の事をかまってやれない状況でもあり、富士市のボーイスカウト及びガールスカウトの代表としてラトビアに8月1日より行きましたが、見送りに行けませんでした。便りが無いのは元気な印と思っていますが、娘だけにちょっと心配でもありました。

ボーイスカウトの役員さんより、連絡があり、
「娘さん元気に活動していますよ。ラトビアのホームページで大統領府を開けば、大統領と握手している姿が確認できますから、見てください」
「え〜そうなんですか、じゃあ、早速見てみます」
とうい事でラトビアの政府機関としての大統領府を開くと
大統領が様々な方々と接見している写真が掲載されています。その中に、ありました。
8月2日に
News PHOTS「A Meeting with Representatives of the Boy Scouts and Girl Scouts」
7枚の写真が掲載されています。
(ラトビアのホームページから引用しました)

娘はと言うと、しっかり大統領と握手を交わしています。
「お〜さすが、わが娘」
と思いながらも、しっかりと民間外交の役割を担う元気な姿を見て、感激してしまいました。

ちなみに、本年は、日本とラトビア間の新たな外交関係開設20周年でもあります。その一役を少しでも協力できていることは、娘ながら立派でもあります。
インターネット上で娘の元気な姿を見て安心しましたが、ただ、親として欲を言えば、携帯も持って行ってますし、パソコンもあるようですので娘からの直接な連絡も欲しいなと勝手に思っています。
すでに一週間近くたちますが、娘からは何の連絡もありません。
娘は娘で、楽しくて忙しくて親に連絡をする時間が無いのかも・・・
なんとなく、心配です。

気仙沼は今。

気仙沼へは、以前、「気仙沼スローフード」都市宣言について行政視察に出かけた事があります。
(行政視察の時の気仙沼)

気仙沼の豊富な海の幸をはじめとする「食」をキーワードとするまちづくりの取り組みについて勉強しましたが、震災後、テレビに映し出される気仙沼の港の映像を見ると、市役所を始め、その時立ち寄った場所が気になっていました。

やはり、港周辺の町並みはがらりと変わってしまっていました。
すでに,瓦礫は取り除かれ始め、道路も嵩上げされていますが、粉じんがひどい状況でした。
(津波はビルの2階まで達しています。市役所は高台にあります)

港より離れた市役所は高台にあり、大丈夫でありましたが、震災後の対応業務が増えたのか、空きビルを借りての増設がされていました。また、視察中食事を取った、フカヒレ寿司発祥の店,「あさひ寿司本店」は、津波により店内は改修不能状況となっていました。

気仙沼はフカヒレで有名ですが、津波は港にあったフカヒレ工場を根こそぎ、流してしまい、フカヒレの流通をマヒさせてしまいました。港には、いまだフカヒレが落ちている所もあります。フカヒレのまちとしてシンボル「シャークミュージアム」のサメに船が突っ込んでいました。

港に一番近いお酒屋さんでもあった、男山で有名な、「男山本店」の3階建ての建物でしたが、地震で壊れたのではなく、津波で一階が倒壊していました。昭和6年頃の建設で昭和初期の景観を現代まで伝えた木筋コンクリート造りの三階建てで、洗い出し仕上げの重厚な外壁とモダンな内部構造が特徴でもあり、平成15年1月に国の有形文化財の指定を受けています。お酒の工場はすでに再開しているそうですが、趣のある建物まで壊れてしまったのは残念です。

気仙沼の復興は、港の再生でもあると言われています。
日本一のカツオの水揚げを誇りますが、壊滅的な被害を受けてしまった港で、カツオ船を受け入れ地盤沈下してしまった市場を70センチ嵩上げして、6月初めより、市場が再開されカツオの水揚げが始まったそうです。現在、港には多くの漁船が停泊しています。

港付近の商店街は、壊滅的ですが、それでも、市場の近くでお土産を販売し始めている所がありました。いつまでも立ち止まっていられないそうです。
遅いお昼でしたが、港から離れた気仙沼駅近くのお店でカツオの刺身を頂きました。

戻りカツオではないので脂はのっていないと言っていましたが、ニンニクが利いて、おいしかったです。
未だ、地震はあり、復興を進めながらも不安は感じているそうです。少しでも早い復興を祈らずにはいられませんでした。

ちょっとオーバーワーク気味かな・・

ここの所、奥歯が痛いです。その成果、肩が張り、頭が痛いです。気候のせいもあるかもしれませんが、予定が過密すぎて、体が悲鳴をあげはじめています。

被災地から帰って来た後も、倫理法人会開設式典参加、沼津へ視察、心のネットワークの討論会参加、名古屋へ財政研修と休む暇が無く、ほとんど家にいることがありません。家には寝るのに帰ると言うような生活です。ブログも書かなかければと寝る時間も少なくなっています。今週末も予定がぎっしり、沼津へ事業仕訳の視察、総会、ソフトボール大会への参加。運動不足の上、睡眠不足気味でもあります。
サッカー選手の急性心筋梗塞も話題になっています。
無理はしないようにと思いながらも、無茶をしているような感じです。
気を付けなければと思いながらも、オーバーワーク気味です
体を壊して困るのは、自分ですからと思いながら・・ついつい予定を入れてしまいます。

沼津市の津波対策は?

静岡県下において、津波による最大の被害が想定されている沼津市で発行している東海地震における津波対策「地震・津波防災マニュアル」を基に、沼津市の津波対策状況を会派で視察してきました。

沼津市は、大規模地震対策特別措置法に基づき、昭和54年に地震対策特別強化地域に指定され、昭和55年に沼津市地域防災計画「東海地震対策編」を策定し東海地震対策を市の重要課題として取り組んでいます。

沼津市の「地震・津波防災マニュアル」の中には、避難路の整備、津波警告看板、避難経路図表示、避難誘導看板、海抜表示板の設置、津波避難タワー、津波避難協力ビル、その他に静岡県事業として沼津港航路水門「びゅうお」、多比地区防波堤の整備についても記載されておりそれをもとに確認してきました。

詳しい内容は、沼津市の発行の防災マニュアルに記載されていますが、今回、特に確認したかった津波タワーは、想定される津波高より、2メートル高く設計され、緊急的、一時的に津波から住民を守るよう、平成18年西浦立保地区の西浦保育園の横に、平成20年内浦重須地区、平成21年に西浦木負地区に設置されていますが、今後も津波タワーを付近に避難ビルが無く、津波避難経路を使用して、予想される津波到達地点までの距離がある地区を対象に随時設置されていくそうです

最後に、視察した沼津港大型展望水門、愛称「びゅうお」は大地震などにより発生する津波が沼津港の内港と外港を結ぶ航路から進入する事を防ぎ、津波から港の背後地の50ha、 9,000人の地域と人を守るために水門として完成しています。
津波をシャットアウトする扉は、幅40m、 高さ9.3m、重量は406tと日本最大級です。一般公開されている展望回廊には、入館料100円払えば両岸に設置した13人乗りのエレベーターにより昇ることができます。両岸の機械室の周囲を展望回廊がまわっていて、この展望回廊の床は、地上約30mです。両側の展望回廊を幅4m、長さ約30mの連絡橋がつないでいて、北には愛鷹山、富士山、南アルプスを望み、遠く清水まで見渡せます。また、箱根連山や沼津アルプスを見渡し、眼下には我入道海岸が広がり、その先に駿河湾に突き出した大瀬崎をくっきりと見ることができ、東西南北360度の展望を楽しめます。
それなりの津波対策は確認できましたが、東日本地震を見てくると現在の東海地震の第3次想定の対応施設では、今、求められている3連動を含む想定外の対応ができるのかは気になる所でもありました。

忘れてはいけない風景。

2011年3月11日、金曜日、午後2時46分震度7マグニチュード9の巨大地震は津波の高さは15メートルに達し、まちが消えました。死者、行方不明は6県合わせて2万8500人以上、忘れてはいけない事でもあります。

(仙台駅では、七夕祭り一色です)

そんな思いを持って、宮城三陸を中心に、個人的に被災地支援を兼ねた視察に行ってきました。被災地へは仙台から入りましたが、仙台市では、すでに震災の暗さは感じず、逆に、震災バブルなのか、(ホテル、飲食店は混んでいます)人、人でごった返していました。(実際、震災により、仙台市には人が被災場所からは基より、全国から集まってきているそうです)
とりあえず見てきた宮城三陸の被災地報告を簡単にすると、高速道路を石巻河南ICから下りて、しばらくは地震や津波の被害はありませんでしたが、石巻市役所周辺から様子が変わり始め、道路の陥没や家が壊れていたり、瓦礫が散乱しはじめました。観光地でもある松島でもそんなに大きな被害は確認できませんでしたので、思ったより大したことが無いのかも思っていたところ、ある地点からの海側は深刻な被害に変わっていきます。
(車は至る所で、転がっており、ビルの4階の上にも車がありました)

石巻でも南三陸でも気仙沼でも、海側の地域では、鉄骨だろうが車だろうが、見るも無残な姿が未だ確認できました。また、倒壊した建物の中でも、水産工場があったような付近は、何と表現したらいいのか分からないような、腐敗臭がし、さらには大量のハエが飛び回っています。
(瓦礫が山になっています)(未だ処理ができていない処も)[病院内の撤去作業)

一瞬で飲みこまれた津波の恐ろしさを、まざまざと目、鼻、耳で感じながら、すでに、道路や倒壊した建物の瓦礫は取り除かれた所が多いものの、南三陸町においての、何も残っていない風景は、戦争の経験こそありませんが、爆撃にあった後、焼け野原の映像をテレビで見た時の、終戦時の日本と変わらないのではと思いました。月日が過ぎようと、それは、忘れられない、忘れてはいけない風景でもありました。
その惨状の現場に立つと、5か月たった今も、復興にはどれだけかかるのか、私には検討もつきませんでした。
改めて被害に遭われた皆様には哀悼の意を申し上げます。
今後、自分なりの報告を、もう少し詳しく掲載するつもりでいます。

*深夜、家に着くと、いきなり震度4の地震があった事には驚きました。被災地を見てきたばかりなので、3連動の地震でなくて・・・良かったと胸をなでおろしました。

宮城三陸視察

震災より、5か月近く経ちました。
被災地の復旧作業がどのように進んでいるかは気になる所です。

未だ被災地での行政視察としては受け入れ態勢が取れていない状況も聞いていますので、今回は議員としての視察ではなく、富士青志会の被災地支援視察として、7月31日、8月1日2日間ですが、宮城三陸を中心に、仙台から石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市に行ってきます。
松島や気仙沼市には議員になってから、行政視察で行った場所でもありますので、テレビや雑誌等の情報とは別にあらためて自分の目で確認をしたかった場所でもありました。また、本年度は、地震防災対策特別委員会の副委員長もありますので、少しでも、この視察を活かしたいとも感じています。
復旧は進んでいるとは思いますが、5か月近く経った現状を自分なりに肌で感じてきます。

残念ながら、・・花火大会には行けません。

本年度は、震災があり、様々な地域で、特にお祭りや花火大会の中止が議論されましたが、沼津の狩野川花火大会はいち早く開催の決定は決まっていました。
がんばろう日本!第64回沼津夏祭り〜東北に届け沼津の心意気〜として、主催者の考え方は、

「沼津夏祭り・狩野川花火大会は、戦後焼け野原となり意気消沈している市民を活気づけるとともに、戦災を受けた商店街の復興事業として、昭和23年から開催しています。ことしもこの「沼津夏祭り・狩野川花火大会」を開催することにより、地域経済の活性化を図るとともに、協賛金等の一部を義援金として寄付するなど、沼津の心意気を被災地へ届けます。」との事でした。
私も沼津の心意気に賛同し、桟敷の席を確保し、子ども議会の研修終了後、家族で沼津の花火大会に行く予定でした。しかしながら、子ども議会の研修中、急に雨が降り始め、大雨警報が流れたので、電話で花火大会ができるのか確認すると、雨の為に、8月1日月曜に延期の決定をしたことが分かりました。花火大会の1日目は、天候不順の為に延期は仕方がない事ですが、せっかく手に入れた桟敷の席は、8月1日となり、その日は被災地への視察中のでもあり、花火大会にはいけません。
延期になったために、残念ながら、沼津の心意気として行う花火大会は見る事はできないようです。
桟敷で食べるお弁当や飲み物まで用意していたのに、無駄になってしまいました。(もったいないので、家で食べていますが・・)
本当、楽しみにしてたのに・・・・残念です。。

財政に強くなる為に・・

市の財政では、「みんなから集めたお金をみんなの為に使う」当たり前の事ですが、それをしっかり進めていく上では、財政に強い議員は求められています。会派では、現在、財政を中心とした研修に取り組んでおり、その一環として、本年度は、富士市の財政白書の作成に取り組んでいます。

財政課より富士市の28年間の決算カード取り寄せ、それを下に、分担を決め、取りまとめていく作業を行い、年内には作り上げる予定です。財政は分かりにくく、パッと見ただけでは見えてこない部分があるのですが、様々な視点から誰にでも分かりやすい財政白書ができればいいと思っています。
また、地方自治体では、「自治体財政健全化法」「公会計改革」等、大きな転換期を迎える中で予算、決算の議決を始め、議員の役割はますます重要になってきています。来たるべき9月議会においての決算審議においても、適切な財政状況の把握と分析を通して、来年度の予算審議を行わなければならない中で、決算審議のポイントをしっかりと理解して望まなければならないと思っています。
私自身、民間経営に携わってきていますが、行政の財政は分かりにくいところが多いです。(と言うより、分かりにくいようになっています)子ども達も夏休みの宿題をがんばっていると思いますが、この夏の議員としての宿題として、財政研修に積極的に参加しようと思っています。
早速、8月4日の「地方議会議員のための決算審議のポイント」についての行政管理講座へ申し込んできました。
今後、更に財政状況の厳しさは増していくと思います。無駄を無くし、しっかりとした財政運営をして行ってもらうために、財政についてしっかりと意見の言える議員になる必要があります。

「パティスリー・デ・ボア」オープン間近!

 「桃屋の食べるラー油」の基となる乾燥ニンニクで大ヒットをしたニンニクで有名な富士市の元気企業の斉藤食品工業さんが新たな戦略として、スイーツショップを開店いたします。

場所は 新富士駅北側、富士見大通り沿いのビルの1階で、名前はスイーツショップ「パティスリー・デ・ボア」さんです。

8月6日にオープン予定をしていますが、その前にオープンレセプションが開催されました。

お店の名前(デ・ボア)の通り、森をイメージしているそうですが、森もドイツの深い緑の森の中で木漏れ日が差し込むような感じをこだわったお店になっているそうです。(設計士の方の話でした)
(祝辞を述べる小出氏)

齋藤食品さんと言えば、f−Bizさんと一緒に、スタミナスイーツプロジェクトを進めていましたので、また、セレモニーにはf−Bizの小出センター長も来賓として来ていましたので、ニンニクを使ったケーキ屋さんなのかと思いきや、ニンニク使用のケーキではなくて、本格的なスイーツショップでした。と言うのも、パティシエの大村さんは、グランド富士で勤めていましたが、斉藤社長と知り合い、新しいお店で力を発揮するために、フランスまで行ってきたそうです。ですから、本場のスイーツが堪能できる事が期待もできます。
新しいスイーツショップの開店は、甘いものが好きな方には朗報でもあると思っています。
(斉藤社長、中澤設計士と共に)

 ニンニクで有名な斉藤食品さんが、経営しますので話題性もありますが、ちょっとおしゃれな、カフェも併設したスイーツショップが8月6日に開店しますので、オープンしたら利用してみたらいかがでしょうか!!!。

時代の流れでしょうか!?

時代の流れを感じます!!
地デジ化と大騒ぎしてきましたが、2011年7月24日の正午でアナログ放送、58年の歴史が閉じました。

私の学生時代の情報収集雑誌でもあった「ピア」も39年の歴史にピリオドです。7月21日の最終号で完全廃刊となりました。

42年も続いた、日本最長寿番組の時代劇「水戸黄門」も終了です。

アナログ放送終了で地デジ化していないテレビは本当に映らなくなってしまいました。
でも、テレビが大好きな私にとって、地デジ化になり、今後は、変わったことによる、地デジ化の効果が実感できる放送の質の向上は期待しています。

映画や演劇などを知る情報誌として買い求めていた「ぴあ」。(今の若い人にはわからないだろうな・・)インターネット、携帯電話での普及により、紙の媒体としての情報雑誌の役割が終わったような感じもします。

良く口ずさんだのですが、「人生楽ありゃ、苦もあるさ・・・」も時代遅れになったのでしょうか・・・・・・

何十年とアナログ時代を生きてきた私にとって、移り変わる時代の流れは、寂しさを感じる事柄でもあります。

まつり、祭りのあり方は??

週末は、須津ふるさと祭り、富士まつり2011富士かぐや姫まつりとまつり、祭りです。
本年は、震災があり、お祭りの開催も議論されましたが、盛大????に開催されました。

今年の祭りは、地域でのふるさと祭りは節電の事もあり、早めの開催、と明るいうちに終了が出来るようなプログラムでありました。富士まつりでは様々なイベントが行われましたが、被災地への支援、応援も兼ねています。

富士まつりでは、復興風船(2250)プロジェクトや富士から届けよう元気の光と題した「千灯籠プロジェクト」—富士の街からがんばろう!あなたができる事—が行われ、灯籠に被災地へのそれぞれの思いを込めたメッセージを1000個書き、道しるべとなるよう並べてきました。

また、終わりを締めくくるかぐや姫絵巻のパレードには、議員として白装束を着て参加しましたが、花火が無くなったので、いつ、お祭りが終わったのか、分らなく、なんとなく盛り上がりに欠けるような感じでした。また、絵巻の段取りと言うか進め方が良くなかったのか、いつもよりパレードに時間がかなり取られ、パレード最中に手筒花火があげられ、パレードを見ないでそちらに行く方々も多くみられました。なんとなく消化不良的に感じるのはパレードに参加している私だけでしょうか??見ている方々からも、終わり方に対するクレームもありましたが・・・・
個人的には、絵巻で締めくくるのではなく、多くの人に残ってもらえるよう、最後に市民総踊りをした方が良いような気もします。また、あらためてお祭りの終わりには、打ち上げ花火が必要であると感じました。
パレードに参加しながらも、最後まで人が残らない光景を見ていると富士市最大の夏祭りの在り方は、盛り上がりに欠ける感じは歪めず本当の意味で市民の祭りなのかちょっと考えちゃいました。

地元のマジシャン当間さん

地域のイベントでは、良く出演している地元のマジシャン当間さん。
須津ふるさと祭りのステージでも活躍していました。もう80歳近いのに大変元気な地域の有名人でもあります。

当間さんのマジックショーは何度も見ていますが、ふるさと祭りのステージではジャグラーのお弟子さんを引き連れてのショーでもありました。

子供達もステージに集まり、大騒ぎです。
当間さんは洋品店を経営しながら、静岡新聞SBS学苑奇講師として県下一円にてマジック指導及びイベントに出演している上に、各地施設訪問もしています。

地域のイベントでは欠かせない方ですので、手品をやる事が、生き甲斐でもあり、若さの秘訣でもあると思いますので、いつまでも、元気に頑張ってもらいたいと感じています。