8月最後の日。

30日の総選挙の結果、自民党は過去最低の223議席を下回る歴史的惨敗を味わいました。与野党の新議席は、与党140(自民119、公明21)野党(民主308、その他32)となり、政権交代が実現し、自民党は1955年結党以来、初めての第1党の座から転落しました。

全国的の流れの中では、県内すべての選挙区で自民党は大敗する結果でもあり、政治の転換が形として現れました。県内の逆風の強さは、比例票でも如実に表れ前回より、24万5千票余り上回る93万3579票となり大きなうねりを感じずにはいられません。

各地においても大物議員が落選する結果が報道されていましたが、富士市を含む第5選挙区から出馬した元防衛庁長官斉藤としつぐ氏は、31日正午、7期23年の政治活動を引退する事を発表しました。富士市においてもある意味歴史的な事柄なのかもしれません。多くの自民党議員の方々は、高い志しを持ち、情熱と信念の基に活動を続けてきたとは思いますが、組織の肥大化に伴い、また、時代の流れ、環境の変化、国民の声の多様化に対応できなかったのかもしれません。サルは木から落ちてもサルだけど、政治家は落選したらただの人と言われますが、しかしながら、政治家としての今までの功績は評価しなくてはならないと私は思っています。(たとえ、今の現状は悪くても、今までの発展は否定できません)
 新たなる政権になり、絶対権力を持つ与党となった民主党はこれからが国民に問われる事になります。
 私は、地方議員の一員として、これからの日本の政治の動きをしっかりと見つめます。と同時に、自分の信念にブレることなく地域においての活動を続けていくつもりです。

9月になっていないのに、小、中学校は8月31日から新学期が始まっています。いつもなら夏休み最後の日で、宿題に追われる日だと思っていましたが、2学期制になり、新学期が始まる日も昔と違ってきていました。時代は変わってきている事はこんなところでもあるのですね。

 先週の水曜日に岩船地蔵祭りがあり、今年最後の夏祭りを楽しみました。太鼓の演奏、火の踊り、花火と掲載したかったのですが忙しくて忘れていましたので、8月最後の日という事で、行く夏を惜しむのではないのですが、掲載いたします。

ちなみに今年の夏のキーワードは「ショック」だそうです。
 

8月30日。

 8月30日。8月も残すところ2日、あっという間に過ぎ去った気がします。特にこの1週間は、自分の時間がほとんどない状況でした。「この夏を・・・考える」みたいな選挙公報がありましたが、私には、じっくり物事を考える暇がないような夏でもありました。

ただ忙しいながら、多くの場所や多くの人に会いながら色々な経験や勉強はさせて貰いました。時間の合間を縫って、勉強会や地域イベントにも参加しましたが、忙しい時の方が集中でき、多くの事柄がこなせるような気がしました。ただ、勉強しても、次から次へやる事柄が多い為に、頭に入らない状況でもありますが、余裕ができたら見直さなければとは思っています。また、忙しい時こそ、予定が入った時にすぐに手帳等に書き込み、確認をするしっかりとした、(書かずに頭で覚えていようと思っていても忘れてしまいます)スケジュール管理をしないと、日時の間違いやブッキングによって約束を守れない事が生じてしまう事を痛感しています。
とにかく後、2日しか8月はありません。子供達は宿題に追われていますが、私も、多くのやり残したことが残っています。この2日間で、出来なかった、やり残しを少しでも解消しなければと思っています。

 でも、その前に、今年の私の夏をあっという間に過ぎ去らした原因の一つでもある選挙の投票に、行ってからですが・・・。

朝9時に投票に行って、びっくりです。私の地域の投票場の増川氏子会館で今までになかったような、列ができており、外まで行列ができています。投票に来ている人も、車も止められず何でこんなに混んでいるのと困惑していました。今回の選挙がいかに関心が高いかわかります。おそらく投票率は高いはずです。
 2009年8月30日、いずれにせよ、何かが変わるような予感がします。
 解散後40日の選挙戦に入り、公示後12日間の活動は終わってみれば短かいのかも知れませんが、本日の8月30日はどの候補者にとっても長い1日だと思います。

くれぐれも、投票権は無駄にしないでください。
 

ラジオ出演(でも、大変失礼しました)

 

 富士市のコミュニティラジオのラジオエフの番組で毎週金曜日のカモナマイハウスの2市1町の議員が出演する番組に出演し、私の情報発信をしてきました。

9時40分からの出演でしたが、公務扱いななのか、9時15分には市役所から吉原のラジオエフまで、議長車での送迎付きで何か偉くなったような気がしてしまいます。

旧ヤオハン跡地にあるラジオエフに着くと商店街を通る時いつも見慣れている光景ではありますが、改めて本日のブログ用に写真を外から撮らせて頂きました。パーソナリティーの杉山さんは気がついたようで、中に入って、番組前の数分話をしたのですが、さっそく写真の話になり、ブログについての話になりました。杉山さんもブログをやっており、興味を持って頂いているようでぜひとも私のブログを見て貰おうと名刺交換をさせて頂きました。今回お相手してくれたラジオパーソナリティの杉山直さんは普段、ラジオで声を聞いて馴染みがあったのですが、実際お会いするのは初めてで、イメージしていた感じとはちょっと違いました。ラジオというのは声だけの出演なので、声と姿のギャップはあります。実は私は何をどう思ったか杉山さんは太った方だと思っていましたが、太ってはいなく実にすがすがしい爽やかな感じの方でした。(ごめんなさい)

それから、今回、杉山さんに大変失礼なことをしてしまった事があります。名刺交換をした後、番組にはいり話が始まったのですが、その際に名刺を机の上において話をさせて貰いました。何から切り出されるのか、不安だったのですが、年齢の事を聞かれ、ブログの事、そして、議員としてどうしていきたいか等聞かれ、あっという間に番組は終了してしまいました。終了した後、「ブログ掲載をしてくださいね」と言われ「はい載せます」と言ってあったので、すかさず杉山さんと2ショットの写真を撮らせて頂きました。その後、番組中でもありすぐに退席をしたのですが、写真を撮った事で満足してしまい、不注意にも交換した名刺をそのまま机に置いてきてしまいました。せっかく頂いた名刺でもありますが、今、手元にはありません。多分、机に残っている名刺を見て苦笑いをしていると思いますが、本当に交換をした名刺を置き忘れてくるのは、大変な失礼でもあり、もし杉山さんがこのブログを見ていたら深くお詫び申し上げます。(緊張していたという事で許してください)
また、本日のラジオでの貴重な体験感謝申し上げます。

ラジオでも言いましたが、本日は富士山が本当にきれいに見えました。

お知らせです。

 ここの処、忙しくて、お知らせをする事を忘れていた事がありました。明日、28(金)9時40分〜50分まで富士市のコミュニティFMのラジオエフに出演いたします。

市会議員の事や活動を少しでも知ってもらう為に、一つの手段として、富士、富士宮の議員が順番にラジオ出演してきていましたが、私の番が回ってきました。本当は、先月の予定でしたが、公務が入ってしまい、順番が後回しになり、8月28日の出演になりました。確認をするともうすでに私以外の議員はすべて終わっており、私が一番最後であるとの事でした。打ち合わせという事でお話をしたのですが、その際にも
「荻田議員さんが最後のトリですからよろしくお願いします」
と変なプレッシャーを掛けられてしまいました。
打ち合わせの際、喋りたい事とは別の話をしてしまい、どんな話になってしまうかは多少は不安は残りますが、議員としてのラストバッターとして、有終の美を飾れるようにしたいです。顔は見えませんけど良かったら聞いてみてください。

「ちょっと出かけてくる」

「ちょっと出かけてくるから」
「ちょっとっていつ帰ってくるの」

朝出がけに夏休みで家にいる娘にいつも確認されます。と言うのも私は外へでかけてしまうといつ戻ってくるかわからないのに、いつも「ちょっと出かけてくる」とすぐに戻ってきそうなニュアンスでそそくさと家を出ていき、帰りは夜中になる事が多いです。娘や妻も予定があるので食事を一緒に取るのか、自分がどこかへ出かけたいけど帰ってくるのか、予定が立てられなくて困ると言います。確かに、自分ではちょっとのつもりで出かけるのですが、予定が変更になったり、新たに予定が入ったりして、帰りたくても帰れない状況になったりする事が多いです。予め、予定が入って何があると言うのはカレンダーに書いているつもりですが、それでも、書き忘れなどがあり、出かけっぱなしと言う事もよくあります。議員という立場もあり、やる事も多いのですが、夜の付き合い等は、お酒が入ったりすると、気が大きくなり帰る時間を忘れてしまいます。今日は1日忙しいなと思っても、つい口癖のように「ちょっと出かけてくる」と言ってしまいますが、最近は、娘は私のことなど、最初からあてにしていない様子で、
「ちょっと」
と言うと
「お父さん、ちょっとじゃないでしょ、うーんと出かけてくと言って出ていってよ」
と嫌味を言われるようなってしまいました。ということで、今日もちょっとではなくうーんと出かけてきます。
今日の予定としては、
朝9:30〜企業で朝礼参加10:00〜会派で定例会13:30〜16:30沼津で沼川流域委員会へ出席17:00〜円照寺で地蔵祭り19:00〜富士を語る会と1日びっしりとあります。
しかしながら、相変わらず家を出る時には、
「ちょっと出かけてきまーす」
と言ってしまう状況です。
(チャンチャン)

「国家の品格」を聞きました。

 

 議員になってから毎年恒例の静岡県市町議会議員研修会がグランシップで開催されましたが、今年は、2006年にベストセラーとなった「国家に品格」の作者のお茶の水女子大名誉教授であり数学者の藤原正彦氏が講師でありました。

恥ずかしながら、ベストセラーとなった「国家の品格」は読もうと思っているうちに気が付いたら読まずじまいのままとなってしまった1冊でもありますが、この本の発売以来、〜の品格という銘打った書籍は販売され「女性の品格」「遊びの品格」という本は読んだ事があります。

しかし、もともと、「国家の品格」は藤原氏が講演で述べた内容を基礎に本にしたと聞いていますので今回、議員研修で「国家の品格」という演題で聞けば本を読んだと同じであると考えられます。藤原氏の講演は、話し方は早いのですが、リズミカルで聞きづらいと言う事は無く、ユーモアを交えた中での(度々家族の悪口が入っています)次から次へ話題が出てくるのには感心させられます。
 今の日本に必要な事は、論理より情緒、英語より国語、民主主義より武士道精神が大切であるとし、21世紀のキーワードとしては、敗者や弱者をかわいそうに思ったり、哀れに思う敗者や弱者への愛情の共感の情として、「惻隠の情」であるとしていました。私の世代ではあまり聞き慣れない言葉ですが、いじめと言うのは無くならいないとした中で、今の陰湿で長引くいじめをなくすには、卑怯を憎む心を育てる教育として「惻隠の情」が必要であると感じました。しかしながら、数学者であるので、もっと、論理的な解決や数字的な提示があるのかと思いましたが、国語教育の重要性を訴えている事には少し驚きました。
 朝から、チャレンジ7による介護研修があり、多少疲れがたまり、頭に入らない部分もありましたが、藤原氏の言葉で印象に残った「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」の先に最も崇高な人類愛が生まれると言うくだりは、今の政治にも言える事であると思います。氏が奥様の悪口を言いながら、大切にしている事も良く分かりました。やはり一番大切なのは奥様のようです。
 講演を聞きながら改めて、私は、立派な事を言う事も大切であるかも知れませんが、身近な家族を愛し、地元を愛し、日本を愛す事が出来る人が世界の平和にも通じる事でそんな政治家を私は選挙で応援をしたいと思いました。

いい汗をかきました。

 東部グラウンドにおいて、9チーム100人以上が参加する第1回東風会ソフトボール大会が天気が良い中、盛大に開催され無事終了する事ができました。

 

開会式において、挨拶をさせてもらいましたが、始球式で球がホームまで届くか気になり、そちらの方でドキドキしてしまいました。
 ソフトボール愛好会に呼び掛け、大会が開かれた訳ですが、私も、1日、本部チームの選手としても参加させてもらえ、暑いのですが、気持のよいいい汗を掻かせてもらえました。

 本部チームは寄せ集めのチームであり、試合にならないかと思いましたが、2試合やり、1勝1敗と善戦しました。私は守った事が無いファーストをやったのですが、いつ球が飛んでくるのかひやひやしていましたが、大きなミスも無く、それなりにチームに貢献できたと思っています。(勝手に思っていますが・・・)

 親善のソフトボールとはいえ、決勝戦の江尾チームと浮島春山チームの戦いはどちらも一歩も譲らない好ゲームとなり、観戦している方も、手に汗握る展開となりましたが、最終的には、江尾チームが優勝いたしました。
 今回試合が行われた、東部グラウンドは東部浄化センターの建設に伴い、地域にグラウンド提供され、須津地区、吉永地区、元吉原地区、下水道維持課の4つで管理委託されています。利用申し込みは1カ月前に、各まちづくりセンター及び維持課へ申し込みし利用ができますが、大会等を行う場合複数コートが必要となり、各申し込みをしなければならなく、必ずしも全コート使用という訳にはいきません。また、各地域の管理という事で、管理にばらつきがあるようで、試合をするのには必ずしもいい状況であるコートばかりではありません。利用し不便を感じたのは、場所が分かりづらい事、駐車場が狭い事、トイレが一つしかなく、また、鍵が壊れている事、ネットが無い為にファールボールが草むらへ入ると探すのに苦労をしてしまう事、等ありました。課題としては、グラウンドを良好な状態にしていく為と地域の利用だけではなく、広く利用ができるようなにする為には、行政の1元化管理の検討は必要な事であると思いました。
(優勝した江尾チームおめでとうございます。祝勝会でのお酒はおいしいと思います)

 でも、天気もよく、気持のいい汗をかく事ができました。やはり、みんなでやるスポーツは楽しいものですね。

ソフトボール大会準備中。

 東風会で須津・浮島地区のソフトボール愛好者の第1回親善大会が23日、東部グランドで開催されるのですが、会長の一つ山君がインフルエンザにかかり、2つの事が心配がされていました。

1つ目は、初めての大会で会長が欠席した中では大会がうまく運営されるかどうか、これについては、副会長の鈴木くんが前日お酒を飲まずに入念に持ち物チェックをし、8時半開始の大会の2時間半前の6時には会場へ行くと言っていましたので一安心です。
2つ目は熱はさがり、ほぼ完治したといって責任感の強い会長が無理してでてきて、大丈夫なのか、また、出てきてバイ菌を撒き散らさないか、来てはもらいたいのですが、やはり、休んでもらった方が良いというのが結論でした。
東風会は須津、浮島地域でスポーツ、特にソフトボールを通じて交流をしていこうと有志で結成された会です。大会を開くにあたり準備を進めてきましたが、会長が病気になってしまうとは・・・・

東風会としては、初めての試みではありますが、9チームの参加という事で、私も、暑い中、準備を手伝っています。また、選手としてもでるつもりです。でも、お葬式が出来たり、その他にも多くの用があり、余裕がありません。(正直、ブログを書いている暇がない位忙しいです)
その上、準備の為に軽トラを借りたのですが、エンジンを駆けようとしたらバッテリーがあがってかかりませんでした。忙しい時だからこそ、慌てず行動を取ろうと注意をしています。
天気は良いようですので、怪我や暑いので事故が起きない大会になる事を心から期待しています。また、試合の結果は報告いたします。

毛虫、ミミズ、ウーパールーパー。

 

先日の駿河湾地震に伴い、災害時の危機管理を改めて見直さなければと思っています。かねてよりの要望されていた、増川地区の八幡さんの下に、現在、火事や災害時の為に防火水槽の建設が進んでいます。

八幡さんの下の防火水槽建設は、根方街道からだと道が狭く大型車両が入れないので、設置が難しいとされていました。第2東名建設に伴い、取り付け道路が出来たので、山側から車両が入れるようになり建設可能となったので、防火水槽工事が進められています。これにより根方街道より上は道が狭く、火事や災害に際しては、緊急車両が入りづらい状況であり、宅地分譲が進んでいる中では、家も増え始めているので、火事が起きた時の初期消火活動ができない為に心配されていましたが、出来上がれば災害時には一安心です。

地震後に工事がどのように進んでいるかを確認しに行ったのですが、行くまでの道で巨大な虫に遭遇いたしました。

なんのチョウチョになるのかわからない毛が無い毛虫、巨大なミミズ。大きさがわかるように腕時計を置いて見ましたが、蛇と見間違う位の大きさです。
奇妙な虫に出会い、何か異変でも起こらないか不安になります。

 奇妙な生き物つながりで、昨年の江尾夏祭りで、ウーパールーパーを手に入れたのですが、2〜3センチだったのが、1年経ち今では、20センチ以上に成長してしまいました。小さくてかわいかったのが、大きくなって、ちょっと気味が悪いです。一体どの位大きくなるのか不安になります。
 せっかく飼っているのですから、ナマズと同様に地震の際には、予知能力を発揮してくれれば良いのですが、どうなんでしょうか。

どれがお宝なの!??

 

ある会合に出席しましたら、会場には掛け軸が飾られており、物々しい雰囲気でした。聞いてみると掛け軸の話をする為に持ってきているとの事でしたが、その中には1億円のお宝が飾られているとの事で、どれがお宝かはわかりませんが、驚きました。

多分一番高いのは白隠禅師の掛け軸であると思われますが、果たして本物かどうかは私にはわかりません。

白隠禅師は臨済宗の僧侶で、駿河(現在の静岡県沼津)に生まれ、15歳で出家し、諸国を行脚し修行を重ねました。34才で京都の妙心寺の第一座となり白隠と称し、その後地元の松蔭寺に帰って布教を続け、衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで称されました。白隠は民衆に禅をわかりやすく伝えるため、書画や禅画を多数制作し、技巧にとらわれない豪放でユーモラスな書画は高く評価されています。また、白隠が好んで描いた達磨像は百数十点あり、このエネルギーは現代人が倣うべきかもしれません。
しかし、1億円と言われれば目の保養になった様な気がしましたが、1億円の価値があるのかどうかはやはりなんとも言えません。私の父の実家は平沼であり、白隠の近くでもあります。子供の頃、ダルマの掛け軸を父の実家で見た気もします。ですから、あまり価値を感じません。今回展示されている掛け軸も、実際、テレビのお宝探偵団でいくらなのか、鑑定してもらったらどうでしょうかと思ってしまいました。
 お宝の話をじっくり聞きたかったのですが、市役所で文教民生委員会の民間社会福祉施設長との懇談会があり、最後まで聞く事はできず、途中退席をしてしまいました。
 懇談会は富士市の民間副施設38施設中35施設が参加した中で、保育部会、児童施設部会、障害者部会、高齢者部会として多くの課題や要望を聞く良いチャンスでもあり、勉強になりましたが、実際の各現場を見なければ分からない事もあるので、一度じっくり視察に回りたいとは思いました。
 しかし、お宝というものは興味の無い人には、価値の無い無意味なものでもあるように感じてしまうのは私だけでしょうか・・・(持ってきた人には悪いのですが)

選挙戦スタート。

8月30日の投票日に向け、12日間の選挙戦がスタートしました。政権選択が迫られる大きな意味がある選挙である事は言うまでもありません。衆院選の立候補者は1374人で県内の8小選挙区で28人が立候補致しました。

県内小選挙区において、富士市は三島市、御殿場市、裾野市、函南町、小山町、伊豆の国市の内の伊豆長岡町で第5区の選挙区に3人の立候補者が届け出をしています。富士市においては、合併前の区割りになっていることから旧富士川町は、富士市になっても、第4区の選挙区になっています。今回の選挙の特徴としては、マニュフェストを前面に出した選挙でもあり、有権者は各党の政策を比較しながら、政策の中身、候補者の本質を見抜く審判が迫られています。「責任力」の自民党か「政権交代」を訴える民主党の2大政党がぶつかり合う選挙でもありますが、今の状態を変えるという風は、民主党に吹いている状況でもあり、政権交代が現実味が増す中では、改めてマニュフェストに書かれている事は、実現可能な公約なのか、また、政策実行力はあるのかは、しっかりチェックしなければならない事でもあると思っています。
 いずれにせよ、18日に公示され、12日間の選挙で風がどのように変わるかは、分かりませんが、混沌とした将来が見えにくい社会であるからこそ、見間違えのないよう、大切な1票を投じて欲しいと思っています。

灯篭流しと竹灯篭

 

 初めて灯篭流しを今泉の法雲寺で体験してきました。灯籠流しは、死者の魂を弔って灯籠(灯篭)やお盆の供え物を海や川に流す日本の行事ですが一般的には、お盆の行事で送り火の一種であります。

法雲寺は小池議員の奥様の実家ですが、戦没者慰霊祭の際に、
「明日、19時に法雲寺で竹灯篭を飾るから、見に来いよ。須津の方でも、竹が多いから、君のお寺でもやってみたら」
と囁かれましたが、同じ時間に富士川で投げたい松のお祭りがあるので、どうしようか迷いました。でも、26日に檀家であるお寺のお祭りがある事を思い出し、ちょっと参考にしようと思い、私のお寺の役員さんと共に視察に行きました。
(役員の後藤さんは参考にと写真を撮りまくります)

竹灯篭を見に行って感じた事は、竹灯篭は竹灯篭でいいのですが、それより灯篭流しの方が気になってしまいました。灯篭流しは、灯篭をお寺で500円で買い、名前と祈願を書き込み、法雲寺から田宿川に流れる小川を利用し灯篭を流すのですが、多く人の思いの光が川を流れ、幻想的でもありました。
(母親と共に灯篭流しの祈願をしました)

 私が檀家のお寺の横にも江川が流れていますが、水害常襲地でもあるので、灯篭を流しは、災害防災の祈願にいいのではないかと思いました。一緒に見学していた私のお寺の役員さんも、大変興味をもったようで、灯篭を流さず、お寺の役員会で法雲寺の行事を報告する為に持って帰りました。もしかしたら、檀家であるお寺でもひそかに灯篭流しが始まるかもしれないと期待をしています。また、竹灯篭に関しては、竹に火を灯す似たような事をすでに、私のお寺では取り入れているので、芸術的に見せれるような竹に細工をしたりする工夫は今後できないか検討材料にすると言っていました。
お盆ならでは行事ではありますが、灯篭流しを見るのも、流すのも初体験であり、小池議員にはお誘い頂き感謝申し上げます.

懇親会でサプライズ。

 

富友会の総会及び懇親会が開催されたのですが、戦没者追悼式や川尻地区の薬師祭典があった為に総会には間に合わず、懇親会からの参加が余儀なくされました。

お盆の最中の富友会は役員会で物議はあったのですが、帰省で帰ってくる人もおり、多くの方に参加してもらう為に本年も昨年同様お盆である15日に行われました。個人的には、議員と言う立場もあり、行事が重なる時期でもあるのでお盆と言うと出にくいなと感じますが、400人近い方が参加している事を聞くとお盆の最中に行った事は成功のような気もします。
(テレビが当たる前)

私の学年は、来年の担当幹事でもあるので来年の事も考えた中では、いつもより多くの参加者がありました。無理やり券を買わされ出席した仲間も参加すれば懐かしい顔を合わす機会となりそれはそれで良かったのかも知れません。
懇親会では多く方が参加しており、立食であったので一回りした後、ロビーでコーヒーを飲んでから会場に戻ると私の仲間の中で大きな事件(サプライズ)が起こっていました。
(テレビが当たった後、内田先生も祝福に)

なんと、抽選会において、一番良い商品であるテレビが当たったと私の選挙でうぐいす嬢を務めてくれた金子さんが大騒ぎしており、同級生の皆が自分が当たったのではないのですが、周りを取り囲んでいました。まさか、1等が当たると思っていなかったので壇上では何を言ったか覚えていないほど舞いあがってしまったと悔やんでいましたが、びっくりです。記念に恩師を囲み、テレビが当たった記念写真を撮りました。

 
私の仲間から当選者がでたので、来年の富友会には沢山の動員をするはずみになり良かったと思っています。また、テレビが当たった金子さんには来年は中心となり頑張ってもらわかなければいけない事が必然的に決まりました。ちなみに来年の富友会の開催は、役員会で承認はされては無いので決定はしていませんが、、8月21日(土)が開催予定で進められています。
 テレビが当たったからという訳ではありませんが、その後の2次会では大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

(富友会の前に川尻のお祭りで、鈴木英樹君と)

余談ではありますが、残念ながら、金子さんがテレビが当たり壇上に上がる姿を見る事が出来なかったのは、実は、懇親会の最中に抜け出して休んでいました。というのも、会場に来る前にすでに川尻のお祭りでお酒を飲まされ(結構飲みました)、出来上がった状態であった為に(真っ赤でした)、会場で立っているのがきつくなり抜け出していました。

平成21年度戦没者追悼式

 64回目の終戦記念日の15日、富士市主催の「戦没者追悼式」が執り行われ、議員として出席しました。式典では、日本武道館で開催されている「全国戦没者追悼式」の実況放送に合わせ、麻生総理の式辞の後正午に1分間の黙とうをささげます。

毎年追悼式では、黙とうと献花が行われ、富士市内3697柱の御霊に冥福が祈られ、恒久平和を誓いあいます。私は戦争を知らずに育った世代であり、戦争な悲惨な状況や食べるものもなかった貧しかった時代の経験はない幸せな世代です。私の叔父さんも戦死していますが、今ある生活は尊い犠牲によってなりってきたという事は、自分なりに理解はしているつもりです。歴史的な史実はもとより、原爆が落とされた広島、長崎や特攻隊として散って行った鹿児島の知覧もいってきました。戦争は私達にとって良い事は一つもありません。ありきたりの言葉かも知れませんが、戦争のない平和な社会はすべての人の望みでもあります。しかしながら、今なお世界のどこかで紛争は起きており、たくさんの人々がつらい思いをしている現実はあります。
(遺族代表の増川の栗田頴さん)(親子で献花する吉原の加藤さん)

追悼式では、遺族代表で追悼の辞を述べた私のすぐ近くに住む栗田さんの「8月15日の終戦を迎えた日は新たな戦いが始まった日でもあった」と言うくだりは、戦争が終われば良くなるという事ではなく、復興するまでの間の苦労は並大抵のものではないとし、その悲惨な経験はさせてはいけないという訴えには胸を打たれました。私も追悼式に出る事により、どんな事をしても戦争は起こしてはいけない事を戦争知らない世代である私達もしっかり引き継いでいか無ければならないと改めて心に刻みました。

また、ロゼでは「平和のための戦争展」が8月16日まで開催されていますので、若い世代の人にぜひ見て貰いたいな思っていますので、行ってみてください

元気でよかった。(江尾ふるさと祭りで)

 江尾ふるさと祭りは、私の地域のお祭りで毎年お盆の最中に開催される恒例のイベントですが、今年は天候に恵まれた中で盛大に開催されました。地域の絆を深める行事ですが、お盆と言う事もあり、里帰りしている人や地域に住んでいても普段は会う事が出来ない人に、会う事が出来る絶好の機会でもあります。

開会式で挨拶をさせてもらい、見学していると、学生だと思っていた子がもう子供がいて、驚きます。嬉しい事に駆け寄ってきて、声をかけてくれるのでつい、お酒も進んでしまいます。
会場をさまよっていると娘が
「あれ、村田さんに似た人がいるけど、えー違うかな」
「でも、やっぱりそうみたい」
「元気になったのかな」
「ちょっと声かけてみるよ」
と会話を交わしながら、声をかけるとなんと村田さん夫婦でした。

村田さん夫婦とは以前はよくお会いしていたのですが、今年になってから村田さんの旦那さんは災難に遭い、病院に入院してから会う事がありませんでした。村田さんは高校の先生でサッカーの指導者としても名の知れた方ですが、入院したと聞いた時は、本当に驚きました。村田さん本人も良く知っているのですが、実は、村田さんの奥様は私の高校の同級生で、飲み友達でもありました。村田さんが入院されてから、今まで2人とも会う事無く、どの様な状態であるかはわからなかったのですが、お祭りで元気な姿を拝見でき嬉しく思いました。村田さんと話をしましたが、まだ、完全には治っていないという事でした。でも、夫婦仲良くお祭りに参加するようになれて本当に良かったと思っています。情報があまり伝わっていなかった心配している同級生には伝えたいと思い、取り急ぎ元気な姿を写真に収めてきました。村田さんには更に元気になってもらいたいと思うと共に同級生の奥様も早く一緒に飲めるようになる事を期待しています。

ちょっとした出会いがあった江尾ふるさと祭りは今年で26回を迎えていますが、ステージでは色々な催しが繰り広げられ、やぐらの上での抽選会、最後は花火で締めくくられました。
実は、議員になる前はあまり参加した事がありませんでした。しかしながら、参加するようになってから、地域において、地域力を増すためにも大事な行事である事がわかります。江尾地域は、水害常襲地で、会場である江尾公園も浸水してしまいます。いざ災害になった時に、力を合わせなければならない地域である以上、このお祭りにおいても力を合わせ盛り上げる事は、大切なことである思っています。

でも、本当に村田さんが元気になりつつあってよかった!
  

景観実務講習会

 お盆に入りましたが、市役所は休みではありません。12日、静岡県が主催する平成21年度第2回景観実務講習会が富士交流プラザで行われており、都市計画審議会の委員でもあるので勉強に行ってきました。

プログラムとしては、話題提供として、
1、「熱海市の野外広告物行政への取組み」
2、「牧の原茶園・空港周辺地域景観協議会野外広告物デザインルール検討」
講義として、富山大学芸術文化学部武山良三教授の「景観広告のデザインの考え方と事例」と3時間の講習でありましたが、案内を頂いた時に、富士市の景観形成について取組みが始まっていたので、時間を割いても聞きたい内容でもありました。

 其々興味深い話ではありましたが、特に武山教授の講義は、写真事例が示された説明であり、大変わかりやすく景観広告のデザインの考え方は都市のブランド力に係る重大な事であり、地域にあった戦略が必要となってきており、広告主、市民、業者、行政、が連携した中で景観形成に貢献できるシステムを構築していく必要性が話されました。屋外広告物については、機会があった時に書きたいと思いますが、都市間競争が激化していく中では、景観形成についてはしっかりとした考えを持たねばと思っています。

 たまたま、講習会に出かける前に、市役所で、新たな富士市景観計画の「富士市景観形成ガイドライン」が配布されました。これは、富士市では富士山を背景とした美しい景観を形成するために平成4年3月に景観づくりの基本的指針となる「富士市都市景観形成ガイドライン」を策定していますが、平成16年の景観法を含む景観緑3法が公布され良好な景観形成の為の総合的取組みが可能となり、積極的に景観行政に取り組んでいく為に、景観基本計画の改定作業を進めており新たに、見直し景観ガイドラインが策定され直された訳です。
 富士市は今までにも、景観形成の為に煙突の撤去を推進する「煙突撤去モデル事業」を実施していますが、富士山の世界文化遺産を目指す中では、地域戦略として益々、無秩序な形態や色彩の大規模建築物や屋外広告への景観へ対応方策が必要となってきています。
 講習会を受ける前に、新たな景観計画をじっくり目を通してから講義を受ければもっとリアルに富士市の問題もわかったのかも知れませんが、今回の講習で、改めて景観の課題や景観法を踏まえた中で、自分なりに考えるきっかけになりました。

元大臣に会いました。

 元内閣府特命担当大臣(少子化、男女共同参画)であった猪口邦子さんに、富士グランドホテルで開催された産業経済同友会の会合で会う事ができました。

猪口さんは上智大学教授や軍縮会議議長等の経歴を政治の場へ活かす為に、4年前の郵政選挙の時に小泉チルドレンの1員として当選をいたしました。
1回生議員ではあるもののなり物入れでの当選は、当選と同時に入閣と異例の抜擢をされ脚光を浴びました。私は今までに、小泉チルドレンとして有名な女性3人トリオ(政界キャンディーズ)の内、すでに佐藤ゆかりさん、片山さつきさん、と会った事があったので、これで3人目の猪口邦子さん、と会う事ができ、ついに生3人組すべて制覇する事が出来ました。

元大臣の来富と言う事で、前島前市議会議長がアテンドをしていましたが、産業経済同友会での講演後、幸運な事に、帰る時に前島議員と一緒に写真を撮らせて頂きました。
猪口さんも8月30日の総選挙で大変お忙しい状態でありますが、おしゃれな緑のスーツを着ていましたが、ペットボトル20本で作られたリサイクルスーツであり、自らが循環型社会の実現にむけ取り組んでいる事をアピールしながらも今回の総選挙では、小選挙区では出馬せず、東京の比例区での出馬であり、党としての選挙活動に力をいれていると事でした。自民党が逆風の中では、非常に大変な選挙である為に、全国各地で応援活動をしており、時間がない中での来富でもありました。講演後すぐに新幹線に乗り込み他の地域にいったようでした。

猪口さんに会った後、同じグランドホテルで私の会派の会長であった小長井議員が7月1日より第41代富士市議会議長になっていますが、青年会議所有志による議長就任祝祝賀会が開催され、私も出席し、一言お祝いを述べさせてもらいました。
奥様と娘さんも出席した、祝賀会では、バンド演奏のアトラクションにおいて議長自らがギターを演奏し意外な才能を披露していました。祝賀会に集まった多くの人が小長井議長には色々な期待をしていますが、これを機に更に強い意志で開かれた議会にしていく為に手腕を発揮していくと思われます。

5時7分、地震です。

 台風9号の接近に伴い雨が気になっていたのですが、朝方ベッドで強い揺れを感じ飛び起きました。第一声は
「ワー地震だ。結構、強いよ」
と寝ている家族に言ったのですが、その時取れた行動と言えばその場でじっとして揺れが収まるのを待っているだけでした。

 15秒くらい揺れが続いたと思いますが、寝起きと言う事もあり迅速な行動は取れなかったのが実情です。すぐにテレビをつけ確認するとテレビでは地震速報が流され始めていました。余震の危険もあるため、家で待機をする事にしていたのですが、富士市の震度は、はっきりとした報道はなかったのですが、4若しくは5弱であるというようでした。
 家においての被害は何もない状態でありましたが、電話は地震の直後しばらく通話ができないような状態であり、余震の心配もあったので家で待機をし、テレビ等を見ながら状況を見守っていました。今回の地震に関しては報道によりますと、8月11日午前5時7分ごろ、東海地方を中心に広い範囲で地震があり、静岡県中西部で震度6弱の揺れを観測されています。気象庁の観測によると、震源地は駿河湾で、震源の深さは約20キロ、地震の規模(マグニチュード)は6.6と推定されています。午前5時46分に御前崎で40センチ、午前5時26分に焼津で30センチの津波が観測されました。気象庁は、今回の地震は横ずれ断層型で、逆断層型が想定される「東海地震」とは異なると発表いたしました。
朝8時に富士市の地震情報を確認しますと
「富士市の震度は4であり、 大淵地区、鷹岡地区、吉永北地区で緊急遮断弁の作動による断水が発生していますが、水道の緊急遮断弁は解除されています。 また、静岡ガスからの報告によると、都市ガスの異常は発生していなく、7時13分に津波注意報は解除されており、7時22分現在では 人的被害は確認されてない」という事が情報として流されていました。
 富士市地域防災計画も策定されている中では地震に対しての迅速な対応はなされているようでした。さらに詳しい情報は流れてくると思いますが、取り急ぎブログへ掲載いたしました。
幸い富士市においては大きな被害はでていないようでしたが、本日、市役所へ出かけ一般質問でした水道施設の状況も含め確認をしたいと思っています。
 想定されるている東海地震ではありませんでしたので、更に大きな地震が来ると言う事の危機感を持たなければいけない事を改めて感じました。
 2009年8月11日朝5時7分。かなり大きな地震がありました。

はまかぜ祭りでマッサージ!

9日の日曜に元吉原の特養施設のはまかぜにおいての夏祭りに参加したのですが、その前に地域においての農道の草刈りへ行ってきました。

私の地域では毎年この時期に、農道の整備を兼ねた草刈りを実施しています。汗を流しながら、地域の人と草刈りをしたのですがカマを使っての作業は人手が無いとなかなか進みません。しかし、運動不足解消には草刈りはもってこいの作業だと思います。汗で服はびしょびしょになってしまい、草刈りの後の予定にお祭り参加もあったので終了する時間が気が気ではありませんでしたが、無事はまかぜ祭りの開始時間の午前10時には間に合いました。

はまかぜ祭りは私の地域とは異なる元吉原地区でのお祭りでしたが、はまかぜさんは、私の地域の特養施設のすどの杜の大塚理事長が経営している施設でもあり、ですからはまかぜさんは地域は違うとはいえ案内状がきます。私は原則、案内が来たものに対しては用が無い限り出席をさせていただいていますが、はまかぜ祭りには、毎年参加させていただいている中では、地域が違うとはいえ顔みしりの人も増えてきました。
(杉山連合町内会長さんと役員さん)

 施設においての夏祭りですので、室内において開催されますので外の暑さは気になりません。
 室内でのステージでは地元のよさこいが披露されていましたが、どの地域でも良さこいチームはこの時期ひっぱりだこのようです。

 会場内には無料マッサージもあり、帰りがけに私も肩を揉んでいただきました。ちょうど、草刈りをしてきたばかりで肩が張っていたので助かりました。お祭りに行き肩を揉んでもらうとは思ってもいませんでしたが、なんかいい気分でお祭りを後にできました。チャンチャン!

さよなら、中山先生。

64年前、長崎に原爆が投下された8月9日、私の中学3年の時の恩師である、中山喜美子先生の通夜が取り行われ、参列してきました。当時の吉原3中の3年5組の生徒も駆けつけていましたが、中山先生は、私の人生において、大きな影響を与えてくれた先生でもありました。

1年前の8月15日に同窓会を開いた時は、元気で教え子に久しぶりに会い、大変喜んでいたのを覚えています。また、須津ふるさと愛好会へ参加しており、会うと声をかけてくれました。2か月位前の6月18日に葬儀があり参列した際に偶然会い、見かけた先生が帰りがけに「同窓会を開催してくれてありがとう、よかったよ」みたいな事を言われた時に何をいまさら急にこんな所で言うのかなと思いました。それが、私にとっては最後に交わした会話でしたが、今考えると、体の調子がおもわしくなく自分の死期を感じていたのかなと思ってしまいました。

中山先生に受け持たれた吉原第3中学校の3年5組は、当然、高校受験を前にした中学最後の1年でしたが、中山先生にとってもちょうど退職をなされる、教員生活にピリオドを打つ最後の年でもありました。私達、3年5組は中山先生が受け持った最後の生徒でもあり、学校を離れた後も何度か遊びに行った思いでもあります。小柄でしたが、音楽の先生でしたので、明るく声がとおる年齢の割には若く見える先生でもありました。
高校の進路と言うのは人生にとって大きな意味があったと思いますが、私の時代の高校入試は内申書重視でしたので受験する学校に対して、先生の意見が大分入っていたような気がします。私が高校受験で悩んでいる時も常に前向きなアドバイスをくれ、目指すべき進路を決める際にも背中を後押ししてくれました。もしかしたら今ある自分の原点はその時のような気もします。
そんな思い出もある先生が亡くなり非常に悲しく残念でもありますが、もっと長く生きて頂ければと思いましたが、行年87歳と聞くと、それなりに人生を謳歌してきたと思われます。

通夜の後、3年5組の生徒が集まり、祓いを行いました。その際に毎年この時期に先生を偲ぶ会をやろうと決まりました。多分、先生が集まる機会を与えてくれたのかもしれません。
8月9日通夜から帰ってきて1人部屋で思い出に浸っています。
中山先生どうぞ安らかにお眠りください。合掌

法政大学校歌

「若き我らが命のかぎり」で知られる法政大学校歌は格調の高い名曲で,早稲田大学の「都の西北」,明治大学の「白雲なびく」とならんで,日本三大校歌の一つといわれています。

(山田頭取の説明)

グランドホテルで開催された清水銀行の企業説明会に参加した後、同じ場所で開催していた法政大学校友会連合会富士支部の総会に参加してきたのですが、総会の始めと懇親会の終わりに校歌斉唱をいたしました。
(開会に際しての校歌のソングリーダーの望月氏)(鹿山連合会副会長の挨拶)

総会では、校友会連合副会長の鹿山様より、大学と卒業生の関係の連携を図る新しい組織の在り方についての説明があり、2013年を目標に進めていくと言う事でした。校歌を歌うと大学において色々なスポーツ活動はあるのですが、どうしても、話題は野球になってしまいます。本年は、東京6大学の春季リーグで優勝し、全日本大学野球選手権大会でも優勝しています。ちなみに、吉原商業で新たにコーチに就任している三山氏も法政大学野球部出身です。
(閉会のソングリーダーの船村氏)

法政大学の卒業者は富士、富士宮、芝川に名簿を見る限りでは、400名近い人がいますが、毎年開催される校友会にはいつも残念ながら30人弱の出席しかありません。校歌にある通り、「進取の気性、質実の風、青年日本の代表者」として、新たな組織体になりより多くの方が参加する校友会になる事を期待しています。
 その後、中学の同級生がミニ同窓会(4人しかいませんでした)を開催していたので、お盆前ではありますが、顔を出しました。(どうしても、生徒会長をやった後藤君が来いというので)でも、着いたときには大分気分がよい状況になってしまい帰りが遅くなってしまいました。つい、昔話をすると時間が経つのを忘れてしまいます。

大学の校歌は覚えていたのですが、物忘れが激しくなっているのか中学の校歌の歌いだしが思い出せませんでした。なんとなく気になり寝付けませんでした。

研修報告会

8月30日の総選挙に伴い慌ただしい毎日が過ぎていますが、本年は、選挙が近い為に私の会派は例年行われている泊りがけの視察は中止になっています。しかしながら、個別での研修は進めていますので、その研修報告会が会派で行われました。

私の属する市民クラブでは、視察や研修については報告書の提出は勿論ですが、情報の共有化を図るために、定期的に報告会を開催しています。今回の報告会の内容は、7月に行われていた研修会中心に次の通りでした。
1、 平成21年度JIAM第2回市町村議会議員短期研修「自治体財政の見方〜財政健全化判断指標を中心に〜」
2、 NOMA行政管理講座「地方議員のための政策講座」
3、 第51回自治体学校イン埼玉
4、 NOMA行政管理講座「地方議員のための決算審議のポイント〜地方財政健全化法、公会計・行政評価の視点から〜」
5、 その他
(研修に参加し講師を務める発表者)

5つの研修について報告が参加した議員から説明がありました。他の会派の事はわかりませんが、議員の資質向上という点においては、私の会派では積極的に取り組んでいます。研修に参加できなかった人にとっては新たな情報提供となり、また、報告者も研修に参加するだけではなく、報告する事により更に理解も深まるために有意義な事でもあると思っています。
 子供達も夏休みの宿題に追われていますが、議員も次の議会までの間、それなりに勉強はしていかなければなりません。

 
 研修会とは別の場所でその後、4月に行われた日本語スピーチコンテストにおいて小中学校の部で優秀賞に選ばれた、日系ブラジル人の山田ケリーあけみちゃんの上手なスピーチを聞かせていただきましたが、文章力もですが日本があまりに上手でびっくりしました。

気になる行先は。

「富士市青少年の船」の出港式が行われ、8月5日より9日までの5日間の研修に多くの研修生を乗せ田子の浦港を出港致しました。しかしながら、出港式の副市長の挨拶で、台風8号の接近により、行き先の沖縄の変更が告げられました。

ただ、どこへ行くかは、告げられず出港した後、天候の状況を見ながら、進路を南にとるかはたまた北に取るかは、船長、実行委員長、学長、スタッフと協議をし、子供達の安全を第一に考えた中で航路を決めていくという説明でした。

富士市青少年の船は、昭和59年に始まり、本年で26回目になりますが、今までにスタッフを含め延べ11,380人余りが乗船しています。本年も、中学生、386人高校生、・青年29人合計415人が乗船する予定でありました。しかしながら、吉原北中においてインフルエンザ発生に伴い、吉原北中生23名がキャンセルとなり、最終的には374人人の乗船となってしまったようです。昨年は、449人の研修生があったので、本年は昨年に比べ、大幅に少ない中での研修船になってしまいました。インフルエンザによるキャンセルは別として、昨年に比べ、募集が少なかった理由は、委員会において確認すると、一番の原因は、昨年からの不況により、参加費の48000円が大きな負担であり、思うような乗船者確保にならなかったという事でした。経済的負担が大きな理由となると、行きたくても行けない子供達がいるという状況が生じているという事を踏まえると、たとえ、素晴らしい事業ではあるとはいえ、平等性が欠け、参加費を含め、見直しも検討しなければいけない事かもしれません。
 とにもかくにも、夢と希望を乗せ、船は出港していきました。気になる行き先は、出港後の行き先を確認すると、台風8号の影響により、九州地方の天候および海上の状況が荒れることが予想されるため、北海道の函館に目的地を変更した様でした。行き先は変更となりましたが、行き先よりも、船内においての研修が第一目的にありますので、どの場所に行こうと、研修内容は変わりなく行われますので、大きな混乱はないと思っています。また、北海道函館も、五稜郭やトラピスト修道院等歴史ある街でもあり、研修生にとっても沖縄とは違う魅力のある場所でもあります。ただ、沖縄と違い、泳ぐ事は出来ない事と気温が低いので防寒着を持って行ったかは心配されますが、風邪を引かない様気をつけて貰いたいと思っています。

無事、9日に元気な姿で田子の浦港へ戻ってくる事を期待します。なお、船の状況については、インターネットで配信されていますし、テレドーム(0180−993011)でも聞く事ができます。気になる方は、そちらで確認をどうぞ!

本年度は文教民生委員会。

 富士市のコミュニテティラジオへ、順番で議員が出演しているのですが、私の順番が本来なら、7月31日午前9時40分から50分の10分でしたが、ちょうどその時間に本年度の文教民生委員会があり、8月28日に延期となってしまいました。

文教民生委員会には6月議会終了後に、議員になってから建設水道委員会、総務市民委員会と続いて、3つめの文京民生委員会に配属が決まりました、文教民生委員会は、教育、文化、体育、福祉、保険、病院等に関する委員会です。議員1期目ですので、4つの常任委員会を1年毎に、4年間かけて1通り経験しなければならない訳ですが、配属され1年経ち、ようやく委員会になれた頃に配属替えとなり、継続審議ができないのは残念ですが、今後、所管委員会以外は、傍聴に行き勉強をしていくつもりです。
委員会においては各担当部より、当面の課題である事務事業の概要説明があり質疑がありましたが、特に病院については、病院経営や医師確保は大きな問題でもあり、また、蒲原病院での不祥事があった事もありますが、課題は多いとされています。個人的には教育は子供を持つ親とした関心がありますが、多くの課題について、今年1年かけてじっくり、取り組んでいきたいと思っています。
所管部署の教育委員会の事業として、8月5日から9日まで富士市青少年の船が出発します。私も担当委員会メンバーとして出港式に顔を出そうと思っていますが、行き先の沖縄が天候不良の為に、航路の変更が心配されます。私が以前乗り込んだ時もそうでしたが、台風の接近の為に航路が急遽、沖縄から北海道に変わりました。航路がもし変わるようなら、子供達の荷物も変更しなければならないので早めの決断が求められると思いますが、どの様になっているのかちょっと気になります。
今年は天候に色々な事業が頭を痛める年でもあるようです。

NPO法人ドットジェイピー

「政治家はテレビの中の住人ですか?」
若者との政治をつなぐNPO法人ドットジェイピーのセミナーを受けたのですが、この団体のコンセプトとビジョンはパンフレットには次のように掲載されています。

「若者の投票率低下。政治的無関心。政治離れ。
まるであたりまえのように、まるで仕方無いかのように語られています。
でも本当に若者は政治から離れてしまっているのでしょうか。
メディアが伝える政治と本物の政治語る政治とのギャップ。もっと若者がリアルな政治を直視する必要があるのではないでしょうか。
きっと、まだ政治をあきらめていない若者はたくさんいるはずです。
きっと、若者をあきらめていない政治家はたくさんいるはずです。
未来を創るべき若者と、現在を創っている政治家。
その二人を近づけるのは何でしょうか。
その問いに、ドットジェイピーイピーは一つの答えを出しました、「議員インターンシッププログラム」若者が自分のからだで自分の政治を感じるために。
若者が自分のこころで自分の政治を語るために。
若者が政治の未来を自分の未来として直視するために。
遠いところにあると思っていた政治。
でも手を伸ばせばすぐのところに政治は生きています。
そのリアルを一人でも多くの若者が感じる為に。」
(パンフレットより掲載)
NPO法人ドットジェイピーは、若者の投票率向上に取り組むNPOとして1998年に設立され全国10支部、大学生約200人が活動しています。今までに3294人の議員事務所と8316名の学生が参加しており、そのうち25人が議員として活躍しています。
(セミナー資料一部抜粋)

 先月末のセミナーで勉強をしてきたドットジェイピーの宣伝をしたい訳ではありませんが、若者の投票率の向上を目的とした「議員インターンシッププログラム」はこの団体の方法論としての取り組みとしては、素晴らしいと思いました。
プログラムの活動例としては、議会傍聴、事務所作業、街頭演説、地域宣伝活動等多岐にわたりますが、このプログラムを実践する事により、議員と学生をマッチングさせ、議員活動に携わる事により、議員を身近に感じ、政治をリアルに実感できます。また、このまちをよくしたいという気持と方法を身につける事ができます。一方受け入れ議員のメリットとしても、1、議員活動の公開とその透明性をアピールする効果、2、若年層との接触の機会(新たな意見の吸収、活動の幅の広がり)3、議員の人材育成の経験4、議員同士のつながりと学生を通して新たな刺激を得る事ができます。
 全国で多くの若い議員が誕生しはじめていますが、この団体の効果が起因しているのかもしれません。

 セミナーの最後には、この団体の目的でもある、若年投票率の向上が大きな影響を与える8月30日の選挙に行く事を促していく事が示されていました。