懇親会でサプライズ。

 

富友会の総会及び懇親会が開催されたのですが、戦没者追悼式や川尻地区の薬師祭典があった為に総会には間に合わず、懇親会からの参加が余儀なくされました。

お盆の最中の富友会は役員会で物議はあったのですが、帰省で帰ってくる人もおり、多くの方に参加してもらう為に本年も昨年同様お盆である15日に行われました。個人的には、議員と言う立場もあり、行事が重なる時期でもあるのでお盆と言うと出にくいなと感じますが、400人近い方が参加している事を聞くとお盆の最中に行った事は成功のような気もします。
(テレビが当たる前)

私の学年は、来年の担当幹事でもあるので来年の事も考えた中では、いつもより多くの参加者がありました。無理やり券を買わされ出席した仲間も参加すれば懐かしい顔を合わす機会となりそれはそれで良かったのかも知れません。
懇親会では多く方が参加しており、立食であったので一回りした後、ロビーでコーヒーを飲んでから会場に戻ると私の仲間の中で大きな事件(サプライズ)が起こっていました。
(テレビが当たった後、内田先生も祝福に)

なんと、抽選会において、一番良い商品であるテレビが当たったと私の選挙でうぐいす嬢を務めてくれた金子さんが大騒ぎしており、同級生の皆が自分が当たったのではないのですが、周りを取り囲んでいました。まさか、1等が当たると思っていなかったので壇上では何を言ったか覚えていないほど舞いあがってしまったと悔やんでいましたが、びっくりです。記念に恩師を囲み、テレビが当たった記念写真を撮りました。

 
私の仲間から当選者がでたので、来年の富友会には沢山の動員をするはずみになり良かったと思っています。また、テレビが当たった金子さんには来年は中心となり頑張ってもらわかなければいけない事が必然的に決まりました。ちなみに来年の富友会の開催は、役員会で承認はされては無いので決定はしていませんが、、8月21日(土)が開催予定で進められています。
 テレビが当たったからという訳ではありませんが、その後の2次会では大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

(富友会の前に川尻のお祭りで、鈴木英樹君と)

余談ではありますが、残念ながら、金子さんがテレビが当たり壇上に上がる姿を見る事が出来なかったのは、実は、懇親会の最中に抜け出して休んでいました。というのも、会場に来る前にすでに川尻のお祭りでお酒を飲まされ(結構飲みました)、出来上がった状態であった為に(真っ赤でした)、会場で立っているのがきつくなり抜け出していました。

平成21年度戦没者追悼式

 64回目の終戦記念日の15日、富士市主催の「戦没者追悼式」が執り行われ、議員として出席しました。式典では、日本武道館で開催されている「全国戦没者追悼式」の実況放送に合わせ、麻生総理の式辞の後正午に1分間の黙とうをささげます。

毎年追悼式では、黙とうと献花が行われ、富士市内3697柱の御霊に冥福が祈られ、恒久平和を誓いあいます。私は戦争を知らずに育った世代であり、戦争な悲惨な状況や食べるものもなかった貧しかった時代の経験はない幸せな世代です。私の叔父さんも戦死していますが、今ある生活は尊い犠牲によってなりってきたという事は、自分なりに理解はしているつもりです。歴史的な史実はもとより、原爆が落とされた広島、長崎や特攻隊として散って行った鹿児島の知覧もいってきました。戦争は私達にとって良い事は一つもありません。ありきたりの言葉かも知れませんが、戦争のない平和な社会はすべての人の望みでもあります。しかしながら、今なお世界のどこかで紛争は起きており、たくさんの人々がつらい思いをしている現実はあります。
(遺族代表の増川の栗田頴さん)(親子で献花する吉原の加藤さん)

追悼式では、遺族代表で追悼の辞を述べた私のすぐ近くに住む栗田さんの「8月15日の終戦を迎えた日は新たな戦いが始まった日でもあった」と言うくだりは、戦争が終われば良くなるという事ではなく、復興するまでの間の苦労は並大抵のものではないとし、その悲惨な経験はさせてはいけないという訴えには胸を打たれました。私も追悼式に出る事により、どんな事をしても戦争は起こしてはいけない事を戦争知らない世代である私達もしっかり引き継いでいか無ければならないと改めて心に刻みました。

また、ロゼでは「平和のための戦争展」が8月16日まで開催されていますので、若い世代の人にぜひ見て貰いたいな思っていますので、行ってみてください