さよなら、中山先生。

64年前、長崎に原爆が投下された8月9日、私の中学3年の時の恩師である、中山喜美子先生の通夜が取り行われ、参列してきました。当時の吉原3中の3年5組の生徒も駆けつけていましたが、中山先生は、私の人生において、大きな影響を与えてくれた先生でもありました。

1年前の8月15日に同窓会を開いた時は、元気で教え子に久しぶりに会い、大変喜んでいたのを覚えています。また、須津ふるさと愛好会へ参加しており、会うと声をかけてくれました。2か月位前の6月18日に葬儀があり参列した際に偶然会い、見かけた先生が帰りがけに「同窓会を開催してくれてありがとう、よかったよ」みたいな事を言われた時に何をいまさら急にこんな所で言うのかなと思いました。それが、私にとっては最後に交わした会話でしたが、今考えると、体の調子がおもわしくなく自分の死期を感じていたのかなと思ってしまいました。

中山先生に受け持たれた吉原第3中学校の3年5組は、当然、高校受験を前にした中学最後の1年でしたが、中山先生にとってもちょうど退職をなされる、教員生活にピリオドを打つ最後の年でもありました。私達、3年5組は中山先生が受け持った最後の生徒でもあり、学校を離れた後も何度か遊びに行った思いでもあります。小柄でしたが、音楽の先生でしたので、明るく声がとおる年齢の割には若く見える先生でもありました。
高校の進路と言うのは人生にとって大きな意味があったと思いますが、私の時代の高校入試は内申書重視でしたので受験する学校に対して、先生の意見が大分入っていたような気がします。私が高校受験で悩んでいる時も常に前向きなアドバイスをくれ、目指すべき進路を決める際にも背中を後押ししてくれました。もしかしたら今ある自分の原点はその時のような気もします。
そんな思い出もある先生が亡くなり非常に悲しく残念でもありますが、もっと長く生きて頂ければと思いましたが、行年87歳と聞くと、それなりに人生を謳歌してきたと思われます。

通夜の後、3年5組の生徒が集まり、祓いを行いました。その際に毎年この時期に先生を偲ぶ会をやろうと決まりました。多分、先生が集まる機会を与えてくれたのかもしれません。
8月9日通夜から帰ってきて1人部屋で思い出に浸っています。
中山先生どうぞ安らかにお眠りください。合掌