私設消防のあり方

 お祭りをはじめ色々なイベントが開催される準備がある為に、区の役員会が開催されたのですが、大きな課題として、私設消防のあり方が問題となりました。
 私の地域では、地域防災として、地域に住む40歳までの男性は原則として、私設消防に加わらなければいけない事になっています。しかしながら、実態としては、参加する人数が年々減っており、現在、各町内で一人しかいない状況で、3町内で3名という状況であると町内会長さんから説明がありました。その3名も、仕事の関係で昼間はほとんど地域にはいることはなく、また、夜遅くまで仕事をしている為に、実質的に火事が起こっても対応できない事と3名では、ポンプ車を動かす事もままならない状況では、私設消防の意味がないので解散させてほしいという要望があったそうです。
(実際、私設消防の団員にだけ責任を持たせるのは、無理な話だと思います。火事の時にいなかったと責任を取らせられても困ってしまいます。)

 今、地域では、消火栓や防火水槽の設置要望が出ています。初期消火をする為には、設置を推進していくのですが、それを、有効に利用する為にも、私設消防が必要であります。でも、今の現状では、地域の防災活動は、とても、危機的な状況であると考えれ、お祭りの準備よりも大事な問題として、意見がもとめられました。
 現在、消防団員の減少も問題となっていますが、地域において、私設消防がなくなることは、地域災害に際して、中心になる人がいなくなるので、それをどのようにしていくかが問題です。今までも、40歳までの人に、私設消防のお願いをしていたのですが、任意である以上、強制はできませんので、ついに限界がきてしまったようです。40歳までという年齢制限や男性でなければならない事を撤廃をし、私設消防に関しては、地域のすべてが私設消防団員であると考え、誰でもがポンプ車を操縦できるような、定期的な講習を義務付けさせる事をすすめなければいけないと思われます。今後、地域で取り組む体制としては、私設消防の団長を区長とし、副団長を町内会長、組長が班長として、すべての区民が団員であると組織を変えなければいけないと思われます。女性でも、対応できるようポンプ車の指導や、消火栓の位置の確認をさせていかなければ、昼間の災害など対応ができないので理解をしてもらう説明もしなければならないと思いました。
 地域においての防災は、ますます、地域力が必要とされ、年配の方や女性の役割が重要であると痛感させられました。

頭を痛める区の役員さん

 私も、自分の出来る事は積極的に手伝うつもりでいますが、地域においては、年配者や女性の活躍が求めらています。自分の住んでいる所は、自分たちで守らなければならないことですので・・・・・
 

温暖化を防ごう!

 今日の社会において、科学技術の発達に伴い、生活への利便性を追求した結果、環境への負荷を与えています。地球温暖化をはじめとする環境問題は自治体においても取り組まなければいけない課題であります。
 富士市では、環境の保全や創造に関する施策や理念を規定した、「富士市環境基本条例」が制定されており、それに基づき、「富士市環境基本計画」を策定しています・この計画に関連して、富士市環境マネジメントシステムや地球温暖化防止対策実行計画、など持続可能な地球環境を次代に引き継ぐまちづくりを進めています。

 自分なりに温暖化についても、理解したくて、昨日は、環境総務課にいって、資料をもらいにきながら勉強してきました。6月議会が控えているので、この時期は当局は、何か質問をしにきたのかと身構えていましたが、質問をしたくても、知識がなくては質問もできないのでと前置きをして、お話を聞かさせてもらいました。
 富士市においては、Co2の排出量を、2010年までに、1990年レベルの排出量に合わせていく事を目標に色々な温暖化対策に取り組んでいます。富士市で、はじまっているかもしれない、温暖化状況としては、20年前に比べ平均気温が、15,2度から16,3度に真夏日が30日から42日、熱帯夜が、4日から13日、真冬日は逆に、34日から20日に減っています。この他にも、台風豪雨も増加している状況です。
 温暖化対策としての事業として、住宅用太陽光発電設備補助や、高効率給湯機設置補助など、があり、また、温暖化啓蒙活動として、環境フェアや「地球を考える家計簿」などが事業として行われています。特に、効率給湯器設置事業は、他の自治体に先駆けた事業で、行政、企業、金融機関と連携した中で、本年度は1000件の申請を受け付けています。まだ、一般には知れ渡っていませんが、富士市独自のシステムで先進事例として、注目されています。
 富士市は、他の都市と違い全体の発生量の80%は産業部門である特殊性をもった街でもありますが、企業が対策をするだけではなく、交通体系やごみ減量化、省エネ、シンエネルギーの開発を行政もさらに進めていかなければならない状況であります。そして、、未来の為に、温暖化対策はやはり、一人一人の意識や知識を生かしながら、取り組まなければいけないことであることでもあると思っています。
 北海道の洞爺湖サミットが来月に控え、温暖化がテーマにしている以上、富士市でも、また、自分自身でも何らかの取り組みができなないか、考えています。
 とりあえず。電気をこまめに切る事を心掛けると共に、6月から、かってにクールビズにしています。

いちごジャムのお味は?

 本日は、市役所で環境総務課で地球温暖化について、レクチャーを受けて、そのまま、夜の会合に出席したので、帰りが遅くなり、ブログが書けるか、焦っています。毎日書くのは、何があるかわからなく、続ける事は結構大変です。
 今日の朝、長野県飯田市へ視察中、体験農業の視察として、いちごジャムを作ったのですが、食べるのが勿体ないというか怖いというか、期待と不安の中で、食して見ました。なんと、おいしく食べることができました。それも。思ったより香りもよく、甘さもほどほどでおいしいです。びっくりしました。
 いちごジャムを作るレシピももらってきたので作りか方を教えます。

1、 準備します。

① いちご・・・・ジャム用いちご(1人あたり300グラム)
② ヘタを取り除く
③ 砂糖を用意・・いちごの総料の30%(甘好きの方)
              20%(甘くない方が良い方)
④ ガラスびん・ふた用具の煮沸消毒(5分から10分)

2、 いよいよジャム作りです

① 鍋にイチゴを入れてマッシャーでつぶす。 点火・・中火で煮る
② アク取り・・・アクが出なくなるまで丁寧にとる。
③ 砂糖、レモン水(5〜6滴)を入れる
④ 木しゃもじで焦げ付かないようにかき混ぜながら煮詰める
⑤ かきまぜた時、鍋の底が見えるようになったらジャムの出来上がりです。

3、 ビン詰めです

① 煮沸消毒したビンにジャムをいれる。
② 蓋を固く閉めてから、80〜85度のお湯で殺菌消毒(20分間)
③ 水で徐々にさます

4、ラベルをはり完成です。

  ①マイラベルをはり、オリジナルジャムの出来上がりです。
以上のレシピにのっとり、2時間かけて、インストラクターの女性の指導を受け、作ったジャムです。日差しが照りつける、農場の小屋で、ジャムを作りました。

 ジャムなんか「家でできるじゃん」。と思われるかも知れませんが、本物体験という事で、農場でつくる事が、意味があったのかも知れません。飯田まで4時間かけていっての手作りジャムは手間がかかり、とても高価なジャムになってしまったような気がします。

あまりの日差しの強さに日陰で見守る先輩議員

美味しいジャムですが、一度体験できれば、自分で作るのはもういいと思った参加者は、私だけではないと思いますが・・・・
 

大渕そば街道

 大渕そば街道と言うものが、あるとは知らなかったのですが、偶然、大渕のそびなの代通寺の橋爪住職に会い、出来たてのパンフレットを渡されました。
 富士市まちの駅、そびな蓮の園、蓮まつりと大渕そば街道というお蕎麦屋さん10軒が載っているパンフレットを見せられ、7月20日に代通寺で行われる、蓮まつりの宣伝をされました。パンフレットの裏には、

「富士山を北に仰ぐ、大渕そば街道」

と書かれていました。誰が名付けたかは知りませんが、大渕そば街道なるものが富士市に出来ている訳で、そば好きの私も、どこの蕎麦屋さんがおいしいのか気になりました。
 偶然にもパンフレットを貰う前に、1番最初に書かれている、蕎麦処松の木さんで、ざるそばと半天丼を食べてきたばかりでした。松の木さんはおそばには、こしがあり、本当にそばがおいしいお店だと思っていました。現に、昼時にはいつも一杯で、座れないほど混んでいます。お勧めは天おろしですが、天丼も捨てがたいです。(蕎麦屋さんだからそばを食べなければいけないのですが、ついご飯ものを頼んでしまいます)あと、よく、蕎麦富士さんでもざるそばとかつ丼をたべます。残りの8軒には行った事がないのでコメントは避けますが、徐々に、一軒づつ制覇していくつもりでいます。ちなみに、
 

1、松の木 2、来富庵 3、蕎麦富士 4、こばやし 5、遊玄 6、いちろう 7、きわだ路 8、源太 9、たぬき 10、勢風庵
の10軒が掲載されています。
 富士宮のうみゃ焼きそばに対抗して、大渕そば街道もメジャーにになれればと思いますが、どのように宣伝していくか、これからの仕掛け方だと思います。宣伝もさることながら、外からも人が来てもなんだと思われないように、内容(掲載店)も整備していかないとリピーターは来ないと思われますし、数も増やさなければならないと思われます。
これから、新名所として知れ渡っていくのか見守りたいと思います。

 今度の蓮まつりの時に、お蕎麦屋巡りでもしたらいかがでしょうか。

「気づいて 一歩前へ」

 娘の学校では、一年に一度、校長先生を交えて、テーマを決めての意見交換会があります。平成20年度のテーマとしては、「気づいて 一歩前へ」についてですが、毎年、始業式の時に生徒達には学校目標として、提示されています。そのテーマに基づいて、日曜の父兄会の席において、意見を出し合い、そして発表という形式をとる親の勉強会のようなものが開催されましたが、結構、いろいろな意見がでて参考になります。
 今回も、テーマにあわせ、
*親として子供たちに気付いてほしいことはどのようなことですか?
*気付きを行動に移すように、ご家庭でどのような工夫をしていますか?
の2点について意見交換をいたしました。

意見では、子供に気付いてもらいたいこととして、
・自分ひとりで生きているのではない事
・周りに支えられている事に感謝する気持ち
・他人に対しての思いやり、やさしさ、目配り、気配り
・何をしなければならないかを考える判断力
・勉強より大事なものがある事
・周りに流されずに信念を曲げない大切さ
・正義に
まだまだ意見はありましたが、覚えている範囲ではこのような事が子供に気付いてほしいという意見が出ていました。

気付かせる工夫としては
・言い続ける
・子供の話をよく聞き、コミュニュケーションを取る
・責任をもたす。
・気づいて欲しいことは、自分自身にも言い聞かせながら、話しかける。
等が出ていましたが、中々、気づかせるという事は、難しいことで、成長していく中では、気付かせたい事が変わってきており、また、気づいても行動を起こせるかという事になると、勇気も必要になってくるような気がします。周りに流されることなく、自分の意見を言う事も勇気がいることで、気がついて、言葉を発することができることも勇気のいる事だと思います。
 気づいて一歩まえへというテーマでしたが、私は、子どもが、何かに気がつき、何かをする時、「心配しなくていいよ」とか「間違ってないよ、大丈夫だよ」という背中を後押しする言葉を投げかける必要があると思います。自分自身もそうですが、何かをする時に不安に思う事があります。その時に掛けられる言葉によって救われることが多々あります。恐らく子供はもっといろいろな不安があると思われ、少しでも楽になれるような言葉をかけてやるのが親の役目のような気がしました。

 このような会において、自分も色々なことに気付かされます。それなりの話をしている親にとっても、大事な事を話し合ったような気がしています。
子供だけではなく、「自分も気づいて一歩前へ」です。

フラダンスブーム

 映画フラガールズの上映された影響もあるのか、主婦をはじめ女性の間でフラダンスというものが密かにというかおおっぴらに人気があるようです。
 先週の金曜日にも、矢部商店の社長就任のお祝いがあり、多くの人が集まりました。その席でのアトラクションとして、3名の女性フラダンサーによる、祝福の舞いのフラダンスが披露されました。
 矢部社長もフラダンスを一緒に踊っており、フラダンスが趣味で、呼んだのかなと思っていましたが、フラダンスを踊っている子の顔をよくよく見ると見たような顔の子がいます。近くにいた仲間に、
「あの子うちの親戚の子じゃないか?」
「右の子ですか、あれは中村の女房ですよ」
「えーしん君の奥さん、通りで見たことある訳だ。僕のうぐいすをやってくれた子だよ、でもその子じゃなくて、左の子だよ」
「ゆうこちゃん知っているんですか?」
「あーやっぱり、長谷川のところの娘だ、親戚だよ」
なんとフラダンスを踊っている3人の内2人はよく知っている女性でした。踊り終わった後、聞いてみると、もう随分前より、美容と健康とストレス発散の為に、フラダンスを習っており、その他にも多くの仲間がいるとの事でした。
 実は、家の妻も、実の母親(76歳)もフラダンスを習っています。何か運動をと思った時に、エアロビやジャズダンスと違い、激しい動きもないからいいかなという気持ちで公民館(まちづくりセンター)の活動ではじめました。現在、妻は、発表会があるといって衣装を揃え、ダンスの練習に励んでいるようです。
 いずれにしても、私の周りでも、フラダンスをやっている人がこれだけいるという事は、多くの女性がやっているのは間違いありません。私の周りはまさしく「フラダンスブーム」みたいです。

最近、富士市にもハワイアンを扱うお店ができていましたが、需要があったわけですね。

私は男ですが、ウクレレでも習い仲間に入れてもらおうかと、ふと考えてしまいました。

運動会で思った事

 雨で延期になった、地域の須津小学校の運動会に行ってきました。前日とうって変わって、晴れ渡り、雨が降った後でもあるのでグラウンドも砂埃も起こらず、絶好の運動会日和になりました。私の子供達はすでに小学校は卒業しており、小学校の運動会は縁遠くなっていましたが、議員になり、招待状をもらうようになった為、地域行事の把握の目的もあるので積極的に参加させてもらっています。

 子供達にとっても、運動会は、学校行事の中で大きなウエイトを占めるイベントだと思いますが、ふと私は、疑問に感じた事がありました。他の地域の小学校でも、同じに日に運動会が行われている所もありましたが、10月に行う小学校もあります。どうして、公立の小学校なのに時期が違うのかなと思いました。私が子供の時に通っていた原田小学校は、毎年秋に行われており、運動会の時の昼食に必ず、風物詩的に、ゆで落花生と栗を茹でたものや青いミカンがあったのを覚えています。私の感覚でいくと、子どもの時に「スポーツの秋」と言われ、体育祭や運動会は、季節が涼しくなる秋という季節感をもっていました。どうしても、秋に運動会をと言う訳ではないのですが、なぜ5月の終わりなのかと思っています。たぶん、地域行事との絡みがあるからかなと思っていますが・・・
 しかし5月の終わりにやる運動会だと、時期的にも、早く、4月に新学期になったばかりで、特に新1年生は、学校生活に慣れていない中での開催で運動会の練習もあまりできないのではないでしょか、それは他の学年にもよると思いますが、団体演目に関しても十分な練習時間が取りにくいような気がしました。そんな事を考えて、プログラムを見てみると、なんとなく演目数も少なくなっているような気がしました。まあ、短い期間で準備してやっているのですからそれなりに工夫をしているとは思いますが、子どもたちの事を考えたら少しずらしてもいいような気がしました。(勝手なこと言ってすいません。)

 あと、気になったことは、やはり見学に来ている父兄のマナーです。日差しが強いのはわかりますが、多く方が日傘をさしていました。雨が降っている訳ではないのですから、日傘を前の方でさされると、後ろの方は見えづらく、また、前に出ようとした時に、目にでも当たったら危険な気がしました。見る方のマナーも考えてほしいなとちょっと感じました。

 姪っ子も運動会にでていたので、姿を見つけて声をかけてやりましたが、手を振り返してくれました。
自分の子供はいなくても、関係している子供を見かけると力が入ってしまいました。
 やはり、運動会は親も子供も楽しみにしている一大イベントです。楽しく過ごしたいものです。

 

議員野球大会

「なんであいつ転んでんだ。」
「アッハハ、アウトになっちゃうぞ、早くベースにタッチしろ」
声は聞こえてくるのですが、体が思うように動かないもどかしさと、人前でこけているのを見られてる恥ずかしさ一杯で、セカンドベースに転がりながら戻りました。
 議員野球の試合で、静岡市議会のチームとの決勝戦での最終回での出来事です。4対2で最終回、2点差で負けていました。私は、フォアボールで塁に出、セカンドへ進塁した時、バッターの打球がセンターにライナーで飛び、キャッチされたので慌てて、戻ろうとした時に、体と頭は戻ろうとしているのですが、足がついていかず、もつれて転んでしまい最初の光景になってしまった訳です。よく、地域の運動会で転んでいる人を見かけるのですが、まさしくそんな感じでした。
 でも、その後、なんとかホームベースまで、帰る事ができ、点数は1点差となり、ベンチへ帰ると
「ナイスラン、ナイスラン」
「転んでアウトになったら、ベンチには入れなかったけどな」
と先輩議員に褒められたり、脅かされたりの状況です。転んだ時に膝小僧をすりむいたみたいで痛いのですが、笑いながらベンチの人にタッチをしてベンチに入りました。(痛くても痛いと言えにまま試合に参加していました。)
富士市議会議員の中ではまだ若い方ですが、運動不足の為に体はいうことが効かず、怪我をしたなんて、情けないったらありゃしません。
 その後にも、更に1点追加され、同点になり、静岡市議会との決勝戦は、引き分けとなり、じゃんけんで優勝を決める事になりました。
 昨日の土曜日は、議員野球大会の前に、地域の須津小学校の運動会があったのですが、雨が降っていたので、一時間待機後、結局、明日に延期となり、急遽、議員野球大会に参加しました。

 議員野球大会は、富士、静岡、浜松、豊橋の4市の議員がトーナメント形式で試合をして、優勝を争った訳ですが、こちらも雨で中止になるかと思っていました。行ってみると、雨でもやるとの事、あまりやる気がなかったので、グローブを持って行かなかったのですが、先輩議員がやる気満々の状況を見て、妻にグローブを届けてもらい迷惑をかけてしまいました。
 議員野球の優勝は、懇親会場で富士と静岡でじゃんけんで決めましたが、結果は、静岡にじゃんけんで勝つことができず、準優勝となってしまいました。野球の練習より、じゃんけんの練習をしなかった事が今回の敗因という結論が出ました。次回はじゃんけんも練習をする事を課題に、和気あいあいの表彰式も終わりました。
 私はもう少し体が動くように、日々の運動を課題として課せられました。

 議員野球大会は小林副市長の始球式で試合は始まった。

田原・豊橋・飯田市視察報告

 5月26日から28日の3日間の視察は直線距離ではさほど遠い所ではないところの視察でしたが、長野県飯田市への視察があった為、公共交通を使っての移動では、大変時間を費やさなければいけない場所での視察でした。なかなか行きたくても、行けない場所への視察でしたが、天候に恵まれ、6項目の視察内容の他にも隣接している設備や周辺施設も視察(見学及びレクチャー)も出来、有意義な視察でありました。一つ一つの詳細な報告書は、議会へ報告書を作成提出をしなければいけませんが、内容が濃いため機会がある時に、掲示いたしますので、ブログでは大まかな内容(ダイジェスト)だけでも報告します。

富士市議会 市民クラブ9名参加(1名体調不良の為欠席)
5月26日(月)(晴れ)
富士出発
 午前—PFI手法によるゴミ処理施設「炭生館」(愛知県田原市)

  →焼却でなく炭化により、ダイオキシンの発生をほぼゼロにし、ゴミから製造する炭化物の有効活用を進めている臨海工業地域においての施設見学及びヒアリング
*田原リサイクルセンター風力発電所のレクチャーを受けました。
移動
 午後—ゴミ焼却施設で発生する熱エネルギー活用PFI事業「りすぱ豊橋」(愛知県豊橋市)

  →エコビレッジ構想・農業(施設園芸)や温浴施設(プール・浴場・トレーニングルーム)での活用、特に感心したのは、ゴミ焼却施設に隣接している場所での農業、ミニトマトやシソ、梨、酪農などが大規模に行われており、迷惑施設としての位置づけではなく、地域一帯が、エコビレッジとして環境推進に取り組んでいました。地域住民への情報公開は常時行っていました。

*豊橋資源化センター・プラスチックリサイクルセンターが隣接していたので、簡単なレクチャーを受けました。
豊橋宿泊

5月27日(火)(晴れ)
JR飯田線特急伊那路で2時間30分の移動
 午前—飯田市まちづくりカンパニー(長野県飯田市)

  →市民、商店、企業が出資し、中心市街地の再開発等を実施後、中心市街地での賑わいが創出され始め、活性化が進んでいます。
飯田市議会議員 原 勉氏からの地権者である中での事業取り組みを含めた熱がこもった説明ヒアリング

再開発ビルには、市役所のリンゴ庁舎なるものが入り、各種証明書の発行はもとより、(福祉課・児童課・介護高齢化・男女共同参画化)や観光課が開設されており、本庁舎ではなく、再開発ビルへ多くの人を誘導していました。
*市が経営管理している、川本喜八郎人形美術館でのレクチャー
 午後—体験型観光の実体験とヒアリング(南信州観光公社、飯田市観光課)

  →「ほんもの体験」をキーワードにした体験型観光(今田平にてジャムづくり)沢山のカリキュラム(約160種類)がありましたが、インストラクターの指導で、なぜそれになったかは、定かではないのですが、手作りジャムを作りました。大変暑い中で、めったに体験ができないことを経験をいたしました。
飯田宿泊

5月28日(水)(晴れ)

 午前—議員発議による自治基本条例(飯田市議会事務局)

  →議会が主導し制定した「自治体の憲法」といわれる自治基本条例への取り組みを、関係した市議会議員より聞きました。 
 
    
地域自治推進の拠点となる自治振興センター(飯田市庶務課)
  →市内18の地域に、ミニ市役所、まちづくり拠点機能を持つ地域自治区を設置
富士へようやく移動帰路

 以上の6項目を視察してきました。また、飯田においては15年ぶりに、街づくりカンパニーの役員でもあり、若者を中心のまちづくりを進めるイイダウェイブの代表である、伊藤君と会え、2日目の視察が終え、食事を取った後、個人的に飯田のまちづくりを話すことができ充実した視察が行えました。この視察をどのようにとらえ、活かしていくかじっくり考えていこうと思っています。
 また、今後ブログにも、もっと今回の視察については、継続して、書くつもりでいます。

ロータリーで卓話

 毎週木曜の12時30分より13時30分まで、吉原ロータリーでは例会が開かれており、ほとんどの例会において、卓話が30分間行われています。
 昨日、そのロータリーで卓話を依頼されており、30分間、「市議会議員になって一年を振り返って」という題で話をさせて頂きました。しかし、30分と言う時間は短いというか、話す事が脱線したというか、まとまりがないような話になってしまいました。言い訳をする訳ではないのですが、前の日まで、視察に行っており、話に入る前に、視察の話が出て、笑いながら
「荻田君視察に行ってたみたいだが、温泉場でおいしいものを食べて、芸者でも呼んでたんじゃないか、この前もどこかで問題になってたぞ」
と言われ
「まさか、真剣に視察をしてきました、今回も3日間6項目ぎっしりやってきましたよ。それなら、今日視察について報告をしながら、政務調査費についてふれますから」
と用意してきた話を多少変えようと思いました。そんな訳で
次第を作ってきたのですが、脱線は承知で、視察報告をしながら、富士市議会での政務調査費年間45万円の使い方についての話からさせてもらいました。
 よく、誤解されているところは、政務調査費が議員に給与以外の第2報酬と勘違いされている部分にふれ、富士市議会においては個人にそのお金が入るのではなく、会派に入り、会派において管理され、視察、研修、資質の向上及び調査に使われるとともに事務局の管理費等に使われており、個人にはお金は入らない事を説明させてもらいました。県会議員の月個人に45万円入る政務調査費とは明らかに違う事をご理解してもらいました。
 視察についても、観光旅行のように取られていたりする事を、少なくとも私が、関係している視察に関してはそのようなことなく議会事務局に視察報告書を作成して提出している事、また、その提出している書類を皆さんにも見て頂こうと視察報告書をもってきていたので、皆さんに回して確認もしてもらいました。
 政務調査費に伴う視察については、議員がしっかり説明をしていく必要があると思っています。何を学びに行くのか、何を学んできたのか、またそれが今後何に活かせるのか、しっかり報告をしていかなければなりません。本来なら行った1人1人がすべき行為であると思いますが、私自身は、自分なりに報告書は、その都度記録としても作成して行くつもりです。
 また、卓話の最後に、メンバーの方から、
議員になられた方に、先生という呼び方をするがどのように考えるかという問いかけがありました。
 まさしく、議員は先生と呼ばれるほど偉くも立派でもないと思っています。私も議員になってから、先生と呼ばれると、なんか背筋が寒くなるし、気恥ずかしさとなんとなくおだてられながら頼みごとでもされる様な気がして、抵抗があることを話し、あくまでも先生ではなく、議員と言う形で紹介や呼んで頂きたいとお願いをいたしました。
 30分間では、話したい事が何も言えないような気がして、ぜひこれからもこのような機会を頂きたいとお願いをして、まとまり無く終わったような状況です。

田原市風力発電所

 今回、視察に出かけた中の一つの愛知県田原市は、日本のほぼ中央、愛知県の最南端に位置し、北は風光明媚な三河湾、南は雄大な太平洋に面し、東は豊橋市に接し、西は、伊勢志摩を挑みます。古くは農業が中心として栄えてきましたが、昭和40年代から東三河臨海工業地帯の造成が始められ、現在までに、約1000ヘクタールが完成した工業用地には、トヨタ自動車をはじめとする多くの企業が進出し、その後は活力ある産業の町として飛躍的に発展しました。また、近年は、国際交流や福祉、教育、環境保全、の各分野で先進的な取り組みを実施しています。

 電車に乗っていると、大きな風車が回っているのが見えました。ゴミの炭素化事業に取り組む「炭生館」を視察に来たのですが、なんでこんなに風車があるのか気になりました。聞いてみると、田原市は、風力発電所があることでも有名だそうです。美半島に位置する田原市はお互いの凧糸を切りあう「けんか凧」でも知られるほど日本有数の風の強い地域だそうで、風に恵まれた田原市の中でも、三河港臨海田原地区は年間平均風速が6.6M/Sと強い上、風の乱れが少なく、風力発電に適した風が吹いていることが確認されています。
  視察に訪れた、「炭生館」の隣接地にも風力発電所があり、大きなプロペラが回っていました。近くで見ると予想以上に大きく、プロペラまで入れると地上から121メートルもあり、ビルの24階建てに相当するそうです。田原リサイクルセンター風力発電所として、地球温暖化対策の一環を担い、ごみ炭化施設の消費電力を風力発電によって賄っています。具体的には、風力発電で電気を作り、作った電力を中部電力に売り「炭生館」で使う分の電力を中部電力より購入しなおしています。風は無尽蔵な自然エネルギーで二酸化炭素を排出しない環境負荷の少ないクリーンエネルギーの風力発電と循環型社会を目指した最新鋭のごみ炭化施設を組み合わせることにより、環境共生まちづくりである「たはらエコ・ガーデンシティ構想」の実現に向けて寄与しています。
 風力発電のメリットは、発電量当たりの温室効果ガス排出量は微量で、風力エネルギーの約40%の電気エネルギーに変換できる点です。田原市においても湾岸部を中心に27基(300KW以上)もの風力発電が立ち並び、全国でも有数のウインドファームを形成しており、これらの風力発電から発生する電力量は市内全世帯が消費する電力量を上回っています。
 また、風車のある風景は、新たな地域のシンボルとなり、町おこしにも一役担っているそうです。 

 視察目的の「炭生館」に行く前に、どうしても気になり、風力発電所の大きな風車に足止めとなり、レクチャを受けてしまいました。
 地球温暖化は深刻な問題です。風力発電は期待されている一つですが、富士市において、お茶畑で扇風機が回っていますが、風力発電に利用できないんでしょうか?

視察から、帰って来ました。

 視察より戻ってきました。得るものも多かったのですが、非常に疲れました。3日間3か所6項目の内容の濃い行政視察であり、いつもより、長く感じ、初日の田原市はずっと前の事のように錯覚をするほどでした。。

 今回の日程を組むにあたり、メインに長野県飯田市を前から視察を強く希望していた、私と同期の議員が前日、体の調子を崩し、いわゆるドタキャンをいたしました。新人議員で役割が分担されていたのですが、予期せぬ事に、新人議員は私1人となり、すべてのスケジュール管理の責任を負う役割がもれなく回ってきてしまいました。
 今回の視察に関しては、行けなかった同期議員が、先輩議員を説得し、交通は不便ですが、ぜひ学びたいことがあるので行きたいと要望をだして、了解を得ての視察でした。せっかくの思いがこもった視察計画でしたが、1番行きたがってた議員が、体の不調の為に思いを達せることができませんでした。呑気に構えていた私は、突然の事で慌ててしまいました。
 私への連絡が日曜だったので、キャンセル料は発生するかもしれませんが、最大限できる限り、連絡調整をしました。日曜の為、行政関係には、連絡は当然とれませんでしたが、旅行会社の担当者には休日出勤をしてもらい、ホテル、公共交通機関のキャンセルを対応してもらう事は出来ました。その他は、視察先で連絡をすることにしました。旅行社の方と最終打ち合わせしたのですが、その他にも地域の懇談会があったり、同級生の通夜の連絡がはいり、行く前からバタバタです。私1人で電車、ホテルの団体チケットの管理、食事の予約、また、行先でのスケジュール管理、団体行動の目くばせ、気配りでてんてこ舞いです。
 旅行の添乗員さんになった気分ですが、視察が目的ですので、勉強をしっかりしなければいけません。でも、休んだ議員の分まで、資料を持ち帰ったり、その他にも、何か、トラブルが起きないよう常に気が張っており、ぐったりです。
 視察先は、愛知県の田原市、豊橋市、そして、長野県の飯田市、飯田市は公共交通機関としては、豊橋より、飯田線で行くしかなく、豊橋から急行電車でも2時間半かかります。 富士からだと4時間かかり、滅多に行けないところでもありますが、まちづくには学ぶ事も多く、また、15年ぶりの知人とも再会は出来、それなりに良いこともありました。

飯田での体験観光りんご畑で・・・

 とりあえず、問題もなくスムーズに予定はこなすことができましたが、視察内容については、明日以降報告はさせてもらいます。
 まずは、疲れていますが、元気に帰ってきたことを報告させてもらいます。
(書きたいことは山ほどあるのですが、明日(29日)は、ロータリーで卓話を依頼されていますが、視察に行っていたので、準備ができていない状況で、ブログを打ちながら焦っています。)

視察中です。

 会派の視察で、26日から28日も3日間行政視察にでかけています。
予定は、
26日午前 愛知県田原市 リサイクルセンター 炭生館について
    午後 愛知県豊橋市 ごみ焼却施設周辺整備「リスパ豊橋」について
27日午前 長野県飯田市 街づくりカンパニーについて
    午後     飯田市 体験型観光について
28日午前      飯田市 自治基本条例について
            飯田市 自治振興センターについて

以上6項目について、非常にタイトなスケジュールではありますが、実のある視察にしてきます。

須津まちづくり推進会議

 話が前後してしまいますが、金曜の夜に須津地区まちづくり推進会議の総会が開催されました。富士市には、各地域において、地域特性に合わせた、まちづくりを進めるための住民まちづくり組織としてまちづくり推進会議があります。
 全体会議に入る前に、県の土木事務所より、昨年まちづくり推進会議において、要望が出された、須津小学校に接する、北側道路である根方街道拡幅工事の計画説明をしてもらえました。地域要望として、県道である根方街道は狭隘道路としての問題点ではあったが特に、学校に接する道路としては、余りにも狭すぎ、危険性が伴っているので、早急にその部分だけでも拡幅工事ができないか要望していましたが、今年測量をはじめ、来年以降用地買収を進める計画を説明してくれ、関係各位への協力を今後、進めていくと報告がありました。まちづくり推進会議での要望が、早急に取り組まれ実現することは、意義があることだと思っています。
 その後、市の企画課職員より、富士川町との合併についてと第5次富士市総合計画策定の基本的考え方についての説明がなされました。総合計画に関しては、市の政策推進の基となるもので、基本構想が長期的に将来を展望した目標を示し、基本計画で中期的な政策体系、行動体系を明らかにし、実施計画により財政実現プログラムを定めるもので、行政運営の総合的かつ計画的な執行をする為の指針であります。本年度に関してはまちづくりの目標と基本構想の検討、市民意見の集約が進められ、策定に係る、市民参画体制について、まちづくり推進会議も重要な位置づけになっています。また、地域の特性を生かした計画策定を進める上でも、地域意見を十分に吸い上げて頂く事と、地域においての、まちづくり地区担当班の活用が必要な事と考えています。
須津地区まちづくり推進会議において配られた資料に、須津地区市職員まちづくり地区推進班の名簿がありましたが、須津地域だけでも36名の行政の職員が組織されていました。議員も地域のパイプ役を担っていますが、市民と行政職員が一体となりまちづくりが進めていくことが重要な事柄であると考えられます。
 須津地域も、地域の特性にあわせた、須津ふるさと祭りや須津ふれあい遠足、須津川クリーン作戦と事業が行われていますが、更に、今後、地域の人達の声を生かした、事業、要望を進めていくことを議員ももちろんですが地域職員も加わり、地域力を高め、地域の声を第5次総合計画に反映させたいと思っています。
 本日も、区長さん、町内会長さん、須津地区の市議3名で懇談会が持たれ、まちづくりについて忌憚のない意見交換会が交わされましたが、明日、朝1番の新幹線で行政視察がありますので、これについては、後日に回します。

うなぎやのたっちゃん

 

 私の地域には、昔からの料理屋さんがあります。子供の頃よりよく食べにいった覚えがあります。うなぎやさんといいますが、名前の通りうなぎのおいしいお店として名が通っていますが、うなぎ以外にも、ラーメン、カレー、ハンバーグ、寿司等の何でもありの、須津地域の老舗の料理屋さんです。地域において、宴会ができる料理屋として、PTA,生涯学習、町内連合会、地域のあらゆる団体が懇親会を開催する時に利用しています。本日も、某団体の総会後の懇親会が開催され、うなぎ屋さんに行きました。懇親会に入る前に、緊急性のある事として、地域医療の現状と今、局面している、産婦人科の問題について話をさせて頂き、署名活動をさせていただきました。多くの団体で、今月一杯、署名活動は行っています。できるだけ多くの方が署名が必要ですが、来週は視察の為、富士市にはいられないので、私の署名活動もできなくなる為に、これが最後のお願いの場だと思いました。

 そのよく利用するうなぎやさんの経営者のたっちゃんは、私と同い年の同級生で、10年以上前にPTAの役員を一緒にやった仲間でもあります。その当時の思い出として、須津小学校の125周年事業として、子供達にテレビで活躍している方に、夢を与えてもらおうとタレントの渡辺徹さんを呼び、講演と子供達と接する機会を開催いたしまた。渡辺徹さんを昼食に、地元の料理屋という事で、うなぎやさんへ連れていき、うなぎを食べてもらいました。たっちゃんは、徹さんの大ファンで食べに来てくれて、たいそう喜んでいましたが、渡辺徹さんもここのうなぎはおいしいと喜んでくれた事を覚えています。
 昨日より、風邪気味でしたが、うなぎやさんのうなぎを食べたら元気がでてきたような気がします。
須津地域においてなくてはならないお店です。
たっちゃん、おいしいうなぎを今日もありがとう!

浪速のカリスマ講師

 
 先日亡くなられた(株)アストの高木会長の社葬があり、法人会の総会には出席できませんでしたが、総会終了後の、浪速のカリスマ講師のふくだ友子さんの「すべては発想の転換」からをたいへん楽しく聞かさせてもらいました。
 カリスマ講師と言われるだけ、、軽快な大阪弁と会場の雰囲気を読んだ講演は、笑いあり、涙あり、パフォーマンスありの会場の巻き込んだ講演会で、「ほんの少し視点を変えれば、人生は大きく変わる」と言う内容で90分の講演はあっという間に過ぎました。

 顔の表情の重要性を説明した後で、隣合わせた方と握手をしたのですが、自己紹介を通しての親近感をもたせ、顔の表情により、印象豊かに話すと、より好意的になり、改めて握手をすると、手が暖かくなり、より握手の意味合いが深まると言われ、私も、今まで、やみくもに握手をしていましたが、より好感がもてる握手をするには、十分表情豊かに会話をしてからの方が、効果があることを学びました。また、じゃんけんを何も考えないで、とっさにじゃんけんポンをさせるとその人の性格がわかるとのことです。

グーを出した方は、攻撃型の人です。
パーを出した方は、楽天的な人です。
チョキを出した方は、人間はとっさの時はだいたいが、グーかパーであるがチョキを出す方は戦略的な方が多く、経営者や政治家が多いそうです。

 私は迷いなく、パーを出していました。経営や政治には向いていないのかも知れません。でも、人間は3種類ではないと思いますが・・・・

 ふくだ先生は終盤、自らが、ストレスで追い込まれ、体が動かなくなくなってしまった話をしました。心が閉ざされると体が固くなり、体が固くなると言葉まで出なくなることを自らが体験し、回復した時に救われた言葉は、看護師が、固まった両手を包み、体をさすりながら言ってくれた「そんなに頑張らんでええのよ」という言葉の暖かさ、「大丈夫よ、泣いていいのよ」と言ってくれたことで流すことができた涙、それらが今の原点であり、その時、「頑張れ」と言われていたら今はなかったというという、辛い時、大変な時、誰しもがもがき苦しみ、頑張っているわけで「頑張れ」ではなく、「大丈夫よ」という言葉により、元気を与えることができる魔法の言葉である話は、経験に基づいた重みのある話で会場が笑いから静寂につつまれました。

 確かに、私もやみくもに頑張れよと言われる事に抵抗を感じることがあります。頑張れよと言うのは、他人事であり、一人でなんとかしろと言われているような気にさせられる時があるのも事実です。だから私はいつも、「頑張れよ」といわれると「一緒に頑張ろうよ」という事にしています。自分一人では頑張れない時がいっぱいあります。特に、議員をやっているとつくづく感じます。
何をやるにも「一緒にがんばろー」です。

第34連隊と災害派遣

 
 富岳自衛隊交流会の総会において、陸上自衛隊第34普通科連隊長兼板妻駐屯地司令 一等陸佐 三浦直人様の「第34連隊と災害派遣」の記念講演を聞く事ができました。

 ミャンマーのサイクロン、中国四川大地震と大きな災害が報道され続けている中では、被災地の一刻も早い、救済、支援、復興が望まれています。自衛隊活動の中に、大規模災害などにおいて、人命及び財産を守る為に各都道府県などと連携して、適切に対応することがあげられています。予想される東海地震も大規模災害の位置づけがなされており、大変興味深く聞かさせてもらいました。

 東部方面には、板妻、富士、滝ケ原、駒角、4つの駐屯地があります。三浦連隊長の第34普通科連隊は旧陸軍歩兵三十四聨隊の部隊番号をそのまま受け継ぎ板妻の地に創設された郷土部隊としての特色を持っています。また、静岡県全域を隊区にもつ連隊では、災害発生時一刻も早く被災地に出勤する為、県下各市町村を担当する中隊等を定め常に連携を保持しています。また東海地震をはじめとする各種災害発生時時の対処行動について、静岡県総合防災訓練や地域防災訓練に積極的に参加して、関係機関との連携強化を図ると共に、防災図上演習や総合防災協議会等を実施して連帯の災害対処能力の向上に努めてくれているとの事です。

 話の内容は非常に濃いもので、時間がない中ではもっとじっくり聞きたい部分はありましたが、災害時に対して富士市は、自衛隊の駐屯地が近いのは、ある意味心強く思いました。
 三浦連隊長の信条は3惚れであり、
「仕事に惚れろ。人に惚れろ。土地に惚れろ。」
という事です。北海道の生まれですが、あちらこちらに赴任してきており、その土地、地域で愛着をもち任務を進めてきているそうです。現在の板妻では、特に富士山がきれいに見えるため、毎日、富士山を撮り続けているそうです。説明の中でも、所々に富士山の写真が入れられており、この地域に対しての強い思いも感じることができ、この地域の災害時には全力で力を注いでくれる方が連隊長で安心しました。

 でも、最終的には、災害に際しては、危機意識を常に持ち、自分の身は自分で守る、これが一番の鉄則であると思っています。
 頼りすぎてはいけません。

マツノのコロッケ

 三島で、特産のジャガイモを使っての「みしまコロッケ」プロジェクトがありますが、来月、みしまコロッケ学会(仮称)を立ち上げ設立を目指しているそうです。焼きそばや餃子も学会がありますが、コロッケも大衆的な食べ物として、売り出し方によれば、普及しやすい食べ物だと思います。
 コロッケというと吉原の松野肉屋さんのコロッケ、安くて、おいしいと地元ではかなり有名だと思っています。コロッケ1つ26円は驚きの値段で、10個買っても260円と採算度外視した目玉商品だと思います。午前と午後と2回に分けて販売をしていますが、すぐに売り切れてしまい買えないこともしばしばあります。
 
 11時くらいにはお客さんがいつも並んでおり、買いに行っても、駐車場が少ないため、車が中々止められません。私も車が止められないと、ぐるぐる回りながら、車が止められるまで走り続けてまで買いに行きます。なんか、いい年をして肉屋さんで並ぶのは抵抗がありますが、並んでも買って、食べる価値があると思っています。高くておいしいのは当たり前ですが、安くておいしいこれは本当に素晴らしいことです。

 
 小学生の時によく帰りがけに、原田にあった市川肉屋さんのコロッケの味も忘れられません。学校で遊んだ後、買い食いをしたコロッケは本当においしかったです。たしか1個10円か15円か、もしかしたらもっと安かったかもしれませんが、お小遣いでよく食べたと思います。コロッケは私にとって、子どもの頃からの懐かしい食べ物です。多分、松野のコロッケを食べている子供達も、懐かしの食べ物になっていくと思いますし、すでになっているのかも知れません。

 松野肉屋さんの専務さんは私の友達です。地元の商店として、頑張っているお店の一つだと思っています。26円のコロッケは儲からないかも知れませんが、これからも、是非とも、松野のコロッケとして、できるだけ続けて頂きたい事ともうちょっと、駐車場を広げてもらえればありがたいことお願いしています。

私と背が、どっちが高いかいつももめる、専務さん。吉原の為にも元気に頑張ってください。
マツノのコロッケ。まだ、食べた事の無い方、一度は試して下さい。

バラが咲いた。

 バラが咲くシーズンになりました。バラは富士市民の花でもあります。

 富士市民の花「バラ」が中央公園で見ごろを迎えた中で、日曜日に「第3回富士バラ祭り」が開催されました。園内には、オリジナルバラの「かぐや富士」をはじめ208種1320本の赤、黄,白、ピンク等色鮮やかに咲き乱れています。ばらの甘い匂いが漂い、訪れた人達がそれぞれにバラを愛でていました。

 
 バラの起源は恐竜の時代、というくらい古いのですが、栽培され始めたのは紀元前 古代ペルシャといわれます。
ギリシャ ローマ時代は薬用、香料用として盛んに利用されていましたが、次第に観賞用としても栽培されるようになりました。今では、多くの家の庭でもバラが一般的に見ることができるようになりました。

 バラは富士市民の花ですが、市民には、あまり浸透していないような気がします。もっともっと多くの人に知ってもらえるようなPRしなければいけないような気がします。また、バラ祭りも地域だけではなく、観光資源と捉え、富士市に訪れる人にも知って頂く事も考えなければいけないよう気がしました。

 中央公園だけではなく、市役所や駅、商店街等にバラのフラワーバンケットを飾り、市を挙げてもっと広くバラを見せる事を進める事もよいのではないでしょうか。また、母の日が、先週あったのですが、母の日はカーネションを贈るというようになっていますが、富士市では、季節的にも、バラの花を贈るというように変えてもいいような気もします。(知りませんでしたが、父の日にバラを贈る方もいるようです)
バラを使ったまちづくりがあってもいいと思います。

 ばらが咲いた。ばらが咲いた。真っ赤なバラが、寂しかった僕のまちにバラが咲いた。

そんな思いでばらを眺めてきました。

児童見守りシステムモデル事業

  コミュニティシンクタンク富士が、総務省「児童見守りシステムのモデル事業」として、昨年の6月契約をし、6000万円の予算をもらい、富士市において取り組んでいましたが、シンクタンク富士の総会後に、地域交流センターの米村理事より報告と説明がありました。
この、総務省の「児童見守りシステムのモデル事業は」はモデル事業として、全国で49件の応募があり、16件が採択された中で、19年6月に契約をし、富士市も取り組んでいます、
この事業は、富士市の児童の通学路における安全を確保するにあたり、富士市内で既に活躍している各種団体の協力により「ふじ児童見守り隊協議会」を設立し、人為的な面から児童を見守り安心・安全を確保することと同時に児童にGPS携帯電話、パッシブICタグを持たせ、ハード面から児童の登下校並びに通学路の行動を管理センターで把握し、危険情報をいち早く察知すること、次いで危機情報市民から成るサポート隊に知らせ、救出、情報収集を行うシステム作りが目的であります。
実際に市、学校、PTA,各種団体の協力を得て、市街地の吉原地区と山間地帯であ、大渕地区で、児童に適用する見守りシステムを実施、検証を行いました。また、将来的に高齢者、障害者等の弱者支援にも考慮した見守りシステムの検討も行われました。
報告の中で、

成果として、
*技術的に可能であることがわかった
*地域の既存の見守り機能が一堂に会した
*地域の取り組みがより多くの人に知られるようになった

課題として
*受益者負担の適したコストにできるか
*市全域で見守り体制が作れるか
*行政の対応と住民の役割

モデル事業として取り組み、成果は成果として、評価されることですが、問題は課題の解決を、今後どのようにしていくのかが注目されることだと思います。国の施策ですが、せっかく、行った事業ですので、成果を活用し、安心・安全な社会の構築に向けていかなければならないと思います。私も、できる限り、その後押しをなんとかしたいと思っています。
 
 通学路での殺人事件も起こっており、決して遠くの地域の出来事ではありません、いつ、自分の住んでいる地域で起こっても不思議でない時代になっています。
事件がないに越した事はないのですが、防ぐ為には自己防衛、地域住民の協力、事件ができにくい環境整備にあると思っています。

わんぱく相撲富士場所


 富士総合運動公園には立派な相撲場があります。「第19回わんぱく相撲富士場所」もこの、立派な土俵の上で、ちびっこ力士達110人が参加し、熱戦が繰り広げられました。

 わんぱく相撲は、東京青年会議所が、日本の国技である相撲を通して、礼節を学び、勝つ喜び、負ける悔しさを知り、また、負けた人を思いやる心を養うために開催され、全国大会として既に、24年の歴史があります。若・貴兄弟も子供の時、わんぱく相撲で活躍をし、優勝しています。全国大会の予選を兼ねて、富士JCでも、青少年健全育成事業として、取り組み19回目を迎えての大会でした。この大会で優勝した、小学4・5・6年生は、富士市の代表として、6月22日に県大会に出場し、各学年10名参加の内、上位4名に入ると、全国大会として、両国国技館への出場となります。毎年、富士市から全国大会出場者が輩出されており、JCのメンバーが責任を持ち、全国大会まで、練習にも付き合い、当日の東京まで引率を行い試合に参加させています。

 私が子供の時、相撲はスポーツというより、子供達の遊びの一つでした。運動場の砂場や空き地で土の上に線を引き、良く相撲をとりました。放課後また、学校の休み時間、林間学校や修学旅行での旅館の中と仲間とけんかではなく、相撲をとった覚えがあり、勝った負けたと言ってじゃれ合い、仲間意識が育ったという感じでした。今、考えると、大きな怪我もなかったのですが、相撲をしながら、それなりに体が鍛えられ、擦り傷などは絶えませんでしたが、よくあちらこちらで見かけられた風景だったような気がします。しかし、何時の頃から、相撲はやらなくなってしまったようです。転んで汚れたり、相手に怪我をさせたりする恐れがある中では、先生もやらせないようですし、また、イメージ的に敬遠され始めているのかも知れません。また野球やサッカー、ミニバス等また、塾通いと習い事としてやることがありすぎて、子供達がじゃれあって遊ぶ時間が少なくなってしまったようです。この、わんぱく相撲というのは、相撲を経験するいい機会だと思っています。
 子供達の応援に父兄は基より、多くの小学校の校長先生が応援に駆け付け、自分の学校の生徒はもちろんですが、子供たちにあたたかい声援を掛けており、子供にとって励みになっていました。今回は韓国の子も参加し日韓の友好にも、一役担っていました。

 子供の輪に入り、マワシを付けたり、話をさせてもらいました。子供の輪の中で、小学校3年生の子に
「おりゃあ強いで、おじちゃんには負けないよ」
と言われましたが、昔も今もいたずらっ子みたいなガキ大将はいるんだなと、なんか安心しました。
ちゃんこも振舞われ、勝っても負けても、楽しい一日でした。

トホホの体育祭

 娘の学校の体育祭が、大変天気の良い中で開催されました。前日、娘に、
「明日は、午後から、総会があるし、午前中、片付けたいこともあるから、行けないかも。」
と言うと
「リレーにも出ないし、あまり見るところがないから来なくていいよ。」
と言われていました。

 高校生になってから、あまり親に学校に来てもらいたくなっているようで、無理して行くこともないかなと考えていました。朝、学校へ行く時に
「お父さんは、今日は行かないけど、楽しんできて」
と言い、もう一眠りしてから、仕事を片付けようと思っていました。ですから、今年は、娘の体育祭に行く気はありませんでした。妻は出かけて行きましたが、当然、私のお弁当は持って行ってはない訳です。お昼は、適当に、食事をするつもりでした。  

 ふと、携帯電話を見ると、着信ありの表示があり、電話をかけ直すと、同じ学校に通う先輩の市川さんが、どうしても、娘の学校の体育祭に行こうとの事でした。
 私は、娘に「来なくていい」と言われているから行かないと言うと、嬉しそうな声で、
「家は、娘がリレーにも出るし、来てくれと言われているし、お昼も一緒に食べようと言われているよ。でも、今まで、学校へ行ったことがないから、迎えに行くから、一緒に行ってくれよ」
との事、私は
「午後から総会があるし、子どもには行かないと言っているし、それに食事もないから駄目だよ」
と言ったのですが、
「食事は家のを食べればいいから、時間の方も顔を出したら帰るから、とにかく行こう」
という事です。先輩ですので結構強引です。結局、ノーと言えず・・・・・
 
 市川さんの娘さんも、お父さんの事を嫌っているのかと思ったら、案外仲が良いという事みたいです。また、市川さんも娘に「来てくれ」と言われて、嬉しかったようです。 私は、妻にも娘にも行かない宣言をしていたのですが、付き合いで急遽、娘の体育祭を、お昼間際に見に行く羽目になりましたが、行かないと言っときながらちょっと、体裁が悪いです。
 午前最後のリレーも人の娘さんを応援し、お昼も家族とではなく、市川さんの家族と食事をとりました。娘の種目が何に出ているかわからず、娘の姿を見る事はできませんでした。なんか、娘と妻には怒られそうですが、行きがかり上、変な体育祭への参加となりました。


 午後からの総会があったので、食事をとった後、帰ろうと思っていたのですが、偶然、娘にあってしまい、気まづい雰囲気でしたが、今日のブログの取材に来たと言い、写真を撮り、すぐに退散いたしました。トホホな体育祭でした。
 こんなんだったら、朝から、行けばよかったと後悔しています。ジャンジャン!!