先日亡くなられた(株)アストの高木会長の社葬があり、法人会の総会には出席できませんでしたが、総会終了後の、浪速のカリスマ講師のふくだ友子さんの「すべては発想の転換」からをたいへん楽しく聞かさせてもらいました。
カリスマ講師と言われるだけ、、軽快な大阪弁と会場の雰囲気を読んだ講演は、笑いあり、涙あり、パフォーマンスありの会場の巻き込んだ講演会で、「ほんの少し視点を変えれば、人生は大きく変わる」と言う内容で90分の講演はあっという間に過ぎました。
顔の表情の重要性を説明した後で、隣合わせた方と握手をしたのですが、自己紹介を通しての親近感をもたせ、顔の表情により、印象豊かに話すと、より好意的になり、改めて握手をすると、手が暖かくなり、より握手の意味合いが深まると言われ、私も、今まで、やみくもに握手をしていましたが、より好感がもてる握手をするには、十分表情豊かに会話をしてからの方が、効果があることを学びました。また、じゃんけんを何も考えないで、とっさにじゃんけんポンをさせるとその人の性格がわかるとのことです。
グーを出した方は、攻撃型の人です。
パーを出した方は、楽天的な人です。
チョキを出した方は、人間はとっさの時はだいたいが、グーかパーであるがチョキを出す方は戦略的な方が多く、経営者や政治家が多いそうです。
私は迷いなく、パーを出していました。経営や政治には向いていないのかも知れません。でも、人間は3種類ではないと思いますが・・・・
ふくだ先生は終盤、自らが、ストレスで追い込まれ、体が動かなくなくなってしまった話をしました。心が閉ざされると体が固くなり、体が固くなると言葉まで出なくなることを自らが体験し、回復した時に救われた言葉は、看護師が、固まった両手を包み、体をさすりながら言ってくれた「そんなに頑張らんでええのよ」という言葉の暖かさ、「大丈夫よ、泣いていいのよ」と言ってくれたことで流すことができた涙、それらが今の原点であり、その時、「頑張れ」と言われていたら今はなかったというという、辛い時、大変な時、誰しもがもがき苦しみ、頑張っているわけで「頑張れ」ではなく、「大丈夫よ」という言葉により、元気を与えることができる魔法の言葉である話は、経験に基づいた重みのある話で会場が笑いから静寂につつまれました。
確かに、私もやみくもに頑張れよと言われる事に抵抗を感じることがあります。頑張れよと言うのは、他人事であり、一人でなんとかしろと言われているような気にさせられる時があるのも事実です。だから私はいつも、「頑張れよ」といわれると「一緒に頑張ろうよ」という事にしています。自分一人では頑張れない時がいっぱいあります。特に、議員をやっているとつくづく感じます。
何をやるにも「一緒にがんばろー」です。