笑顔溢れる入学式

 市内の公立小中学校全43校の入学式が、一斉に桜満開の素晴らしい日に、学校毎に執り行われ、新たに、小学生2546名、中学生2626名合わせて5172名の新1年生が誕生いたしました。
おめでとうごさいます!!!

 私の住む地域の須津小、中でも、須津小3クラス108名、須津中5クラス148名のピカピカの新1年生が誕生しています。

 須津中学校の入学式が午前中であったのですが、少子化と言われて生徒減少が懸念されている中で、昨年の新入生が139名であったのが本年148名と9名の増加である事はちょっと驚きました。
 小学校から中学校に代わり、学校環境が変わる事により、多くの不安や小学校と比較して学習内容が一段と高度化する中学校では生徒間の学力格差の拡大や不登校が増加する「中1ギャップ」と呼ばれる現象が問題視されている中で、きめ細かな指導、体制を望まれており、理想の学校教育具現化委員会では少人数学校として30人学級の導入を強く求めています。
                         (体育館に張り出されていたクラス表)

 そのような動きの中において、須津中では148名で5クラスですので各クラス30人以下で構成されており、人数によるクラス編成としても結果的に30人学級として進んでいる事は子供達にも先生にとっても有難いことです。環境の整っている中でしっかり勉強に励んでもらいたいものです。

午後は小学校入学式でした。
(足がつかないのでブラブラしちゃいます)(新2年生のお迎え)(しっかり起立もできます)
 

 小学校の入学式に関しては、両親での出席が多いようで、カメラ片手に持ちながらの姿も多く、参加者も多いので、子供の入場と共にかわいさからどよめきが起きます。見ている来賓の方たちも、微笑ましさから思わず笑顔が出てしまいます。本当に可愛いです。
まだ、幼さが残る新入生を気遣い飽きないよう長い式典を避け、新入生の呼名を省いたり時間短縮が図られていました。

どちらの入学式も、希望と期待と笑顔が充ち溢れた素敵な式典でもありました。

UCC工場感謝祭

「飲むんだったらUCC,いつでもどこでもUCCコーヒー」という宣伝を覚えていますか?

野球選手のCMだったと思いますが、その宣伝していたちょっと甘めの三色のデザインのUCCミルクコーヒーが子供の時は好きでした。今は無糖のブラックコーヒーしか飲みません
が・・

 確か、私が、1番最初に飲んだ缶コーヒーはUCCのミルク入りコーヒーだったような気がします。缶コーヒーを最初に作ったのは、後に「日本のコーヒーの父」と呼ばれるUCC上島珈琲の創業者・上島忠雄氏であります。

 私の家の近くにUCC富士工場がある為に、コーヒーの独特の匂いが風向きによって漂ってきます。呼称のUCCはUeshima Coffee Co.,Ltd.の頭文字に由来しています。

 そのUCC工場で恒例の工場感謝祭が開催され、桜を見ながら地域の人は勿論、それ以外からも2000人近い人が来場していました。UCC工場の庭へ行くと温室でコーヒー豆の木を栽培しています。また、UCC工場では創業者の上島忠雄夫妻の功績をたたえた銅像も、見る事もできます。

 UCCは、レギュラーコーヒー豆はもちろんですが、1969年に世界初のミルク入り缶コーヒー、「UCCコーヒーミルク入り」を発売したことでもその名を知られました。

 感謝祭では、大道芸やよさこいのイベントや抽選会などが行われ、毎年、どこから人が集まってくるのかと思うほど、人と車でごったがえしになります。
 感謝祭ですので、当然、私も、思わず1ケース500円という無糖の紅茶を2ケース買ったのですが、重くて運ぶだけでも大変です。飲むものは、値段が安くされてもたくさん買えません。
 地域において、この感謝祭は毎年楽しみにしており、最近ではあまり宣伝などしなくて多くの人が集まってきてしまいます。今では、地域の季節の名物イベントでもあります。
 不思議なもので景気は悪いのですが、人は集まる所には集まってくるのですね

花見でてんてこ舞い。

 桜があちらこちらできれいに咲いています。
今週は急に花が開き始め、桜ががちょうど旬の時でもあります。花見で結構忙しいです。

と言う事で、今週は花見が行われており、花の命は短いので、私も毎日、花見にでかけていますが、桜も見る場所、見る時間が違えば、見え方も変わってきます。
(瑞林寺の庭にて)  (岩本公園の滑り台の上から) (実相寺)

金曜の昼間は、岩松地域付近で桜を見、夜は広見公園で、土曜昼間は英霊供養祭で夜は雨の中で米の宮神社で花見の宴席があり、日曜は、UCC工場での桜まつりと神谷で花見と今週末は、花見週間でもあり、桜・桜で毎日が過ぎていきます。

(龍厳淵1)      (龍厳淵2)      (雁堤)

富士山と桜は景色としてはベストマッチであります。

 

(広見公園の夜桜)     (岳南忠霊廟)

しかしながら、それに加え、今週末は、お葬式も3件あり、通夜・葬式・お花見とてんてこ舞いで、落ち着いてブログを書いている時間が取れない実情もあり、あちらこちらの桜の掲載しますのでお楽しみください。

凡事徹底

 商工会議所と地域のパイプ役を担う、平成21年度商工振興委員の委嘱式が行われ、再任、新任合わせて99人が委嘱され、私もその内の1人として委嘱状を頂いてきました。


 
 毎年、その際に講演会が開かれるのですが、本年は、100年に一度とい未曾有の不況という状況を踏まえ、日本銀行静岡支店の武藤清支店長が「経済の展望と課題」について話されました。
 サブプライムローンに端を発した金融恐慌が世界的な不況を生じさせ、非常に厳しい状態である事は、多くの方が実感している事です。昨年末、また年度末と県内においても、良い状況ではなく、一刻も早い景気の底入れが待たれている訳ですが、データで示されるものは、今までにおいて、最悪の数字が示されており、深刻さは増しています。
 武藤支店長は、設備投資などはせずにキャッシュを確保しながら、長中期的な展望を持ちつつ、今をしのぎ、ピンチからチャンスに変わる機会を待つとし、このような時だからこそ、当り前の事をきちっとこなす仕事に徹する「凡事徹底」の大切さを訴えていました。
 「凡事徹底」いい言葉であると思います。でも、本当に困っている会社にとって、言葉だけでは救われません。確かに、朝の来ない夜はないと思いますが、実際、私の知り合いの会社でも、年度末で倒産や廃業があります。仕事を続けたくても、できない状況であり、振興委員もそうですが、各種団体の役職も受けられなくなってしまった会社もあります。今をしのぐことができない会社が増えている状況においては、「凡事徹底」も理想論のような気もしてしまいました。
 でも、議員としては、当り前の事をきちっとこなしながら、一歩一歩実績を積み重ねていく大切さを充分に感じています。

 急いで、商工会議所に向かう途中、車が溝に落ちている光景に出くわしました。知り合いの方ではないか、気になり、車から降りて確認に行きましたが、すでに運転されている方はいないませんでした。
 何事も焦らず、慌てず、事故を起こさないよう気をつけなければと思いました。

次に目指すものは。

 

 3月21日をもって終了した、県で行っていた第7期まちづくりリーダー養成講座の修了証が年度初めの4月1日に、県から送付されてきました。

 議員という立場もありましたが、一年間それなりに忙しい時間?を割いた中で、途中でなげださないで何とか続けて終えることできました。
 
 先日、県庁で行われた修了式には出席はできなかったのですが、改めて、送られてきた修了証を手にして、嬉しく思っています。修了証以外に送付されてきた資料をみると、この講座においての単位を20単位認定するとありました。
 知らなかったのですが、「しずおか県民カレッジ」と連携講座である為、今後、所定の単位を取得すると「ふるさと学士・博士」等の称号が授与されるとなっています。
この称号は、大学の学士課程や博士課程を修了して認定される学位とは異なるものですが、生涯学習の目標としての称号だそうです。ですから、生涯にわたる学習を目標にしての大学の称号であり、卒業もありません。
 せっかく、まちづくりリーダーで単位もいただけたので、次には、「ふるさと学士」を目指そうと思っています。ただ、時間はかかるとは思いますが、卒業もないという事ですから落第も退学もないと思いますので、生涯にわたり、自分のできる範囲で今後も取り組んでいこうと思っています。
 いくつになっても、勉強をしていかなければならないと感じています。

製紙発祥の地と私の祖父は。

 
 日本製紙工業の発祥地である王子は、王子製紙発祥の地として有名でもあります。その王子へ紙の博物館を見に行ってきました。製紙発祥の地には、渋沢栄一氏の写真が飾られています。

それは、明治時代初め、西洋に追いつき、追い越せと「文明開化」を担う産業として、洋紙業を興すことが最重要であると、「抄紙会社」を創立し、東京府下王子の地に王子工場を建設したのは、大蔵省を退官し、取り組んだ渋沢栄一の先見性と英断によるものであり、その功績が讃えられて飾られている訳です。

 当時としては製紙工場設置に最適であった東京府豊島郡王子村も、時が経ち、東京都北区王子となり、戦後の高度経済成長に伴い、都市化が進み、大きく変貌しました。
 
 富士市も紙のまちと言われていますが、実は、私の母の父、私からするとお祖父さんは、久保田春吉と言い、市内にある製紙会社の創設者でもあります。ですから、紙には縁がある家系でもあります。祖父は、すでに40年前の私が小学校1年生の時に亡くなってしまいましたが、今は、会社の敷地内に、祖父の銅像が建っています。
  富士市では、大昭和製紙の故斉藤知一郎氏は有名ですが、その斉藤知一郎氏と同じ位、偉大な経営者であったと思っています。その昔、大昭和製紙の前身である、昭和製紙を斉藤知一郎氏と共に祖父は起こしました。その後、手を引き、違う製紙会社を立ち上げた訳ですが、色々な事情があって大昭和のような上場企業になれませんでした。(成らなかったのかも知れませんが)
 しかし、今も堅実に中小企業としてはそれなりの会社として頑張っています。それは、亡くなられた叔父さんや今の会長が頑張って経営してきているからですが、祖父が、もっと長生きしていたら、もしかしたら、私も今頃、紙の関係の仕事をしていたかもしれません。今は、景気は非常に悪い訳ですが、、製紙工場も全国にわたり増え、わが国の製紙業は大きく発展し、世界の製紙大国となりました。また、文化・経済の先進国にもなりました。今も紙は進化していますが、紙関係の仕事も産業構造の変化に伴い大変な時代になっています。変化に対応し、生き残る努力をしなければいけない時でもあります。
 富士市では私のお祖父さんは、製紙業界の草分け的存在でもあり、私自身、祖父を経営者として尊敬をしていますが、新ためて製紙工業の発祥の地、王子へ行き、祖父を懐かしく思い出しました。