私の母の姉に当たるおばさんが亡くなり、通夜、葬儀と参列してきましたが、知人の葬儀も重なり、葬儀会場を行ったり来たり。叔母さんの葬儀を優先させながらも、それ以外の予定をこなす為に、大幅に予定変更しながら、最大限に出られる所に顔出しをしていたので、大変、忙しかったです。
葬儀以外には、通夜前に、休み明けから、家の納屋を撤去する為に、使用しないもの(ゴミ)を処理する為に環境クリーンセンターへ行ってから、通夜へ。
通夜終了後は、青年会議所の歴代理事長会議へ参加。
青年会議所も来年は55周年でもあり、初めての女性理事長が誕生しました。
葬儀前には新嘗祭に顔を出し、地域での五穀豊穣、大きな災害に見舞われなかったことを感謝しながら、挨拶をさせて貰いその後、葬儀。
夜は、台湾より職業婦人の皆様が来富しており、歓迎パーティへの顔出し。
車の中で、黒いネクタイを取ったり、着けたりで大忙しでした。
また、その他にも、叔母の葬儀会場がJAやすらぎであったのですが、富士、富士宮市内の県立高5校の応援団が日ごろの練習の成果を披露する「第19回富士・富士宮地区5校応援委員会合同発表会」が、富士市の同市農協会館ホワイトパレスでちょうど開かれていましたので、時間の合間を見て発表も見てきました。
発表会は 富士東、富士宮西、富士宮北、富士、吉原工の1、2年生の応援団員が、学校ごとに校歌や応援マーチなどを25分ずつ発表しており、各校は威勢の良い掛け声に合わせて力強い応援を発表していましたが、ちょうど私が火葬場から帰って来た時に、母校の富士高の応援団の発表でした。
応援歌、突撃のテーマ、フェニックス、チャンス富士高、勝利の拍手、校歌と見聞きできましたが、一生懸命やっている応援団の勇士をみていたら、思わず、30年以上前に、冨士高が初めて甲子園出場した時の応援を思い出しました。
葬儀もあった為に、あちらこちらに移動しながら、家に着いた時には、どっと疲れが出てきて、一般質問の準備をしなければと思っていたのですが、何もすることなく、ベッドへ直行。
年齢的に無理がだんだん利かなくなってきたような気がします。
*忘れてましたが、11月24日13:30分より、吉原東農協にて浮島女性部での、荻田たけひと市政報告会が開催されます。
それも、頑張らなければ・・・・