木の供養祭

 雨が降る寒い日でしたが、三日市のお浅間さんで、第15回木の供養祭が開催され参加しました。この供養祭は、日頃から日本人の生活に密接な関わりを持つ木に対して感謝の意を表そうと、毎年この時期に実施しています。今年も全建建築センターの役員さんをはじめ来賓各位の出席で執り行われました。あいにくの雨でしたので、ご神木にしめ縄を奉納する予定でしたが中止にはなりましたが、古い木のまな板などのお焚きあげは、なんとか小雨の中で実施されました。 
 日常生活においてあまり気にしてはいないのですが、木は多くの所で使われています。たとえば、まな板、はし、爪楊枝、燐寸など世話になっています。なんとなく使い、使いきりで捨ててしまっていることも多いわけですが、プラスチック製品よりも、木の温かみのある製品の方がしっくりきます。割りばしもやはり木でできてないと食事もおいしく感じません。身近に使われている木に関しても改めて、感謝の意を尽くさなければと思われます。
 日本は、木材消費大国でもあります。しかしながら、その消費される木材は、なんと8割は輸入したものです。「木の文化」の国として、はたしてこれでいいのかと思われます。
 富士市も、富士ひのきの利用促進を促していますが、値段が高く、なかなか消費に繋がらないことと、やはりヒノキのブランドとしては、価値が低いという事を聞いたことがありますが、地産地消の意味合いからも、利用による多額の建築補助をだすなどの画期的な利用促進策を打ち出さなければいけないような気もします。
 県においては、県産材の積極的な利用として、静岡優良木材を使って木造住宅を建築する方に30万円助成しています。家を建築予定の方はぜひ「静岡優良木材の家支援制度」をご検討してみてはいかがでしょうか。

人生50年とは、

 商工会議所青年部の20年度の総会が、昨日の17時半より、グランドホテルで、商工会議所会頭・市長の他に関係団体の出席の基、開催されました。通称YEGといわれていますが、商工会議所の次代を担う、50歳までの若手メンバーで構成されています。
 新たに本年度の会長に、増田君が選出され、本日より会長職に力を発揮すると思われます。YEGも50歳を区切りにして、卒業をいたします。そして、YEGで研修、研鑽した事柄を、これからの、仕事、商工会議所活動、社会奉仕活動等に役立て、更なる飛躍につなげていくこであると思っています。50歳は、今の時代では、働き盛りであり、まだまだこれから社会の中枢で活躍をする位置づけにあります。
 総会が進む中で、電話があり、出ると要件は本日、19時より開催される、通夜の話でした。私は、その葬儀に対して、連絡をもらっていなかったので、YEGの総会に出ていたのですが、どうしても出なければならない関係の人の葬儀でありました。通夜、葬儀の日程を聞くと出られるとしたら、明日もすでに予定が入っているために、今日の通夜しかないとその場で判断し、グランドホテルを抜け出し通夜に向かう事にしました。幸い、黒いスーツと白いシャツでしたので、100円ショップに立ち寄り黒いネクタイを買い求めなんとかぎりぎり時間に間に合い参列できました。
 亡くなられた方は、私が昨年まで、奨学金を給付していた学生の父親です。奥さまは妻と同級生でもあり、お兄さんともPTAで活動をした関係でもあったので、何はさておき、どんなことをしても、出なければという行動になったのですが、改めて亡くなられた方の年を聞いて、ショックを受けました。享年50です。同じような世代で、また、同じ位の子供もいる、似たような家族体系を見ていると自分の事のような気にもなります。私ももうすぐその年になる訳ですが、まだまだ、やりたいこと、やらなければいけないこと、そして、家族の事を考えると、自分がいなくなる訳にはいかないと考えています。多くの人は、通夜に参列し、余りにも若すぎる死に心を痛め、また、残された人たちの心中を察すると、掛ける言葉にも詰まる状態でした。
「人生50年」という時代は、昔の話であり、ある意味、今は、50歳を新たなスタートとして、位置づける考え方である時代です。YEGの考え方もそうです。50を通過点とし、大きく飛躍していくことができるきっかけの年でもあるととらえられます。不幸が続いているのですが、世代が近いので、今回なんとなく複雑な気持ちになりました。
 お酒を飲みたい気分になり、祓いの意味を込めて、再びグランドホテルで行われているYEGの懇談会に戻りました。元気に仕事をし、仲間とお酒も飲める、また、活動出来ていると言う事に、幸せと感じ、感謝に堪えません。これから、何があるかわかりませんが、精一杯生きていくだけです。

浅間神社例大祭

 三日市の浅間神社において、恒例の例大祭が、昨日、3日に神社庁の副長官をはじめ、三島大社、富士宮の浅間さんの宮司が出席し、氏子総代と商工農にかかわる氏子の多くが参加する中で開催され、厳かに拝殿において、神事が執り行われました。
 神社に続く参道や境内には、様々な露天も出て、一般参拝の家族づれも多く見られ、結構賑わっています。
 地域の氏子にかかわる私も含め、3名の市議も参加していたわけですが、私は、初めての参加でしたので、狭い席の上、立ったり座ったりで、礼拝、低頭の繰り返しで、一体いつ終わるのか不安に覚えましたが、1時間強で終え、内心ホッとしました。

 その後、直らいの席で、氏子の代表さんが
「三島も富士宮も神社を中心にまちづくりが進んでいるが、富士市の場合は神社を中心にまちづくりが進んでいないので、文化・伝統・歴史を踏まえても、神社を中心に、まちづくりを形成していく必要があると考える」
という話がでました。いろいろなまちづくりが考えられてはいますが、一つの取り組みとしては面白いなと感じました。三島大社にしても、富士宮のお浅間さんも、全国的も有名な神社で多くの人が訪れています。毘沙門さんは富士市のお祭りとして有名ですが、それ以外の神社も、行政ともっと連携した施設の利用方法や、観光としての全国的に、お祭り等に訪れるような場所への展開へ進めても良いと思われます。
 ところで知っていますか? 神社に広がる緑豊かな木々は、森と言わずに杜と言います。鎮守の杜と言われるのはいわゆる、神社の木々を指し、社(やしろ)と書いて、もり(杜)と読ませています。昔より、神社は人が集まり信仰する、所であり、その場所にある木々は、人々の営みを見続け、存在する大事な生命体と考えられます。以前、私の地域で、神谷神明宮の樹齢500年のムクノキを延命措置を施した時に、宮司さんに教えてもらいました。
 鎮守の杜の祭りを、富士市でも大々的に売り出す方法も考えたらどうでしょうか?

富士山麓ブナ林創造事業

 G.Wに入っているのですが、なんとなく、そんな気がしていない私ですが、本日、子供の国の更に上の方の地域での、富士山麓ブナ林創造事業に参加してきました。
 
 天気に恵まれた中で、一般参加の市民をはじめ、企業、各種団体、ボランティアグループ等、本年度も760名の参加の下で、植栽(ブナ・ケヤキ・山紅葉・みずな・山桜等)が行われました。

 このブナ林創造事業は、富士山麓に、ブナを植栽し、混交林としての自然林を創造していく森林整備です。自然保護は基より、地球温暖化防止、水源涵養、災害の防止、花粉の抑制等環境活動に繋がっていますが、全国的にも珍しい行政主導のブナ植栽の事業として取り組まれています。

 この事業の始まりのきっかけとして、JCが行った、音楽劇の「ブナがくれた笛」の上演がありました。当時、環境教育が叫ばれる中で、ブナにまつわる音楽劇は、環境への関心を深めるためにも素晴らしいものでした。私は役員ではありませんでしたが、当時のJCでも、侃々諤々の議論をし、取り組んでいたことを覚えています。多くの人の動員活動は、担当委員会は勿論ですが、メンバー全員で行い、上演会場が一杯になった時は、結構、感動しました。その事業の、収益金(確か100万円だったと思いますが)を富士市の緑化事業に生かすように寄付した事が、現在の富士山麓ブナ林創造事業に繋がったと思っています。
 森を作るという事は、長い年月が掛かります。また、多くの人が携わらなければできないことですが、今回で15回目を迎えた、この事業は、富士山麓に位置する、富士市として、続けなければいけない事業だと思います。富士山が世界遺産に進んでいく上でも、富士山麓の森林整備は大切の事ですし、今後、この、森林整備を進め、富士山麓の森林を生かした、観光事業に発展できればもっと素晴らしいと考えます。

家族で参加の岩山ファミリー

 帰りは裾野から、帰ったのですが、裾野方面からサファリパークに、行く車だと思いますが、サファリパークへ行くには、1本道ですので、10キロ位渋滞していました。横目で見ながら、着く頃には、夜中になっちゃうよと教えてあげたい気持ちになりました。やっぱり、世間的に、ゴールデンウイークであるのだなと実感しました。

第6回日本語スピーチコンテスト


 吉原R.Cの主催で、また、富士市交流協会、富士市交流ラウンジの協力で、第6回日本語スピーチコンテストが、商工会議所で開催され、高校生の娘にも語学の大切さを感じてほしいと思い、2人で参加しました。
 
 今回の大会は、過去最高の42名の参加者があり、事前審査を行った上で、12名、6カ国(中国、スペイン、インドネシア、韓国、ブラジル、フィリピン)の外国人の方が競い合いました。 
 留学、研修、仕事、結婚、とさまざまな形で、富士市において現在生活している中で、期間は9か月から9年と滞在期間は違えども、皆さんが流暢な日本語を喋る事には、日本語以外、喋れない私にとっては尊敬に値します。
 参加者に、私の地域の会社で研修にきている中国の方が出ているので、応援に、社長と奥様が来ていました。現在、地域においても、多くの外国の方が携わっています。

 コンテストの結果は、参加者すべての人が素晴らしかったのですが、特に、富士常葉大学に通う、中国の魯書君さんの内容も充実しており、最優秀賞にえればれました。
その彼のスピーチの「ある暖かさは日の光と言う」は、
 幸せな生活は、花と同じであり、幸せにも光が必要であり、その光と言うものは目に見えないけれど、いつも自分のそばに存在している。子供の時に病気になった時にも、看護師さんが優しい言葉と温かい笑顔で病気をなおす光をくれた。留学をしている中でも、いろいろな苦労をしていますが、先生や友達が光を与えてくれている。日の光はどこにでもあり、生活の中で闇ばかり見ていないで、しわわせの為、人生の日の光を探さなければいけないと言う内容ですが会場の多くの人が、支持をし、投票したので、最優秀賞となりました。コンテストですので、喋るだけではなく、文章力も問われますが、立派な発表でした、

 全文は、毎年、富士ニュース社さんに掲載されますが、内容は素晴らしいものでした。話方も、日本人の私より、上手な話で、日本語だけでも、もっと、勉強しなければと反省しています。

 中国の北京で、オリンピックが開催される年でもあります。本日、長野で聖火ランナーが、厳重な警戒態勢を引きながら、走りましたが、何のため、誰の為のオリンピックの開催なのか考えさせられます。

ふじさんめっせオープン!

 いよいよ富士市の産業経済界の期待を担う施設の、「ふじさんめっせ」がオープンいたしました。オープニングイベントが、富士のふもとの大博覧会と銘打ち、盛大に開催され、地域の産業経済会の代表及び行政関係者が、集まった中での式典が催され、議員として参加してきました。

 コンベンション施設としては、めっせは後発ではありますが、富士山が見えるロケーション、新幹線新富士駅の近く、東名や国道からの交通アクセスの利便性を考えると、今後の需要は見込まれと思われますが、課題は、施設を運営する人達の営業力が問われ、他の施設より、いかに、この施設を利用させるかに掛かっていると思います。行政としても、建設した以上、産業経済界の人達と力を合わせ盛りたてる事と、地元企業に、利用促進を促していかなければならないと思います。
 本日のイベントは野外ステージでは、うみゃーもん市場や各種舞台でのアトラクションが、行われ、室内会場では、地元企業の展示ブースや富士ブランドのブースが開かれ、産業展示を見るだけでも結構楽しめました。
 
 
 また、ジャトコさんでは、歴代スカイラインが展示され、車好きには、見ているだけで、何時間でも時間を潰せるほど貴重な展示になってました。明日まで、イベントは開催されていますが、この施設が市内だけではなく、県内、国内、国際的に使用される施設になれば、より、富士市の活性化に繋がり、建設した意義があると思います。富士山があるめっせとして、世界的に認知される事を期待しています。
 多くの人で賑わい、この賑わいを、恒久的に続け、富士市のまちが賑わう為の起爆材になれるよう進めていくと思いますが、本日の様子を見ていると、まずまずのスタートだと感じました。これからも、この施設の有効的な運用を考えながら、世界の富士市になれる事を、心から切望しています。

 ふじさんめっせのロゴに採用された、深沢さんは高校の先輩にもあたりますが。この施設を考えての、ロゴは、大変素晴らしく、相応しいものであります。市民に愛され、利用される施設になる思いも感じ、浸透しやすいデザインでもあると思われます。深沢さんの才能に対して、敬意を表します。

 問題点の1つとして、めっせ前の道路、新幹線通りですが、南側へ渡ることができにくい事と、めっせから、車で出る時に、左側にしかでれないという状態は、大変不便であり、一刻も早く、めっせ入り口に、信号機を付けるなりの対処をして欲しいです。
 イベント終了後も、多くの人が来る場所になれるよう、利用しやすい改善もお願いします。

2つの入学式。

 市内の県立高校の入学式、本日行われているようですが、私は専門学校と私立の高校の2つの入学式に出席をさせて頂きました。

 午前中は、高山理容美容総合専門学校の入学式に出席させてもらいました。未来の美容師さんや、エステのプロとしての技術教育を行う学校ですが、高山校長とは友達なので、招待を受けました。小、中学校の入学式では多くの来賓がいる為に、市会議員は、というか私は、名前を呼ばれると、
「本日はおめでとうございます。」
と一言(本当に)挨拶するだけでしたので、本日も、そんな感じかなと思っていました。しかしながら、着くと高山校長から、

「議員、挨拶をよろしくお願いします。」

と突然、言われ考えてこなかったので、

「他の方で」
 
            

と遠慮させて頂こうと思いました。いつもなら、ぜひにとお願いするところなんですが、勝手のわからないところなので、何を喋ればいいのかわからないのとどんな方々がいるのかわからないので、困ってしまいました。でも、高山校長がせっかく機会を作ってくれたので、短めに
 「新人議員である私は皆さんと同じに、勉強をしている最中であり、夢を実現させるため、日々、努力を続けています。皆さんも美容、エステの専門学校に入学するという事は明確な目標を持った中で技術と個性を磨き、2年後の国家資格を取得することを実現して社会にでると思いますが、技術者としてオンリー1になってお客様に喜ばれる仕事をして欲しいことを期待しますし、夢を叶える努力を精一杯してください云々」と即興で挨拶させてもらいました。(いつでも、どこでも挨拶できる準備をしようと思いました。)

 ヘアーアーティストやエステシャンのプロを目指す若い学生さん、特に女性が多くいる前でしたので、ドキドキワクワクしてしまいました。

 午後は、裾野にある高校の入学式に出席したのですが、雰囲気の違う中での入学式でした。校長から、しっかりした、道しるべを見ながら、広い視野をもち、聞く耳を持つことが、回りを見ながら、その場に相応しい行動ができるという話がありましたが、聞く耳、聞くことができる事が大切だという事が最近、痛切に感じる私は、改めて新1年生と同様に学ばなければと心の中で思いました。

 どちらの入学式も、新しい門出を祝福するのに相応しい入学式でした。出席できた事に感謝いたします。
  
 今日の夕方、無事、犬のななが退院できました。病院より我が家の方が良いようで、しっぽを振って元気になった事をアピールしています。

さくら・さくら・さくら

 桜の開花状況は例年より早く、花見においても桜吹雪の中で花びらが舞い散る風流な花見がここ何日は経験できます。

夜になると夜桜見学を兼ねた、花見が行われており、三日間続けて花見をしています。
 広見公園で、夜、寒かったのですが、井出紙業の会長を囲んでの花見がありました。井出会長はJCの大先輩でもあり、今でも経営についての勉強会等でお世話になっています。定期的に、井出会長を囲んでの会が開かれており、花見もその一環の恒例のイベントです。広見公園は夜、あまり、花見見学に来ていな状況でした。

 

 続いて、吉原の小潤井川で、ちょうちんが付けられた中での花見にいきました。夜桜を見るには本格的な場所で、飲み屋も近くにあるのか、ほろ酔い加減の多少千鳥足の花見客も見かけられます。


 昨日は、米の宮神社にて、JCの花見が境内にて、行われました。こちらはどちらかというと花を見るというより、OBを交えて、懇親を深める意味合いの方が強く、花が咲いていようが天気が悪かろうが、この時期必ず開催している行事です。私も毎年参加していますが、今年は、うっかり、町内の総会のある事を忘れており、始まる前から参加し、皆が集まり盛り上がる前には失礼させて頂きました。


昼間は昼間であちらこちらでさくら祭りが開催されており、本日も、UCC工場での感謝祭を兼ねた、さくら祭りが開催されました。地元の企業でもあり、地域の人を交えた、さくら祭りですので、挨拶をしながら一回りし、サービス品の福袋を買い求めました。地域の人は、結構このお祭りを楽しみにしており、たくさんの人が参加します。

 さくら・さくら・さくらで、毎日過ごしています。
桜吹雪はきれいですが、散った後の花びらは厄介です。桜の木が隣接している家では花びらで困っているという話もきいています。何でもきれいなものは、遠くから見ていた方がいいのかもしれません。でも、さくらも、あちこちにあるもので、桜の花で結構、毎日楽しんでいます。

ピカピカの1年生。

 桜があちらこちらで咲き乱れたる春の中、富士市内の公立小中学校の39校で入学式が行われました。小学校2,506人中学校2,357人合計4,863人のピカピカの小中新1年生が誕生しました。

 朝から、交通安全の街頭指導があり、その後、中学の入学式が9時から始まるので、背広に着替え慌ただしく、入学式に参加しました。
 私の須津地域の須津中学校の入学者は139人で、地域的には、須津地域に加え浮島地区(境、西船津、船津)であり、須津小、と東小の生徒が通います。期待に胸を膨らませての入学式ですが、新たな中学生の中には、制服がだぶだぶしている子も目立ちました。成長著しい時期ですので大きめの制服を着ていると思います。私も、体が小さかったので、だぶだぶの制服を着せられてたことを懐かしく思い出しました。(私の時は、更に坊主頭にさせられました。)入学式の微笑ましい光景の一つだと思っています。
 校歌斉唱があったのですが、全員起立の上、歌い始めたのですが、新1年生の目線が指揮者の方に向いていません。目線の方向を追うと、舞台の横に掲げてある校歌が書いてある方向を見ていました。新1年生なので、初めて校歌を歌うので歌詞が分らないのは無理はありません。これも入学式ならではの風景だと思いました。


 午後からは、小学校の入学式がありましたが、須津小学校には123人の新1年生が誕生しました。まだ、体も小さく、おもちゃのような動きをして、お兄さんお姉さんに連れられての入場は本当に可愛らしく、笑みがこぼれてきます。中学の入学式より、お父さんの参加者も多く、着物姿のお母さん(気合が入っています。)もいました。父兄の参加者は中学より小学校の方が大分華やかな感じがいたします。また、カメラビデオの撮影をされる方が多く、多くの方が、カメラ越しに式を見ている状況でした。これは、どこの入学式でも同じ光景が見られると思っています。

 交通安全の帽子やワッペンが授与されましたが、朝、交通安全の街頭指導でも思ったのですが、車が多いうえに道が狭いという地域ですので、通学には気をつけ、小学校、中学校に通う中で、通学途中の事故が増えていますので、事故にあうことなく無事、卒業式を迎えられる事を心から祈念いたします。
 ピカピカの一年生、元気に楽しく、学校に通ってください!
 

富士山百景写真コンテスト

 富士市は富士山がきれいにみえるまちです。写真で見ると、また、格段と素敵に芸術的に楽しむこ事ができると思っています。富士山百景写真コンテストの写真展に行き、富士山は絵になる山だなと改めて感じました。カメラを通して、見る景色とは肉眼で見るものと違う景色があり、こんな風に撮れるんだと感心させられます。写真でみる、富士山も色々な姿があり、また、撮る人により、個性があり同じには見えない事が良く判ります。
 富士市では、富士市らしき富士山の見る事ができるエリアを96選定しており、このエリアに多くの人が訪れ、富士山の眺めや魅力を知って抱く為に、富士山を題材にした、「富士山百景写真コンテスト」を開催しています。今回が3回目のコンテストでしたが、市内はもとより、全国各地より、359人の人の1,829点の作品が寄せられました。今後、この写真コンテストは全国屈指のコンテストとして定着させ、富士市を全国へ紹介していく手段と考えているようです。その意味では、市でも力を入れており、コンテストに際しても、多くの費用をかけてると思っていますので、有効にこの写真展の優秀な写真を、情報発信のツールとして利用して行く事を進めてく行くものと考えられます。
 
 グランプリを受賞した、作品は、それぞれの思いが伝わる作品ですが、人々と富士山部門でのグランプリを受賞した、井沢さんは埼玉の方で、11年間、富士市に通い続け、富士市の人より、富士山がきれいに見える場所に詳しいとコメントがありました。毎日、目にすることができる富士市民より、実際、他市から来ている人の方が、富士山に対しての感動があるのかもしれませし思いも強いのかもしれせん。

 でも、家の地域においても、富士山を撮り続けている、東部地域では有名な、片岡さんが入賞していました。富士山に対しての思いが強い方で、朝早い時間に、良くカメラを持って出かける姿を目にしますが、本当に熱心な方で、素人写真家というより、セミプロという方がよく、アートな写真を撮り続けています。

 「富士山百景」は富士市から見る、富士山の美しさを発信することと、多くの人にこの富士市に来て頂けるように、最大限利用し役立ててもらいたいと思いました。

 素朴な疑問として、96のエリアとしているのですが、百景という以上、100のエリアにした方がいいんじゃないかと感じたのはわたしだけ。
 

神谷不動尊

 毎年3月28日に、地域の神谷において、お祭りの神谷不動尊が開催されます。朝から花火の音が聞こえ、いつも、「今日は何かあったっけ?」と考えると、「あー白蛇祭りだ。」というようにこの時期の恒例のお祭りです。

 神谷不動尊は、白蛇が不動尊の使いだと言われ、毎年お祭りの時に、岩の割れ目から、白い蛇が見る事が出来た人には、近い内に何か良い事があると言い伝えられています。
 一般的に、白蛇は財宝の守護人である弁財天の使いとされ、白い蛇を用いて財を成すといわれるように偉大なる富と財をを受けると言われています。
 大変暖かな日ですので、割れ目から白蛇が陽気に誘われて出てきているかな思いましたが、見る事はできませんでした。何度も何度も目を凝らして見たのですが、見えません。毎年来ているのですが、見たこともありません。いないじゃないかなと思ってしまいます。もっとも簡単に見る事ができたら、価値はないのかもしれません。
 地域の小さなお祭りですが、人の出方がだんだん少なくなっているような気がします。神谷神明宮の天然記念物のムクノキが近くにあり、不動尊が奉られ、鎮守の杜のお祭りという感じですが、昔のように、お祭りが開催されても、ありがたみを感じなくなってきているのでしょうか。
 地域のお祭りですので、お祭りを通じて、地域の人達の地域力の強化に役立てる機会だと思いますが、なかなか平日開催日のお祭りとなると、仕事を持っている人には参加しづらいかもしれません。
 毎年、楽しみにしている私にとっては、賑やかなお祭りになること期待しています。

卒業証書授与式

 卒業式というのは正式には、卒業証書授与式という事を改めて知りました。本日、須津小学校、須津中学校の卒業証書授与式が開催され、議員になり来賓という立場で初めて参加させていただきました。

 最近の卒業式には、男の方の姿も見られ、夫婦で参加なされる方が大分多くなってきたようです。私の子供の時などは、父親が学校に来ると言う事は、ほとんどありえない時代でしたので、随分、様変わりしてきたと思います。学校行事に父親がくるというか、子供の教育に関わるという意味合いから多く方が色々な物に参加し始めているのかもしれません。通りで、子供たちが、私に何か事あるごとに、学校へ来いという意味がわかりました。
 小学校と中学校の卒業式にでで、比較することができて、これはこれで、結構、楽しいというか、勉強になりました。
12歳と15歳と3年間という年の差は、大きな違いがあり、体格的にも、行動においても、明らかに違う事が、はっきりとわかり、成長していくと言う事はこういう事なんだな、と一人納得してしまいました。
 校長始め、PTA会長さんの話も比較でき、話し方や内容もそれぞれに興味深いものがありました。その中でも、
「夢は見るものでも、夢は追うものでもなく、夢は叶えるものである。必ずできると言う思いを持ちつづけ、実現させてほしい。」
という話は、良く聞く話ではあるのですが、自分自身にもちょっと忘れかけてた気持ちに奮起をかけてもらえ、なんか得した気分になりました。

 中学の答辞をしたのは、私の親戚の子でもあり、自分の子供が読んでいるような錯覚になりました。上手にでき、安心するとともに、多くの人への感謝の気持ちが伝わってきて、とても感動しました。
 小学校、中学校の卒業を迎えられた、生徒の皆様また、ご父兄の皆様本当におめでとうございます。
 

お祝い事、2題。

 YEGの例会において、本年卒業される2名のお祝いが催されました。YEGは50歳になると嫌がうえでも卒業しなくてはなりません。2人の内の一人は、JCの理事長を務め、法人会青年部会長をやり、YEGの会長を務めた後、県連の会長までやり遂げた、Y川さんです。
 Y川さんと言っても、誰だか分らないと思いますが、一部では、大変有名な方だと思っています。仕事も熱心、遊びも一生懸命、何でも熱く取組、熱血漢だと思っています。そのY川さんがようやく、青年と名のつく団体から、すべて手を引く時がやってきました。やり残した事はないと思いますが、これからやる事がなくなり、寂しいと感じているのではないでしょうか。
 どこの団体においても名物男はいると思いますが、まさしくY川さんは、属してきた団体で、この人ありと言われた人でした。きっと卒業した後も、じっとしていられないでしょうから、何かを探して活躍はなされると思っています。人生50年と言われた時代は終わっています。50から、更に好きな事を思う存分やってもらいたいです。とにかくご卒業おめでとうございます。

 おめでたいと言う事では、割烹料亭のN井さんは、YEGのメンバーですが、3月1日に、晴れて、おかみに就任いたしました。おかみになる事は、あらゆることを仕切らなければいけない立場となり、責任重大になったと本人はいっていましたが、しっかり者のN井さんだから、きっと素敵なおかみになる事は間違いないとおもっています。

N井さん、おめでとう、そしてがんばって!

 明日は(19日)、娘の卒業式がありますが、議会がある為、残念ながら、出席できません。議員になるまでは、子供の入学式も卒業式もすべて出ていたのですが、今回は、でたくてもでれません。公務優先です。娘よ、ごめん!

議員一年を振り返って。

 もうすぐ議員になってから、一年が経ちます。あっという間に過ぎ去っていく感じがしますが、振り返ると色々な事があり、取り組んできました。
 議員になってから、生活も変わり、無我夢中で毎日が過ぎ気がついたらもう一年経つという気がします。
 一年がたつ中で、市政報告会を開催しました。地域の人に議員として、この一年の経過を報告する機会を頂きたいと思い、市政報告会を開催してもらいました。一時間以上話したのですが、調子が出る前に、巻きがはいり、喋り足りないと言うか、思いが伝いきれないような気がして消化不良気味です。今回は、What‘s 議員!というような感じでしゃべりたかったのですが、どこまで伝えられたかは、疑問です。でも、帰る時に、
「また、聞きたたいよ。」

「今度はいつやるの。」

「今まで、こんな話聞いたことなかった。」

「こういう事がたいせつよ。」

お世辞でも、ありがたい言葉です。

思ったより、好感触でした。
喋ろうと思っていた事が半分も喋れませんでしたが、
多くの人に、議員の役割や取組を聞いて頂く機会を今後ともあれば、自分の思いを伝えたいと思います。

後援会長さん、連合町内会長さん、区長さん、生涯学習会長さんおせわになりました。

新幹線新富士駅

 JR新富士駅開業20周年の記念イベントが開催されています。入り口では茶娘が、お茶のサービスで出迎えてくれ、つい寄ってしまいました。
 新富士駅ができて新幹線利用が増えました。首都圏への通勤、通学が可能となり、私の知り合いも結構、東京、横浜に仕事や学校に通う人がいます。新富士駅がなかった時には、三島まで行き、新幹線を利用していましたが、新富士駅ができ、本当に便利になったと思います。
 新富士駅は、昭和63年3月に地元の請願により設けられた駅であり、自治体が建設費を負担した請願駅です。こだましか止まらないので、私は以前より、朝昼夜の3回位は、ひかりも止めてもらいたいと要望を投げかけたことがあります。「静岡駅との距離が近すぎるためにできない」という返答でした。
 新幹線の駅ができて、便利になったのは言うまでもありませんが、交通施策がなかった事が、新幹線の単独駅にしてしまい、鉄道路線と接続がないという、今の、新富士ー富士駅の接続問題に発展してきたことです。今回のイベントが開催されましたが、いうなれば、20年間、在来線と接続がなされなかったという時間の経緯を改めて感じさせられました。


フジコウジさんが地元物産品として、味噌や金山時を販売していました。酒屋組合の役員さんなので、何か買わなければと思い立ち寄ると、きゅうりのスティックを進められ、買い求めましたが、駅の構内で、きゅうりに味噌をつけ、歩いて食べるのは、チョコバナナなんかと違い、オシャレじゃない
し、おやじまるだしだなと思いながら、食べてしまいました。

まちづくりとは!?

 本日、青年会議所が主催する、まちづくり推進事業としての、「まち未来創造図」という、パネルディスカションにパネラーとして参加いたしました。
 JCは、50周年に、エリア構想と言う形で中期ビジョンとして、提言書を策定し、現在推進しています。周年に掲げた取り組みを実現化する為に、いろいろなアクションを起こし始めている中で、本日のパネルディスカションも開催されていると思っています。
 提言は、素晴らしいものだと思いますが、ただ、言っているだけでは、中々、実現化しない実情だと思います。実現化する為には、どうしたらいいかが、大きな課題だと思います。細かい事は、いいませんが、自分達のまちは、自分達でつくる。という思いは貫き通してほしいと思います。
 ひとつの事を言いつづける事も必要だと思いますし、行政とは、相反する気概も必要だと思います。
 まちづくりとは、英語で言うと。CD(コミュニティデベロップメント)と言われますが、アルファベットで言うと、CDの前に、ABがあります、かって、JCにおいて、CDの前のABは、あほ、ばか、である。と言われました。CDを進めていく上では
アホ、と呼ばれようと、馬鹿と罵られようと、一つの事を必死、に一心不乱に取り組んでいかなければ、変化は起らないような気がします。JCだから進める事もあるはずです。

JC本来の姿でまちづくりを進める事を期待します。

JCの雰囲気を感じ、久し振りに血が騒ぎました。

富士山を世界文化遺産に

 富士宮で、静岡第3分区インターシティ・ミーティングが開催され、富士宮での設営の為、富士山世界遺産へ向けての話で終始しました。
 ご存じの通り、富士山世界文化遺産に2007年1月に暫定リストに登録されました。その後、世界文化遺産に登録する為に、歴史、文化、振興、自然等様々な面から価値を検証し、その価値が認められたものを構成資産といいますが、64件の構成資産が承認され、登録推進にむけた作業が進んでいます。
 64件の構成資産の内、静岡県が25件、山梨県が36件あり、静岡県側の25件の内、13件が富士宮で、富士市には1件も登録がありません。(くやしいです!)
 
 富士宮は世界遺産に向けて、燃えています。まちづくりに対しての取組姿勢が富士市より、熱いような気がします。多くの団体が、世界遺産にむけて、イベントやシンポジウム等を開催してます。本日もその一環だとおもいます。各種展示や富士山検定のイベントを行い、世界遺産への後押しをする活動が全面に出してきます。

 先日も、桜で彩る富士山の名所づくりのシンポジウムでも多くの市民団体が参加し、桜の100万本運動の話や、白糸周辺の雁宿の下馬桜の連携したさくらの名所づくりとすべて世界遺産へむけて、取り組もうという雰囲気が感じられます。
 浅間さんの祭りにしても、焼きそばにしても、まちづくりは、富士市より1歩も2歩もリードしているような気がします。

 まちづくりに対しての姿勢はどのようにして、創られるのか教えてもらいたいです。
 
 気になる富士山世界文化遺産への登録の予定は、4,5年は掛かるそうです。  世界遺産への申請が多くなりすぎ、
審査が厳しくなってきたことと、事務方の処理が大幅にに遅れ始めているとの説明がありました。富士市も構成資産はないにしろ、富士と名がつく以上、全面的バックアップをする姿勢をださなけらばいけないと思います。

 帰りがけに、うみゃー富士宮焼きそばを食べながら、がんばらにゃーあかんと思いました。

5日午後1時

 一般質問の日時が、昨日の議運で確定いたしました。私の出番は、3月5日午後1時に決定をしました。決まった以上、皆さんに知らせようと思ったのですが、次から次へ、用ができます。ですから、質問内容を煮詰める暇がないのが実情で、とてもそこまで手が回りません。 
 質問内容も落ち着いて、考えてられないのに、ブログなん書いている場合じゃないと思いますが、これはこれで、やらないと落ち着きません。また、質問内容を考え始めると、色々な疑問が生じてきて、関連事項として広がっていき、収拾がつかなくなりそうです。
 先日、沼津議会で、発言通告以外の質問をして議会が空転した記事が載っていましたが、やはり、発言通告をしている以上、それ以外の質問は、議会ルールに反する行為なので、してはいけないと思っています。私も、質問内容が本来の内容からも一脱しないよう気をつけようと思っています。
 時間はありませんが、最大限の努力はするつもりですので、3月5日午後1時、発言項目は2項目
「桜で彩る富士山」名所づくりの推進について
 富士市育英奨学条例の見直しについて
を質問いたしますので、興味がある方は、ぜひ傍聴にきて、意見をきかせてください。

 お腹がへったので、コンビニでメガプリンを買い、食べました。途中嫌になってきたのですが、もったいないので食べてしまいましたが、後でちょっと気分が悪くなりました。何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし、と言うように欲張ってはいけないと思いました。

議員野球

 小学生時代、地域のソフトボールを熱心にやってた時がありました。体は小さかったのですが、運動は好きで、剣道やサッカーもクラブに入り勉強そっちのけで、取り組んでた時が懐かしいです。
 色々、スポーツはあるのですが、私の時代はやはり、野球でした。ソフトの練習をしていても、王だ長嶋だ、足が速いのは柴田、高田だの守備は黒江だよななんて、好きな選手の名前を言って、守備位置や打順を取り合ったことを覚えています。
 

 昨年10月に雨で、中止になっていた富士中の野球部と議員団の野球チームの試合が昨日行われました。前日は大雨でまた、中止かなと密かに思っていたのですが、天候は回復し、暖かな日の中で開催されました。
 私の背番号は1番です。ピッチャーという訳ではなく、ただ単純に、議席番号が1番という理由でなりました。

 最近は運動という運動をした事がなくて、中学生と野球の試合をやると話すと
「よせ、よせ、どうせ敵いっこないんだから、急に体を使ってアキレス腱を切るのが関の山だぞ」
 と冷やかされましたが、私を含め、中年以上の年配者の集まりなので、実際、冗談ではない話です。皆で無理をしないよう心掛けました。

 教育長の華麗な始球式の後、市長の激励を受けてから試合は始りましたが、結果は、11対1で、負けました。当然の結果ですが、でも、それなりのプレーもあり、点数も取れ、怪我をしたものもいなかったので善戦をしたと思っています。
 野球をやりながら、体が自由に動かないもどかしさと子供の頃を思い出し、また、変な緊張感があり、それなりに楽しい時間を貰え、良かったです。でも、中学生からしたら、野次がうるさいおじさんとの試合に付き合わされて迷惑だったかもしれません。
 もっと、練習になるよう議員野球団も日頃より練習をした方が良いかも・・・・・
 でも、時間がないから仕方がなく、各自がバッテングセンターで練習をするのが精一杯です。
 

天空の世界へ

 昨日、後援会の地区役員会の席で、後援会でゴルフをやろうかという話が出た時に、
「ゴルフも寒いと体が言う事が効かないし、俺の腰の治療をしてくれるのが、1月2日に息子が亡くなっちゃって、腰の治療が延期になっちゃてんだ。」
 なんか聞いた事があるような話だなと思いきや、私の知り合いの小口さんの事でした。
 
 小口さんは本業のコンピュターの仕事以外に写真家として、また体の筋を矯正したり、街づくりプランナー、料理家だったりその他にもマルチな才能を持った人です。
 その小口さんの愛する息子さんが1月2日に富士山で滑落事故で他界しました。息子さんも消防に勤める傍ら、父親同様、写真を愛し、展覧会で賞を貰うほどの才能をもっていました。
  亡くなるまで、撮り続けた写真の遺作写真展が本日より、中央図書館で、開催される事を聞き、さっそく出かけてきました。心優しい努力家であった息子さんの作品を展示することにより、多くの人にその才能と生きてきた証が、心に刻み込まれる遺作写真展です。

 息子さんを亡くされて、小口さんは悲しくて、苦しくて、仕事も手につかない中でも、亡くなられてから2週間で遺作集として、「天空の世界へ」を出版しました。愛する山への思いが伝わる写真集です。本当は、生きている中で才能を開花させ、本人自らが、写真集を出版させたかったと思います。
 父として、小口さんの思いは必ず、天空の世界の息子さんに届いていると思います。
 改めて、息子さんの貴裕君のご冥福を心よりお祈りします。
 

 素晴らしい写真展です。11日まで開催してますので、足を運んでください。
 

いよいよ合併

 富士市は、富士川町と本年11月1日に合併を致します。その為の、合併協定調印式が28日の16時よりホテルグランド富士で取り交わされました。
 ある意味、富士市の歴史の1ページとして、重要な日であったと思います。多くの報道陣も詰めかけていましたが、調印の瞬間に立ち会いたくて、私も参加いたしました。
 地方分権の時代において、生き残りをかけた合併というものが騒がれて久しいのですが、ようやく、富士市にとって第一歩が踏み出された気がします。富士川町との合併を進めるのも多くの諸問題がありましたが、これを機会に、富士市に住む人たちにとっても、よい結果をもたらす合併として頂きたいと思います。
 これからは、富士川がある富士市として、発展を進めていきますが、これで終わりではなく、これを継起に、中核市、政令市への移行について、多くの議論を進めていく段階に入ったと思っています。
 街が大きくなればいいという訳ではないのですが、将来、自分たちの住む町が、少しでも、住んでいたい、住みやすいまちになる為に、必要ならば、推進していく課題だと思っています。
 ちなみに、合併することにより、11月以降に富士川町で、3名選出の市会議員選挙が行われ、次の選挙まで39名体制で議会が運営されます。3名加わる事により、今後の議長選にからんでくるので会派の引き合いが始まると思います。また、次の選挙において、39名から、36名の選挙となり実質的定数削減が図られます。

 暫定的に新たな人が加わる事により議員が増えますので、プラスになる議会運営と富士市の為になるよう協力をした中で頑張るつもりです。

ムクノキの工事始まる。

 神谷神明宮の樹齢500年のムクノキの木霊祭が、18日より、延命措置の工事が入るため、氏子、区長が集まり開催されました。
 以前にも報告しましたが、市の天然記念物である、ムクノキの延命を図ることが、昨年末に決まり、11月補正予算に組み入れた中で工事が執行されることになりました。
 

 

 あまり、知られていない天然記念物の木ですが、富士市の大切な財産です。文化振興課の職員も立会に来ています。一度見てください。
 

 菌が入り込んでいるためにどれくらい延命できるか分りませんが、500年以上生きてきた歴史のある木が一日でも長く延命できる事を望みます。

新年会2題

 一月中は、新年会があちらこちらで開催されています。
東部酒販組合と江尾悠容クラブの新年会が本日も開かれ、参加しました。
 酒屋さんは、今もこらからも大変な商売になってきています。規制緩和が進み、かっては酒の免許は、限られた人にしかなかった免許が届け出により、あらゆるところで手続きをとればお酒が扱えるようになりました。
 時代の流れでは、お酒の安売りが始り、量販店、24時間販売のコンビニ、大型スーパー、距離既定の撤廃による環境変化、街の酒屋さんの利用が減少しています。それと同時に、飲酒運転の取り締まりの強化により、お得意様の飲み屋さん酒量の激減、お酒の売り上げが伸びる要素がないのが実情です。
 東部においての酒屋さんも10年前の三分の一に減ってしまっています。組合もあってもかっての力は持っていない状態です。小泉改革の後、中小零細の商売が成り立ちにくい環境がますます進んでいきます。昔からの地元の商店も次々に閉まっていく状況は、はたしていいのか疑問に思います。
 酒屋さんの新年会ですが、毎年集まる人が減っていくのはさみしい限りです。

 
 江尾地域には悠容会という名で、60歳以上の人たちの集まりが3つあります。須津地域においても、悠容クラブがありましたが、次々に解散していき本年に関しては、江尾地域3つの悠容クラブしか存在しません。
 高齢者社会と言われる割には、組織が無くなっていくのも不思議な感じがしますが、会を取り仕切る役員がいないのが一番の解散理由のようです。

鈴木会長    アトラクションのフルート演奏
 江尾地域は、本日も100人以上に方が参加していました。地域において、年配の方が色々な事業に参加してもらうためにも、悠容クラブの存在は大きいと思います。
 一年でも長く会が存続できる事を望みます。

出初式と成人式

 大変寒い中、消防出初式が開催されました。一糸乱れぬ規律にのっとた式典は、寒くてシビレたのですが気持ちの良いものでした。
 

 表彰から始まり消防演技まで3時間の時間を費やしての出初式は、富士市の安心・安全を守る消防団の存在意義が再確認できました。
 

 消防演技には、カラーガード隊、消防音楽隊、消防救助演技、ポンプ操法、普段見る事ができない演技が披露され、見に来た市民からも多くの歓声が上がっていました。
 
 消防祝賀会が行われた後、引き続き成人式がロゼシアターで行われ、新成人のお祝いに参加をしました。


 艶やかな振袖姿の女性、羽織はかまをきた男性、新成人の多くのみんながロゼの式典への参加の為に集まってきていました。
 出初式の凛とした雰囲気とは違い、騒然とした中で成人式は行われました。同窓会を兼ねた形では、市長が話そうが来賓が話そうが話は止むことはありませんでした。自主性にまかせているのかあえて指摘することもありませんでした。でも、荒れた成人式と言われますが、話声は止みませんでしたが、荒れている訳でもなく、喧嘩もなく、野次や進行を妨げる訳でもなく、普通こんなものかなというのが感想です。
 ただ、気になったのは、市長が始終にこやかに話され、まるで幼稚園児にでも話しかけているかのように諭すような話をしてるように感じたのは私だけでしょうか。

 司会の女性はうちのお店でアルバイトしている看板娘のこでした。気がつかなくてすみません。

 アトラクションで呼ばれた、タイガー・リーがリンリンしてるのギャグで新成人を祝ったのですが、会場のノリはいま一つでした。最後の一言として、「髪の毛は、金色でも赤色でも染めてもいいが、自分の心だけは自分色にそめてくれ、リンリン」と言って閉めていました。
 新成人になられた皆様が、これからの富士市にとっては、非常に重要で将来の富士市を担う存在にならなければいけないと思ってます。多くの物事に積極的に参加し、夢と希望をもって頑張ってもらいたいです。

 成人式の記念品の電波時計です。

新年賀詞交歓会

 平成20年度の富士商工会議所賀詞交換会が、県知事、国会議員、市長、、県・市議会議員、行政、各種団体及び経済界の多くの皆様が一同に集まり盛大に開催されました。
 商工会議所も昨年、遠藤会頭になり、本年は会頭としての所信を兼ねた年頭の挨拶をしました。
 経済界は言うまでもなく、本年の幕開けから厳しいものが
あり、原油高騰、インフレ懸念がされるところ、中小企業にとっては大変な年になると予想されますが、会員一同の奮起を促しました。
 来賓も多かったので、挨拶も長かったのですが、特に、県知事からは、来年開港の静岡空港による、経済効果や街の活性化が進むことを始めとし、富士市においても第2東名のハイウエイ構想の推進、また、田子の浦の浚渫土、新々富士川橋の実現など、毎年のことながら、積極的に取り組んでいく話を聞く事ができました。
 また、地元選出の2人の国会議員は、選挙も近い事を予想させるがごとく、野党と与党のせめぎあいを挨拶に盛り込み、目に見えない火花が飛び散っていました。
 選挙は今年、ありそうです。濃厚なのは4月、10月位があやしいです。

 賀詞交歓会をそうそうに切り上げ、挨拶をしにロータリーに参加しました。
  

 
珍しく、知ってるかどうかはしれませんが、かって、国民的美少女で、F1レーサと結婚したゴクミのお父様が、参加しており、本日、誕生日のお祝いをされていました。

真ん中が後藤さんです。なんとなく似ています。

 結構身近に有名人の関係者がいるのには驚かされます。
注:デジカメを忘れ、携帯での写真の為、多少見難い事はお許しください。