「茅の輪くぐり」で心も体も浄化!!

毎年恒例ですが、半年間のケガレを祓うために「富士市暴力追放推進講演会」に参加した後、夏越の大祓に行ってきました。

三日市の浅間神社では、6月30日と12月31日に、半年の間に知らず知らずに犯した罪や心身のケガレを祓い清め災いを除き病を取り除き長寿と反映を祈りながら、正常な本来の姿に戻るための「大祓」が行われます。
6月を夏越しの祓、12月を年越しの祓と呼んでいますが、夏越の祓では、境内に大きな茅の輪が設置され、茅の輪くぐりをします。この茅の輪くぐりは茅草で作られた大きな輪をくぐると疫病や罪が祓われるとされています。

配られたお札の中に茅の輪の説明がありました。
「備後風土記逸文に、貧しい兄の蘇民将来と富んだ弟の巨旦将来とういう兄弟がいて、ある神様が旅の途中に宿を求めた際、裕福な弟は断りましたが、兄が貧しいながらも精一杯のもてなしをしましました。この神様は兄の誠意に報いるため、茅の輪を作って腰につけさてその年に流行った厄病から救いました。そして、私はスサノオ命です。あなたの誠意に報いるためにあなたの子々孫々までお守りしましょう、これから災難に遭いそうになったら蘇民将来子孫なりと唱えれば必ず災難から逃れられるでしょうと言って去って行ったという事です」
この話に基づき、茅の輪を玄関にさげると守ってくれるとありました。
早速、家の玄関にかかげています。

梅雨時でもあり、体の調子も崩しやすく、寝不足等で疲れも抜けない状況ですが、夏越の大祓を機会に、心も体も浄化され、後半年間、神様に守られながら、病気なく、事故なく、怪我無く、大きな問題が起こることなく、災難なく、色々な事を乗り切ろうと思います。

其々の「道をひらく」

気が付けば6月になってしまいました。月日が経つのは早いです。
この1週間あれこれと目まぐるしく忙しいです。
個人的な事ですが、娘が5月31日より、新しい仕事に必死に取り組んでいます。
私がお世話をしている奨学生の南君が某国立大学への進路を決めました。
親しくしていた○井君が来週から名古屋で1から仕事をやり直します。

志を持って、目標を持ってそれぞれの道に歩みだしている事に陰ながらエールを送りたいです。
経営の神様、松下幸之助氏はこう言っています。

「自分には 自分に与えられた道がある。
 広い時もある。
 狭い時もある。
 のぼりもあれば、くだりもある。
 思案にあまる時もあるだろう。
 しかし 心を定め
 希望をもって歩むならば
 必ず道はひらけてくる。
 深い喜びも そこから生まれてくる。」
                  松下幸之助

娘も南君も○井君も若さと言う無限の可能性があります。どんな事にもチャレンジすることが重要です。
辛くても、苦しくても、歯を食いしばっても自分の道を切り開いてください。
必ず道はひらけると信じて・・・
私も負けないように、私の道をひらくために頑張ります。

幻の候補者か?!!予期せぬ事です

つぎからつぎへ予期せぬ事が起きます。
新聞報道で知ったのですが、自民党衆院第5選挙支部長渡辺典雄氏が辞任。(びっくりです)
両親が揃って、入院。それも、中央病院と清水町の岡村記念病院。(大変です)

妻が研修に出かけており、留守の為に両親の病院の梯子だけでも忙しいのですが、その上、渡辺氏の辞任の話題が駆け巡り、あちらこちらから

「どうして、渡辺さん辞めたの、病気??」
「無責任じゃないの」
「何があったの」
「やっぱりね〜あいつじゃ〜」
「取りやめ、幻の候補者か??」
等々の電話が掛かってきました。
私は、自民党の役員でも、彼の御守り役でも何でもありませんが、私に聞けば何か知っているのか問い合わせがあります。しかしながら、彼が辞めた理由は、また、辞める理由については何も聞いていません。ただ、この1カ月位の間は会合をキャンセルしている事は聞いていました。実際、ある地域においての集まりでもドタキャンをしていた事があり何か変だなと言う感じはありましたが・・・(それに最近ではあまりいい評判を聞きませんでした)
報道では、「一身上の都合」とされていましたが、何の説明も無くいきなり「一身上の都合」で簡単に辞められたら、何なのかと思います。益々、政治離れ、選挙離れに繋がるのでは・・
政権交代後の混乱を招き、今なお何をしてきたか示すことが出来ない民主党にたいして、もうダメだと言う国民・市民の声は大きいです。地域においても与党の大物議員はいますが、多くの声を代弁してもらうためにはそれ以外の代議士が必要であります。次の国政選挙への期待もあったので戦わずして、辞任してしまったことはがっかりです。既に、HPも閉鎖しており、どこにいるかは知りませんが、以前、「たとえ選挙に負けても、この地に骨を埋める」と熱く語っていたのは、何だったのでしょうか!!

突然の辞任、残念です。
予期せぬことです。
まちかどの掲示板に貼られた幻の候補者のポスターが物悲しく見えるのは私だけでしょうか・・・・

映画館の無いまちでのイベント

映画「エクレール・お菓子放浪記」東日本復興支援 富士市上映会が開催されました。あちらこちらの後援団体からチケットが販売されましたが、所属団体でのお付き合いもあり、必要以上の購入を余儀なくされましたので、無駄にするのももったいないと思い家族で見に行ってきました。

どうして、この映画の上映会を富士市で実行委員会が組織され開催されるのか、パンフレットも読んでいなかった為に、あまり理解していませんでしたが、会場で実行委員長さんの説明を聞いて納得しました。
(伊藤実行委員長さんイベント告知で頑張っています)

この映画は静岡県在住の小説家西村滋氏の作品を映画化しており、戦争を背景に孤児である少年が力強く生きていく姿が描かれています。震災後の日本においても支えあう社会の大切さ感じながら、この映画の入場券一枚につき30円が義捐金として被災地に贈られる復興支援イベントでもありました。と同時に、実行委員会では、現在、富士市に映画館がない事に対して、映画館の復活を進めるきっかけとしていました。
私の趣味として、映画鑑賞とよく記載しますが、沼津や清水に富士宮に映画を見に出かけています。自分の住んでいるまち以外に行かなければいけないのは不便を感じますし、26万都市において、映画館が無い状況は本当に寂しい限りです。フィルムコミッションでロケ地誘致もしていますが、せっかく撮影されても見る場所が無いと言うのは情けない気もします。また、今回のイベントではロゼシアター大ホールで映画が上映されましたが、あまりに会場が広く、音響もよくなく、後ろの席では画面も小さいので子供の頃感じた映画の迫力と言うのを感じませんでした。
(フィルムコミッションさんも活動告知頑張っています)

30年位前に歌手の吉幾三さん「おら東京さいくだ」と言う歌があります。その歌の中には「薬やもね〜映画もねー何にもねーオらこんな村嫌だ、おらこんな村嫌だー東京へ出るだ〜」と歌っており、当時は笑いながら聞いた覚えがあります。
でも、今では笑えません。
復興支援を兼ねた映画上映会でありましたが、映画館の無いまちのイベントでもあり、本当にこのままでいいのかな〜と憂いてしまいました。

岳鉄江尾駅から、登山電車、トロッコ電車を・・・

岳鉄イカシ隊の特別イベントが多くの人の参加で開催されました。「みんなの想いを乗せて“がんばろう福島!号”発車!!と題して福島市富岡町との交流を岳鉄を利用しながらのイベントでもあります。
その際に、岳鉄を活かす為の、目からウロコ的なアイデアを貰いました。

吉原駅から江尾駅までの往復で、江尾駅ではお蕎麦が振舞われましたが、江尾駅でテントが張れなかったアクシデントはあったものの大盛況です。

江尾駅で参加していた知人が、私を見つけて
「荻田さん。岳鉄を活かすには、箱根みたいに登山電車を作るといいよ。それか、黒部や嵯峨野みたいに、ここから、須津川渓谷、子どもの国へ向けてのトロッコ電車を走らせられると富士市の観光の目玉となっていいと思うんだけど」
と提案されました。
今まで、考えた事もありませんでしたが、確かに江尾駅を起点とした登山電車やトロッコ電車があれば、大棚の滝がある須津川渓谷を観光資源として有効に活用できますし、多くの人が訪れる事によりこの地域の大きな活性化に繋がると思います。現在、須津川渓谷はがけ崩れ等で危険箇所もあり、安全対策は求められています。車での規制も考えなければいけない時が来ていますが、将来的な整備を考える上でトロッコ電車等が走れば、車を利用しないでの観光が進められます。
現実的には難しい夢のような話であるかもしれませんが、東部地域に大きな変化をもたらすためには、「どうせ、むり」と思わずに大胆な発想は必要な事であると強く感じました。また、夢が無ければ面白くもありません、
江尾駅からの登山電車、トロッコ電車。
「アリ」だと私は思います。

江尾駅からトロッコ電車について
岳鉄の親会社でもある、富士急さん考えて頂けないでしょうか??

*イベントでテントが張れなかったアクシデントは、テントの足が足りなくて張れなかったとの事でした。まちセンから用意されたものを運んだのですが、私も確認しなかった事は反省です。でも関係者の適切な対応のもとで支障が無かったのは何よりでした。

富士市長の平成24年度施政方針。

いよいよ2月議会始まり、3月22日までの38日間の会期に突入しました。
初日、市長の市政運営に向けて所信の一端と重点施策の大要についての施政方針演説がありましたが、50分弱の演説でいつもより短かったようです。

市長は、
「歴史的な転換点に直面した今、前例にとらわれず、変えるべきものは変え、新しい発想と次の段階に飛躍する覚悟を示し「刻苦勉励」の精神を持って第5次総合計画で揚げた「幸せを実感できるまち」の実現に取り組んでいく。
新年度の市政運営に向けては
新年度を「富士市の都市活力再生元年」と位置づけ3つの分野に重点的経営資源を集中させる。
1、 都市活力再生に向けた取り組み
2、 安全と安心の実現に向けた防災対策
3、 未来への投資としての子育て支援の取組み
施策の大要
第5次総に位置付けられた7つの柱
1、安全でくらしやすいまち
2、健やかに安心して暮らせるまち
3、産業が交流するにぎわいのまち
4、人と自然が共生し環境負荷の少ないまち
5、魅力ある教育を実現するまち
6、人にやさしい便利で快適なまち
7、市民と創る新たなまち
平成24年度の当初予算は
一般会計788億円
特別会計471億8,940万6千円
企業会計290億5,476万9千円
総計1,550億4,417万5千円
不要不急な事務事業を見直しを徹底し、都市活力の再生、地震、水害対策、子育て支援なの重点を置いた予算編成を行った。
結びに
激動の時代こそ、自らの持つ可能性を信じてあらゆることに果敢に挑戦していく。」
としていました。
詳細については、富士市のHP上で確認してください。
感想としては、大局としては課題を捉えているものの、「変えるべきものは変え、新しい発想」や「都市活力再生元年」とするならば、様々な施策は挙げられてはいますが、欲を言えばもっと思い切った施策があってもいいような気がしました。(第一印象としてです・・・)
今後、会派で細かく検証をしていきますが、「富士山のふもとしあわせを実感できるまち富士」の実現を確認せねばならない事でもあります。
*通夜、会合終了後家に帰ったら、妻と娘からの義理チョコがありました。チョコをかじりながら頑張らねば・・・・

多文化共生のまちを目指して

富士市国際交流協会が主催する第24回国際交流フェアが開催されました。
毎年、2000人以上の外国人が参加する国際交流の場所でもありますが、今年のテーマは「心通い合う多文化共生のまち 富士」を目指してです。

製造業の多い富士市には外国人が多く、富士市に住む外国人登録者数は、南米系日系人を中心に年々増加し、その数は、50か国籍で5000人以上います。外国人の多くは就労や婚姻等で富士市に生活の拠点を置く一方、生活習慣の違いなどによる問題も発生している事があります。
多文化共生とは国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的な違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員としてともに生きていくことです。
その一環として外国人と触れ合う機会を与えてくれるのが国際交流フェアであります。
今年も様々な団体がブースを出し、ステージでは国際色豊かな歌や踊りのパフォーマンスが行われていました。

私も今年、4月8日に行われる「外国人による日本語スピーチコンテスト」を終日宣伝してきました。

この事業も、外国人の方の文化や考え方を知るいい機会でもあります。より、多くの外国人が参加してもらいたいと思っています。
(もし、知り合いの方がいたら、出場を促がしてください。お願いします)
富士市では昨年、国際化推進プランが進められています。
本当に誰もが住みやすい地域づくりを進めなければなりません。

「何のため、誰のための成人式?!」

富士市では新たに2849人の新成人が誕生します。
新成人の門出を祝福する為に、ロゼシアターで一堂に集めた成人式が開催されました。
昨年の富士市の成人式では、一部の飲酒した成人による行き過ぎた行為で事件にまで発展してしまった事を受け、本年度の成人式では舞台そでに警備員が立ち、物々しい中での開催でもあった様な気がします。

本年度の変わった点としては、問題が起こらないように事前に入場券が発行されており、入場制限がなされ、関係者以外の入場ができくなっているとと共に、飲酒が認められる成人の入場はさせないようになっていました。また、今までは、来賓は式典終了で、退席していましたが、第2部のアトラクション終了までの参加となっています。
議員になってから、毎年欠かさず、成人式には参加していますが、相変わらず、ざわめきの中での開催であり、式典が始まっても、席に着かないもの、市長、議長の挨拶に際しても、式典と言う感じではなく、掛け声や旗を振ったり、口笛を鳴らしたりする始末でもあります。また、多くの参加者を会場に入れるために行われている第2部のアトラクションに関しても、始まると退席してしまう新成人も多く、プログラム終了までの残っている成人は、半分以下でもありました。
改めて、富士市の成人式に参加して
「何の為、誰の為の成人式」
なのか疑問に思ってしまいます。
ただ、新成人の数(2849当日参加者2105人)に対して、あきらかに入場できないロゼシアター大ホール(1500人)の会場については問題もあり、第2部のアトラクションも含め、富士市の成人式のあり方については検討すべき課題であることは感じました。

全国的には荒れた成人式はあるかもしれませんが、成人式が終わり家に帰ると被災地での石巻市の成人式がテレビで報道されていました。
参加したわけではありませんので内容は分かりませんが、テレビで見る限り、粛々とした式典は、災害で亡くなられた方への黙とうで始まり、復興を進める上での新たな決意を持った思いのある成人式であった様な気がします。

被災地ではありませんが、富士市の経済状況も厳しさが増します。
新成人の皆様には、富士市の為に、力を貸していただく事を心から期待しています。
あらためて、成人を迎えられた皆様、おめでとうございます。

新たな年を迎えて

(辰年ですのでタツノオトシゴ)

新年あけましておめでとうございます。
2012年の辰年は、初日の出こそ見られませんでしたが、暖かく、穏やかな1年の始まりでもありました。

例年通り、初もうでも出かけ、地域の神社でもお参りをしましたが、願うだけではなく、それなりの努力をしなければと、自分に言い聞かせながらの参拝でもあります。
2012年新たな年を迎え、また一つ歳を重ねます。
今までは、見せる生き方、見られる生き方を気にしていたと思うけど、50代は自分が納得のいく生き方をすべきだとアドバイスをされました。
365日与えられた時間はあっという間に過ぎていきます。
湯川秀樹先生の言葉ですが、
「一日生きる事は、一歩進む事でありたい」

自分なりの思い・志を持ちながら、議員としても自分の歩幅で、一日一歩といかなくても、少しでも前へ進む年にする為に、大事に時間を過ごしたいと思っています。

富士山に見守れながら良い年にしたいです。
2012年元旦
富士市議会議員 荻田たけひと

「もっと、もっと、もっと、元気!!」

2011年大晦日を迎え、今年もあっという間に終わってしまいます。
選挙の年でもありましたが、振り返れば、様々な事があった年でもありました。

特に、1000年に1度の事であったのかもしれませんが歴史的な事柄として、3月11日に東日本大震災があり、その日を境に、被災地はもとより、日本国内においての様相は一変しました。一瞬にして街の姿を変えさせ、多くの方の命を奪い、未だ行方不明者がある中で、私も被災地にはボランティアを含め、3度足を運びましたが、多くの被害を目の当たりにし、想定外と言う言葉の意味することを考えさせられ、一刻も早い復興を祈りながら、事実を教訓として活かさなければと感じました。
一方、歴史的な円高、世界経済の不透明感、消費や雇用が冷え込み、政治への不信感、更に地震の影響で、物の供給網の寸断、電力需給の問題も発生し、経済においての混乱は大きく、株価も急落と厳しさは増しました。
富士市においても、3月15日に東部地震があり大きな被害が発生しており、その後、地震以外の災害として、豪雨、台風と地域においても被害の爪痕を残しましたが、それらを踏まえた中で地域防災の強化、災害時での減災に対しては最重要課題として取り組む事であると強く認識した年でもありました。と同時に、市内経済においては、大手企業の生産縮小、海外進出と産業界にも大きな激震が走った年でもあり、今後の富士市の経済に不安はぬぐえません。
そのような中でも、私自身においては、4月24日に選挙があり、多くの皆様に支えられ、2期目の当選をさせて頂きました。
当選後の議会では、
6月議会
「キャリア教育(生きる力)の更なる充実について」
「選挙環境改善の取り組みについて
9月議会
「東部地域の更なる水害対策と沼川流域の整備改修事業の促進について」
11月
「富士市立中央病院の経営形態の在り方について」
とすべての議会に登壇。
子どもの未来・命や生活を守るという事に視点を置き、自分なりに取り組みましたし、議会改革も進めていますが、多くの課題も頂いた年ではありました。
しかしながら、病気、怪我なく、多くの人に支えられ、活動ができたことは、月並みな言葉でありますが、「今年1年間ありがとうございました」で締めくくりたいです。

選挙中にも言い続けてきましたが、被災地への思いもあり

「もっと、もっと、もっと、元気!!」
と言う思いは更に強く思っています。
この思いは来年にも持ち越しながら、
富士市も、被災地も、日本も
「もっと、もっと、もっと、元気!!」
になる事に期待を込めると共に、自らが「もっと、元気!」でありたいと思っています。

2011年12月31日
富士市議会議員
いつでも、どこでも、ガンバルマン
荻田たけひと

どうなる岳南鉄道、どうする富士市の公共交通

岳南鉄道は昭和23年に設立し、富士の貴重なローカル線として活躍してきました。吉原駅を起点に10駅あり全長は9,2キロ。「新赤がえる」「がくちゃんかぐや富士」の旅客列車と、貨物輸送の電気機関車の両方が走る鉄道としての特徴もあります。その岳南鉄道が富士市公共交通協議会において、「岳南鉄道の運行継続困難の申し出について」が協議されたので傍聴に出かけたのですが、翌日の新聞には大きく「岳南鉄道 事業撤退も視野」と言う記事が大きく報道されました。

岳鉄の畠山社長からの説明では、岳南鉄道の旅客輸送量は平成22年度77万人で、ピークだった昭和42年度の510万人の6分の1以下に減少。また、貨物輸送量は平成22年度6万4千トンも、最盛期であった昭和44年度の99万8千トンの15分の1というこうした情勢から22年度の鉄道事業収支は約6263万円の赤字計上であるとしました。
(協議会で提出された資料)

来年の4月からJR貨物輸送が廃止になる事により赤字はさらに拡大するとして、鉄道事業は自助努力では乗り切れない状況の説明があり、地域での岳南鉄道を支える仕組みづくりの公的支援の要望が出されました。
今後、専門部会であり方は協議されてきますが、現在も1日2100人の利用はありますので、もし鉄道が無くなるとするとその影響は大きく、また、長い間愛されてきた岳鉄が無くなるという事態は市民にとっては損失であると共に大変ショッキングな事でもあると考えます。しかしながら、鉄道インフラの維持整備には莫大な投資は必要となり、市民の理解無くして簡単に公費投入と言う判断は難しく、新聞にも書かれていましたが、公共交通の未来を、市民が真剣に考えなければいけない時がきたようです。
私もその意味でも事業撤退も視野と新聞報道がなされた日に、岳鉄では、「第4回機関車祭り」が開催されていたので、沿線住民としても気になり、電車に乗って見に行ってきました。

機関車祭り開催場所の比奈駅には、地域の人はもとより、沢山の鉄道好きの全国あちらこちらの方々がカメラを片手に集まっており、鉄道に関わる物が売られ賑わっていました。

鉄道撤退という記事を読んでいるだけに複雑な気持ちはありましたが、じっくりと、貨物機関車のED501,ED403等を写真に収め、フリーパスでがくちゃんにも赤がえるの電車にも乗りこみ、岳鉄を堪能してきました。

時代の流れの中では、公共交通としての岳南鉄道の価値を市民がどれほど認識しているかは気になる所でもあります。
(昭和30年頃の岳鉄風景)(休止予定の貨物列車ED501ED403)

以前にもブログに書きましたが、どうなる岳南鉄道、どうする富士市の公共交通です。

沼川流域河川整備計画(原案)には不満です。

第5回富士川水系沼川ブロック流域委員会が、11月11日に開催され、今後、概ね20年間の計画原案が示されましたが、東部地域の水害常襲地に住む住民として、また、水害対策に取り組んでいる地元議員としても不満があります。はっきり言って納得できません。

と言うのも、今回示された原案では、河川工事の種類及び施行箇所は、
沼川新放水路 高橋川分流地点
江尾江川   沼川合流点〜江尾橋
小潤井川   伝法沢合流点
伝法沢川   小潤井川〜中村橋
であります。
私は議会でも何度も東部の水害対策を訴え続けてきました。当然、市当局には対策を求めると共に、何度も富士土木事務所に通いました。その中での、最終的な結論は、抜本的なこの地域の水害対策は、沼川の水はけをよくしない限り、問題個所での浸水、あちらこちらで頻繁に起きる、道路機能のマヒさせてしまう道路冠水の解消はありえないという事です。市長答弁及び建設部長の見解でも、必ず、最終的には、「抜本的な解決は、沼川流域での放水路の整備、石水門の拡幅である」との答弁で締めくくられており、「県へ強く要望」していくとしていました。(私の今までの一般質問を確認してください)
にも拘らず、今回の整備計画ではその事に触れていません。また、説明もありません。

委員会を傍聴していて、内心、納得できないと強く思っており、今後、予定される、地元説明会やパブリックコメントで意見を言わねばと感じていました。このことについては、市当局でも感じてくれたようで、最後に、県へ、「全体の整備計画が見えてこなく、沼川本川の能力がどのように成るのか、昭和放水路、石水門等についての経緯、本川のストーリが見える具体的な整備計画について求められるのか」と市としての意見は出してくれました。どのような、対応がなされるのかは気になる所ですが、今後20年の整備が江尾江川の拡幅だけで、東部地域の浸水解消を保証してくれるのでしょうか・・・(拡幅については、20年のスパンではなく、すぐに取り組んで頂きたい事でもあります)
そのような意味では、今までの経緯を踏まえても今回の原案には私は、どう考えても、不満であります。

自転車利用の環境整備を!!

最近よく自転車に乗っていました。

と言うのも、私の家の車の出入り口で、公共下水管の埋設工事が6月から始まっており、車の出し入れが出来なくて、日によっては車の利用が出来ない時が生じていたからです。
自転車を利用して感じた事は、道路環境が良くない事。

特に東部地域の根方街道は道が細く自動車が通過するたびに危険を感じ、自転車を利用するには危険な道路でもあります。沼津線では、自転車は歩道を走っていますが、段差が多くとても走りにくく感じます。また、歩道には木が植えられており、歩道を狭くしているために、歩く歩行者との接触事故もよく見かけました。しかしながら、先日のニュースで私は、歩道を自転車が走っていいものの勘違いをしていましたが、歩道を走ってもいいのは13歳未満の子ども、70歳以上の高年齢者、身体障害者と道路が工事中のやむを得ない場合で、これ以外は原則、車道の左側を走る事が義務つけられており、その上、今後は自転車通行可の歩道は3メートル以上の歩道でなければいけないとの事です。今後、歩道では道路のバリアフリー化が進めば進むほど、段差が無くなり自転車のスピードは出しやすくなる事は考えられます。歩行者を守るためにも自転車は車道を走る整備が求められなければいけない事でもあります。自転車利用を促進する上では、道路整備は重要な事であると思いますが、富士市はその点についての対策はどのように進めていくのか気になる所でもあります。自転車はどこでも走っていいと言う訳ではありません。忘れてはいけない事は、自転車も自動車と同様に車両であるという事です。
やっと下水道の工事が来週で終了すると連絡がありました。
自転車を利用するには、道路環境を始め、駐輪場の問題や公共交通との接続、利用者のマナー等々多くの課題があるようです。

結構危険な目に合っているので、ようやく工事が終了して自由に車が利用できると思うと何となく安心に思ってしまうのは、しょうがない事ではないでしょうか・・・。

「なんちゃって更年期(うつ)」

最近あまり映画館で映画を見る事はありませんでした。
でも、ちょっと思う事もあり、レイトショーで家族である映画を見てきました。それは、「ツレがうつになりまして」と言うのも・・
最近、なんとなく怠くて、集中力がなく、昼間眠くてしょうがないと相談したら、女性だけではなく、男性にも更年期障害がある事を聞いたので・・。

40代から50代にかけて、体力の変化に伴い、お腹が出てきて、手足が細り見た目も変わって来た人は特に注意が必要であるそうです。仕事からのストレスや若い時の健康的な体型が維持できず、見た目が変わる事による精神的なダメージが気力や体力を奪い、いらだちや不安を増幅させていくそうです。症状として鬱になるそうです。特に几帳面や真面目な人に多く見られるそうです。思い当たる節もあり、もしかして、私も更年期障害と思ってしまいます。
「荻田さんなら大丈夫!元気そうだもの、ストレスなんかないでしょ」
とよく言われますが、でも、人には言えないそれなりの悩みもストレスもあります。

映画での「ツレうつ」は、うつとういう重たいテーマを漫画や爬虫類の目を通して、割と軽い形で表している映画でもありました。自殺者が3万人を超える現代において、心の病にある日、突然襲われる事は、怠け者と思われてしまう本人にとっても、家族にとっても深刻な問題でもあります。決して他人ごとなく、どのような状況になろうとも、病院に行き、家族で支えあい乗り切らなければいけない事であることが映画を見ながら実感しました。多分、私の場合は、怠けているのではなく、やる事が多すぎて、今のところ、やりたくない事や嫌な事を後回しにしたいとき、自分で何か病気にかづけようとしている都合のいい時だけの「なんちゃって、更年期(うつ)」だと思っています。(本当に病気ならこのような事は言えないと思っています)

ただ、映画を見た時も、福祉祭りに参加した時も、障害や病気であっても、家族を始め、支えあう社会の大切さは実感しています。

*映画に関しては、以前にも、「明日の記憶」と言う若年層アルツハイマーの映画を見ましたが、身体について不安がある年頃でもあります。

継続は力なり・・かな??

「1260」何の数字かわかりますか。
10月10日でブログを掲載し始めて丸4年が経ちました。
4年前に少しでも、自分の活動を知ってもらいたいと取り組み始めたのですが、正直な話,飽き性の性格である為に、長くて3週間位で挫折してしまうかなと思い書き始めました。
でも、気が付けば4年。
掲載した回数が、なんと、1260回。

最初の1年間は富士市にいない日以外の毎日書き続けました。現在は、月平均25日、ほぼ毎日と言うペースを保ちながら継続中です。雨にも負けず、風にも負けず、誘惑にも負けず、眠いのも我慢、飲みすぎにも注意、時には書きたくないと思う時もあります。また、夜中までパソコンを見ていると家族にはいい加減にしなさいと怒られた事もありました。でも、今も続けている事が、自分でも不思議です。
ブログ自体は、1年前、2年前の事とか、記憶が曖昧になっている事の確認もでき、記録として、ふと、振り返る事ができるので私にとっても、それなりに便利に活用できています。
とりあえず、継続は力なりと言う言葉がありますが、力になっているか別としても、やり続ける大切さは感じています。
そうは言っても、改めて、1260回(1260日)も掲載しているのかと思うと、自分でもびっくりです。

まず、パソコンと体のメンテナンスを・・

9月議会最終日、台風15号による被害の緊急復興に2億2453万円の補正予算が追加補正された後、29日間の議会は終了いたしました。今議会での自分なりの課題は精査し、次の議会に活かさなければと思っています。また、議会中で後回しになっていた案件が山積みになっていますの取り掛からなければいけません。

でもその前に、議会終了と共にやらなければいけない事として、ここの所、パソコンの調子が悪くて、不便をしていましたので修理をしなければいけません。今までは、近くにエイデン中里店があり、すぐに修理に持って行けたのですが、閉店してしまったので、修理に行くのにもつい、日が過ぎてしまっています。変なウイルスが入っていなければいいのですが・・・(1年前にはサイバーテロに会っています)後、季節の変わり目なのか特に体が疲れやすく、しっかりと休養を取らなければと思っていますが、イベントや用事が多く思うようにいきません、病気になってはやりたい事もできませんので、一度検査に病院にも行ってきたいと思っています。
9月議会は終了しましたので、体もパソコンもメンテナンスをしてから、しっかりと活動をしたいと思っています。

66回目の終戦記念日

終戦記念日を通じて、戦争という事をこれからも風化させることなく、次世代へ引き継ぎ語り継いでいく事が大切な事であると感じています。
今年も終戦66年の15日に、富士市のロゼシアター中ホールで「平成23年度富士市戦没者追悼式」が開催されました。

私自身、戦争を知らない世代ではありますが、戦争と言う悲劇を繰り返してはいけない、今ある平和を恒久的に続けなればいけない、と言う思いの基、毎年同じような内容の繰り返しとしても掲載し続けなければならない重要な事であると思っています。
富士市での太平洋戦争までの英霊は、3697柱、遺族世帯数は1661世帯。
追悼式は、政府主催の全国戦没者追悼式の実況放送を聴取した後、厳かに式典は進行していきました。全国でも戦没者310万人の英霊に追悼が行われましたが、本年に関しては、東日本大震災の被災地からの遺族も多く参加していると聞いています。今も、遺体捜索が続く被災地の光景は戦争の惨状と重なり、戦争の悲劇を引き起こしてはいけない事を改めて英霊の御霊に誓っている事でもあったと思います。また、多く方々が、今ある平和の礎を創り上げてくれた御霊にしっかりと見守る事は追悼をしながらお願いした事でもあったと思います。
ちょっと気がかりな事があった事として、富士市遺族会代表挨拶で、いつもなら、鈴木会長の挨拶で締められるのですが、今年は副会長さんでした。ご高齢ですので体の調子でも悪いのかと心配しています。(何にもないのならいいのですが・・・)
また、管首相は靖国神社への参拝をしない事は、国の礎の為に亡くなられた英霊や遺族を軽視しているように思え、私には違和感があります。
66回目の終戦記念日は終わりました。
いずれにしても、恒久平和は願います。

時代の流れでしょうか!?

時代の流れを感じます!!
地デジ化と大騒ぎしてきましたが、2011年7月24日の正午でアナログ放送、58年の歴史が閉じました。

私の学生時代の情報収集雑誌でもあった「ピア」も39年の歴史にピリオドです。7月21日の最終号で完全廃刊となりました。

42年も続いた、日本最長寿番組の時代劇「水戸黄門」も終了です。

アナログ放送終了で地デジ化していないテレビは本当に映らなくなってしまいました。
でも、テレビが大好きな私にとって、地デジ化になり、今後は、変わったことによる、地デジ化の効果が実感できる放送の質の向上は期待しています。

映画や演劇などを知る情報誌として買い求めていた「ぴあ」。(今の若い人にはわからないだろうな・・)インターネット、携帯電話での普及により、紙の媒体としての情報雑誌の役割が終わったような感じもします。

良く口ずさんだのですが、「人生楽ありゃ、苦もあるさ・・・」も時代遅れになったのでしょうか・・・・・・

何十年とアナログ時代を生きてきた私にとって、移り変わる時代の流れは、寂しさを感じる事柄でもあります。

議員は住民の代表

 自治政策講座において、竹下譲氏の地方議員の役割と議会改革の講演を聞きました。
 議員入門編でもある講演は、この4月の統一選挙で当選してきた全国の多くの新人議員が参加している事が前提でもありましたが、改めて「議員は住民の代表」と言う真の意味を考えさせられました。

新たに議員になられた人にとって、住民が知らない事は、新人議員も知らないのは当たり前の事であります。議員になってあまりに形式的な議会にさぞや驚いている事であると思いますが、議会は住民の代表機関であることを前提にするならば、議会が形式的になっている事は問題にしなければなりません。
住民の視点で分かりやすい議論をするために議会における「悪しき因襲」に疑問を持ち続けなければいけませんが、熱き想いも、のど元過ぎればなんとやらで、先例や慣習にだんだんと洗脳されてしまう事は、議会改革にはつながらない事でもあります。
私自身2期目の議員になりましたが、初心に戻って、議員は住民の代表である事を主張する議員でなければと思っています。

***なでしこジャパンの世界一を見て、あきらめない事の大切さも痛感しています。

改めて、誕生日を迎えて

気が付けばまた一つ歳を重ねてしまいました。
時は一瞬で過ぎ去っていき、1年があっという間と言う感じです。
ついこの間、「おめでとう」と言われたような気がしていたのですが・・・段々、歳を重ねる事が早くなってきているように感じます。

改めて誕生日を迎えて
いつまでも若い気でいますが、鏡を見ると、髪の毛が少なくなっている上に、しわや白髪も目立ちます。
お風呂に入る時に裸になると、でっぷりと出たお腹を見ると、がっかりします。
物をどこに置いたか忘れることが多くなりました。
夜遅くまで起きていると朝起きることが出来なくなっています。
汚い話ですが、おしっこのキレが悪くなってきています。
パソコンを見ていると目がかすみ、肩がすごく張るようになりました。
市役所を9階まで階段で登るのに、6階で休まないと登れません。
健康診断で要注意事項が増えています。
気持ちと裏腹に、体の異変は顕著です。

子供の時は、誕生日が待ち遠しかったのですが、大人になってからは、めっきり、誕生日だからと言ってお祝いをしてもらいたい特別な日では無くなってきています。

お祝いやメーセッジをもらい、ありがたいとは思いつつも、この1年間しっかりした歳の取り方したのか、考えてしまいました。改めて振り返ると、自己管理はあまりできていない部分はありますが、大きな事故、病気、怪我も無く、取り立てて家族に災難も無かったこの1年間に感謝をしたいと思っています。(選挙にも当選できましたし・・・)
私にとって誕生日は、歳を重ねた事を祝うとよりも、何気なく過ぎ去る毎日の積み重ねがどうだったのか、1年に一度、誕生日で振り返る時なのかもしれないと感じています。
そのような意味では、あっという間に過ぎ去る時間を無駄にしないで次の誕生日を迎えたいと思います。
また、議員としても、活動をしていくために、自己管理をして、健康に気を付け、事故や病気が無く、やりたいことがあっても、出来ない状況にならないような1年にしたいと思っています。
「無事これ名馬」
と言う言葉の通りに・・・・

私にも「守りたい人がいる」

 

大規模災害に対して自衛隊の活躍無くして、災害時の救援、被災地への復旧、復興はあり得ないと思っています。
陸上自衛隊のキャッチコピーとして
「守りたい人がいる」“”Always for our people”、と言う言葉がありますが、富岳自衛隊の平成23年度の総会で耳にしました。

このコピーで言う「人」とは、愛する家族であり、ふれあう地域の人々であり、我が国の美しい自然や文化をも表しています。 陸上自衛隊員は、この「守りたい人がいる」を通じて、愛する人、愛する日本のために「事に臨んでは身の危険を顧みず任務に邁進する」という陸上自衛隊の存在の原点を明らかにし、逞しく頼りがいのある陸上自衛隊を目指すことを宣言するものであるとの事です。

「守りたい人がいる」本当にいい言葉ですね。

富岳自衛隊の総会後の講演会は、まちづくり推進会議に出席しており、遅刻してしまいましたが、遅れてきた私に、被災地から戻られたばかりの川崎富士師団長が、災害が起きてからの3日間が大切であり、しっかりした情報と適切な指示があれば、助かる命があることを熱く語ってくれました。
(押し寄せる津波の写真が展示されていました)

 
せっかくのチャンスと思い、私の富士市独自の自衛隊とのパイプは必要である事の意見を述べさしてもらうと賛同してくれました。
(川崎富士師団長と)

今後、富士市の防災について、様々な助言をもらいたいと言うと帰り際に、「荻田さん、富士市の防災についても共に考えていきましょう。連絡ください。応援しますよ」と連絡先を頂きました。

私にも、富士市に「守りたい人がいる」

ちょっとかっこいいかな・・・・

心に染み入る言葉

私は、25歳まで原田で生まれ育ちました。
その後25年間は、須津地区の増川に住み生活をしています。養子に入り、苗字も変わり、荻田の先祖奉りをしていく使命もあります。今は、増川の円照寺の檀家ではありますが、実母の祖父母のお墓は原田の永明寺でもあり、お墓参りにも良く行きます。
子供の時は、湧水が湧き出る裏庭に入り込み沢蟹を取った覚えがあるお寺でもあります。

そんな懐かしい思いもある永明寺でもありますが、先日ご詠歌を練習している皆様へ挨拶に寄った時に、ふと目にした言葉がありました。
「人生は
    多くの人々の
     協力の中で 豊かになっていく」
本当にその通りだと、思います。

今までも、定期的にはお寺へ行っていましたが、気が付きませんでした。
選挙もあったせいか、心に染み入る言葉でもありました。
年を重ねていくと、様々な言葉が財産となってきています。

本格的スタート

5月9日に選挙の収支報告書の提出も終わり、選管より、「選挙に係る供託物の還付について」の通知を頂きましたので、早速、供託証明書を発行してもらい、法務局へ行き、供託金30万の還付の請求をしてきました。これでようやく、選挙が終わった後の事務的な後始末がほぼ終了と言う形になったと思います。(何か忘れていないか不安でもありますが・・)

すでに会派届も出されており、新聞報道でもありましたが、会派は3人以上とすることから、8会派から一つ減り、6会派と1無会派で会派構成がなされました。会派については、一般的には分りづらいところもあると思いますが、「議会内において考え方や政策などを同じくする議員が会派を結成し、独自の調査・研究を行い、 その考え方をより効果的に市政に反映させるよう活動しています」と説明されています。その上での判断で会派入りをしていますが、しかしながら、それぞれに様々な思惑や考えはあると思います。私は、自分自身の資質向上を進めていく上で判断した結果、引き続き、1期目同様市民クラブで活動をしていきます。
20日には臨時議会が開催されますが、正副議長の立候補者は、誰が出るのか、その他のポストについても駆け引きがどのように進むのか気になる所でもあります。
5月1日から、2期目のスタートがしていますが、昨日(5月10日)をもって選挙後の様々な事柄がほぼ終了しましたので、いよいよ、これからが、2期目の本格的なスタートでもあると思っています。
気持ちも新たに、雨が降っていますが、朝から、交通安全の出発式への参加です。

変化している家族構成への対応

前から、気になっていたのですが、日本の人口構成及び家族構成が大きく変化している事についてですが、特に、少子高齢化とともに変化が著しいのは単身世帯の増加です。それによる商業動向の変化は職業柄のせいもあり、興味があります

国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」によれば、配偶者のいない40代以上の層は2010年2078万人から2015年には2384万人(360万人15%増)に増えています。そのうち配偶者のいない40代以上の女性の単身世帯(いわゆる「おひとりさま」)が2010年1357万人から2015年には、1524万人(167万人、12%増)になると推計され、配偶者のいない70代以上の女性は2015年には809万人と圧倒的な人数となります。また、配偶者のいない40代以上の男性もこの5年間で139万人(19%)増え2015年には860万人になる見込みで男女とも40代以上の単身世帯が急増しています。また、現在、女性の就業率は上昇しており、男性の就業率は減少しているもの女性の就業率は6割に上昇しており、仕事をして家計を支える女性が増えており、買いものや家事に時間をかけない傾向が高まっています。
一方、商店街や小売店が無くなり、社会インフラや銀行の支店などサービス拠点も年々減少する傾向はますます進んでいます。住まいの近くに商店が無かったり、遠くまで外出が困難である物理的、距離的な問題で生活に不自由している「買い物弱者」も急増しています。
この家族構成の変化による生活変化への対応は求められる事ではないのでしょうか。
大きな少子高齢化と言うくくりではなく、近い将来において家族構成が大きく変化している事に対しての予測の上での社会も行政も対応が今必要ではないのでしょうか。
とGW中ではありますが、考えていました。

2期目の当選!!

2期目の当選をさせて頂きました。

1期4年間の評価がどのように現れるかは不安で一杯でした。
4年前に、当選したのにも関わらず、夜中に思ったより票が取れなかった事から、不満げな顔をしたら、娘から、

「票を取るのが、目的でなく、議員になるのが目的だったら、何番だっていいじゃん。胸を張って頑張れば。」
その言葉を胸に留めながら、自分なりに議員として、努力をしてきました。
1期目より、2期目は上位での当選となり、議員としての私のバッチは、更に重いものとなりました。今回は、どのような結果であろうと当選すれば、満面の笑みで万歳をするつもりでしたが、心の底からうれしく万歳をしました。
2期目の4年間、初心を忘れることなく、新たな一歩を踏み出していきます。

実は、4月24日は、24回目の結婚記念日でもありました。何とか日が変わるまでに、万歳をと思っていましたが、ちょっと日が過ぎてからの万歳でしたが、改めて妻に感謝を申し上げます。
お祝いを、皆が帰った後、妻とやりました。