愛鷹農道2期供用開始の条件は安全第一

先月末1月25日のブログにも掲載しましたが、富士岡と中里を結ぶ愛鷹農道2期の「供用開始はいつになるのか?」についてですが、県事業でありますが、市の所管である農政課より説明がありました。

あらためて愛鷹農道2期工事について説明すると、愛鷹2期地区の県営地域活性化基幹農道整備事業は、富士宮、大渕、桑崎方面から富士岡に繋がる主要地方道富士富士宮由井線、富士見台方面からの富士岡へ繋がる市道と交わる富士岡より市道元吉原中里線の中里保育園の北側までの、1,34キロメートルを繋ぐ農道整備事業でありますが、根方街道の危険箇所軽減や東部地域の循環道路としての機能性が増し、地域の利便性が大きく変わる道路でもあります。
本来の富士農林事務所の説明で行くと昨年の7月に供用開始予定でありましたが、富士土木事務所との兼ね合いで工事が延期された事が説明されました。その後、富士土木事務所からの説明では、本年1月中に供用開始予定であるとありましたが、今年に入り、工事が延期されている状況であり供用開始が伸びた事が説明されました。その後、どうなるのかと思っていましたが、多分、先月の説明では年度末までに供用開始がされるのかと思っていました。

しかしながら、道路整備の他に、安全対策として、吉永地区より信号設置の要望が出されており、信号設置は年度末までに着く方向性で示されていましたが、公安より年度末設置はないとの見解がだされましたので、市の判断として年度末に拘らず、交通量の増加により危険箇所と思われる富士岡上交差点の設置は不可欠の事であり、最終的に市として管理しなければいけない事を考えれば、愛鷹農道2期の安全確保の為には、富士岡交差点での信号設置がされてから供用開始するべきとなったようです。ですから、愛鷹農道2期の供用開始は、年度末はなくなり、新年度になり、信号設置がされてからの供用開始となります。

供用開始は大分延期されますが、個人的な見解としては、やはり安全第一であるべきであると思っていますので、信号設置を待っての供用開始は市の判断として妥当であると思っています。ただ、公安は信号設置要望は大分前から出されていた事のなのに、どうしてこんなに時間をかけなければ許可が出ないのか不思議です。
利便性の向上は勿論ですが、安全第一でなければいけません。ご理解をとの事でした。
多くの住民が「いつから?」と問い合わせがありますが、今後、地域において、説明会を随時開催して行く予定だそうです。

東部地域の南北を結ぶ江尾柏原線通行止め

現在、富士市東部の南北を結ぶ主要幹線道路の1つである江尾柏原線が通行止めになっています。東田子の浦駅への通学、通勤者にとってはしばらくの間、遠回りをしなければならなくなり不便になっています。

本年度の工事として沼津線と江尾柏原線の入り口部分の接続箇所の工事を3月10日までするとの事です。その為に、通行止めとなり迂回しなければならない事になっています。

江尾柏原線については須津、浮島方面から東田子の浦駅を利用する人にとっても重要な道路でもある為に、雨が降っても冠水しないような早期道路整備推進は9月議会でも求めました。これは、私が議員になってから、富士市東部地域の南北を結ぶ主要幹線道路でもある江尾柏原線整備の推進は求めている事ですが、ただ、一昨年より財源が厳しい状況の中では、事業予算がつけ難くなっています。その為に、本年度も補正予算で事業を進めて貰っています。この3月に、東田子の浦駅アクセスバスが廃止となりますので、須津、浮島方面から東田子の浦駅への利用者にとってのバスによる交通手段はなくなります。なおさら自転車や歩いて行く通学、通勤者の為にもしっかりとした江尾柏原線の道路整備は益々重要になってきていると思っています。
昨年の9月議会でも求めましたが、継続事業でありますので、一番問題でもある冠水箇所がまだ残っていますので引き続き整備推進を求めて行きます。

インフルエンザではありませんが・・・

市内においてもインフルエンザで学級閉鎖になっている所がありますが、このところ私の知り合いでもインフルエンザにかかっている方が多いです。つい先日食事を一緒に取った方に用事があり、連絡するとインフルエンザにかかってお休みとの事。

お医者さんに熱が下がってからも、最低2日間は出歩かないようにと言われたそうです。その際に、「俺と一緒に食事をしたけど君は大丈夫か?」と確認されましたが、そう言われるとなんとなくこのところ急に、くしゃみや鼻水が出始め、喉も痛く風邪気味のような感じでもあります。食事を一緒にした人が、インフルエンザにかかっていると聞くと、もしかしてインフルエンザかなと思いました。でも、熱がありません。目がかゆいです。よくよく考えてみれば、毎年恒例の、花粉症が発病し始めたようです。ですから、この2〜3日お酒を飲むとよけい調子が悪いようです。マスクをしている方も多く見かけますので、どうやらそろそろ私にとっての本格的な花粉症のシーズンがはじまったようです。
寝てても、くしゃみと鼻水がでる状況は、議会が始まる前に、インフルエンザではありませんが、今年も、病院に行って注射と薬を処方してもらいにいかねばです。

富士市の観光産業の根底を考える!

富士商工会議所青年部の2月公開例会、「富士市の観光産業の根底を考える!〜工業都市としての誇りから導く観光政策の活路〜」に参加してきましたが、多くの行政関係者、また小長井市長も最初から最後までいてくれ、内容の濃い有意義なシンポジウムでありました。

公開例会での次第は、
第一部 富士市の歩み
「富士市の工業都市としての歩み」富士市産業政策課主査小林一也氏
「富士市の観光産業のこれまで」 富士市観光課 主幹 松村岳典氏
第二部 富士市が誇れる観光素材
「インパウンド誘致」   富士商工会議所青年部地域活性化委員会 伊藤茂樹
「富士山と調和した工場夜景」    同上             井上幹世
「岳南電車の観光資源としての可能性」同上            鷲見隆秀
第三部 パネルディスカション
パネリスト 四日市観光協会 観光コーディネーター  落合純二氏
      室蘭市経済部  観光課長        本野泰伸氏
      常葉大学    経済学部教授      大久保あかね氏
コーディネーター
      富士商工会議所青年部地域活性化委員会 増根好夫
総評    富士市長 小長井義正氏

小長井市長が最初の挨拶で、観光についてはシティプロモーション室で一元的に取り組んでいく事に触れていましたが、驚いたことにシンポジウム最後まで残り勉強させて貰らってから、総評を述べる事が話されました。

各発表者での印象に残った言葉として、
第一部では、「観光都市を目指すのではなく、観光と言う手法を用いて元気になってもらう」
      「観光と言うダイヤの原石を磨くのが行政の仕事」
第二部のYEGからのメッセージとして
      「富士市の価値を見直す」
      「自らが住むこのまちを誇りに思う」
      「今ここにある資源を活かす、変化させる、発信する」
      「思いを全市民に波及させる」
      「次世代へつないでいく」
第三部各パネラーの言葉として
「何もないがある」
「ずっとつつけていく継続が重要、その為の利益追求。行政にしかできない事としての三つのお願いとして、上手に後押し、道筋をつける、最後まで頑張る」
「ある物を利用して行く、鉄道は観光資源になる」
「まちの危機を将来の希望として伝える」
「働く姿が美しい、ビジネスマンが来ている事は資産である」
市長総評
「我が街を愛す。富士市には富士山があるそれだけで意味がある。工業がダメだから観光ではなく、工業と観光は一体、働く姿があるから美しい、工場夜景都市、サミット開催、この3月に岳鉄の結論は出さなければいけなく3月24日に示すが観光という事も見て判断する」
市長総評が聞けたことは価値がありましたが、工場夜景のシティプロモーションとして進める事や岳南電車の観光と言う面をしっかりした判断はこの議会でも取り上げられる事であると思っています。
私は「富士市の観光産業の根底を考える!」で大変得るものがありました。
2月28日の富士岳南まちを考える会の交流会で更に勉強します

「紀元節の歌」知っていますか?

建国記念の日の11日に紀元祭が三日市浅間神社で開催されました。
紀元節とは日本書紀で伝えられる神武天皇の即位日としての祝日であり、日本の建国を祝う日に行われるのが紀元祭であります。

 

 

 

 

既に、2日前にも、地域の浅間神社と八幡神社においても紀元祭は行われていますが、いずれも顔を出しています。

ですから、三日市浅間神社で3回目の紀元祭の参加です。
ところで、紀元祭で歌われる「紀元節の歌」、知っていますか?
私は、何年か前に三日市浅間神社で紀元祭に参加した時に初めて聞いたのですが、それまでは知りませんでした。

紀元節の歌とは
作詞 高崎正風・作曲 伊沢修二

一、雲にそびゆる 高千穂の 高根おろしに 草も木も なびきふしけん 大御代を 仰ぐ今日こそ 楽しけれ

二、海原なせる 埴安の 池の面より なおひろき 恵みの波に 浴みし世を 仰ぐ今日こそ 楽しけれ
(三日市浅間神社で配られる紀元節の歌詞)

恐らく多くの人が知らない「紀元節の歌」。
どうして知らない歌を歌うのかと思っていましたが、聞けば、かっては、文部省唱歌だったそうです。でも、敗戦後、2月11日の紀元節では、占領軍に、建国記念を祝う事が禁止された為に、祝日として許されなくなり、教育勅語同様、学校現場で教える事はなくなったからでそうです。ですから、終戦後生まれの多くの人がこの歌を知らないのは当たり前ですが、敗戦により、忘れさせられてしまった歌があった事をとっても、占領軍に日本の教育、文化が歪められていた事が分ります。
安倍首相には、日本の在り方が問われていますが、日本の建国を祝う日に、子ども達も歴史を知った上で「紀元節の歌」が歌う事が出来る教育をしていかなければ、戦後70年近く経っても、もしかしたら本当の自立に繋がらないのかも知れないと感じました。

幾つになっても輝く事。

岳南法人会が開催するザ・ワイルドワンズのコンサートに行ってきました。
ザ・ワイルドワンズは、1966年から1971年までが最初の活動期間でしたので、時代的には私が幼稚園の頃から小学生の時に活躍していたグループサウンズであります。

現在、再結成して活動していますが、今では、72歳、67歳が2人、66歳平均年齢68歳のグループでもあります。年齢だけ聞けば、オヤジと言うかオジイサンバンドと言ってもおかしくない年齢です。

でもコンサートに行って驚きました、オジイサンバンドなんかではありません、とっても元気で年齢を感じさせません。ただ、年齢的に体力が持たないので、2曲やって話を入れながら休むと言っていましたが、ある意味年齢を重ねているので、話術が巧みです。特に、歳をとっている事を逆手に取った話は面白いです。また、会場を巻き込んでのコンサートは流石です。ですから、2時間のコンサートは楽しくあっという間に過ぎました。懐かしい歌を聴き、歌を口ずさみながら当時を思い出し若返ったような気持ちと幾つになっても輝き続けるメンバーの姿を見て、勇気をもらいました。最後に、次に会う時は、誰かがいなくなっているかもしれないと言っていましたが、コンサートを通じて、多くの人にもっと、もっと、もっと元気を与える事をいつまでも続けて欲しいです。
(会場で色紙をプレゼントされたのは私の同級生です)

今回、コンサートへ行って、年齢で年は老いない、夢や希望ややる事があれば,幾つになっても輝き続ける事が出来る事を学ばせて頂きましたが、帰りがけにふとトイレの鏡に映っている自分を見て、自分はどうなんだろうと思ってしまいました。その上で、小長井新市長の「生涯青春都市」を掲げている事を思い出しましたが、本当に,富士市は誰でもが幾つになっても輝けるような場所であってもらいたいと思いました。

市役所周辺の異様な光景

各地で大雪の大荒れの天気になってしまった前日の夕暮れ、市役所周辺を歩いていると、黒い雲のような感じで突然ものすごい大群の鳥が空を覆いました。
多分、鳴き声は「カ〜カ〜」ですので、カラスの大群です。

あっけにとられながらも、カメラを取り出し写真を撮りました。どこから集まって来たのか分かりませんが、市役所及び周辺ビル、電線に無数のカラスがとまっています。

市役所通りに街路樹がある為に、以前から、カラスやムクドリがネグラになっているのは知っていましたが、これほどとは思いませんでした。
私は、若い時にヒッチコックの「鳥」と言う映画を見て以来、なんとなく鳥が襲ってくるような気がして、鳥は苦手です。ですからよく港や公園でカモメやハトが餌を取くるのも気味が悪いです。それとカラスがごみ場を荒らしたり、鳥の道路に落ちている糞の跡や車に落とされる糞害にも鳥嫌いに拍車をかけています。

私にとっては特に気味が悪いと思わせる、カラスの大群の異様な光景を目の当たりにすると、知らない人だと、例えば、市役所近くのくれたけホテルに市外からたまたま泊まっているお客さんが異様な光景に、地震か富士山の爆発の予兆じゃないかと思ってしまうのでは・・・とちょっと心配してしまいます。実際、いつもの風景と言われれば返す言葉はないのですが、カラスの大群を見ての、大荒れの天気は、私ももしかしたら、あの大群は、天候が大きく変わる予兆であったのかと思ってしまいます。
鳥嫌いせいもありますが、あらためて、市役所周辺にカラスやムクドリの大群が来ないような対策は取って頂ければありがたいと思ってしまいました。

毘沙門さんでのちょっとした出来事。

毘沙門さんが2月6・7・8日で開催されています。初日、2日目と行きましたが、なんとなくいつもより人出が少ないような気がします。一般的に景気が上向いていると言う割には、例年より毘沙門さんの人手が少ないならば富士市の経済状況の厳しさを感じさせます。

ちょっと前の毘沙門さんは、前に進むのが困るような状況であった様な状況であり、両側にお店もぎっしり立ち並んでいたイメージがありましたが、久しぶりに吉原駅から歩いてみるとお店も大分少なくなっていますし、吉原駅から毘沙門さんまでの道中は片側だけのお店となっています。

最終日の土曜日天候が悪いようですので、出店も思うような商売が期待できないのかもと心配してしまいます。

今年の毘沙門さんでのちょっとした出来事として、中日に例年通りダルマを購入に行ったのですが、お参りをした後、ふと境内に目をやると、毘沙門さんの筆頭檀家としてお手伝いをしている商工会議所の副会頭の増田さんがおみくじを売っていました。

せっかくですので、増田さんからおみくじを買い求め運勢を占ってもらうと2つの数字が書いてある棒が出てきて、増田さんが「2つに1つ、さあどっちを選ぶ」と促がされました。増田さんが私が選んだ番号のおみくじをまず取り出し、「う〜ん」と言いながら、もう1つの番号のおみくじを取り出し、にやりと笑い「面白いね、荻田君が選んだおみくじは凶、選ばなかった方は大吉。もしなんだったら持っていく方を変えるかい?」と問われました。一瞬迷いましたが、増田さんには「選んだ凶を持っていきます。選んだものを変える訳にいきませんから・・。凶であるなら、今日[凶]から様々な事を注意しますので・・」と言うと、「悪い事も真摯に受け止める、流石だね」と褒められました。なんか試されたみたいな気がしましたが、考えようで、大吉で下がっていくより、凶から上がっていく運勢であると思えば、今を注意しながら、努力をすると思っています。悪い事も、良い事も心掛けで変わると思っています。じつは、先日諏訪大社で引いたおみくじは大吉でしたし・・・
自分の運勢と富士市の経済状況を憂いながらも、例年通り、杉山だるまを買い求めましたが、4号、6000円、昨年は5500円でしたのでちょっと高いと思いながらも、おみくじの事もありましたので、値引きをせずに言い値で購入してきました。
(ちなみに今年のだるまは向かって左に目をいれます)

毘沙門さんの間、夜は会合が重なっています。少しでも景気が良くなるようにと、勝手な解釈で、吉原の街で夜中まで飲食をさせて頂いています。

「顔晴ろう!福島プロジェクトのおつかいし隊」とは

2月28日に開催する富士岳南地域まちを考える会の岳南電車においての交流会でミニ講演をお願いしに、富士常葉大学の大久保あかね教授の所へ商工会議所青年部の上柳会長と行ってきました。

2時間近く色々な話をさせて頂き、私にとっては有意義でありました。特に富士市の観光施策にたいしてはとても勉強になりました。事前に連絡はしてありましたが、改めて2月28日の交流会についても快く承諾を頂き一安心です。当日はゼミ生も参加してくれると言うありがたい話も頂きました。これからは、チラシを配布し参加者を募る事に力を入れたいです。

応接室で話した後、せっかくですので図々しく大久保教授の研究室にもお邪魔しちゃいましたが、その時に、大久保ゼミで今取り組んでいる「おつかいし隊」という、被災地である福島県会津の農業と観光業の応援についての説明があり、その取り組みの理解と協力の要請がありました。

震災後から、常葉大学の観光ビジネスコースでは、「顔晴ろう!福島プロジェクト」として被災地で飲んで応援、食べて応援、泊まって、お土産を買って応援とステップアップし、そしてあなたのお土産おつかいし隊となっての継続的な支援としてきています。今年も大久保ゼミ生が2月18日から20日まで福島県のいわき市と会津若松市に出かけ会津の名物を代わりに買ってくるという事です。是非、その買い出しの注文をお願いしたいとの事で、多くの人に呼び掛けたいので様々なところでチラシを配りたいとの事。

ちょうど、上柳会長もいましたので、商工会議所青年部の2月12日ロゼシアターでの公開例会で配布はしてくれることになると思っています。私も、大久保教授にお世話になりますので、何らかの形で協力はしたいです。
とりあえず、会津の名産品を常葉大学の学生が買い付けに行きます。 よろしかったらおつかいを頼んでください。お願いします。!!!

観光を考える、例会と勉強会について

商工会議所青年部の例会で「富士市の観光産業の根底を考える!〜工業都市としての誇りから導く観光政策のへの活路〜」が2月12日に開催されます。

富士市の観光政策を進めるべき中での根底にあるべき姿を参加者と考える例会であり、岳南電車や工場夜景にも取り上げているので商工会議所会員青年部OBとしてもしっかり勉強しに行きたいと思っています。
また、これと連携しての勉強会を兼ねた交流会を私が所属する富士岳南地域まちを考える会でも「富士市の魅力を発信しよう!!〜岳南電車に乗って地域資源を見出そう〜」を2月28日に開催いたします。

昨年の暮れに、まちを考える会で工場夜景サミットが開催された事が話題に上がり、その後、沼津地域の東駿河湾まちづくり研究会の役員さんと国交省の沼津河川事務所所長との懇談をした際に、岳南電車に乗って、工場夜景を見たいと言う要望がありました。また、商工会議所青年部の上柳会長からも、商工会議所の例会とリンクしての現場での勉強会はお願いしたいとの事でしたので、富士岳南地域まちを考える会として岳南電車を借り切って、富士市の地域資源でもある岳南電車や工業都市としてのシンボルでもある煙突のある風景や夜の工場夜景の魅力をもっと多くの人に知ってもらい発信する事を目的に電車に乗りながらの、岳南電車を借り切っての観光についての勉強会が企画されました。内容は電車内で工場夜景のスライド上映等や飲食もあっての交流会です。国交省の所長や常葉大学の大久保教授にも参加してもらう予定でもあり、商工会議所青年部の例会時にチラシを配布するつもりです。
今回開催される商工会議所青年部の公開例会、富士岳南地域まちを考える会での勉強会もそうですが、私も議員としても、今後、更に富士市のシティプロモーションとして、富士市の魅力ある地域資源の活用を訴えたいと思っています。。

三日市浅間神社節分祭と恵方巻き

今年も三日市浅間神社の節分祭に参加してきました。
社殿において豆まきをした後、特設ステージで豆まきをしてきましたが平日でもありながらも、祈祷を受けた豆(福)を拾いに多くの人で賑わっていました。

多くの場所で節分祭は開催されていますが一般的に、豆をまきながら、無病息災、家内安全、商売繁盛など祈祷し、邪気や厄を除き幸福と平和な生活を願う為に行われています。

節分祭に参加し、家でも豆を撒きましたので、きっと鬼は出ていき、福が舞い込んでくると信じています。でも、最近は、自分の年だけ豆を食べるのが大変になってきましたが・・・・
節分祭はともかく、今は当たり前のように食べられるようになった節分の日の恵方巻き。
どうしてこんなに広まったのかと言うと1977年に大阪海苔問屋協同組合が節分のイベントとして道頓堀で「節分の丸かぶり」を取り入れた「巻き寿司早食い競争」を実施したのをマスコミが取り上げ、早速全国のお寿司屋さんがそれに便乗して全国に広まったということのようですが、セブンイレブンさんが発表している事として、事の始まりを1989年、広島県のセブン-イレブンからとしています。その当時、関西の風習としてあった「節分の日にその年の縁起のいい方角(恵方)を向いて無言で太巻き寿司をまるかぶりする」という情報にもとづいて恵方巻を一部の店舗で販売したのが始まりとしています。この『縁起のいい風習』が一部地域の食文化がセブンイレブンから全国へと広がり、今ではすっかり節分の定番のお寿司として定着しました。ちなみに、巻き寿司というスタイルは「福を巻き込む」という願いからきており、切らずに食べるのは「縁を切らない」という理由があるそうです。このようなことから、恵方巻は別名を「まるかぶり寿司」とも言われてます。

ですから、セブンイレブンさんの今年の恵方巻きには 事の始まりとして愛されて25周年と謳われています。
私も、今年は、朝昼晩と3回も恵方巻きを食べましたので、3倍の福がやってくると思っていますが、ただ、年々その恵方巻の定義も変わりだし、5月の「春の恵方巻」、8月の「夏の恵方巻」、11月の「秋の恵方巻」とコンビニでは販売促進し始めていますし、寿司以外にもロールケーキ等「変わり種」の恵方巻が登場していますので、もはや恵方巻とつけば何でも良い状態となりだしている状況に、創られていくイベントに疑問を持ちつつ、ついつい食べてしまいます。

真の多文化共生文化のまちの実現を目指して

以前頼まれていた事に、第26回の国際交流フェアの宣伝をブログでもするように国際交流協会の事務局の植松君に頼まれていました。宣伝(掲載)しよう、しようと思っているうちに気が付いたら国際交流フェアを迎えてしまいました。ブログに事前に掲載しなかった事に申し訳ない気持ちもあり、お詫びも兼ねて参加してきました。

国際交流フェアのコンセプトは“「心通い合う多文化共生のまち ふじ」の実現にむけて”です。現在、開会式での挨拶で言っていましたが、富士市にいる外国人は、52か国4500人以上が在住しているそうです。市内に暮らす外国人市民との共生施策を中心とした多文化共生する取り組みを体系化し、取り組みを総合的かつ計画的に推進することを目的とした富士市国際化推進計画プランが策定されており、国際交流フェアはその中の1つの施策であります。参加団体は63団体です。私が関係する団体や妻が所属する団体の参加もしているので顔を出してきました。あいにくの雨ではありましたが、多くの方が参加していました。

国際交流協会の植松君にもう1つ頼まれていた事に、商工会議所と吉原RCが主催する日本で生活する外国人による「第12回日本語スピーチコンテスト」についても掲載してくれと言われていました。
今度は忘れないうちに、掲載します。

第12回日本語スピーチコンテスト
日時:4月27日(日)13:00〜15:00
場所:富士商工会議所4階大会議室
です。まだ、先の話ですが、参加してください!!!

今回ベトナムに行って感じたのですが、企業のグローバル化が進み、今後益々海外進出して行く企業も予想されます。富士市へ来てくれている外国人との共生も必要な事でありますが、海外へ出て行っている富士市民に対しても安心できるような施策も考える事は必要な事であり、例えば、今回行ったベトナムの領事館との自治体とのネットワークの構築等があり、外国人を迎える事以外に海外へ出かけている市民の多文化共生も検討されなければいけないと感じています。

お肉が美味しく焼ける魔法の石

富士山グッズ博覧会で会場をぐるぐる回っていた中で、どうしても気になるものがありました。それは、富士山溶岩プレート。

出展者として、ホットプレート内に溶岩プレートを入れて、豚肉を焼いて振舞っていましたので、お肉を食べに人が集まってきます。
私も匂いに釣られ、ブースに行くとその焼いたお肉が、実にジューシーで美味しい。
美味しい訳は、富士山溶岩プレートを使っているからとの事。現在、溶岩プレートは全国の有名焼肉店、ホテル、料亭でも使われ絶賛されている優れものだそうです。

その絶賛される理由は・・・・・
1、 遠赤外線が発生します。多気孔質構造によりお肉がジューシーに焼きあがります。
2、 豊富なミネラル成分が溶け出します。溶岩にはパナジウムを始め30種類以上のミネラルが含まれこれらが溶け出すとマイナスイオンが発生し美味しくなります。
3、 富士山溶岩石使用。富士山麓で採掘された富士山溶岩石を100%使用していますので、他地方とは成分、耐熱温度もことなり更に、富士山が世界文化遺産登録されましたので貴重な溶岩石です。
4、 煙がたたない、油をひかなくても焦げ付きません。煙が立たないので部屋の中でも焼肉が楽しめます。等々
です。
販売していたタイルのような石が、ただの石と思ったら大間違いと知り、自称、グルメの私としては、お肉が美味しくなる魔法の石が急に欲しくなってしまいました。

ただ、値段を聞くと7600円。博覧会の中でも高価な商品です。ちょっと高い、でも、欲しい。と思いつつ会場を2周回りながら、意を決して、ホットプレートタイプの溶岩プレートを購入。
何となくウキウキした気持ちで家に持ち帰ったのですが、妻に言うと顔を曇らせながら家にはホットプレートがないとの事。
「じゃ使えないじゃん」と思わずがっかりしたのですが、せっかく手に入れたので宝の持ち腐れにならないようすぐにカインズホームへ、ホットプレートを買いに行ってきました。

ホットプレートは2500円とリーズナブルで購入できました。後先考えずの購入で結構面倒な事になってしまいましたが、これで溶岩プレートが利用できるようになりました。
さっそく、家の中で焼肉をやりました!!!!

コンビニで売っていたお肉を焼いたのですが、煙もでず、まいう〜です。

富士山グッズ博覧会行かなければならない理由。

富士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して、富士山グッズ博覧会&物産展が1月31日、2月1日と開催されています。今回、どうしてもこのイベントに行かなければならない理由がありましたので開会式より参加してきました。

このイベント自体は、県主催で富士山関連商品を一堂に集めた展示商談会、即売会で、富士山周辺の食材を利用した加工食品をはじめ、富士山をモチーフにしたお土産品、日用雑貨、図案に取り入れた工芸品など、魅力あふれた商品等を総勢111団体が出展してのイベントです。

私が参加する理由として、県のイベントであっても共催は富士市であり共催自治体の議員としての参加は勿論ですが、出展者の中に、先日、ベトナムに行った先の視察企業でもあるお世話になったレイホー株式会社さんがありました。ベトナムでの視察では、今回の博覧会に出展する商品の製造工場も見てきました。
(ベトナムでの日本での博覧会への展示商品についての説明)

現在は、ベトナムはお正月で、ベトナム企業が休みの期間でもあります。視察時にレイホーの安藤会長がベトナムより日本に戻って来て、博覧会に参加する事が話されましたので、ベトナムでのお礼を兼ねて博覧会会場に何としても行かねばと思っていました。視察以来の再会でもあり、開会式で元気そうな安藤会長に挨拶を済ませ、レイホーさんのブースへ直行。

レイホーさん主製品はストラップ、綴り紐等ですが、新たにベトナムでの雑貨の免許も取得でき、日本向けの商品開発として、ベトナムで頭にかぶる笠に富士山をプリントした製品が展示されていました。富士に来る観光客に売り込みたい話はベトナムで聞きましたが、製品は改良中で、試作段階の製品は見ましたが、実際の販売製品はこの展示会で初めて見ました。

博覧会ですので多くの魅力ある製品はありますが、ベトナムでお世話になった事もあり、レイホーさんが推奨する富士山ストラップと富士山笠を宣伝させて頂きます。

富士市長も安藤会長からストラップを渡され、首からかけていましたが、是非、レイホーさんの製品である、富士山ストラップと富士山笠をお買い求めください。

富士山グッズ博覧会&物産展は県のイベントでありますが、富士市にとっても大変ありがたいイベントであります。世界文化遺産記念としてではなく、今後も継続的な開催を望みます。

エクスパーサ富士川により更に魅力アップ!!

中之郷で葬儀があった為に、帰りに、以前より気になっていた場所として、昨年の12月21日にオープンした東名高速道上り線富士川サービスエリアに商業施設「エクスパーサ富士川」に寄ってきました。

エクスパーサ富士川のコンセプトは「富士山に集うコミュニティエリア」。

昨年夏から営業している6店舗に加えて、今までになかったアパレルやゴルフアクセサリー、富士山が見える焼き立てパンが食べられるカフェまた、富士つけナポリタンや富士川限定ラーメンといった地元グルメを提供するフードコート、富士山グッズ店など、5店舗が新たに加わっての営業でもあります。
(珈琲とパンを食べながら富士山が眺められます)

富士川SAは今までよりもかなり魅力的な場所になりましたが、富士市として富士川楽座がありますので、新たな施設充実に楽座への影響は出ているのか気になる所でした。

ただ、富士川楽座については世界文化遺産効果もあり、年末、年始の12月29日から1月3日の6日間のレジ来客通過数は過去最高の11万8696人であった事が報道されていました。新しい施設ができた事による相乗効果もあったと考えられます。
ネクスコの外部駐車場も更に整備されていましたので、地域を含め、外部からの入場客も増え、更に多くの人が訪れる場所に進化したと思った方が良いと感じました。

今後、観覧車の計画もあるようですので、全国的にもトップレベルの集客施設になる事は期待できます。

なお、富士川楽座には、マクドナルドに変わりタリーズコーヒ—が入店していました。

買い物新時代、オムニチャネルとは??

この2日間、富士を語る会、ロータリークラブの会合が夜あり、ちょっと痩せて身体の調子が良くなったのをいい事にお酒を飲んでしまい気がつけば帰りが午前様になってしまいました。ですから、昼間、様々な場所にも出かけおり、ブログネタは沢山あったのですが、掲載できませんでした。

その1つのネタとして、商工会議所の富士市産業経済・会長友の会1月例会にオブザーバとして出席してきました。と言うのも講演の内容が、「近くて便利なお店を目指して〜セブンイレブンの取り組みについて」でしたので・・・・・

現在、セブンイレブンは世界に52000店日本国内におよそ16000店、世界での1日の来店客数は約4500万人、日本国内での1日の来店客数は1700万人であります。
誰もが知っているコンビニは、私も5年前に議会で取り上げましたが、24時間年中無休での営業は公共料金の収納業務、地域防犯への連携、住民票や印鑑証明の発行、買い物弱者への配達業務を兼ねた見守り、災害時での緊急支援や災害拠点等コンビニが地域の社会インフラとしての役割が担えます。県ではコンビニとの包括提携を結んでいますが、富士市においてもそのような業務を担ってもらうためにもコンビニとの包括提携を結んでいただきたいと思っています。
講演の中で気になるワードとして、聞きなれない言葉かもしれませんが、最近よくメディアで取り上げられているオムニチャネルがありました。オムニチャネルとは、インターネットや実店舗など、あらゆる顧客との接点を連携させて拡販するマーケティング戦略であり、もう少し説明するとリアルとネットの垣根を感じることなく買い物ができるように、様々な販路を整備一本化して流通チャネルでの事で「オムニ」とはすべてのあらゆると言う意味で、ITインフラやスマホの普及をきっかけに、いつでも、どこでも、誰でも、なんでも自由に買い物ができるようになる事を言います。現在、セブンイレブンを中心に構成されるセブン&アイ・ホールディングんでは今グループのオムにチャネル化が最重要課題として掲げられています。今後、スマホやWIFIが普及されれば、ますますコンテンツやアプリの整備が進み、手元の端末が24時間アクセスできる巨大商店となるオムニチャネル時代が訪れる事を予想されます。社会インフラとしてのコンビニにおいて、新たな新時代が訪れようとしている事を聞きながら、新市長が民間活用を掲げるならば、住民サービスの向上、行政コストの削減の為にもコンビニとの連携は改めて進めるべきである事を感じました。

後援会旅行無事終了!!!

後援会旅行行ってきました。
無事戻ってきてホッとしてます。
実は、前日遅くまで飲む機会があり、帰りが遅かった為に、出発時間ぎりぎりまで寝てしまい、旅行者さんから電話を受けてから慌てながらのバスへの乗車となってしまいました。(所謂寝坊です)

バス5台の多くの参加者があった為、天候を心配しながらも旅行会社さんとバスの運転手さんとガイドさんと打ち合わせをバス集合場所で済ませ、その後、第1目的地の松本城へ・・・・
天気を確認すると長野は午前中ミゾレか雪の予報。

松本城に着くと雨のような雪が舞い散っている中で、第28回氷彫フェスティバルが開催されていました。前日よりの氷彫フェスティバルでの、コンクール作品は残念ながら、解け始めていましたが、松本城と氷の彫刻はマッチしています。フェスティバル会場では、ステージでの催しや各地域のご当地グルメも振る舞われ、それなりの賑わいです。
国宝松本城の天守閣まで登ってきましたが、流石に天守閣では風が吹き込むとふるえるような寒さを感じます。

松本城見学後、冷えた体のままで。昼食会場に行きましたが、食事で出てきた、暖かなトン汁がとても美味しく感じました。味噌蔵の社長は、20年ぶりに会いましたが、かつての青年会議所の仲間です。久しぶりの再会でしたが、顔を見てすぐに分かりました。

本当に懐かしかったです。味噌蔵での食事は好評で、お腹が一杯になった後、諏訪大社へ。

諏訪大社ではバス毎の集合写真を撮り、御柱やパワースポットを確認し、社殿でお祈りをしました。男の神で勝負事に良いそうです。

帰りには、釜飯で有名な「おぎの家」で、帰ってからの夕食用に釜飯を買いました。
今回も、バス5台を転々としながら、挨拶と活動報告のビデオを見て貰いました。
私にとって、親睦をしながら、活動を知って頂く機会となり、帰りのバスでは、見送りをするたびに、励ましの言葉も頂けそれなりの有意義な後援会旅行でありました。
参加して頂いた皆様ありがとうございます。
来年も多くの皆様の参加を望みます。。

愛鷹農道2期の供用開始はいつ??

富士市東部地域の広域交通整備として進められてきた富士岡から中里保育園上まで繋がる愛鷹農道(2期)の供用開始が1月中に供用開始予定である事が、富士土木事務所から昨年9月6日に説明がありました。

ですので、地域の方々から、年末にかけて「いつ開通するの?」と聞かれた時に、「来年の1月中には供用開始だと思います」と答えていました。
昨年暮れにも市の農政課長に確認しましたが、県からの予定変更は聞いていないとの事でした。年が明けてからも工事は終わっておらず、富士岡上の交差点の改良工事や繋がる所の下水道工事も2月28日までと工事看板が設置してあります。1月8日に、再度富士土木事務所に確認したところ、「いつとは明言できないが、予定変更はない」との事でした。相変わらず工事はしていましたが地域への説明もないので、予定通り、1月中に供用開始が始まるのかなと半信半疑でありました。ですから、改めて農政課に確認すると、「農林関係の処理は終わっていますが、土木の関係がまだ終わっておらず、工事もまだ掛かるとの連絡があったばかりです。恐らく1月中には供用開始にはならないと思います」との事でした。
(1月25日現在の富士岡上の交差点付近は工事中の様子)

私の住む須津地域からすれば愛鷹農道が供用することにより、交通量の大幅な変化に伴う危険箇所として、通学路でもある川尻線の拡幅問題があり、安全対策の関係上からも、何が何でも早く供用を進めて欲しいという事ではありません。しかし、もし、工事が延期されるならば、それなりの説明があるべきであると思っていますし、同時に富士岡上の交差点への信号機設置もいつ着くのか教えてほしい事であります。
(中里保育園上はすでに整備が完了)

私は先日活動報告を発行しましたが、その中にも、愛鷹農道2期は1月中に供用開始予定と謳っている関係上、工事延期がされ、供用が伸びるなら改めて、訂正をしなければなりません。
1月8日に確認した時に、なぜ遅れる事が明言できなかったのか、不思議でありますと共に工事が遅れる事についても、たまたま、市の農政課に用があった時に知り得た事で、実際には県からの正式な話はされていません。地元の県議にも話をしましたが、土木と地域としっかりしたコンセンサスは必要であると思います。
はっきりした富士土木からの説明はありませんが、いずれにしても、多分、恐らく、富士岡から中里保育園上まで繋がる愛鷹農道2期(1,34キロ)は1月中の供用開始はないと(遅れる)思っています。
「じゃ一体いつ開通するの?」に関しては週明けにもう一度土木に確認してみようと思っています。

後援会旅行間際で願う事

後援会旅行がもうすぐ(26日)です。
既に申込みは締め切っていますが、間際になり、参加予定者の町内会長さんの家で不幸がありました。確認すると旅行当日が葬儀となってしまったので私は通夜だけにさせてもらいますが、近隣の参加者の皆様は、葬儀を優先してもらいました。
毎年の事ですが、旅行が近くなると色々な事が起こり参加人数の変動があります。。

ちょっとハラハラしながらも、それでも、今年もバス5台満員御礼で賑やかに行って来れそうです。ありがたい事です。
今年の行先は長野、松本城での氷彫フェスティバルと諏訪大社となっています。寒い時に更に寒い所への旅行でもあり、当日の天候も心配ですが、寒い中、また忙しい中、せっかく行ってもらう以上、私にとっても有意義な旅行にしたいです。ですから、後援会旅行の目的の一つには私の活動を知って頂く機会と捉え、参加者に配布するオギタ通信とバスの中で流す議員活動のDVDの作製をしています。ぎりぎりまでの準備は毎年の事ですが、もう少し余裕は持ちたいです。でも、何とか、間に合いそうです。ただ、毎年、娘が活動DVDを作製してくれるのですが、映像のバックに流れる音楽は娘の趣味でレディガガの曲です。有名な歌でみんな聞いた事あるよ(私は知りませんでしたが)と言っていましたが、年配者の参加者が多いので、果たして若い人好みの音楽を受け入れてくれるのか心配です。
後、旅行まで願う事は、当日の天候と人数の変動がない事だけです。

ベトナムの電力事情

ベトナムに行って驚いたことの1つに、街の中にはむき出しの絡み合った電線があちらこちらにある事です。当たり前のような光景ですが、漏電をしないか心配してしまいます。日本ではとても考えられない風景です。

今回の視察で分ったこととしてベトナムへの海外へ進出している製造業の大きなメリットとして電力の安さがありました。
ただ、現状の水力発電に頼る電気供給については、安定供給と言う点については不安があります。
ベトナムでは、人口の増加や経済成長に伴い、今後、年間10%以上の電力需要の伸長が予想されております。今後、電力需給が逼迫することが予想されており、新たな電源開発やインフラ整備が急務となっており、発電量の半分近くを水力発電が担っている点では、天候などに左右されない安定した電源の需要が高まっているために石炭火力発電の建設が求められています。。

2010年から2030年には
水力38%から16%
ガス火力32%から12%
石炭火力18%から52%
地震の無い国ですので原子力7%
と水力発電依存から石炭火力発電へシフトしていき、2030年には2010年の約7,3倍の電源を開発する計画になっています。
既に稼働しているベトナムの火力発電所の近くを通って感じた事は、日本の企業が作った火力発電にある煙突からはほとんど煙が出ていませんでしたが、ソビエト(ロシア)製の発電所からは煙がもくもくと出ていました。
(ロシア製のプラントからは煙がモクモク、日本製からは煙がほとんど出ていない事が比較すれば分ります)

ベトナム人のガイドさんからも、日本の技術の高さは煙突からの煙だけ見ればよくわかると日本製が良いと褒めてくれましたが、ベトナムでは煙がもくもく出ている状況に不安を感じていないようで、まだ、環境汚染については日本ほどシビアでない事がよくわかります。
富士市での製紙業は電力消費産業としてのコスト削減に大きく左右する為に、電気代を下げる事が求められていますが、原子力に頼れない状況では電気代が安くなる見込みは今のところありません。ベトナムでの電気代は日本のおよそ三分の一です。安定供給がされるようになれば、製造業には更に魅力のある地域となってしまいます

講演会で聴いた都知事選予想!!

割とよく見る「たかじんのそこまで言って委員会」にレギュラー出演中の加藤清隆氏の講演会が商工会議所で行われました。良いことは良い、悪いことは悪いとズバリと言い切る、歯に衣着せぬ激辛コメントは好評で、安倍首相をはじめ自民党執行部とのパイプも太い講師であると思い、話を聞きたくて参加してきました。

商工会議所主催の「どうなる日本の政治経済」と題した新春経済講演会でありましたが、加藤氏いわく、何を喋っても構わないと言う演題であると言う前置きの下、かなり過激な言葉や表現が随所に飛び出す講演でもありました。

旬な話題として、23日に告示される都知事選の事では、出馬予定される細川氏と応援する小泉氏について、76歳、72歳になって引退した後もうろうろする馬鹿者で、今更出るなんて辞めて貰いたいとし、今回の小泉氏の行動は、首相を辞める時に辞めた後、何をやるのかとじっくり聞いたが、1に歌舞伎、2にオペラ、3に○○と言っていたが、もうそれも飽きちゃって、息子がもてはやされ、安倍が2度も総理になった状況に、自分ももてはやされたくなったに違いないと決めつけていました。
今度の都知事選は、細川氏は惨敗。嫌いだけど、桝添氏が当確。宇都宮氏が2位で100万票位取り、共産党は名前を大きく売る。
桝添嫌いの受け皿に、田母神氏が3位で4位に細川氏であると個人的な偏見も入れての大胆予想を話してくれました。
選挙の考え方として、よりましな方を選ぶのが選挙であるとするならば、選挙権はないものの私個人的には田母神氏を支援したいのですが当選は覚束ないようです。
ただ、本当に脱原発を掲げた細川氏は惨敗するのでしょうか、加藤氏の話は、現政権を支持する方の独断的な考え方のようにも聞こえましたが・・・・でも、そういう偏見を持った意見が熱狂的なファンを増えしているのかも・・実際、講演会場でも、随所に賛同する方の拍手がありましたから・・・・
その他には、経済的問題点や歴史認識を質す事等面白く聞かせて頂きました。
都知事選の結果は加藤氏の予想通りになるのか興味津々です

富知六所浅間神社地鎮祭

三日市の浅間神社として知られている、富知六所浅間神社の社殿の建設及び神域の整備事業が行われています。現在の社殿が建てられてから既に250年以上経ち老朽化に伴い、耐震化も含めての建て替えでもあり、大寒の日に当たる1月20日に「神殿御造営工事地鎮祭」が行われました。

私も玉串奉奠をさせて貰いましたが、地鎮行事終了に伴い桜井宮司からは、平成17年6月に奉賛会を立ち上げてから9年経ってしまった訳には、自身の身体の調子が悪くなったことが大きな原因でもあったが、その間には、リーマンショックや大地震もあり、また建築基準法が厳しくなったことにより建築が難しくなって大きく遅れてしまった事が説明されました。

今後順調にいけば来年の秋ごろに完成する見込みであり、県内では静岡神社に次ぐ大きさで、上から見ると鶴が飛び立つ姿に見える立派な社殿となる事が説明され、後世に残る神社にしたい思いが告げられました。

また、奉賛会会長からは、富士地区を昔のように元気に立派にしたい、その為には、三島、富士宮の神社に負けないような三日市の浅間神社を中心にして発展をさせたく、その為には何とか神社を立派にしなくてはと言う思いの中で進めてきたとし、参列の皆様にこれからの協力も求めました。
2人の話を聞きながら、新たな社殿になる事により、これを契機に富士市の誇る神社として、奉賛会役員はもとより、地域また隣接する吉原商店街、企業、行政等も巻き込んだまちづくりを進める拠点としての役割が期待できるのではと思っています。私も及ばずながら微力ではありますが尽力したいと思っています。

桜湖頭さん10周年おめでとう!!

地元のよさこいチームの桜湖頭さんが昨年10周年を迎えました。
ですから、昨年10周年記念公演を須津地区文化祭で予定していました。ただ、残念なことに台風の影響で文化祭が中止となり、必然的に桜湖頭さんの10周年公演も中止となっていました。

でも、10周年記念公演を中止ではなく延期と言う形で年があけて1月19日に須津中学校の体育館で開催されました。

当然、私も地元のよさこいチームでので知り合いも多く、特に代表の杉山さんには色々な面でお世話になっているので何はさておきお祝い事として私も応援に駆けつけました。
桜湖頭さんはよさこいチームを結成してから、10年間様々イベントに参加してくれています。踊りの歌詞にもありましたが、10年前に比べ平均年齢が高いものの遠くから見ると皆さん若く見えます。

結成以来の振付の方のメッセージでは、ババアとか妖怪の集まりと言っていましたが、愛情があるからこその表現であると感じました。本当に歳の割には楽しそうにみなさん踊ってくれますので一体幾つなのと思ってしまいます。

また、記念公演にはヒップホップのダンスチームや他のよさこいチームの旗の応援に駆け付けてくれていました。
(いつまでも若々しい杉山代表)

代表の杉山さんが言っていましたが、「ババアだの妖怪と言われていましたが、この10年間、よさこいが無かったら、ただのおばさんであったのかも知れません。でも、よさこいがあったからこそ、ただのおばさんで無く、多くの人に出会い、様々な経験ができた」と言っていました。やはり、人生には生きがいが大切であると感じます。
まだまだ、いつまでも若々しく、妖怪と言われようとも更に若さを保つためには桜湖頭と言う名の通り、須津地区の看板を背負ってもっともっと元気に頑張ってもらいたいと思います。
(最後は会場の方も交じってのフィナーレでした)

あらためて桜湖頭の皆様10周年おめでとうございます・
益々の活躍を期待します!!!!

簡単な視察報告その1.

現在、海外企業への出資、現地法人の設立、駐在所の設置など海外へ進出する企業が増加しています。ちょっと長くなりますが、簡単な視察報告第1弾として・・・・

今回の視察先のベトナムに進出の日本企業は2012年の民間調査会社の調査結果、日本企業は1542社としています。業種別では、「製造業」319社(47%)「卸売業」319社(20,7%)ソフトウエア業71社(4,6%)であります。
富士市からも、商工会議所が把握しているだけも、ベトナム進出企業は、8社あり、今後更に増加することは予想されています。富士市の企業が海外へ進出して行く理由はなんなのか、中国進出からシフトがベトナムに変わりつつある現状がどこにあるのか、産業都市富士市の企業留置・誘致を図る上でもグローバルな視点に立った上で考える必要性はあると思っていました。
幸い今回の視察では、企業視察以外に
ジェトロハノイ事務所の海外投資経済連携促進アドバイザーの細野氏。

ファーノイ工業団地でデベロッパ—を進めているIDE INTERNATIONRでのコンサルタント業をしている井出氏。

ベトナム北部で一番最初に進出した野村証券出資の野村ハイフォン工業団地の桝野社長。

ベトナム進出には、当然チャンスも多いですがリスクを伴っている事は歪めないと思っていましたので以上の3氏から現場視察以外にそれぞれの立場からのベトナム経済の環境、投資状況、ハノイ、ハイフォン各工業団地の状況の説明を受けられた事は大きな収穫でありました。
3氏の共通したベトナム進出の魅力は
・増加する人口、活力ある若い国民(平均年齢28,2歳)
・高い経済成長率、ODA.FDIによる資金流入
・発展途上のマーケット
・比較的高い教育水準(識字率の高さ)と手先の器用さと優秀で安価な労働力の確保
・地理的条件の優位性(アジア圏内地続きでの陸送と港がある優位性)
・民主的な共産党であり、安定した政治
・国民の経済向上欲の高さと親日的な国民性
・電気代が安く、各種基準が緩い、法人税が安い。土地は50年貸与契約で固定資産税がない。
・地震がない為に建物コストが安い。
*結論的には日系企業にとって、そこそこインフラが整っており、人件費が安く、総じてのコストが安価であるので、ある程度の条件が整った居心地のいい国である

問題点として挙げられる事は
・インフラ整備が遅い。交通事情が良くない。1時間の活動距離は30キロ程度。水力発電に頼る電力の安定供給に不安
・信用システムが未成熟である。未成熟な、銀行システムと決済システムの機能不全。
・コーポレンガバナンスの未成熟。共産主義の社会は賄賂で成り立っているといっても過言ではなく、コンサルタントを入れないと話が進みにくい
・構造的な問題をはらむベトナム経済。曲がり角に来ているベトナム経済として、不動産バブルと高インフレによる富裕層増加。人件費の高騰。2011年にはバブル崩壊・景気低迷、未だ成長軌道に復帰していない。
・素材産業と裾野産業が育っておらず日系企業の現地調達率の低迷。現地調達コストが高い。リードタイムが長い、為替リスク、輸入手続きの事務が面倒等々
現況、進出企業の中小企業25%が赤字であるそうで、ベトナム進出が進んでいる中では、様々な課題も知る事が出来ました。
光(海外進出のメリット)の部分だけ見ることなく、影(リスク)も知った上での海外進出は当然ですが、古くはチャイナプラスワン、今はポストBRICsとして注目を集め、ODAの実績からも親日家が多く、TPPの流れに加え、日系企業向けの特区も設ける意向もあり、インフラ面の遅れは指摘されるものの、まだまだ製造業を中心とした日系企業のベトナム進出は進む事は伺えました。
なお、富士市進出の企業は現況、ジェトロの細野氏からうまく行っているとの事と説明がありました。
簡単な視察報告と言いながらも、市内進出企業報告についてはその2に続く・・・・・

視察から無事戻ってきた事と市長退任式。

2泊4日と短い期間でありましたが、ベトナム経済の活気と混沌とした現状を肌で感じてきました。
砂埃とバイクの数の多さに驚きながらも富士市内企業視察5社を含む視察先は7か所。

視察先として
ジェトロハノイ事務所で 1、「ベトナム投資環境最新情報チャンスとリスクについて」
フォーノイA工業団地   2、「IDE INTERNATIONALのレンタル貸倉庫」
            3、「JP CORELEX 再生紙からのトイレットペーパー製造」
野村ハイフォン工業団地 4、「ベトナムの投資と経済環境について」
            5、「KONYA PAPER VETONUM タオルペーパーと紙バンド製造」
            6、「RAYHO VETONYMU 各種組みひも製造」
ドンバン2工業団地   7「UEDA VIETNUM 紙バンド製造」
各工業団地にある視察場所まで3時間から5時間と掛かり移動だけでも大変でした。しかしながら有意義な視察であり、細かい報告はゆっくりとしたいです。
実は、最終日は3日目視察終了後、食事をして夜中の飛行機で(0時20分発)成田へ朝6時30分着で帰ってきました。ですから実際には4日目の朝には既に東京でした。深夜から朝方にかけての飛行機の中ではほとんど眠れませんでしたので、時差と寝不足で疲れが抜けていません。視察についてはじっくりと報告しますが、とりあえず、視察先と無事事故なく帰って来たことだけを報告します。
また、着くとすぐに携帯への連絡で隣組の葬式が入っており、新富士から葬儀に直行し、その後市長退任式に参加しました。3期12年の理念の下のきれいな幕引きには、職員、議員、市民等が集まりました。退任の挨拶後、多くの職員、市民に見送られて庁舎を後にしましたがやりきった満足げな顔が印象的でもありました。

あらためて、12年間鈴木市長お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。それに伴い退任成された副市長の、小林副市長、金指副市長には大変お世話になりました。ありがとうございます。
3人を労いながらも、これからの3人の新たなる門出にお祝い申し上げます。