被災地への支援は色々あります。

 

吉原のラクロスへ娘の用事で寄った時に
「パステルアート」で東北にエールを送ろう!!
と書かれた看板があり、立ち止まって見ていると、
「被災地へ応援メッセージを送っています。ちょっとのお時間があれば、ぜひご協力ください」
と声を掛けられました。

娘をちょっと待っていただけなので、
「え〜絵なん書けませんよ、時間も無いし・・」
「誰でも大丈夫です。手順でやる作業みたいなもので、お時間も10分くらいでできますから、被災地への支援ですので、ど〜ですか?」
そう言われると断る理由もないので
「私でもできるなら、せっかくですので、じゃあ、娘もいますから2人でやります」
と言って、NPO法人COCONETさんの
   心に太陽 ハートアートの輪 東日本応援プロジェクト
   〜パステルアートで贈ろう!あなたの応援メッセージ〜
に参加してきました。

チョークみたいなものを、茶こしで削り粉を作り、それを指に着けて、ぐるぐると紙の上をこすっていくのですが、やってみると結構楽しいです。ヒーリング効果もあり、色をぐるぐるとこする事により、癒しの成分が脳に出てくると言われました。言われてみれば、何となく、心が落ち着いてきます。指導されている方も、褒め上手で
「うわ〜淡い色使い、優しい絵になりますよ」
「素敵じゃないですか」
と言われると満更でもありません。
あっという間に出来上がりましたが、絵の上手下手は関係なく、被災した人達へ心の安定を進めるためにも色を与えることが大切だと言われました。

書いた絵は責任を持って、被災地へ届けてくれるそうです。

こんな形での被災地への支援があるんだなと感心すると共に、私たちにできる支援というものは沢山ある事を感じました。

皆さんも参加してみてはどうですか??

正、副議長、委員会が決まりました。

臨時議会が開催され、議席が15番に指定されました。2列目の左側となり、1期目とは見える景色ががらりと変わりました。これで、議会では15番議員として活動していきます。臨時議会では、今までとは違い、議会基本条例に則った中で、所信が書かれた立候補届が提出されている議員の正副議長の選挙が行われました。

その結果、議長に稲葉寿利氏、副議長に石橋広明氏が選ばれました。どちらも、議会が2元代表制としての役割を担いながら、開かれたわかりやすい議会として取り組んでいくとしていますので、所信の通り職務遂行を進めて頂きたいと思います。個人的にも、市民の皆様に議会や議員の存在意義を示せるよう努力していかなければと思っています。
2期目の私は
建設水道委員会委員
地震防災対策特別委員会副委員長
富士・愛鷹山麓地域環境管理特別委員会委員
議会だより編集委員会副委員長
としてスタートします。
特に、大震災を契機に新たに設置された、地震防災対策特別委員会の副委員長として、地域防災の見直しを含め、富士市の安心、安全の構築にはしっかりと取り組んでいくつもりでいます。
月並みな言葉ですが、”がんばります”

私にも「守りたい人がいる」

 

大規模災害に対して自衛隊の活躍無くして、災害時の救援、被災地への復旧、復興はあり得ないと思っています。
陸上自衛隊のキャッチコピーとして
「守りたい人がいる」“”Always for our people”、と言う言葉がありますが、富岳自衛隊の平成23年度の総会で耳にしました。

このコピーで言う「人」とは、愛する家族であり、ふれあう地域の人々であり、我が国の美しい自然や文化をも表しています。 陸上自衛隊員は、この「守りたい人がいる」を通じて、愛する人、愛する日本のために「事に臨んでは身の危険を顧みず任務に邁進する」という陸上自衛隊の存在の原点を明らかにし、逞しく頼りがいのある陸上自衛隊を目指すことを宣言するものであるとの事です。

「守りたい人がいる」本当にいい言葉ですね。

富岳自衛隊の総会後の講演会は、まちづくり推進会議に出席しており、遅刻してしまいましたが、遅れてきた私に、被災地から戻られたばかりの川崎富士師団長が、災害が起きてからの3日間が大切であり、しっかりした情報と適切な指示があれば、助かる命があることを熱く語ってくれました。
(押し寄せる津波の写真が展示されていました)

 
せっかくのチャンスと思い、私の富士市独自の自衛隊とのパイプは必要である事の意見を述べさしてもらうと賛同してくれました。
(川崎富士師団長と)

今後、富士市の防災について、様々な助言をもらいたいと言うと帰り際に、「荻田さん、富士市の防災についても共に考えていきましょう。連絡ください。応援しますよ」と連絡先を頂きました。

私にも、富士市に「守りたい人がいる」

ちょっとかっこいいかな・・・・

ちょっとがちょっとじゃなくて・・・

このところ毎日、夜も会合がぎっしり入っており、その後の付き合いもしていると寝ている暇がないくらい時間がありません。
早く帰りたいのですが、こんなことを言われると帰れなくなります。

「ちょっと行こうよ」
「え〜・・・・・」
「2期目になったら偉くなって、付き合えないだ」
「そんなことはありません。じゃあ・・・ちょっとだけ」
と断りきれません。
断る勇気が欲しいのですが、今年になって選挙があった為に、夜のお付き合いを断ってきた経緯もあり、不義理をしていた後ろめたさが、余計断りづらく、やらなければいけない事に支障をきたしています。根が好きなためか、ついつい、一杯飲んでしまうと気が大きなってしまい帰る時間を忘れてしまいます。ちょっとがちょっとで無くなってしまいます。
このところ、帰りが午前様を過ぎてしまってますので
「お付き合いもほどほどにね。体を壊してしまうよ」
と家族に心配される日々です。
性格上断りきれないので、飲まない勇気ともう少し早く帰る努力をしなければ・・・・・(寝不足気味です)

でも、震災後、更に活気がなくなってしまった吉原の飲食店さんでは、
「祇園さんもやらないし、もっと飲みに出てもらいたい」
と行くとこ行くとこで要望されてしまいます。

災害支援報告

平成23年度須津地区福祉推進会の総会が開催され、終了後に福祉講話として、富士市社会福祉協議会の伊藤主事が被災地で支援を通しての報告をしてくれました。

伊藤主事は社協の職員として派遣され、岩手県の宮古市と山田町で「緊急小口資金貸付業務」を行ってきたそうですが、最初に被災地での状況を見た時には、涙がこぼれてきたそうです。
支援を行ってきた中で、支援業務とは別に現地で皆さんの話を聞きながらの問題点、まとめと次のように話してくれました。

災害時問題点(災害直後)
1、 物質の確保が難しい
2、 携帯電話等の通信手段は時間がたたないと使えない
3、 支援の情報等が得づらい
まとめ
○行政の支援の手が入るのは数日後のため直後は近所の助け合いが大切
○避難所等でも助け合いが大切
○普段から顔見知りの関係を築く必要がある
最後に、1週間の間には、復興は著しく進んでいく様子は分かったそうで、その中で、日常生活物資の支援も大切だが、無駄であるようなものでも(たとえば静岡県が持って行った鯉のぼりとか)被災地で笑顔がこぼれるよう心のつながりを感じるものであったり、インターネット等において遠くの地域からも応援している事がつたわる心の支援が重要であると感じたそうです。
まだまだ、復旧復興は時間が掛かることであります。
改めて、しっかりとした情報を得ながら、継続的な支援をしていく事が大切であると感じました。

ちなみに、講和をしてくれた伊藤主事は、宇東川にある清岩寺の副住職でもあるそうです。
若いのに道理で話しなれている訳です。

富士市水防訓練

豪雨シーズンを前に、富士市水防体制の一層の強化、及び水防技術の向上を図り、市民の水防に対する理解と協力を求めることを目的とする水防法に定める水防訓練が開催されました。本年度は、3月11日の震災における津波による被害も考慮しての水防訓練でもあったような感じです。

今回の訓練項目として
土のう作り及び積み土のう工法、木流し工法、五徳縫い工法、シート張り工法、月の輪工法、川倉工法等(様様な訓練工法がありますが、実際の災害時では、土のう工法位しか使われてないと思います)が行われましたが、すべての水防団が取り組んだ川倉工法に関しては、断トツの速さを誇ったのは、私の地元でもある須津水防団でした。

須津地域に対しては、水害常襲地として日頃よりの危機感があり水防という事については他地域に比べて意識が高い事が結束力があったのかもしれません。
どのような事態であれ、災害時には地域が一丸となる事が大切である以上、訓練項目として行われている事は実際の災害時に使われなくても水防訓練が重要である事であったと思います。
出来る事なら、本年度も災害がない事を祈ります。

視察幹事として検討中

議会運営会議が終了後、新人議員を交えての会派会議が開催されましたが、その際に、会派研修及び視察についての話し合いがありました。視察について私たち会派では、今まで、新人議員が中心になり段取りが取られていました。

私も今期から新人議員の枠が外れたはずでしたが、しかしながら、新たなスタートという事で、勝手がわからないだろうという事で、会長から
「3人でやってくれ。荻田君」
と名指しで私の顔を見て言います。
「3人と言いますと」
「いつもの2人と、新人の3人でやってくれ」
「へへ・・・・」
そういうことで今回も視察幹事です。
選挙後でいろいろな要望があると思っていましたが、当然、震災後の被災地への視察は要望として挙げられていました。ただ、被災地への視察については、物見遊山の観光のような形でいき、住民感情を逆なでたり、作業の障害となる交通渋滞や、撤去を行う被災住民の邪魔になるというトラブルも多くあると聞いています。被災地視察はあくまでも、現場作業の邪魔にならないことが鉄則でもあります。議員であるからこそ、その辺はしっかりとしなければならない事でもあるかもしれません。被災地視察と言われる中で、受け入れ先を考えると安易には決められないなと思いもありましたが、そのような事を考慮した中で、被災地の復旧復興のための作業の円滑な支援をしながら、視察案内のサポートをしている、三陸鉄道「被災地フロントライン研修」と言うのがある事を聞きましたのでネット上で調べました。

被災地への視察を含め、災害だけではなく、幅広く富士市にとっても私たちにとっても、必要な視察研修を週末、情報集めをしてから、次の会派会議で幹事として、提案しなければなりません。
パソコンにくぎ付けです。

中里のエイデンが完全閉店

「ちょっと困ったな」
と思うハガキが来ていました。
以前から噂はあったのですが、ついに、私の一番近くにあった中里地番の大型電気店でもある、エイデン富士本店が移転の為に完全閉店の挨拶が書いてあるハガキです。

エイデン富士本店は私の家からも車で5分程度の所にある広い駐車場のあるお店で、私自身もパソコンやデジタルカメラを購入しており、何かあった時にすぐに持ち込めるために、私にとっては、必要なお店でもあります。大型電気店内には、子供用の玩具も扱っており、クリスマスやお正月等大変に賑わっていました。また、エイデンの隣には、スーパーのピアゴ中里店があり、買い物をする人たちにとっても、複合的に便利な場所になりつつありました。そのエイデンさんが、今の場所から、吉原のエンチョー吉原店の向かいの場所である所に移転してしまいます。エイデンの撤退後の跡地利用は決まっていませんが、エイデンが無くなってしまう事により、お客さんの集客が落ちると、ピアゴも撤退なんてことになりかねいないか心配になります。地域において、今まで真っ暗闇であった場所に、大型電気店が出来た時には、明るくなり、地域の防犯にも一役を担ってくれていました。エイデンが撤退することにより地域に住む人たちにとっても、少なからず影響は出てくることでもあります。

ハガキには、新しいお店は6月中旬にオープンする為に、5月13日より、店内全品1品残らず売り尽くし特価で、「完全閉店」セールを開催するそうです。セールの間は賑わうでしょうが、閉店した後、一気に寂しい場所となってしまいます。
東部地域に住む人間として、エイデンに代わる集客ができる施設誘致を望みます。

心に染み入る言葉

私は、25歳まで原田で生まれ育ちました。
その後25年間は、須津地区の増川に住み生活をしています。養子に入り、苗字も変わり、荻田の先祖奉りをしていく使命もあります。今は、増川の円照寺の檀家ではありますが、実母の祖父母のお墓は原田の永明寺でもあり、お墓参りにも良く行きます。
子供の時は、湧水が湧き出る裏庭に入り込み沢蟹を取った覚えがあるお寺でもあります。

そんな懐かしい思いもある永明寺でもありますが、先日ご詠歌を練習している皆様へ挨拶に寄った時に、ふと目にした言葉がありました。
「人生は
    多くの人々の
     協力の中で 豊かになっていく」
本当にその通りだと、思います。

今までも、定期的にはお寺へ行っていましたが、気が付きませんでした。
選挙もあったせいか、心に染み入る言葉でもありました。
年を重ねていくと、様々な言葉が財産となってきています。

本格的スタート

5月9日に選挙の収支報告書の提出も終わり、選管より、「選挙に係る供託物の還付について」の通知を頂きましたので、早速、供託証明書を発行してもらい、法務局へ行き、供託金30万の還付の請求をしてきました。これでようやく、選挙が終わった後の事務的な後始末がほぼ終了と言う形になったと思います。(何か忘れていないか不安でもありますが・・)

すでに会派届も出されており、新聞報道でもありましたが、会派は3人以上とすることから、8会派から一つ減り、6会派と1無会派で会派構成がなされました。会派については、一般的には分りづらいところもあると思いますが、「議会内において考え方や政策などを同じくする議員が会派を結成し、独自の調査・研究を行い、 その考え方をより効果的に市政に反映させるよう活動しています」と説明されています。その上での判断で会派入りをしていますが、しかしながら、それぞれに様々な思惑や考えはあると思います。私は、自分自身の資質向上を進めていく上で判断した結果、引き続き、1期目同様市民クラブで活動をしていきます。
20日には臨時議会が開催されますが、正副議長の立候補者は、誰が出るのか、その他のポストについても駆け引きがどのように進むのか気になる所でもあります。
5月1日から、2期目のスタートがしていますが、昨日(5月10日)をもって選挙後の様々な事柄がほぼ終了しましたので、いよいよ、これからが、2期目の本格的なスタートでもあると思っています。
気持ちも新たに、雨が降っていますが、朝から、交通安全の出発式への参加です。

気が付けば、50歳。

私が所属している団体に商工会議所青年部(YEG)と法人会青年部がありましたが、どちらも50歳になると卒業をしなければなりません。青年部と名がついている以上期限が区切られた中で活動をしなければならない団体でもあります。私も若い、若いと言われ続けてきたような気がしましたが、気が付けば50歳。もう、青年ではないのかもしれません。

商工会議所青年部の総会の席で、卒業の挨拶をさせて頂きました。本来なら、3月に送別会が開催されるべきことでありましたが、震災があり、中止となり、総会で花束と記念品が新会長から渡される場所が用意されていました。この何か月間は震災、選挙と、本当にあっという間に月日が経ち、卒業の年になっていた事も忘れていたのですが、改めて、多くの皆様の前に立たされると、入会しての10年間が思い出されます。副会長も3回、最終年度は監事を務めさせていただきましたが、議員と言う立場をもらう前には、青年経済人として、様々な活動に取組んできました。経営者としての研修は元より、富士市のまちづくりや新交通システムとしてのLRTの導入検討・キャリア教育についても勉強をさせて貰いましたが、これらの事柄は引き続き自分なりに勉強をしていきたい事でもあります。今後は親部会で今までの経験をしっかり活かしながら、議員として少しでもお役にたてることがあれば協力をしていきたいと思っています。
「50にして、天命を知る」と言いますが、とてもそのような域に達していない訳で、まだまだ学ばなければいけない事を感じながらも、50歳が一つの区切りでもあるとして、YEGを卒業していきますが、これからも、今できることを精一杯やりながら、年を重ねていきたいと感じています。
10年間大変お世話になりました。
でも、いくつになっても、気持ちだけは、青年でありたいと思っています。

「わんぱく相撲」からも元気を発信。

震災後のイベント自粛で、わんぱく相撲全国大会が開催されるのか、心配をしていましたが、主催者である東京青年会議所で、わんぱく相撲全国大会についての見解として、震災後で失われた子供達に笑顔を取り戻すきっかけとする大会として開催すると4月12日に発表されています。

それに伴い、各地域において様々な事情はある中でも、予選会が開催され始め、富士市においても、5月8日に第22回わんぱく相撲富士場所が盛大に開催されました。

私も毎年来賓として参加させて頂いておりますが、わんぱく相撲に関しては、国技としての相撲を通じて、単に勝ち負けだけではなく、礼儀や相手を思いやる心を育てるために青年会議所が継続的に取り組んでいる事業でもあります。この大会での優勝者は、6月19日に磐田で県大会への出場をし、優秀な成績を収めると、全国大会として7月31日の国技館への出場となります。
(小学校の校長先生が見守る中での熱戦・女の子もいます)

子ども達の熱戦を見ながら、子供の喜ぶ姿や悔しがる姿に周りからも大きな歓声が沸きあがっていました。参加している多くの皆さんは笑顔で観戦しています。わんぱく相撲をみながら、この中から、全国大会の夢の舞台である国技館へぜひ行ってもらいたいと思いました。おそらく、各地域の大会おいて、わんぱく相撲を通じて、子供たちの元気が発信されている光景はあると思われます。
(笑顔、笑顔の子供たちと一緒に)(理事長も満面の笑顔です)

わんぱく相撲もそうですが、震災により、様々なイベントをやりたくてもできない地域はあると思います。被災地の事を考えると、軽はずみな事は言えませんが、何でも自粛ではなく、日本が復興に向かう為には、被災していない地域で出来る事、大人たちがやれる事を精一杯やり、将来の宝である子供達に不安を払しょくさせながら、一人一人が元気に、笑顔を取り戻す機会を与える事は大切な事であると感じました。

須津川渓谷の利用の仕方

私の住む須津地域の誇れる場所の一つとして、大棚の滝がある、須津川渓谷があります。須津川渓谷は愛鷹山系随一の美しい渓谷で、春は若芽、夏は小鳥のさえづりと清流には涼しさを、秋には紅葉、四季折々の風景を楽しませてくれる場所でもあります。

(偶然にもシカが4匹見れました)

また、運が良ければ、渓谷に住む、猿やシカに遭遇することができます。往復12キロ歩いて観光するには素晴らしい場所であると思っています。
現在、須津川渓谷周辺整備としてキャンプ場、炊飯棟、つり橋、遊歩道の整備もされており、市内はもとより遠く県外からも訪れる場所となっていますが、その須津川渓谷の観光を考えた中で一つの課題として、登山者やハイカーとは別に河原でバーベキューをやる方が多くいる事です。

特に今回のGWやお盆等の連休になると、ものすごい賑わいでもあります。バーベキュー事態は良い事であると思いますが、マナーには多少問題があるように感じます。と言うのも、ハイカーや登山者の為に設置されているトイレの周辺は格好のバーベキュー場所となって、いますが、トイレ駐車場はもとより、トイレ周辺にはバーベキューをやりに来た人たちの車が路上に連なっており、トイレや休憩で利用したい人たちには妨げとなっています。(本来バーベキューをやる為に作られたトイレではなく、河原はバーベキューサイトでもありません)

また、それ以外にもいたるところで路上駐車がされており、ハイカーにとっても景観的にはあまり好ましい状況になっていない感もあります。それと同時に、地域で毎年、須津川渓谷へ、下草刈りやクリーン作戦にいくと河原でのバーベキューの後始末の悪さも目立ちます。
今後の須津川渓谷の利用の仕方は、東部地域の観光施策を進める上で考えなければいけない事だと思っています。

楽しみと言えば食べる事

娘の事が心配で、家族で東京に3日から5日まで行ってきましたが、自粛ムードは解けた様で、買い物先では人人、東名では車車で疲れました。私にとっては、どこかに出かけての楽しみと言えば、食べる事があります。

某焼肉チェーン店で、食中毒で死亡者が出る事件が報道されていますが、東京では久しぶりの家族揃っての食事という事で、それなりのお店へ焼き肉を食べに行きました。(我が家は焼き肉好きです)

当然話題は、生肉についてですが、私は生肉や生卵が好きではないので、食べません。
娘たちは、生肉が好きで騒動があるのにも関わらず、
「ユッケは大丈夫ですか?」
と確認をしてから注文をしていました。
当然、お店からしたら、
「当店は大丈夫です」
と言う返事が返ってきますが、何となく心配です。(危ないと言って出すお店は無いとは思いますが・・・)
今回のチェーン店での事件は、安いと評判のお店での事件でしたが、安さを追求する事は良い事でありますが、安全性を度外視した安さは頂けません。改めて食中毒の怖さを感じながらも、食の安全基準がはっきりしない中で、このような事があると、多少高くても、それなりのお店で食べようという気がしてしまいます。値段で安心を買う訳ではないのですが、おいしく食事を取る事は出来ました。

また、焼肉以外には、昼間からランチビールや渋谷で学校の給食で懐かしいクジラ肉も食べました。本当に、何を買うと大騒ぎしている娘たちとは違い、私にとっては、東京での3日間の楽しみは食べる事だけでした。
でも、おいしいものを食べ、家にいる時よりも、ブログも掲載しなかったこともあり、ゆっくりと寝られてそれなりの休養にもなりました。
娘の用も終わり、5月1日より、2期目の議員としてのスタートもしています。休養もとったので頑張らなければ・・・

「選挙が終わってから・・」

娘がこの4月より大学生になっています。
選挙の為に、すべての優先順位を選挙にしていたので、家族の事は後回しにさせてもらいました。ですから、高校の卒業式にも、大学の入学式にもその他の学校行事すべてに出席できませんでした。

すでに、東京で一人暮らしを始めていますが、何の準備もしないまま行かせており、多少心配ではありましたが、妻も選挙で忙しくて、娘に関わっていられませんでした。
どのような生活を始めたのかは定かではありませんが、物を揃えていない中で、何とか過ごしてきているようです。
娘に言っていた口癖は、
「選挙が終わってから・・」
でした。
という事で、選挙も終わりましたので、娘の事をやりに夫婦で三日市の例大祭に出席した後、東京へ行ってきます。
ほったらかしでどうもすみませんでした。
選挙では家族に大分迷惑を掛けていますので、少しは娘孝行もしないといけません。

愛鷹農道(富士岡〜中里区間)事業

昨年の11月議会でも、国の施策の事業費捻出の為の富士市の農業基盤整備事業の遅滞には納得はできないと円滑な事業進捗を求めましたが、富士岡から中里までの農道整備の名の下の生活道路の危険解消でもある愛鷹農道2期工事が事業費も付き、順調に進んでいるようです。連休中でありますが、工事現場を確認してきました。

工事を進める中では、古墳時代や2000年以上前の縄文文化時代の埋蔵文化財の発掘調査が4か所で行われていました。
その調査報告書を確認させて頂きましたが、下記のような調査結果でもあります。
遺跡の名称
1、 富士岡1遺跡群 調査面積A=1389,9㎡
時代;古墳時代前期 竪穴住居 方形周遺墓、調理場跡、出土品;土器
時代:縄文時代   出土品:土器、石器(石矢じり。石斧。石佐次
2、 向山遺跡    調査面積A=1434,2㎡
時代:古墳時代   竪穴住居跡 出土品:土器
時代:縄文時代   出土品:土器、石器、装飾品(耳飾、管玉)
時代:旧石器時代  出土品:ナイフ形石器、槍先型頭器
3、 中尾沢遺跡   調査面積A= 333,8㎡
時代:縄文時代 出土品:土器、
4、 分地遺跡    調査面積A= 330㎡
時代:縄文時代  出土品:土器、石器
出土品については、県の文化財保護課で保管し、貴重な出土品に関しては、博物館で展示することも考えているが、最終調査結果が出ていないのではっきりしたことは言えないとしています。
いずれにしても、発掘調査が終わり、調査報告で場合によっては工事の延期もあるのか心配をしていましたが、それについても、確認しましたが、大丈夫でありました。(23年度市負担分74,813千円が予算付けされています)
24年までの期間事業でもありますので、今後も県としっかり連携を取った上で、事業推進をお願いいたします。

変化している家族構成への対応

前から、気になっていたのですが、日本の人口構成及び家族構成が大きく変化している事についてですが、特に、少子高齢化とともに変化が著しいのは単身世帯の増加です。それによる商業動向の変化は職業柄のせいもあり、興味があります

国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」によれば、配偶者のいない40代以上の層は2010年2078万人から2015年には2384万人(360万人15%増)に増えています。そのうち配偶者のいない40代以上の女性の単身世帯(いわゆる「おひとりさま」)が2010年1357万人から2015年には、1524万人(167万人、12%増)になると推計され、配偶者のいない70代以上の女性は2015年には809万人と圧倒的な人数となります。また、配偶者のいない40代以上の男性もこの5年間で139万人(19%)増え2015年には860万人になる見込みで男女とも40代以上の単身世帯が急増しています。また、現在、女性の就業率は上昇しており、男性の就業率は減少しているもの女性の就業率は6割に上昇しており、仕事をして家計を支える女性が増えており、買いものや家事に時間をかけない傾向が高まっています。
一方、商店街や小売店が無くなり、社会インフラや銀行の支店などサービス拠点も年々減少する傾向はますます進んでいます。住まいの近くに商店が無かったり、遠くまで外出が困難である物理的、距離的な問題で生活に不自由している「買い物弱者」も急増しています。
この家族構成の変化による生活変化への対応は求められる事ではないのでしょうか。
大きな少子高齢化と言うくくりではなく、近い将来において家族構成が大きく変化している事に対しての予測の上での社会も行政も対応が今必要ではないのでしょうか。
とGW中ではありますが、考えていました。

黄泉ガエル

選挙中、毎日仏壇にお線香をあげていましたが、選挙も無事終わったので、家族で、2年前に亡くなった養母に、当選の報告を兼ねて、お墓参りに行ってきました。

養母は、2年前に、脳出血で突然倒れました。病院に搬送された時には、脳幹にまで及ぶ出血で、手術をしたものの1か月後には他界してしまいました。その時に、救急医療の広域連携や限られた医療資源を有効に利用しなければ助かる命も助からないという事を感じました。議会でも「救急情報医療キット」の導入や「がん拠点病院の指定」を求めていますが、2期目も、公約の一つに挙げた、「安心して命がまもれるまち」を目指して取り組む事を養母に墓前で報告しました。

お線香をあげた後、ふと、墓石の横に、不思議な色をしたカエルがいます。石の色に同化して、気が付かなかったのですが、私たちの様子をずーと見ていたようでした。
なんか、養母が、カエルに生まれ変わって私の話を聞いてくれていたような気がしました。
カエルだけに、養母が黄泉ガエルなんてね・・・・・

鬼のかく乱と言うのでしょうか・・・

選挙期間中は、睡眠時間が無くても、雨に打たれても、走りまくっても、暖房が利いていない部屋で仮眠を取っても、不思議なもので緊張をしていたのか、体の調子は悪くなりませんでした。選挙が終わった後は、なんとなく疲れが抜けず、それでも、あちらこちらに用がある為に出かけまくっていました。

28日も、商工会議所青年部で監事を本年度務めていたのですが、平成22年度監査会が事務局立ち合いのもと開催され、その後、富士紙管工業の赤沢さんの会社説明を聞いてきました。ちょっと調子が悪いなと思っており、一度家に帰り、うたた寝をしたところ、咽喉が、急に痛く感じ、鼻水が出始めました。花粉かなと思ったのですが、頭も重いです。どうやら風邪をひいてしまったようです。現在、ティッシュを片手に、鼻をかみまくっています。
鬼のかく乱とでも言うのでしょうか、普段ほとんど病気をしない私ですが体を酷使していたところに、気が抜けたのか、病気になってしまいました。
選挙で疲れた体に少し休養が必要になったようです。

「荻田たけひとさんですか?」

今回の選挙では、市議会議員はより身近な議員という事を訴えるために、背広を脱ぎ、ネクタイもはずし、革靴からスニーカに履き替え、所々で自転車に乗り換えて遊説活動を行っていました。

遊説車では、「いつでも、どこでも、ガンバルマンの荻田たけひとです」と言うフレーズもあったので、「ガンバルマンの荻田です」と言う挨拶を良くしていました。
そんなせいか、子供達が駆け寄ってくれて、手を振ってくれる光景が多くありました。子供達には投票権はないものの、嬉しく励みにもなりました。

夕方、団地で街頭をやった時には、子供が集まってくれて、演説を聞いてくれていました。話しながら、子供が多い状況を見て、「君たちの未来をガンバルマンに託して下さい」と訴えかけると、「応援しているよ」と掛け声もかかります。将来の選挙に向けての投資でもありますが、聞いてくれた子供達にウソが無いよう頑張りたいです。
また、選挙活動を終えて、普段着で夜9時過ぎに、遅い食事を取る為に、コンビニでお弁当を買い求めるためにレジで並んでいると、家族連れで買い物に来ていた中の、3人の子どもが駆け寄ってきて、
「荻田たけひとさんですか?」
と声を掛けられました。
「そうだよ、ガンバルマンの荻田たけひとだよ」
と言うと、
「頑張ってください」
と恥ずかしそうに手を出してきたので、
「ありがとう。がんばるよ」
と言い、握手をしてやりました。
なんか、芸能人になったみたいと密かに思ったのですが、良く考えたら、子供にまで見られているという事は、よりしっかりとした行動を取らなければいけないのではないかと、ちょっとプレッシャーを感じました。
でも、今回の選挙での、多くの人が支えてくれている事が実感できる事柄の一つでもありました。

当選証書付与式(選挙は非情です)

当選証書付与式が行われ、新たに選ばれた36人に当選証書が渡されました。今回の選挙では、8人の新人議員が当選を果たしており、会場内において、すでに先輩議員に挨拶を掛けていました。初めて当選した4年前を思い出しますが、私も慌てて、当選議員の皆様に挨拶に回りました。選挙戦で疲れているとは思いますが、皆さん晴れやかな顔をしています。

当選証書を、川島選挙管理委員長から一人一人に手渡されましたが、その証書の重みを感じます。今回の選挙では4年前に一緒に当選を果たした1期目の新人議員の内、2人の方が落選してしまいました。同期の議員がいなくなる事は、残念であると共にさびしく感じますが、それよりも選挙の厳しさを改めて感じました。いくら頑張っていても、選挙で評価されなければ、当選してバッチを付けなければ、議員にならなければ、議会で皆様の声を活かすことが出来ない現実は、落ちてしまった仲間は議員でなくなり無念に感じていると思います。必ずしも報われない結果もある選挙は非常です。

私も頑張りますが、また、議会で出会えるよう活動は続けてもらいたい思いはあります。当選証書を眺めながら、議会で活動をできるよう変化に対応しながら努力はし続けなければいけない事でもあると思っています。
一番に頂いた当選証書を後援会長に報告をしてきました。

一夜明けて事務所の片づけをしましたが、もう、2期目へ議員活動は始まっています。生涯学習の総会、まちづくり団体の会合出席と休んでいる暇はありません。

*選挙戦についてのブログはゆっくり書きたいです。書きたい事は沢山ありますので・・・・

2期目の当選!!

2期目の当選をさせて頂きました。

1期4年間の評価がどのように現れるかは不安で一杯でした。
4年前に、当選したのにも関わらず、夜中に思ったより票が取れなかった事から、不満げな顔をしたら、娘から、

「票を取るのが、目的でなく、議員になるのが目的だったら、何番だっていいじゃん。胸を張って頑張れば。」
その言葉を胸に留めながら、自分なりに議員として、努力をしてきました。
1期目より、2期目は上位での当選となり、議員としての私のバッチは、更に重いものとなりました。今回は、どのような結果であろうと当選すれば、満面の笑みで万歳をするつもりでしたが、心の底からうれしく万歳をしました。
2期目の4年間、初心を忘れることなく、新たな一歩を踏み出していきます。

実は、4月24日は、24回目の結婚記念日でもありました。何とか日が変わるまでに、万歳をと思っていましたが、ちょっと日が過ぎてからの万歳でしたが、改めて妻に感謝を申し上げます。
お祝いを、皆が帰った後、妻とやりました。

いさ、出陣!

17日から告示され、出陣式を執り行いながら、立候補届を済ませてから23日までの選挙期間が始まります。
いよいよと言うか、ついにと言うか、私も多くの人に支えられて、ここまで来ました。
後援会の皆様には本当に感謝しています。
これからが、本番です。

選挙カーも準備ができました。
掲示ポスターの段取りもできています。
遊説計画は最終段階の詰めをしています。
出陣式の準備も終わっています。
あとは、出陣式を待つばかりです。17日朝9時より、後援会事務所から選挙事務所に変わり、出陣式を開催しますので、多く方のご参加を期待しています。
震災後の自粛ムードはありますが、投票も自粛ムードにならないよう、選対なりの工夫をしながら、投票率が上がるような選挙活動をしたいです。
23日までの1週間、短いようで長い、また、長いようで短い、一瞬で終わってしまうかもしれない、私の2期目の1週間の戦いが始まります。
いざ、出陣です。
支援してくれている方々に、満面の笑みで万歳ができるよう、この1週間、悔いが残らないよう頑張ります。
どこかで見かけたたら、引き続き応援よろしくお願いいたします。

選挙期間中も
いつでも、どこでも、ガンバルマン
荻田たけひと

*選挙中は候補者のネット上での情報公開の更新は禁止されていますので、告示されてからは、選挙が終わるまで、ブログはお休みとなります。選挙終了後、ブログは再開します。しばらくは選挙に集中です。
追伸:16日は娘の学校の入学式です。
いけなくてごめんなさい。入学おめでとう!!

勇気100倍

選挙まで残すところあと1日です。

3日前に、ある人から、
「荻田君、いつもの元気がないね。覇気がないよ」
と言われました。

疲れもあるかもしれませんが、結果が見えない状況は不安で一杯でもあります。そんな精神状況が、顔や態度に出てしまっていたのかもしれません。
そんな状況である中で、ありがたいことに、励ます会が行われ、多くの方から激励を頂きました。

尊敬する大先輩からのお言葉を頂き、勇気が湧いてきました。
沢山の勇気・元気が注入されました。

勇気100倍です。
元気も出てきたような気がします。
元気一杯で、選挙期間に挑みます。

多くの人が支援してくれている事を忘れずに頑張ります。

自分なりに・・

江尾で行われた「荻田たけひとと語る会」、話がちょっと長くなってしまいました。
気が付いたら40分話していました。

後援会の方よりも「語る会なのに、本人の話が長い。」と指摘を受けてしまいましたが、江尾地区は水害と言う問題を抱えた地域でもあり、4年間取り組んできた思いもあり、伝えたいという気持ち前に出すぎた結果でもあります。
長ければ良いという訳ではありませんが、ついついあれもこれもと欲張って話してしまいました。
引き続き、増川でも語る会は、開催されますので、ちょっと短めにします。
人前で話す機会も多くなっています。
選挙での遊説もありますので、自分なりの思いを言葉で伝える難しさを感じながらも、自分らしさをだせる工夫をしなければと思っています。
選挙期間中は、短い時間で自分らしさを出せるように自分なりに・・

出陣式までいよいよ、あと4日となりました。
4月17日より出陣式が朝9時より執り行われ、後援会事務所が選挙事務所に代わり、出発です。
自分なりにがんばります。!!!