よく分からない。

 麻生総理大臣が追加経済対策で打ち出した総額「2兆円」の定額給付金の大枠がようやく決まりました。でも、市会議員としてではなく個人としてよく分からないことがあります。

 発表された決まった「定額給付金」の内容としては、1人当たり1万2千円で18歳以下の子供と65歳以上の高齢者には8千円を加算して支給。所得制限に関しては、市長村町に判断を委ね、国としては、自治体が制限を設定する場合には「所得1800万円を下限」とするようガイドラインは示しています。私の場合、妻1人、子供2人ですが、12000円×4で4万8千円子供の加算分として、8千円として、56000円の支給予測 がされます。(1人の子供は18を過ぎているので)
 でもよく分からない事として、
1、給付される事により、景気拡大につながるのか?違う景気対策に使うべきではないか?
2、国の施策なのに、所得制限は決めず、高額所得者にたいしての「自主的辞退」を各自治体に委ねるのは仕組みとしておかしくないか?
3、1人12000円と言う給付金額は、また、高額所得者としての1800万円の根拠はどこにあるのか?
4、高額所得は個人の所得なのか、世帯での所得なのか?
5、担当の総務大臣が釈然としない施策であってよいのか・
6、自治体への丸投げと言われているが、どのような混乱が生じていくのだろうか・等々
よく分からない事が、多すぎます。これから、新聞、テレビで取り上げられながら、理解できるようになってくると思いますが、現時点では、よく分かりません。
 1人12000円では大きな夢も見れません。また、期待される効果も、将来の不安から消費につながらず、貯蓄に回るのかもしれません。金融危機に対する判断で出された施策ではありますが、国民や市民はお金を貰えればうれしいでしょうが、すべての財源は税金であって、厳しい財政状況の中で、その後の増税も考えるともろ手を挙げて喜ぶような人達ばかりでないような気もします。
 本当は、私たちは、今、そして、今後の不安を解消する本格的な対策(雇用対策、社会保障、育児対策等々)を求めているのではないでしょうか?

知らない間に

「おい、荻田、自転車で市役所へ来いよ。」
と突然、会派室で、小池議員に言われました。会派全員で市長へ21年度重要施策に対する要望書を提出した後、帰ろうとした矢先に突然言うので、何を思ったのか、随分、訳のわからないことを、言う人だなと思っていると、

「商工会議所の記念式典の抽選会で、お前、自転車が当たったぞ。参加している人から今、メールで市会議員の荻田さんが抽選で名前を呼ばれたと連絡があったぞ。だから、これから、自転車推進の為に、俺と同じように、自転車で市役所へ通って来いよ。」と言う事でした。
 
 そう言えば、要望書の提出が午後3時でしたので、商工会議所の午後1時より始まっていた、40周年記念式典に参加し、市役所へ戻ってきたのですが、受付で抽選会の申込用紙に名前を書いてきた事を思い出しました。豪華賞品があたる抽選会と言う事でしたが、最後まで居る事もできないので、そんな事は忘れていました。また、当たるとも思っていませんでした。
 私の仲間も多く参加しているのにも関わらず、誰も連絡をくれません。記念式典で隣に座っていた仲間に連絡をしても、繋がりません。ほんとかどうか、商工会議所の事務所に連絡すると、商品を預かっているとのことですが、知らない間に名前が呼ばれ、最後まで残っていなかったのに自転車を貰っていいのか、ちょっと気がひけます。でも、引き取りに来てくれと言う事なので、処分に困るでしょうから、取りには行くつもりです。

 商工会議所は昭和43年に旧吉原と旧富士の商工会議所が合併し、富士商工会議所として、スタートをしてから、40年の月日が経ち、その節目として、今までの歩みを振り返ると共に、新たな飛躍をしていく為に記念式典が開催されました。私も、議員になる前より、商工会議所の会員として、お世話になっており、青年部でも活動を進めています。縁ある団体で、功労者としての表彰者は舞台に上がっていましたが、それとは別に名前を呼んで頂けたことは、抽選会であれ、喜ばしい事です。(舞台の上に上がなかったのは残念でしたが・・・)
 よくわかりませんが、なんか良かったなと思いながら、帰ろうとすると、式典に参加していた、議会事務局長にも
「議員、自転車当たってたよ」
と言われましたが、なんて答えたいいのか戸惑ってしまいました。その後、その場に居合わせた仲間からも連絡が入り、代理で出てやったのだから、半分よこせとからかわれました。帰る時に抽選で当たったと言って、喜んで事故にでも当たらないよう気を付けて帰ろうと思いました。
知らない間にいい事が起こっていました。
 
 

友遠方より来る。

 

先月、中国嘉興市へ友好訪問をしてきたのですが、その際、嘉興市で通訳兼案内の嘉興市人民政府外事弁公室所長の夏超さんにお世話になりました。

その夏超さんを含む、「嘉興市社会事業発展友好訪問団」が昨日(10日)より、16日まで、日本へ視察及び友好都市への理解と友情を深めるために滞在しています。

 中国では、言葉が通じない中では、夏超さんがいてくれることで、大変助かりました。いろいろな説明や、会合において、分かりやすく話してくれ、スケジュール通りスムーズに過ごせたのは夏超さんがいてくれたからでもあります。特に私は、中国の本場マッサージを体験したく、夜すべてのスケジュールをこなした後、連れて行ってもらっていました。
中国マッサージというと誤解しないでください。吉原や富士の街で声を掛けてくるあやしいマッサージとは違い、本場中国マッサージは立派な施設で、80分間68元(約1000円)でした。嘉興市は観光化されていないので、ほとんど日本語も英語も通じません。その意味では、言葉が通じる人がいないとタクシーやお店での話はほとんど通じない状況では一人歩きは出来るような環境ではありませんでしたので、夏超さんに頼らなくてはならず、他の人より余計お世話になっていた訳です。
 その夏超さんが富士市に来ているということで、同僚議員も会いたいという話になり、昨日、夜8時30分に滞在ホテルで迎えようという事になっていました。しかしながら、私がホテルの駐車場につくと、同僚議員より電話が入り、すでに、接見を済ませた中で、本日は着いたばかり疲れているので明日、朝9時30分に庁舎で会うよう話をしてきたということでした。行き違いではありましたが、駐車場からホテルのロビーをふと見ると、夏超さんが一人でフラフラ?していました。思わず私は、
「夏超さん、元気!中国では世話になったね!」
と声をかけると駆け寄ってきて、両手で手を握り合いました。疲れているか確認をした後、しばし懐かしい(まだあまり日は経ってはいないのですが、)話をしました。友が遠方より来てくれたような気になりました。また、明日、庁舎で会うために、適当な時間で引き上げて来たのですが、個人的には、本当にお世話になっているので何かしてやりたい気持ちで一杯です。後日、皆で会うような予定もあるということですので、その時にでも思っています。
また、夏超さんは富士市が友好締結してから携わっており、また、日本にも8か月派遣されて勉強をしたりしているので、日本の事や富士市の事は、詳しく、多くの知り合いもいる人気者です。

本日も、庁舎で訪問団を迎えいれ市長始め議長が対応していましたので、挨拶をかねてお邪魔させてもらってきました。日本での視察研修が思い出深く、実りあるものになるよう期待します。

テレビの不法投棄増加か!?


 
 毎年恒例の須津川クリーン作戦が、まちづくり推進会議の主催で開催されました。各町内会を始め、中学生、NPO自然環境保全ネットワークの皆さんが参加し、須津川渓谷の清掃活動をし、環境保全と啓蒙を進めるイベントであります。

 毎年、参加しているのですが、目に見える範囲でのごみは、少なくなってきています。しかしながら、相変わらず、河原には、バーベキューの後のゴミがあります。後始末がしっかりできない方は、バーベキューをやる資格がないと思います。

 また、大きな目立ったごみは極端に少なくなってきていますが、やはり2011年にアナログテレビが使えなくなる影響もあるのか2台のテレビが捨ててありました。
 
 家電リサイクル法でテレビに関しては、引き取りをしないで捨てるのは不法投棄であり、犯罪にもあたります。私も、昨年の11月議会で2011年の地上デジタ放送への移行問題の中の1つに使えなくなるアナログテレビの不法投棄の増加について訴えています。今後、ますます、テレビについては、捨てられる恐れがあり、注意をしていかなければならない問題でもあります。

 今年も参加して、多くの方が参加して清掃をする活動は素晴らしいことであると思いましたが、本来、ゴミや不法投棄を捨てるような人がいなくなり、清掃活動をしなくても、きれいな須津川渓谷であるべきだと思っています。

 昨年できたきれいなトイレは、大棚の滝まで、歩いて行く子供たちや女性にとって、大変好評であるという意見が多くありました。23日には須津川ふれあい遠足があります。ゴミが落ちてない中で気持ちよく皆さんが参加できることになると思います

さよなら河野さん。


 生涯学習で文化祭が、先日行われ、慰労会が開催されました。その時、生涯学習の会長から、
「本日文化祭の慰労会でもありますが、10月31日に合併に伴い、まちづくりセンターでお世話になっていた河野さんが退職いたしております。特別ゲストという形お招きをし、お別れ会も兼ねている事をご了解くだざい」
と挨拶があり、初めて、臨時職員であった、河野さんが、退職をしていた事を知らされました。

 河野さんとは、私自身が、須津まちづくりセンターには、あまり顔を出している訳ではありませんでしたが、それでもたまに行くとお茶をだしてもらったりしてもらい、感じのよい女性職員でした。その、今までいた河野さんがいなくなっていたのは寂しい限りです。気がつくのがおそかっつたのですが・・・・
 公民館からまちづくりセンターになり、求められるものが多くなっていますが、契約ですので仕方がありません。とりあえず普通の主婦に戻るそうです。
文化祭での功労者文化部長の杉山さん

 地域行事でしたので、つい、いつもあまり飲まないお酒を飲み、2次会など行った事はなかったのですが、名残り惜しかったので、場所をかえ、別れを惜しんできました。女性に年齢を聞くのは失礼と思い聞けなかったのですが、カラオケを聞いて、大体、私と同じ世代に生まれた方だという事は解りました。
 
 ちなみにセンター長は私と同じ年だと言う事ですが、年齢不詳で同級生という感覚は今までありませんでした。これからは、同級生という親近感もありますので、もっとセンターに出入りし、有効にお付き合いを深めたいと思っています。
センター長は、今、地域で第5次総合計画を進める中で、力を発揮してくれています。地域では頼りにしている存在でもあります。(お酒が入り、酔った勢いで本日のブログに河野さんとセンター長を載せると約束をしてきましたので、実行いたしました。)

 明日は、須津川クリーン作戦があるので、午前様になる前に失礼をさせてもらいましたが、帰りがけに、イルミネーションの飾り付けをした、家を発見し、もう、クリスマスシーズンなのかと季節の移り変わりを感じるとともに、河野さんと別れにふけりながら、トボトボと家まで歩いて帰りました。

中央病院産科医確保。

朝、静岡新聞に目を通すと、
「おーやったじゃん」
と思わず声をだしてしまいました。


 朝刊の一面に、「米国大統領オバマ氏」と大きく見出しが出ている隣に、富士中央病院、浜医大が産科医派遣へ 4月以降も診療継続と掲載されていました。
 新聞を見るまで、現在の富士中央病院においての産科医の医師不足の状況はどのようになっているのか分かっていませんでした。しかしながら、新聞を見る限りでは、富士市の要請に基づき新たに医師派遣をする方針で調整されており、来年の3月以降も診療が途切れないように配置される見込みがなされ、6日に正式に市が発表すると書かれていました。
 その記事を読み、電撃的な変化に喜ぶと共に、富士市においての周産期母子センター機能を継続維持できることが分かり安堵しました。

 その後の市や報道の発表で、正式に残留医師1名を含め、浜松医大より3名の派遣を受ける事により現状と同じ4人体制が組めることが決まり、休止していた来年3月以降の分娩予定の妊婦受け入れも6日より再開することとしたことが分かりました。
 とりあえずは、基幹病院である中央病院の当面の大問題であった、産科医の休止が無くなったことは、新「富士市」にとっては朗報であります。また、東京慈恵医大以外の浜松医大からの派遣が3名もあったということは、これからの大きな連携がされていくとされていく期待も持てると思われます。しかしながら、根本的な医師不足というものは解消された訳ではなく、今後、不足すると考えられる小児科、麻酔科の医師についての問題がおこるとされていますし、産科医に関しても、いつ不足状態戻ってしまうか知れないと不安は付きまとっています。いずれにしても、今回大きくクローズアップされた医療問題に関しては、大きな課題として、議員ももちろんですが、市民も危機感をもちながら、引き続き対応していく必要性はあります。
 でも、子供が産めるまちとして、維持出来るようになったことは、本当に、良かった。(どうなるのか常に、心配していました)
これからも、医療については自分なりに安心・安全なまちの意味を考えた中で、取り組んでいきたいと思っています。

危機一髪!

 朝いつものように、市役所へ向かおうとしている途中、岳鉄踏切でトラックが不自然に止まっています。横断をしようとしても、できない状態で、どうなってんだ思っていると、遮断機が鳴り始めました。
 

 「えー大丈夫なの、電車と接触しちゃうじゃないの。」
と車の中から慌てて、外へでると、辛うじて、線路にトラックはかかっておりませんでした。

 荷物をつんだトラックが脱輪して、踏切の中で立ち往生していました。関係している人が脱輪したトラックを持ち上げるために荷台の荷物を下ろし車両を軽くして持ち上げようと急いで、荷物を降ろしている最中に電車が来てしまったようです。トラックに乗っている人が、電車を一応線路に立ち、電車を一旦止め、説明をしていましたが、大惨事にならずに良かったです。
 一歩間違えれば、電車と車の接触事故になりかねない状態でありましたが、幸い大きな惨事にはならず事なきを得ました。岳鉄が頻繁に走っていないので、トラックが脱輪した後も落ち着いて状況把握ができ、車が電車に接触しないと判断できたので、大騒ぎになりませんでしたが、電車が頻繁に通る踏切では、脱輪してすぐに電車が来てしまうような状況であったら、対応にも困ってしまった思われます。
また、JRや都心の電車であったなら、たとえ事故でなくても、少しでも、電車が遅れるようなら、ニュースとなるのでしょうが、岳鉄であるので少しくらいの遅れはそんなに問題にはならないと思われました。
 しかしながら、そのような状況に出会わせた場合、どのような対応をすればよいのか考えさせられました。すぐに警察に連絡すればよいのか、それとも、電車を止めに線路に立てばよいのか、朝から予期せぬ出来事で少し慌ててしまいましが、30分くらいで車も持ち上げられ、何事もなかったような状態にもどりました。
 偶然出くわせた、危機一髪と思わせられた瞬間でした。
(10月5日の朝の出来事でしたが、市役所へ行った後、静岡で通夜があり、その後、疲れたて寝てしまい起きたら夜中でした。)
 
 

どん底からの出発法・・・

「刺青クリスチャン親分はイエス様」の映画のモデルでもある鈴木啓之牧師の「どん底からの出発法・・・・大丈夫!誰だって人生はやりなおせる・・・」という興味深くありがたい講演会に三島プラザホテルまで行って聞いてきました。

鈴木牧師のプロフィールは

大阪府生野区に生まれる。17歳でヤクザの世界に入り、欲望のままに人生を送る。自ら招いた過ちから同じ組織の仲間を含め数千人に命を狙われ、死の恐怖に怯えながら逃亡生活を過ごす。その後劇的な回心の末、東京中央学院にて神学の学びに入る。伝道者として新たな人生の一歩として、沖縄から北海道まで6ヶ月かけて自ら十字架を背負い歩きながら福音を語る。現在、元ヤクザの人たちで結成された伝道集団「ミッションバラバ」の代表、塾時代遅れ””の専任講師、ふるさと志絆塾の塾長、シロアムキリスト教会の牧師としてご活躍されています。

月末、月初と市の功労表彰、葬式、合併式典、商工農林フェア、文化祭と多くのイベントがあり、講演会なんか聞きに行く時間はないと思っていましたが、元やくざで、入れ墨を背負いながら、人生をやり直し、人に尽くす生き方をしている鈴木牧師の話をどうしても聞きたくて、無理やり時間をつくり聞きに行ってきました。
印象に残った言葉は、
「人間は学んだものしか出てこない、なにかを学ぶことによって、人間の生き方を変える事が出来る。諦めなければ必ず、何か変える事が出来る。たとえ、入れ墨を背負っていようと、小指がなくても・・・」
体験から出てくる言葉は、本当に説得力があります。どんな境遇であろうとも、何歳になっても、学ぶこと、諦めない事その気持ちを忘れないよう私も頑張らなければ、やっぱり無理して行って良かった!!!

賑わう2つのフェア。


 新「富士市」になってから、ふじさんメッセで富士の技術製品を紹介する「商工フェア」・2日には富士市の特産品をアピールする産業まつり「農林水産フェア」が富士山がきれいに見える天候に恵まれた中で盛大に開催されました。

 多くのイベントが目白押しですが、時間を調整しながら、楽しませていただきました。
(商工会議所の佐野専務・ホンダの増田社長・富国紙業の富井社長)
 

 商工フェアは今までは、中央公園において開催されていましたが、天候に左右されないふじさんメッセに会場を移したせいか工業関係の出店も増え、81の団体が参加していました。製紙の街だけに紙関係のブースが目立ちました。
 
 その中で私は、どうしても立ち寄りたかったブースとして、9月議会で取り上げた商工会議所が取り組んでいる「花エコプロジェクト」です。今回制作した積み上げられたトイレットペーパー「ひまわりロール」が展示されており、企業と吉原工業生と協働して、ひまわりの茎より制作したトイレットペーパー頂いてきました。使い勝手がよいか、身をもって試してみようと思います。「ひまわりロール」を見ながら、循環型まちづくりを進めるうえでいいきっかけになってほしいと改めて思っています。

 農林水産フェアでは、農協組合長の挨拶と来賓によるテープカットで、今か今かと待ちわびているお客さんがどーと市場へ入場していきました。

 マグロの解体ショーや餅つき等、様々なイベントも行われており、新鮮な野菜や鮮魚を多くの人が買い求めていました。市場での買い物は、スーパーやデパートとは違う雰囲気で、つい余分なものまで買ってしまいます。

 景気低迷で消費が落ちている中で、2つのフェアーに参加したのですが、どちらも活気があり、多くの買い物をしている人達を見ると景気が衰退している事を忘れさせてくれるよう感じがありました。
 新「富士市」にとって、地場産業である商工農林水産業が元気である事が、重要な課題でもあります。強い自治体として維持して行く上で必要な事でもあり、今後とも力をいれて取り組んでいかなければならないことです。
 

竹馬できますか?


 本物の竹で作った竹馬は、最近、作る機会も見る事もなくなりました。たまに遊んでいるのを見かけても、ステンレスやプラスチックでできた、おもちゃ屋さんなどで売っている市販のものです。
 
 私の子供の頃は、自分たちで作りました。竹を切ってきて、お風呂の燃木に使う木を、竹に針金で括りつけ、自分の体に合わせた竹馬を作り遊びました。

 朝、浮島の文化祭に行き、かわいい保育園児のステージや小中学生の出し物を見た後、バザーで食べるものを買ってしまったので、一度家に戻りました。
その足で、須津のまちづくりセンターにおいて、生涯学習の「トムソーヤの冒険」の一環で、子供達と地域の元町内会長をやられた方々が竹馬作りをしている事を聞いたので、懐かしさのあまり、参加してきました。
どころで、竹馬乗れますか?
私は、何十年ぶりにチャレンジしましたが、できました。

 浮島の文化祭の途中ですので、背広を着たままで皮靴をはいていたのですが、昔とった杵柄で、裸足で本物の竹馬で遊ばせていただきました。しばし、童心にかえりました。
 地域の中で、昔ながらの遊び、年配の元町内会長をやられた皆様が子供達に伝えていく、素晴らしいことだと思います。
 私の住む地域は自然豊かな地域です。この自然の中で自然の恵みを活かし、色々な遊びができる可能性がある場所です。お金をかけずに自分で作ったりする楽しみや、体を使う遊びに、ゲームよりも楽しいものがあるのも子供達に知ってもらいたいものです。

 常葉大学でも文化祭が行われており、妻は食育のブース出展の手伝い、娘はお笑いのステージを見たくて、常葉大学に出かけていたので、そちらも顔をだしてきました。いろいろな場所で、文化活動が盛んに行われている一日でもありました。
 いろいろありましたが、子供達の見ている所で竹馬ができて良かった!!

新「富士市」誕生!

 
 平成20年11月1日富士市と富士川町が合併し、26万都市、富士市が誕生いたしまた。新「富士市」は富士川をはさんで南は駿河湾、北に富士山と新たに旧富士川町の豊かな自然と富士川と共に町の人が培ってきた歴史と文化を活かしながら活力ある新「富士市」の創造を目指し、更なる飛躍をする為に、合併を機に一歩を踏み出しました。
 

 記念すべき合併の日にロゼシアターで富士市合併記念式典が、富士川地区の方も参加しての、多くの関係者が集まった中で、盛大に開催されました。
 市会議員として、参加しましたが、市役所通りには、予てより垂れ幕がかかり、車で通りながら、いよいよ新しい富士市になると言う期待を改めて感じながら、会場入りをしました。
  (総務大臣表彰を受ける前坪内町長・笑福亭仁鶴氏の講演・少年少女合唱団)

 昭和41年に吉原市、富士市、鷹岡町の2市1町の合併以来、屈指の工業都市として発展してきましたが、本日、総務省、県知事をはじめ、国会議員等出席する中で、新たな地域としての幕開けに相応しい式典、記念講演、富士川地区の人を交えたアトラクションが開催されました。
 この記念すべき合併に際し、新「富士市」の市会議員として、今後とも、たんなる行政エリアの拡大と言うだけではなく、富士市の将来を見据えた、市民がもとめる都市の創造へ向けて、特色ある自立した強い自治体へ移行して行く為に、微力ながら、力を尽くしていきたいと思っています。

1番東の地域で問題が、

 明日いよいよ富士川町と合併し新富士市が誕生いたします。新たに富士川町が加わり26万都市に変わりますが、富士川町から1番東の地域である浮島地域で、新富士市になる前に直してもらいたいことの要望が区長さんから出されました。

 1番東に住む議員として、直にどのような問題があるのか、区長さんの処へ駆けつけた訳ですが、まず1点は、春山川の浚渫のお願いでした。沼津線より南側の春山川の川底に7月4日の大雨の際、土がたまり、川の横には東小学校があるので、川が溢れた場合大変な事になる恐れがある為に、浚渫をしてほしいとのことでした。

 浚渫に関しては、昨年の9月議会においても、お願いをしており、昨年の11月には実施されていましたが、その後、雨がふり、土はたまり始めていました。その現状については、私も気になり、8月27日に県へ要望をだしており、その返答として、状況を見て地域より要望があり次第対応したいとされていましたが、今回、区長より新たに要望が出された事と、来年には春山川上流部トツラ沢でダム工事もあるので開発による、土の流失が考えられるので早目の対応も必要と考え、市の河川課と県土木事務所へ行ってきました。県土木の鈴木所長はすぐに現地へ行ってくれ、その結果を報告してくれました。
 「県河川の掘削の要件として、土が川底より3分の一以上堪らないと浚渫をしないとされ、現地を確認した処そこまでは土がたまっていなく、現状としては、川があふれる心配は、無いとされます。直の浚渫の必要性はないと判断されますが、来年の雨期までの間に変化あるようでしたら対応いたします。また、学校の近くである以上、頻繁に状況確認には行くつもりです。」
と浚渫こそしませんが、すぐの対応をしてくれた事には、ちょっと驚いています。本日区長さんにはその旨を伝えました。県の対応の早さには正直驚いています。半年前に鈴木所長に変わったのですが、フットワークの良い所長さんで期待が持てます。

 もう1つは、その地点よりさらに南下した川の地点において、葦が茂った場所に机やいす、家庭用シンクのようなもの等がところどころに不法投棄されている状況があり、ゴミの撤去をしてもらいたいと言う事でした。廃棄物対策課にでかけ対応をお願いしてきましたが、まだ、どのようになったかは連絡はありません。
 (応接セットのような物)(台所のシンク)(重そうな机)

 東部土地改良区でもそうですが、山間部だけではなく、平野部においてもゴミや産業廃棄物の不法投棄が問題となっています。人のいない処にゴミをすてる不届きな輩は、後を絶たず困ってしまいますが、看板を立てるだけでは防ぐことはできず、なんらかの有効な策はないかと思います。条例化して強い罰則も必要であるのかもしれません。
(さい銭が箱盗まれたお宮さん)
 
 これ以外に、現地で説明を受けて帰るときに小学校の裏側にある、神社のさい銭箱、昨日、盗まれたと区長さんが言っていました。浮島地域は、1番東の地域ではありますが、のどかな場所だと思っていましたが、暗い所は多く、物を捨てたり、盗んだりすることができやすい場所であると感じました。

 今後、街灯の設置や人が入れないような処置をしたりする必要性を感じ、合併前ですが、小さなことから、こつこつと解決し西高東低と地域の人に言われないよう、区長さんと力を合わせ改善していかねばと思いました。

朝から太極拳!

 

 中国嘉興市へ行って3日目の朝早く、ホテルの隣の広場で、太極拳をやっていることを聞き、見学に出かけました。中国では、ラジオ体操のような形であちらこちらで、太極拳等が行われているようです。見学していると、誘われまして、少しばかりまねごとをしてきました。


 朝早い時間ですが、自転車やバイクが走り、騒がしく、とても賑やかであり、明るくなると同時に多く人が活動を始めているようです。

(高齢者対策に力を入れ、老人が楽しめる嘉興老年大学)

 前の日には、老年大学に視察に行き、多くの年配者の生き甲斐の為の老人教育と年配者の生活の充実を進める大学においても、踊り、歌、楽器、パソコン、等の教室を見てきましたが、太極拳も人気の教室である事を視察してきました。

 その太極拳を実際、朝早く起きたおかげで、本場中国で見る事が出来、また、言葉は分からないのですが、日本人である事が分かったのか、身振り手振りで教えてもらえた事は、視察とは別にある意味、民間の人との友好交流ができました。体が硬くて上手に踊れませんでしたが、朝早く体を動かし、気分が良いことと、親切なおばさんに触れ、気持ちも本当によくなりました。

 踊りを教えてくれたおばさんとは、たぶんもう2度と会う事もないと思いますが、硬い握手をし、別れを惜しみました。視察とは違う、中国の日常生活の本当の心温かい交流が出来、感激しました。
 朝から太極拳は貴重な体験でした。
 嘉興市の心やさしいおばさんに感謝と共に再見です!!

嘉興市での食事

 中国に行く前から、多く人から、食事が合う人、合わない人がいるから、と言われていましたが、私にはあまり食事は合わなかったようです。おいしいものを食べてきたかと言うと私にはちょっと???クエスチョンマークが・・どんなものを食べてきたかと言うと・・・

 ホテルでの食事や晩餐会ででるものは比較的食べれるのですが、街の中や農村部ででる家庭料理や屋台などで出るものには、抵抗がありました。
(街での食堂) ・ (道路端で揚げている豆腐) ・ (お腹を壊すとされるひしの実) 

 特に嘉興市は、近代化されてきているとはいえ、地方都市であり、出されてくるものが、普段日本では食べないようなものが、御馳走としてでてきます。形があるものが出てくるのも抵抗はあったのですが、油の匂いが、日が経つにつれ、食欲を奪い、匂いをかいでいるだけで、ムカムカして出される料理に箸が進みませんでした。
   タニシ   ・     カエル  ・   頭も足もある鶏

 料理には、湖や川が多い場所ある為か、川魚や川えび、ウナギ、カエル、カニ、カメ、等、泥臭いような生臭いような物が並んでおり、鶏肉も頭や足が原型のまま出てくる状況でした。
  ペットショップではありません。 水槽と料理するコック(高級な店だとは思いますが・・・)

 年齢のせいかも知れませんが、最近はあまり油を使った料理を好きではなくなりつつあるのに、出されてくるのものが油だらけの料理には、最後の方では、食べる前からお腹が痛くなってくるような感じになってしまいました。
(多分、恐らく、油は捨てずに継ぎ足しで使ってると思います)
 
 ホテルの部屋に帰ると胃薬を必ず飲んでいましたが、お腹の調子は悪く、トイレに何度と行かなければなりませんでした。
 一緒に行った仲間には、
「ハウ ツー、ハウ ツー」(おいしい おいしい)
と言って食べている方もいました。
唯一、安心して食べれる、会議で出された果物

 私は、見かけによらずデリケートに出来ているので、多分おいしい御馳走であったと思いますが、嘉興市での食事の時間は結構つらいものがありました。

中国日系企業視察

 

 中国嘉興市で、経済開発区にある日系企業を視察しました。ものすごいスピードで変化する中国においての日系企業についてどのような状況であるかいい勉強になりました。

 嘉興経済開発区は三つの工業団地、一つの高等教育団地、三つの商業住宅団地に分けられています。三つの工業団地とは、西南工業団地、電子紡績軽工業団地と機械総合工業団地であります。各工業団地は業種によって、適当なインフラが整備されている状況であります。経済開発区には、100数社の日系企業が進出しており、その中の機械総合工業団地は、計画面積8km2、開発区の東北部に位置し、都心部まで5kmであります。機械、化学や金属加工業も嘉興の伝統的な産業であり、専門技術人材資源を有しています。
その開発区の機械総合工業団地にある、嘉興村上石崎汽車配件有限公司(MIC)は静岡県に本社を置く、バックミラーの業界最大手の(株)村上開明堂が70%広島の(株)石崎本店30%の100%日本出資の自動車のバックミラーを主に製造しているこの団地に進出している48社の内の1つの日系企業です。

 視察には、嘉興市の名誉市民でもある、松下才吉社長が親切に対応して頂けました。
MICは村上開明堂の海外拠点の1つとして、2002年11月に松下社長を入れて、17名でスタートし、現在は700名の社員がおり、昨年の年商は、60億円を挙げています。スタートしてからは順調に業績を伸ばし、心配されていた労使問題に関しても、他の地域と違い、嘉興市民の比較的穏やかな性格と毎月一回労使協議を開く、松下社長の努力によりトラブルは無いようです。また、日本のQC活動も取り入れられており、品質向上、費用削減等のポスターもあちらこちらに貼られ、意識向上が図られ工場内も非常にきれいな状況が保たれていました。

 2002年新規採用の給与は400元(約6000円)5年後の2007年850元(約14000円)部長クラスでも10万円まではいかないという状況は日本では考えらず、自動車メーカーでありながら、700名在籍する社員の中で車の所有者はわずか5名しかいない状況であります。日系企業に勤めていても車がまだ持てない実情でもあります。女性が多くいるので社長に確認すると、「本当は、全部女性にしたい位です。中国に来て労働者と接していると女性に比べ、男性は怠けものが多いです。しかしながら、男性でなくては出来ない仕事がある為に現在、女性7男性3の比率であり、管理職にも女性が18人就いている状況です」という労働事情を話してくれました。
 中国の増大する自動車事情に伴い、バックミラーの生産が追いつかない状況でもある為に新たに新工場設立の用地も取得し更なる飛躍をする企業である事を感じ取れました。
(嘉興市友好訪問10月22日)

イベント色々

 

 中国から帰ってきて、体の調子と疲れが抜けきらない状況ですが、地域の日頃の文化活動の発表の場である文化祭に参加してきました。中国に行く前にも、市民福祉祭りもあり、中国の視察を挟み、イベントが数多く行われています。気持ちが中国に行っていましたのが、本日の文化祭を含め、イベント色々思い出しながら・・・・

 19日は福祉祭りが中央公園で行われましたが、天候に恵まれ、ステージ、福祉、バザー、子供、啓発各部門で多彩なプログラムが行われており、多く市民で賑わいました。
開会式終了と同時にディズニーと踊る為に、頭にお面をかぶり恥ずかしながら躍らせていただきました。

 20日浮島工業団地内にある佐川急便さんの朝礼へ参加してきました。規律ある朝礼は一糸乱れない中で、行われ、見ている私も気合が入ります。以前お邪魔した時は、必ず出入り口でチェックを受けていたのですが、トラックの台数が200台近くある為、今は、バーコードにより、管理されており、出入り口でバーコードを読んで出発していました。

 
 須津地区の文化祭でステージ上で多くの知り合いの方が出演していました。今回の文化祭には、フラダンスに見に来るなと言っていましたが、私の妻も出ていたので、影の方からそーと見てやりました。

 雨が心配されたのですが、なんとか持ち、地域の文化活動の成果が発表されると共にバザー等も盛況で、地域の交流に大切な行事であると感じられました。来年は、国民文化祭が静岡県で開催されます。地域において、後押しができる文化祭を来年は期待されます。
 今後もイベントが色々、目白押しであります。
 

やっぱり日本はいい!

 
 中国嘉興市への友好訪問団として、5日間日本を留守にしました。日本へ帰ってくるとほっとします。北京オリンピック終了後、万博に向けて更なる建設ラッシュが進んでいます。

12年前に中国へ行った事があったのですが、その当時より更に、格差という光と影はあるように思いました。

 今回、色々な場所を視察し、多くの人達と出会いお話を聞かせていただけた事は、スケジュール的には大変でしたが、非常に内容の濃いものでした。また、かっての中国3000年の歴史というイメージとは違い、近代的に劇的な変化がなされていることを目の当たりにする事ができた5日間でした。しかしながら、ハード的な事はものすごい勢いで変化している割には、ソフト的な事の関しては、追いついていない部分を随所に感じました。でも、この問題についても、今後このままではなく、いずれ、変わっていく事は十分に感じ取れ、中国の時代がやってくることが予感されます。
 人口的なスケールメリットや、国土の広さは、中国が世界にとって市場的にも魅力のある国である事を痛感しました。
 
 帰ってきて、報告したいことは山ほどあるのですが、まずは事故もなく無事戻ってきた事を報告します。
今回の日程は
21日 06:40出発
    15:50上海浦東空港到着
    18:50嘉興市ダイヤモンドホテル到着
    19:00人民政府外事弁公室による歓迎晩餐会
22日 08:30嘉興市旅行社視察・座談会
    10:15経済開発区日系企業市視察(村上開明堂)
    14:00嘉興市博物館視察
    15:10嘉興市庁内視察
    15:30表敬訪問
    16:00人民代表大会との座談会
    17:20嘉興市人民代表大会歓迎晩餐会
23日 08:45老年大学視察
    10:15月河街区視察
    14:00嘉興学院視察・大学生と座談会
    15:45南湖視察
    17:30歓迎晩餐会
    20:00現地在住の日本人と座談会
24日 09:00西塘古鎮視察
    上海移動
    14:30静岡県中国駐在事務訪問・視察
    15:00上海市内視察
    18:00食事後(東方名珠テレビ等視察)
25日 06:00ホテル出発帰国

    09:10上海空港発
    12:50成田着
    13:30富士市へ

    17:30富士市着到着式(無事帰ってきた事を報告しました)

    (帰ると同時に、同級生の通夜の出席があり、着替えて直行しました)
    21:15無事、家に到着 (疲れました)
 内容の濃い友好訪問ができ、勉強ができた事は、感謝していますが、毎日出てくる油の匂いのする料理には途中から、ギブアップ状態になってきました。生水には気をつけたのですが、油が合わなくて、お腹の調子がずーと悪い状態です。
 やはり食べるものは日本に限ります。帰ってきて、天ぷらそばとカレーライスを食べた時は、おいしく感じました。ほんと日本はいいと外へでると改めて思います。
 詳しい内容はおいおい書いていきますので、楽しみにしてください。

初めての海外視察

 富士市と友好都市を結ぶ、中国の嘉興市へ、太田議員を団長とする新人議員8名と事務局2名の合計10名で、富士市議会友好訪問団として、明日、10月21日から25日までの5日間行ってきます。

本来、7月に予定されていた事でしたが、災害により、延期されていました。富士市の議員として、富士市の友好都市の現状を把握し、また両市の友好の懸け橋としての役割を担ってきます。日系企業の村上開明堂さんに訪問の予定になっていますので、現地法人の生の声が聞けるのも楽しみにしています。また、静岡空港開港に伴い、今後の、観光交流についてもしっかり勉強してこようと思います。
 先輩議員には食べるものには、気をつけ、生水は口にしないよう注意されています。
 長期の留守をする事は、不安な事もありますが、初めての海外視察でもあり、ワクワクもします。帰り次第視察報告をします。お楽しみに!

子育てフェアー

 
 

 富士山がきれいに見える場所であるこどもの国で「2008子育てフェアーIN FUJI こどもの国で遊ぼう」が秋空の大変さわやかな中で開催され多くの親子で賑わいました。

 
 子育てフェアーは親子のふれあい、自然とのふれあいを通じ、親子の絆をより深めるとともに子育て世代の交流を広げる事を目的に、県後援、県私立幼稚園協会主催、富士地区私立幼稚園協会が実施して行われる事業です。
 私立幼稚園が10年以上前より、地域の子育て事業の一環として開催しているのですが、こどもの国での事業については、例年4000人近い親子が参加する大きなイベントとなっています。

 私の子供には幼稚園児はいませんが、幼児教育の重要性を感じていると共に、少子化が進む中では、子育てしやすい環境の充実を考えなければいけない状況において、少しでも参考になればと参加してきました。
 市内の17園の私立幼稚園が参加していましたが、各幼稚園の先生がスタッフとなり、色々なゲームを行うシールラリーは親子で込み合っていました。
私の地域の須津幼稚園も参加しており、園長先生もカメラを片手に奮闘しています。
須津幼稚園園長先生  ・  鷹岡幼稚園園長先生と共に

 10年以上前に幼稚園のPTA会長を経験したのですが、その時には、こどもの国ではなく、ロゼシアターで講演会と絵画展を開催したように覚えています。現在の外での開催は天候の心配があるものの、富士市には、自然を活かしたこどもの国という場所があるので、富士山が見える場所で、多くの子育て世代の人が交流ができることは有意義でであると思います。でもスタッフの方は大変でしょうが・・

 景色的にも、花が咲き、こどもの国は季節的に、今が一番いい時期でもあるように思えました。
 多くの親子が仲良く楽しんでいる姿を見ていると、自分の子供が小さかった時の事が、懐かしく思い、「娘もあんなに小さくてかわいかった時があったなー」と時が過ぎる速さを感じずにはいられません。

気になる選挙。

 11月1日の富士市と富士川町の合併に伴い、現在36人の議員が新たに、富士川選挙区において増員選挙が行われ39人になります。

 これは、本選挙までの間での増員でありますが、次の選挙(23年4月)においては、富士市の定員は39人が再び36人となり、実質的な3名の定数削減となります。
 合併に伴う増員選挙は、富士川町だけで行われ、11月16日告示、23日選挙となっていますが、気になる立候補予定者数は、3議席に対し9人が立候補の意向が示されており、激戦が予想されています。候補者乱立により、心配されている事が浮上してきました。それは、乱戦となり、上位3名に入っても、法定得票数に届かない候補が出てしまうケースが考えらるからです。それは、前回の町議選の投票率にあてはめて計算すると、増員戦の法定得票数はざっと830票で上位2名が大量得票してしまい、残りの候補者で横一線の戦いをし、票を食い合えば、当選者が法定得票数に達せず、再選挙を行う事もありえるとしています。
 いずれにしても、激戦である増員選挙でありますが、それと同時に、総選挙の行方もどうなるのか、気になる選挙戦です。総選挙については最新の情報として、11月30日投開票で検討に入っているとのことですが、株安が続けば年内見送りも考えられ、このまま、解散可能な時期がどんどん狭まり来年の9月の任期満了までずるずる追い込まれていくというシナリオも取りざたされています。解散の先行きは依然楽観はできませんが、各種の調査においては、自民党に厳しい選挙は明らかであると報道がされています。
 気になる増員選挙と総選挙いったいどうなるの???

議会中継について

富士宮市議会において本会議を中心としたインターネット中継を、9月議会よりスタートさせました。定例会中の生中継と録画中継によるアクセス件数は、10月14日までで1678件と報告されました。では、富士市はどうなっているのかというと・・・

 現在、富士市議会では本会議の情報発信として、開かれた議会として、他の自治体では取り入れ始めた、有線、ケーブルテレビ、ラジオ、インターネット配信による議会中継は残念ながら、行われていません。しかしながら、議会改革検討委員会で、その事については、検討されており、富士宮市議会同様インターネット配信を早急に取り入れていくことで、委員会では了承されています。このことについては、インターネット配信以外の議会中継を検討した中で、現況においては、ケーブルテレビについては地上デジタル放送移行に伴い、過渡期であること、またFMラジオ放送については、編集制作費用と放送料などで、年間300万円ほどのコストが掛かるとされており、インターネットによる配信については、結論的には、費用をかけずに、現状のシステムを利用すれば可能である中では、進めるべきと各会派においても承認はされています。議会承認を経て、早ければ11月議会から始められればと願っています。
 議会改革の一環として、市民に議員活動を知ってもらうことを進める上では、必要なことですが、ネット中継を見る人は、まだ一部分でもあると考えられます。しかしながら、どれほどの効果があるか始まってない状況では判断できないのですが、今回の富士宮市議会での、アクセス件数は当初の目標である、1000件という数字を上回っていることは、今後、周知されることにより、更に増える事は予想され、必要性は十分に感じられます。情報発信については、ネット中継だけではなく、今後の環境変化に対応した中で、色々な形も考えて行かなければなりませんが、まずは出来る事から取り組むことは大切であると思われます。
 インターネット配信に関しては、富士市議会より隣の富士宮市議会の方が先に着手された訳ですが、良い事は、他の自治体に先駆けて取り組む富士市であるように議員としても、努力しなればなりません。

 議会改革検討委員会で課題として挙がっている情報発信については、正式な運用までは、時間が掛かってしまっているということは、市民の皆様には申し訳ないと思っています。改革にはスピードも必要である以上、その他の、改革検討委員会で出されている課題も早急に対応を進めなければ改めて思いました。
 明日から、富士宮市議会では「高校生議会」の中継を行うそうです。私も、見てみようと思っています。