今ある平和を考える場所での演奏

岳南忠霊廟奉賛会が開催する慰霊祭が、桜舞い散る中で開催されました。
比奈にある岳南忠霊廟には、旧吉永、須津、原田、吉原、元吉原、浮島地区の英霊936柱が奉られています。その慰霊祭では毎年、関連する地域の中学校の吹奏楽部が演奏に来てくれています。

慰霊祭が始まる前から演奏しており、今年は何処の中学校が演奏をしているのかと確認をすると、私の地域の須津中学校との事。

須津中学校の吹奏楽部は東部地域でも優秀な成績を収めていますが、その吹奏楽部には私の姪が2人在籍しています。慰霊祭では吹奏楽部22名が参加しての演奏でありましたが、その中でも2人がどこにいるのか思わず探してしまいました。

式典の中で4曲演奏しましたが、忠霊廟と言う独特の雰囲気のある場所での素晴らしい演奏には、参加している人達も聞きほれてしまうと共に英霊の皆様の良い供養になったと感じます。須津中学校の吹奏楽部の皆さんには敬意を表しながら、2人の姪っ子の吹奏楽部での活躍に喜びを感じました。
慰霊祭に毎年参加して感じる事は、私たちは決して戦争を美化する事ではなく、国のため、郷土のため、身命を捧げて国難に殉じた英霊に対して慰霊顕彰することは、今の平和に感謝し2度と同じ過ちを犯さないために次代に受け継いでいかなければならない事であります。また、忠霊廟にはロダンの「考える人」があります。小高い丘で、富士市の平和についてしっかりと考えてくれていると感じます。
(演奏終了後には桜とロダンの周りでお弁当を食べていました)

岳南忠霊は今ある平和を考える場所でもあるのかも知れません。

還暦は厄年でもあります。

ちょうど20年位前から、青年会議所を中心とした仲間で、毎年、厄除けとして神社に行く会をつくりました。会の名前は、いつまでも青春の志を持つ会として青志会と名付けられ、会長は、日本料理のはせ川の小口さんに務めて貰っています。と言うのも・・

ちょうど20年前に小口さんが青年会議所を卒業する際に、出雲大社へ厄除けに行ったことから、毎年、厄除けに行く事になり、青年会議所を卒業する会員を厄除けの会に引きづり込んでいきました。青志会も20年経ち、現在の会員自体は30名ほどになっています。私は、小口さんの高校も後輩でもあり、ハンドボールの大先輩の小口さんの言う事はJCにおいては何でも聞かなければいけない立場であった為に、訳も分からないまま、厄除けに毎年連れていかれました。京都や広島、鹿児島、熊本、宮崎、札幌、仙台、長野、東京、大阪、神戸、和歌山等々北は北海道から南は鹿児島まで、日本中の神社でお参りをしてきました。神様に祈り続けている割には、良い事も無いような気がしますが、小口さんに言わせれば、厄除けをやっているからこそ今まで何とか元気で生活できているんだそうです。その小口さんも今年、還暦を迎えます。青志会としても、還暦を祝わなければと祝壽の会を行いました。還暦を迎えるという事は厄年でもあります。

当然、青志会としてもお祝いの前に、厄除けの祈祷を三日市の浅間神社で済ませてきましたが、その際に、神主さんより、「厄年での、厄除けは厄を払うと言いますが、役を背負い込むと言う意味でもあり、厄年を迎えるという事は、様々な立場の役を受けていくという年でもある」と説明がありました。ある意味男の厄年は、数えで、25,42,61ですが、厄年としての年齢の時期に、仕事的にも社会的にもそれなりに立場が回ってくる状況である事は考えられます。元気でいればこそ、それなりに活動できますので、病気や事故に気を付けた上で、災難の事よりも活躍の年でもあると捉えても良いのかも・・と思いました。
還暦の祝いでは、小口さんには赤いちゃんちゃんこと赤い帽子をおめし頂きました。

還暦で新しく生まれ変わってのスタートでもあります。永遠の若大将でもある、小口さんにはこれからも、様々な分野で大活躍をしてもらいたいと思っています。小口さんに関して言えば、2次会、3次会、4次会と深夜まで飲み続ける事ができる、まだまだ元気な還暦を迎えた1人でもあります。でも、だんだん無理は利かなくなっていますので、身体だけは気を付けてください。
還暦あらためておめでとうございます

2つの青年会議所事業に参加、

青年会議所事業として行われてきた事に韓国の江西JCとの交流と富士リトル事業があります。韓国との交流は既に姉妹JCとの関係を結び27年経ちます。また、、富士リトル事業は青少年の健全育成を目的に、富士川の河川敷のJCグランドで富士リトル事業を始め、39年が経ちました。

本年度も韓国より林会長はじめ17名が2月21日より来富しています。
恒例のシニアメンバーを含めての、江西JCとの交流会が富士のやきとり物語で開催されました。また、偶然にも同じ時間の同じ場所で富士リトルの役員会も開催されていました、既に私は青年会議所を卒業しているものの、江西JCとの交流会には理事長経験者として、また、富士リトル役員会には顧問として2つの会に参加させて頂きました。

韓国とは政治的な関係においては、歴史問題、領土問題、靖国問題等非常に難しい関係ではありますが、民間レベルではそういう問題を抜きにして同じ地球人としての交流はありだと思っています。青年会議所の交流を通じては、遠くて近い国と言われた時代から、韓国は近い国であると言う親近感はあります。国は違っても、同じ青年経済人である青年会議所会員として交流会を通じて、両国の発展と平和社会の実現を目指す上では、民間外交は重要であると感じています。シニア代表の挨拶はしたのですが、民間外交の主流は、乾杯、乾杯でのノミニケーションでもありますので、名刺交換をしながら飲み続けます。しかしながら、韓国のメンバーは実にお酒が強いです。
(歴代会長と意気投合)

また、交流会を途中抜けて、本年度のリトルの父母会の役員さんに挨拶をさせて頂き、これからも野球を通じての子供達の指導を、こちらでもお酒を酌み交わしながらお願いしてきました。
(リトルの荻野事務局長と父母会女性部長)

2つの青年会議所関係の会に出させて頂いたのですが、ちょっと飲み過ぎてしまいました。

後援会旅行無事終了!!!

後援会旅行行ってきました。
無事戻ってきてホッとしてます。
実は、前日遅くまで飲む機会があり、帰りが遅かった為に、出発時間ぎりぎりまで寝てしまい、旅行者さんから電話を受けてから慌てながらのバスへの乗車となってしまいました。(所謂寝坊です)

バス5台の多くの参加者があった為、天候を心配しながらも旅行会社さんとバスの運転手さんとガイドさんと打ち合わせをバス集合場所で済ませ、その後、第1目的地の松本城へ・・・・
天気を確認すると長野は午前中ミゾレか雪の予報。

松本城に着くと雨のような雪が舞い散っている中で、第28回氷彫フェスティバルが開催されていました。前日よりの氷彫フェスティバルでの、コンクール作品は残念ながら、解け始めていましたが、松本城と氷の彫刻はマッチしています。フェスティバル会場では、ステージでの催しや各地域のご当地グルメも振る舞われ、それなりの賑わいです。
国宝松本城の天守閣まで登ってきましたが、流石に天守閣では風が吹き込むとふるえるような寒さを感じます。

松本城見学後、冷えた体のままで。昼食会場に行きましたが、食事で出てきた、暖かなトン汁がとても美味しく感じました。味噌蔵の社長は、20年ぶりに会いましたが、かつての青年会議所の仲間です。久しぶりの再会でしたが、顔を見てすぐに分かりました。

本当に懐かしかったです。味噌蔵での食事は好評で、お腹が一杯になった後、諏訪大社へ。

諏訪大社ではバス毎の集合写真を撮り、御柱やパワースポットを確認し、社殿でお祈りをしました。男の神で勝負事に良いそうです。

帰りには、釜飯で有名な「おぎの家」で、帰ってからの夕食用に釜飯を買いました。
今回も、バス5台を転々としながら、挨拶と活動報告のビデオを見て貰いました。
私にとって、親睦をしながら、活動を知って頂く機会となり、帰りのバスでは、見送りをするたびに、励ましの言葉も頂けそれなりの有意義な後援会旅行でありました。
参加して頂いた皆様ありがとうございます。
来年も多くの皆様の参加を望みます。。

後援会旅行間際で願う事

後援会旅行がもうすぐ(26日)です。
既に申込みは締め切っていますが、間際になり、参加予定者の町内会長さんの家で不幸がありました。確認すると旅行当日が葬儀となってしまったので私は通夜だけにさせてもらいますが、近隣の参加者の皆様は、葬儀を優先してもらいました。
毎年の事ですが、旅行が近くなると色々な事が起こり参加人数の変動があります。。

ちょっとハラハラしながらも、それでも、今年もバス5台満員御礼で賑やかに行って来れそうです。ありがたい事です。
今年の行先は長野、松本城での氷彫フェスティバルと諏訪大社となっています。寒い時に更に寒い所への旅行でもあり、当日の天候も心配ですが、寒い中、また忙しい中、せっかく行ってもらう以上、私にとっても有意義な旅行にしたいです。ですから、後援会旅行の目的の一つには私の活動を知って頂く機会と捉え、参加者に配布するオギタ通信とバスの中で流す議員活動のDVDの作製をしています。ぎりぎりまでの準備は毎年の事ですが、もう少し余裕は持ちたいです。でも、何とか、間に合いそうです。ただ、毎年、娘が活動DVDを作製してくれるのですが、映像のバックに流れる音楽は娘の趣味でレディガガの曲です。有名な歌でみんな聞いた事あるよ(私は知りませんでしたが)と言っていましたが、年配者の参加者が多いので、果たして若い人好みの音楽を受け入れてくれるのか心配です。
後、旅行まで願う事は、当日の天候と人数の変動がない事だけです。

桜湖頭さん10周年おめでとう!!

地元のよさこいチームの桜湖頭さんが昨年10周年を迎えました。
ですから、昨年10周年記念公演を須津地区文化祭で予定していました。ただ、残念なことに台風の影響で文化祭が中止となり、必然的に桜湖頭さんの10周年公演も中止となっていました。

でも、10周年記念公演を中止ではなく延期と言う形で年があけて1月19日に須津中学校の体育館で開催されました。

当然、私も地元のよさこいチームでので知り合いも多く、特に代表の杉山さんには色々な面でお世話になっているので何はさておきお祝い事として私も応援に駆けつけました。
桜湖頭さんはよさこいチームを結成してから、10年間様々イベントに参加してくれています。踊りの歌詞にもありましたが、10年前に比べ平均年齢が高いものの遠くから見ると皆さん若く見えます。

結成以来の振付の方のメッセージでは、ババアとか妖怪の集まりと言っていましたが、愛情があるからこその表現であると感じました。本当に歳の割には楽しそうにみなさん踊ってくれますので一体幾つなのと思ってしまいます。

また、記念公演にはヒップホップのダンスチームや他のよさこいチームの旗の応援に駆け付けてくれていました。
(いつまでも若々しい杉山代表)

代表の杉山さんが言っていましたが、「ババアだの妖怪と言われていましたが、この10年間、よさこいが無かったら、ただのおばさんであったのかも知れません。でも、よさこいがあったからこそ、ただのおばさんで無く、多くの人に出会い、様々な経験ができた」と言っていました。やはり、人生には生きがいが大切であると感じます。
まだまだ、いつまでも若々しく、妖怪と言われようとも更に若さを保つためには桜湖頭と言う名の通り、須津地区の看板を背負ってもっともっと元気に頑張ってもらいたいと思います。
(最後は会場の方も交じってのフィナーレでした)

あらためて桜湖頭の皆様10周年おめでとうございます・
益々の活躍を期待します!!!!

後援会旅行まだ受け付けています!!

1月26日に予定している「荻田たけひと後援会親睦旅行」の申し込みを1月8日までとしていましたが、あと少し余裕がある為に申込み受付を延長しています。

それなりに申込みはありますが、昨年の11月に「国会視察旅行も行ってるから、今回は遠慮するよ。」という方や、年配者の方からは「寒い所へ行くのはちょっと。」と言うご意見も頂きました。その上、ちょうど、1月26日には各種イベントや、私の所属団体の旅行や大会等も重なっており、いつも参加している方が少なくなってしまいました。数を集める為の後援会旅行ではありませんが、ただ、連絡のない方もまだいますので、もう少し申し込みを待つことにしました。
あらためて、行先と内容は
長野で、国宝松本城「氷彫フェスティバル」諏訪大社本宮参拝と信州味噌蔵での昼食です。
現在、バスで配布する資料やバスの中で流す映像による活動報告も作製しています。
よろしかったらまだ間に合いますので、下記までご連絡を!!!!!
エクセルツアーズ
TEL 22−5711
若しくは
荻田たけひと後援会
TEL/FAX 34-5103
です。
冬ですからどこへ行っても寒いです。でも、沢山でいくバス旅行は楽しいですよ・・・

後援会で国、県に関わる要望活動の報告

年末、年始にかけての後援会活動として、12月26日に地域での議会報告を兼ねた忘年会及び来年1月26日には後援会旅行があります。その際にも、まずは、少しでも私の要望活動を知って頂きたいので年末でちょっと忙しいかったのですが、今年1年の活動をまとめた報告書を作成しました。

あらためて、しっかりとした「おぎた通信」として印刷はするつもりでいますが、とりあえず今年一年の議会での質問とは別に、国や県に対して要望活動を進めてきた事に対しては知って頂きたい事でもあります。
今年一年、国、県に対しても市を通じて以外にも国会議員、県会議員の先生と連携して下記の要望活動はしてきました。
1、「県道須津・東田子の浦停車場線(川尻線)拡幅・整備について」
平成25年7月10日県連要望書提出
平成25年9月6日県富士土木事務所要望書提出
2、「県道三島富士線(中里)うなぎ屋付近道路拡幅について」
平成25年7月10日県連提出
3、「県河川沼川流域の部分的な護岸嵩上げについて」
平成25年2月7日富士市長要望書提出
平成25年7月10日県連要望書提出
4、「東駿河湾環状道路西区間早期事業化促進について」
平成25年11月6日富士市長要望書提出
平成25年11月12日沼津市長要望書提出
平成25年11月12日国交省沼津河川事務所所長報告
平成25年11月19日国会議員要望書提出
5、「県河川江尾江川拡幅事業の促進について」
平成25年7月10日要望書提出
と今年1年間も国、県に関わる道路河川に関しての要望は、市長からはもとより、国会議員、県会議員のラインを通じての要望活動は取り組んでいます。
私は、政治の大きな目的に経世済民(経済を良くし、市民を救う)があると思っています。その為の必要なインフラ整備はしなければいけません。だから動きます!!!!
そんなことを踏まえて、年末、年始にかけて後援会では報告するつもりです。
たとえ忙しくても、せっかく集まってくれる以上、しっかりした情報発信はしたいです!!!

「富士山平和音楽祭」発会式

世界文化遺産になった富士山から、世界に向け音楽を通し平和への想いを伝えるフェスティバルを目指し「富士山平和音楽祭」の発会式が行われました。

富士市、富士宮市の有志が集まり実行委員会が組織されていましたが、どういう訳か、私も実行委員会の役員になっていました。

発会式は、富士宮市のフォレストヒルズで行われ、参加者は約300名と盛会でした。

実行委員長の吉川県議の挨拶。
発起人の河部翔氏の挨拶に続き、交流会の乾杯をなぜか私が務めました。

挨拶にもありましたが、富士山が世界文化遺産になり富士山の麓の地域で音楽を通して平和を願い、誰もが幅広く音楽に親しんで頂く機会であり続けられるようなイベントにしたいと事です。
音楽祭での出演者は推進委員長でもあるシンガーソングライターの河部翔氏。

歌手見川てる美氏。
ゴスペルグループのゴスペルクワイヤさん。
女性5人組バンドカプリズムさんです。
其々のスタイルの音楽を楽しむ事が出来ました。
最後に全員で「上を向いて歩こう」を合唱して終わりましが、暖かな気持ちになれたことは少なくとも参加した方々は良かったのでは・・・。
今回、富士山平和音楽祭は、富士、富士宮市の両市に関係する人達により開催されましたが、両市とも富士山がきれいに見えるまちです。天候が悪く見えない時もありますが、富士山はどんな時もあります。ただ、天気が良く富士山がきれいに見える時でも、心に余裕やゆとりがないと富士山がきれいに見えません。音楽を通じて、少しでも心に余裕やゆとりを取り戻せるような音楽祭になる事を期待しています。
今後、更に発展してより多くの人を巻き込んでの富士山平和音楽祭として継続的に大きなイベントになって開催されることを望みます。

ニューまれにあう会 in NUMAZU

私は今から14年前の1999年に青年会議所の理事長を務めました。
当時、静岡県には25の青年会議所があり、各青年会議所の理事長が集まり、静岡ブロックとしての会合が定期的にありました。その当時の県内理事長の集まりとしての同期会が沼津のリバーサイドホテルで開催されたので参加してきました。

同期会の名称は当時、新しい1000年を前にした2000年を迎えるに当たり「ニューミレニアム」にひっかけて、毎年と言わないまでも、たまには会えるようにと「ニューまれにあう会」として各地域で開催しようとしたのは覚えています。ただ、最初の何年かは、熱心に連絡もありましたが、ここ数年は連絡もなく忘れかけていた会の開催でもありました。懐かしさと久しぶりの開催に一体何人集まるのと思いながらも、それでも、集まった同期の理事長は12名、その他の会員も入れ、24名での開催となりました。

また、当時、三島青年会議所で理事長セクレタリーをしていた入会間もないかわいかった女性(稲村氏)が次年度静岡ブロック会長に選出されており、当時の仲間としてゲストとして参加してくれていました。
気が付けば青年会議所も卒業して13年経ちます。集まった仲間もそれなりの歳を取り、白髪や頭の毛が薄くなったり、太ったり体の変化もあります。でも、青年会議所を卒業した後の近況を含めた一人一人の挨拶は、歳を重ねることによっての人を引き付ける話術は素晴らしいものを感じます。姿、カタチさえ見ず目をつぶっていれば、熱くまちづくりや未来を語っていた14年前にタイムトリップした感じにもなります。何となく、当時の想いを思い出し、元気になります。本当に楽しいひと時を過ごせました。
県内青年会議所は1999年には25あったのが、現在20となってしまいました。今回の参加者の中には既に消滅してしまった青年会議所の理事長もいました。また、会員数も当時に比べどの青年会議所も三分の一となってしまっています。私の時代と経済環境もそうですが、経済人活動が青年会議所以外にも多くあり、その存在価値にも変化が生じてきていると感じます。

次年度静岡ブロック会長の稲村氏は大変な時期に会長を担います。良い時代も悪い時代も知った中での、変化に対応した組織としてしっかりとした存在意義を示していっていただく事を期待しています。

身体の調子は今一つですが、久しぶりの再会に深夜まで沼津の夜を楽しみました。

青年会議所富士高卒業者の集い

富士青年会議所の現役、OBの有志による富士高卒業者の集まりに参加しました。以前にも開催されたようですが、どうも集まりの声を掛ける幹事は私が富士高ではなく、他の高校の卒業者と勘違いしていたようでお声が掛からなかったようです。

ただ、集まった30名ほどのメンバーを見ると私よりも若いメンバーが中心で、一番若いメンバーとは22歳離れており、気が付けば私が最年長者としての参加でもありました。
会場の老舗寿司店の魚民の森田君も富士高の後輩です。
(魚民さんの食事は美味しいです)

今回、集まった目的の1つとして、本年度、青年会議所を卒業するフジウンノの海野社長、市長のご子息である鈴木紙器の英樹君や、次年度理事長予定者の磯野君がおり、集まったメンバーで2人の卒業を労うと共に磯野理事長予定者を富士高の仲間としての激励がありました。
(特に海野社長は熱い!!ガンバレ磯野理事長予定者!!)

当然、青年会議所の富士高卒業者は、富士市においての経済人として活動しています。JC以外の活動として商工会議所青年部の会長や次年度会長、PTA等各種団体での役員もいます。ですから、集まった一人一人の挨拶が仕事を含めJC活動やまちづくりに対しての想いが熱いですし面白い。最後は肩を組み、校歌を歌いました。
私より若い富士高卒業者の青年会議所の集まりにおいて頼もしさを感じると共に、元気と勇気をもらいました。
私も他の学校と勘違いされないよう、しっかりと頑張らなければと思っています。

「心豊かな武道のまち富士市」を目指して・・・

富士市 富士山武道演武会が富士市立体育館で開催されました。
これは富士市体育協会武道協議会の武道8団体が一つと成り、日本人の心である富士山の麓から武道の発信を行い、武道を通じたまちづくりの構築に向け武道演武会が開催されていますが、すでに2回の大会が開催されています。

実は私は今まで大会に関しては、用事が重なっていた関係もあり出席してなく、3回目の演武会でようやく初めての参加させて頂くことができました。

武道は日本古来の尚武の精神に由来し長い歴史の中で術から道に発展した伝統文化であります。武道は、心身の鍛錬や礼儀正しさから人格を磨き、見識や有為の人物育成などの日本人としての人格形成を進める役割を担っています。中学においても武道教育の必要性が再認識され、柔道、剣道、相撲が必修科目に取り入れられています。様々な演武を見ながらふと、私も小学生の頃、地域の剣道クラブに所属していた事があり、冬の寒い日に体育館で剣道着に着替える辛さややがちがちに硬くなった小手や汗臭い面をはめて稽古した事を思い出しました。懐かしいです。
富士山武道演武会の趣旨でもある
「心豊かな武道のまち富士市」
世界文化遺産登録され、あらゆる面から元気な富士市である為にも、青少年健全育成をしっかりと取り組んでくれている事は素晴らしい事であると感じました。

富士山武道演武会について多くの人に知って頂きたい事です。また、富士市において武道人口が増える事は望みます。

勤労感謝の日でしたが、イベントが多いです。

武道演武会の他にも高齢者の就業に関する活動や広く地域交流に力を入れているシルバー人材センターの活動の一環としてふれあいフェスティバル。

五穀豊穣を祝う三日市お浅間さんでの新嘗祭。
夜は知人のお通夜。
相変わらず朝から夜まで出っぱなしです。

山本覚馬と八重の話

今年の太河ドラマで一躍時の人となった感のある新島八重は会津戊辰戦争で、男装し銃をもって戦った女性でもあり、のちに「幕末のジャンヌ・ダルク」と讃えられる歴史物語のヒロインでもあります。この八重について本にしている鈴木由紀子氏の講演会が法人会主催で「時代をはみだした山本覚馬と八重」と題して行われました。

八重は、兄の山本覚馬を頼って京都に行き、いち早く英語を学んだ、モダンレディでアメリカ帰りの新島襄と出会い、京都で初めての洗礼をうけて新島襄と結婚しました。キリスト教排斥の嵐のなか、兄、覚馬とともに新島をささえ、困難な同志社の創設期を担いました。しかしながら、八重もそうですが、八重の兄、覚馬は同志社大学創立立役者でありながらあまりにも知られていられず知られていない人の事を本にする難しさが語られました。

また、八重は新島襄が42歳で亡くなった後、八重は88歳まで生き、茶道家となって活躍するなど、死ぬまでみずからの可能性に挑戦しつづけており、大胆で潔い八重の生き方を女性であっても「ハンサム」と評された事が鈴木氏の著書である「ハンサムウーマン新島八重」に書かれている事が話されました。

実は私は大河ドラマは見ていませんが、1時間半の鈴木氏の講演を聞き、鈴木氏の本を読んでみたくなりました。

「富士市の明日(未来)を考えよう!!」

不交付団体から交付団体になり、財政状況が逼迫し、待ったなしでの行財政改革を進めなければいけない富士市において、今年の12月22日に富士市の市長選挙があります。

鈴木尚市長が3期12年を務め勇退される事により、現在、2人の市長候補者が立候補表明をしていますが現時点では2人での選挙である事が濃厚となってきました。これからの富士市の運命を託す大切な市長選挙です。私たち望む富士市にして頂く為には、また子供達の未来の為にも、何が必要で、何を求めなければいかないのか、そして、何をしなければいけないのか、私が所属する富士岳南まちを考える会でも最も重要な関心事でもあります。このところ富士市長や沼津市長への要望活動も続けていますが、その要望事項も踏まえ新たに市長になられる方にも要望はしなければいけない事でもありましたので、「富士市の明日(未来)を考えよう!!」と題した例会に2人の候補者をお呼びして、政策を聞かせて頂きました。

どちらの候補者に対しても、時間いっぱいまで質問がありました。
あらためて想う事は、この市長選挙には多くの方に関心を持ってもらいたい事です。
富士市は投票率が低いまちでもあります。投票率をあげる為にも、2人話を聞いて、自分たちの目で、耳で聞いたことをしっかりと伝える事もしなければいけないと思っています。
(熱く語る2人の予定候補者)

今回は勉強会でもあり、限られた人の参加でもありました。
12月5日には青年会議所が主催する、「富士市長選挙 公開討論会」がロゼシアターで開催されます。
誰でもが自由に参加できます。

市民の関心度を知る上でも注目されていますので、ぜひとも、参加してください。

沼津市長へ要望

富士市長に続き、沼津市長へ富士岳南地域まちを考える会と東駿河湾まちづくり研究会で東駿河湾環状道路西区間事業化促進等の要望書を提出してきました。

沼津市長室には始めての入室でもあり、貴重な経験でもありました。今回の要望については、沼津市での事業促進でもあり、栗原市長から富士市の市民団体からの要望は、沼津市にとっては大変有難いと感謝されました。

現状としては、沼津市として東駿河湾環状道路に関して、要望活動を今年既に6回ほど行っていますが、東区間には52億の予算がつけられましたが、西区間7,9キロは、軟弱地盤もあり高架をしなければいけないために事業費が800億程度と試算されているので予算的に新規事業決定は難しい状況であるとしていました。しかしながら、重要要望としてこれからも定期的に要望を続けていくので、ぜひ富士市さんも力を貸してほしいとしていました。また、沼川新放水路は、集中的な治山治水事業である国の100ミリプランとして採択されており、20年掛かる事業が半分の10年で完成が進む可能性の説明もありました。私からは、沼津線延伸として市立病院まで早期事業促進もお願いさせて頂きました。その後、沼津市長室を後にして、国交省沼津河川事務所の大城所長に要望活動の報告に行きました。

今回の広域連携としての要望は報道等でも大きく取り上げられそれなりの効果もあると期待はしています。せっかくの要望活動ですので、11月19日に国会に行きますので、その際にも、富士岳南地域まちを考える会として静岡県選出の国会議員の皆様に要望をしてくることに決定いたしました。
多くの所で声を発生することが少しでも事業決定への近道と信じてこれからも活動は続けていきます。

第5回後援会旅行のご案内

11月19日の国会への後援会視察旅行は定員を上回る申し込みがあり既に終了しました。申し込みの皆様には感謝申し上げます。
気の早い来年の話ですが、第5回目の荻田たけひと後援会親睦旅行を企画致しました。
その募集案内のチラシが出来上がりましたのでお知らせ致します。

今回の旅行については、長野の「氷彫フェスティバル」に充てての企画です。
「国宝松本城 氷彫フェスティバル 諏訪大社本宮と信州味噌蔵での昼食」
日時:   平成26年1月27日(日)
旅行代金: 7500円
旅行会社での対応取り扱いですが、申し込みは、荻田たけひと後援会でも受け付けています。
目的としては、親睦は勿論、バス移動中に、私の議員活動を知ってもらう機会としています。
議会報告会やHP上で情報発信もしていますが、それ以外にも私を知ってもらう事が出来ないかと先輩議員のアドバイスで始めた事です。毎回参加者が増えており、ありがたい事でもあります。前回もバスの中で一般質問の様子を流したり、議会報告を配りながら簡単な説明をさせて頂きました。
多くの人と交流をもちながら旅行自体は大変に好評でした。
よろしかったらご参加ください。

外国人会議 IN FUJI

伊勢神宮への視察があった為に話が前に遡りますが、17日の夜、「外国人議会IN FUJI〜観光都市として新たなる可能性を探ろう〜」がJC主催で行われました。議員ボックスにもチラシが入っており、コーディネーターもやきそば学会の渡辺会長と聞き興味深く参加させて頂きました。

内容は、9名の外国籍市民によるパネルディスカッションで渡辺氏がコーディネーター、また、富士山ビューロー鈴木氏、JC理事長も意見者と参加し、富士市の観光について、日本人として違った考え方、捉え方、を視聴する事で富士市の新たなる可能性を探る事が目的であるとしています。

渡辺氏のコーディネーター役は素晴らしく、緊張している外国市民の皆様に、富士山の魅力、富士山以外に良いものは等言葉の壁を乗り越えて意見を引き出してくれていました。また、9名のパネラーの中には、音楽家のジリーローハンさんもいます。

意見では、富士市に住んでいて、毎日富士山の写真を撮れる、芸術的インスピレーションがわく。空気や水がきれい、外国人を大事にしてくれる。富士山以外にも、シラスやお茶がある。お土産に日本製以外のものも多い。外国人にわかりやすい情報を発信して欲しい、歩きやすいまちにして欲しい、お店等に入りやすい雰囲気が欲しい。外国人用パンフレットの充実等々ありました。渡辺氏からは、外国人だからできる情報発信はして欲しいとしながら、富士市としてお土産等売るにしてもジャパンブランドと富士と言うブランドでストーリー性を加味する努力は必要で、富士山のゲートウエイ、アクセスポイント、観光基地として役割を担っていくべきであるとまとめていました。
内容や目的は素晴らしいものでもありました。
ただ、チラシには定員200名(先着順)定員に達した場合は入場をお断りさせて頂く場合もございますと歌われていたので30分以上前に受付をさせて頂きましたが、参加者はあまりいない状況です。時間になればいっぱいになるのかと思いきや会場を半分に仕切ってもまばらでもあります。コーディネーターの渡辺会長からも、最初に会場を見渡し、「パネラーと人数とJCさん以外の会場の皆さんの参加人数は変わらないような状況のようですので、緊張せず意見を言ってください」と設営に対してチクリ。
多くの人に外国人がどのように考えているのかを知って頂く、せっかくの良い企画でもあったのに、情報発信が弱い事を感じました。(公開でのイベントですのでJCのOBとしての苦言ですが、自分たちの満足で終わってはいけないと思います)

12月5日に富士市長選挙の公開討論会が企画されています。定員1600名の会場が入りきれなくなるような情報発信を望みます。

式年遷宮の年に行く意義

平成25年度は古代より続く聖地再生の神事でもある20年に一度の式年遷宮が伊勢神宮で執り行われています。伊勢神宮には何度か行った事はありましたが、式年遷宮の記念の年に、行ったことはありませんでしたので、法人会の視察研修として18日に伊勢神宮に行くので参加します。

式年遷宮が執り行われている伊勢神宮は、皇室の祖先神とされる日本の総氏神である天照大神を祀っています。日本の古代神話世界を代表する神の社でもあります。1300年前より続く神の社の再生事業として新たな社殿を20年ごとに建て替えながらご神体を移す制度として確立されていますが、その意味するところは様々な諸説はありますが、社殿建設に必要な技術の次世代への継承とも言われています。
次の20年後はどのように成っているかわからないと思い、行ける時に行っとこうと思いのもとの視察研修です。
神を尊ぶことは勿論ですが、20年に一度、伝統を受け継ぎながら、常に新しく変えていくとしきたりの確認と日本の歴史や神話を誇りに思う日本人として式年遷宮の伊勢神社に行く意義はあると思っています。
また、日々の悩みも多いので心を落ち着けたい気持ちもあります。

嵐の前の歴代理事長懇談会

台風26号の接近に伴い「日本付近に近づいた今年最大級の台風」「10年に一度の大型台風」と報道が成される中で、15日の夜、富士青年会議所歴代理事長懇談会が開催されました。

東部の水害常襲地に住む議員としては本来自宅待機して緊急時に備えなければと思いつつも上陸の恐れは早朝であると確認して参加してきました。
この時期に開催される会議は、理事長経験者が次年度の理事長が決定しましたので、理事長予定者の所信や方針や活動を聞く機会でもあります。
富士青年会議所の2014年度理事長は磯野陽平氏です。まだ、35歳と富士青年会議所の中では若い理事長の誕生でもあります。

LOMスローガンは
「盛り上がっていきましょう!Enjoy JC!」
です。今までの既成概念にとらわれず、大胆にJCらしい活動を進めると思っています。
ある理事長経験者が、「10年後にどのようしたいのか」と言う質問がありましたが、私も既にJCを卒業して10年以上経っていますが、自分がJCに在籍していた10年以上前に比べ、志や想いを自分は何をどうしてきたのかとふと考えてしまいました。
JCは40歳までの大切な時間を費やします。過去に拘らず、好きな事を好きなようにやる事が大事であると思います。事業が失敗しても、会社がつぶれる訳でもありません、たかがJCです。
嵐を呼ぶ次年度磯野理事長、安倍総理の所信にもありますが「意志の力」さえあれば何でも乗り越えられと思います。2014年度富士青年会議所に期待します!!!
*新たな理事長と杯を交わしたかったのですが、台風が近づいてる関係上、万が一に備え、残念ながらお酒は飲まずに帰りました。

暑い中での富士リトル、リトルリーグ卒団式。

富士市の硬式野球チームとして活動している富士リトル・リトルシニアリーグがありますが、今までは12月の下旬に行われていた卒団式が8月31日の大変暑い中で行われました。

連絡を頂いた時、いつもと違い随分早い卒団式に、事務局長さんに確認すると本来リトルリーグは9月1日から、新年度としての活動に入るので卒団式はこの時期にやるのが正しいとの事でした。確かに、リトルリーグはアメリカ発祥の団体であり、その意味では、活動時期は、アメリカの9月から新学期が始まる事に合わせているとすれば納得でもあります。今年の卒団生は、リトルリーガーが9人、リトルシニアリーガーが16人です。

私も顧問と言う立場を頂いていますのでお祝いに駆けつけました。富士山が見えるグラウンドで、「富士に向かって打て!ふじ向かって投げろ!」を合言葉に仲間たちと汗を流してきたと思います。
富士山が世界文化遺産になり、世界の富士山の下で頑張ってきたことを誇りに、卒団するリーガーは、それぞれの道で頑張ってもらいたいです。今までは寒い時期の卒団式だったので、震えながら参加していたのが、特に今年は暑いので、汗が吹き出しながらの卒団式でありました。
最後は、卒団生とご両親がダイヤモンドを一周してクラウンドから送り出されました。卒団生を支えてきてくれたご両親も思い出も多かったと思いますが汗と涙が混ざったとても良い卒団式でもありました。
卒団式の前に行われていた静岡県夏季大会新人戦の決勝戦では、富士リトルリーグが優勝を飾りました。卒団生に良いはなむけであったと思います。

新年度になり益々の富士リトル・シニアリーグの活躍をきたします。
余談ではありますが、卒団式の後、ついついその後の焼き鳥屋さんで行われた懇親会にまで参加してしまい、飲み過ぎてしまいました。

商工会議所会頭から学ぶ!

富士商工会議所の遠藤会頭は大変元気で立派な方であると改めて感じました。と言うのも、朝早くから開催する倫理法人会において、「木から生まれた我が人生」の講演を樟泉閣で朝6時30分から8時まであったので眠い目をこすりながら聞きに行ってきました。

講演の内容は、遠藤会頭の仕事を通じての半生を振り返りながら、変化に対応しての商売や人生のシュミレーションを描きながらの考え方、また、最後に言われた、「頼りにされている事が大切であり、金が金の世の中では駄目である。死んで持っていけるのものでない、人生生きている以上やりたい事は沢山ある」という生き方には80歳を過ぎてもすごいバイタリティを感じさせます。流石、商工会議所会頭と感じました。ただ、それだけでなく、講演後、ふじさんめっせに移動し、キッヅジョブ開催前の、商工会議所青年部の朝礼で挨拶。

また、その後のキッズジョブ開会式に参加している精力的な活動量は立派です。以前に商工会議所会頭は忙しいと聞いていましたが、朝早くから活躍している姿を拝見すると、なるほど元気でなければ務まらないと感じます。また、講演の際にも言っていましたが、あらゆることに、もうこの歳になると言いたい事が好きに言える立場になったと言っていました。これからも、行政に対しても辛口であっても言わなければいけない事は言うと言う姿勢は崩さず、経済界のご意見番として頑張ってもらいたいです。

商売の事、人生の事、まちづくりの事等々商工会議所会頭から学ぶことは多いです。
朝早くから大活躍の80歳過ぎてもとっても元気な会頭の姿を見習い、私ももっと、もっと元気に活動をしなければと思っています。。

クリスタルボールでのヒーリング体験会

今年一番の猛暑と言われる中で、「暑い、暑い」と言いながら午後の最も暑い時に、クリスタルボールでのヒーリング体験会を後援会の女性部「ゆうこうの会」が開催しました。

クリスタルボールのヒーリング作用については、人体は70%以上が水分であり、水晶でできたクリスタルボールの振動性音によりその水分を媒体に全身全霊へ伝導し、深いリラックス状態へ導き、ストレスを減少させ、血液を増大させ体と心の統合を促し身体のバランスが取れる状態にしてくれるそうです。以前、細胞が10歳若返ると聞いて私は、富士宮のお寺で体験をしに行ってきました。ただ、その体験についての説明することが出来にくかったので言葉より体験をという事での企画をする事になりました。(100聞より1回の体験です)
今回の体験会の講師は井出天音氏、わざわざ富士宮から来て頂きました。

お盆前の忙しい中で開催でしたが、私の簡単な議会報告の後、ヒーリング体験を受ける寝転がった会員で会場は一杯になっていました。

1時間足らずの体験でしたが、クリスタルボールの音を聞きながら呼吸を整え、言葉での催眠誘導もあり眠ってしまう方も多かったようです。終了と同時に私も何となく疲れが取れたようなふわふわした感じになりました。多分、体験した人でないと分からない事でもあります。寝つきも良くなるとの事でしたので、最近、暑くて眠れない状況でもありましので効果を期待したいです。
(終了後の風水による人生相談もありました)

今後、ゆうこうの会でも、要望が多ければ継続的に開催してもいいかも・・・と言っていました。
次回の予定としては、国会見学を企画するそうです。
何であれ、ゆうこうの会の皆さんにはお世話になる事が多いので楽しくやって頂ければありがたいです。

浮島工業団地納涼祭の花火はすごい!

8月に入って、議員冥利に尽きると言うか、何というか週末はとにかく出かける所が多いです。

朝から、母親の作品も展示されている新興美術院富士支部の第20回夏佳作展。(母親も80を過ぎていますが、絵を書いています。立派です)
午後から、甲子さん、愛生保育園の夏祭りに参加。
夕方から浮島工業団地納涼祭は開会式から終わりの花火までしっかりと見てきました。
特に、浮島工業団地の納涼祭は今年で20回目、富士山の世界遺産登録もあり、盛大に開催されました。地域と共生しながら元気を発信する位置づけのお祭りは毎年多くの方が参加していますが、今年は最後まで会場が人、人で埋め尽くされていました。

私も、開会式や、抽選会で壇上にあげて頂きましたが、多くの人が声を掛けてくれるのはありがたい事でもあります。お酒も入ってしまい今までじっくりと花火を見た事が無かったのですが、最後まで会場に居てしまいました。でも、会場から見る花火は圧巻でした。「え〜すごいじゃん」と写真を思わず取ってしまいましたが、こんなに近くで花火が堪能できるとは改めてびっくりしました。

昨年、組合は40周年を迎え、式典にも参加させて頂きましたが、この地域で、50周年、100周年に向けてそれぞれの企業が努力して行ってもらい、お祭りも盛大に開催してもらいたいです。その為にも地域の議員としても、企業留置策としても、周辺インフラの整備や防災対策としての沼川流域の嵩上げ等も課題として投げ掛けられていますのでしっかりと取り組まなければいけない事であると思っています。多くの人で賑わうお祭りでは、仮設トイレが設置されますが、いつも、混んでいます。お祭りには間に合いませんでしたが、9月には隣接する釣り場公園にトイレも設置されることになりました。来年にはそのトイレも利用できるようになると思っています。組合のお祭りの為にできる訳ではありませんが、トイレが出来る事はありがたいと理事長も言ってくれました。
来年も盛大なお祭りが開催され花火は更に多く上げてもらいたいです。期待します。
しかし、お酒が入るとブログが書けなくなってしまうのは考え物です。

新富士RCで田子の浦港について卓話

ちょっと前に、新富士ロータリークラブのプログラム委員会の委員長さんより連絡があり、田子の浦港についての卓話を依頼されました。安請けあいしたのはいいのですが、このところ祭りを始めとするイベントや会合も多く、卓話の準備が出来ていませんでした。

祭りが終わった後に準備をすればいいやと思っていたのですが、富士まつり終了後も、静岡のグランシップで議員研修会として国際ジャーナリストの蟹瀬誠一氏の「グローバル社会を生き抜く日本の行方」の講演があったり、富士を語る会で議会報告をしてきたりした後での、新富士ロータリークラブでの「目指すべき田子の浦港の姿の実現について」の卓話の準備となり、寝る間を惜しんでのパワーポイントの作製には頭の中がパンクしそうになってしまいました。

その上、卓話の内容に、田子の浦港への客船、帆船の誘致については、急遽、朝の静岡新聞に大きく*「にっぽん丸寄港」巨大客船2年ぶりに熱海に*と言う記事が掲載されたのを見つけ、これは使えると思い資料に慌てて追加しましたので、ぎりぎりまで資料制作にバタバタでした。

ただ、その甲斐あって、新富士ロータリークラブでは時間いっぱいを使っての卓話は無事終了できました。喋りたいことはたくさんありましたのでとりあえず伝えたい事を整理しておいて良かったです。追加した資料である熱海港へのにっぽん丸入港については、多くの港で客船誘致を進めている事を、熱海でも寄港先になっていた事でもわかります。(にっぽん丸は6回目の入港だそうです)県内において富士市は遅れをとっている事にちょっと残念な想いはありましたが、市長も定例記者会見でも、クルーズ客船の誘致を発表しましたので、早急な実現が求められている事でもあります。帰りがけに会員さんからも、田子の浦港の海上ネットワークの構築はすべき事であると意見も頂きました。
(RCの林会長の挨拶)

いずれにしても、富士を語る会でも田子の浦港についての話題はあがっており、田子の浦港の防災と観光に対しては積極的な取り組みを進めるべきと意見も頂いています。また、田子の浦港については商工会議所さんや自民党さんでも政策として取り上げている事を聞きました。あらためて、富士市にとっての重要な社会資本の1つでもある田子の浦港のビジョンは求められる事であるとひしひしと感じます。
今週に入り、身体を使う事より、研修会や議会報告、卓話と頭を使う事が多く、ただでさえ暑いのに頭の中もぐつぐつと沸騰しそうな位、熱くなっています。ですから、身体を使うのとは別な変な汗が噴き出してきています。

商工振興委員会議で意見交換

現在、富士商工会議所の商工振興委員を務めています。
その商工振興委員ブロック別全体(吉原ブロック)の会議が開催されましたので参加してきました。

内容としては、
1、商工会議所の平成24年度の事業報告について
2、会員増強運動について
3、ブロック別意見交換会
テーマ1、地域の情報について(行政・会議所への提言・要望等)
テーマ2、会員増強について
4、意見交換会の報告
でした。

商工会議所会頭の挨拶の中では、「富士市では様々なイベントや行事は開催されており、参加して思う事は、行事を内々で開催しているように感じる。例えば先日開催された田子の浦港での「海の日」の事業に関してももっと盛大に多くの人を呼んでやるべきである。富士山が世界遺産になりもっと情報公開をして地域や団体、企業等を巻き込んでやらなければいけないと感じる。今後、商工会議所でも、観光振興のような部署も必要性は感じている」とありました。商工会議所の事務局には、総務部に総務課、振興課、中小企業相談所に経営相談課、商業観光課とありますが、更に観光振興に力をいれる考えがある事は伺えました。

また、地域別の意見交換会の際、新聞報道された「富士に新東名SAを」と言う富士市への富士山を望むSAを誘致する運動に商工会議所は協力支援をするべきであると言う意見もありました。議会でも取り上げられた事であり、内陸フロンティア特区に含まれていない地域でのSA設置は難しいと言う認識ですが、内陸フロンティアの指定地域での可能性があるならば運動が広がれば絶対無理とは言えませんが・・・ただ、課題は多く、時間の掛かる作業である事は間違いありません。でも、富士市を何とかしたいと言う思いの市民活動は必要であると思います。
その他にも様々な意見はありました。
細かいブロックに分けての意見交換は、議員と言う立場もありますので勉強になります。行政に関わる事も多く、様々な要望の中には自分なりに考えたい事もありました。