日本製紙工業の発祥地である王子は、王子製紙発祥の地として有名でもあります。その王子へ紙の博物館を見に行ってきました。製紙発祥の地には、渋沢栄一氏の写真が飾られています。
それは、明治時代初め、西洋に追いつき、追い越せと「文明開化」を担う産業として、洋紙業を興すことが最重要であると、「抄紙会社」を創立し、東京府下王子の地に王子工場を建設したのは、大蔵省を退官し、取り組んだ渋沢栄一の先見性と英断によるものであり、その功績が讃えられて飾られている訳です。
当時としては製紙工場設置に最適であった東京府豊島郡王子村も、時が経ち、東京都北区王子となり、戦後の高度経済成長に伴い、都市化が進み、大きく変貌しました。
富士市も紙のまちと言われていますが、実は、私の母の父、私からするとお祖父さんは、久保田春吉と言い、市内にある製紙会社の創設者でもあります。ですから、紙には縁がある家系でもあります。祖父は、すでに40年前の私が小学校1年生の時に亡くなってしまいましたが、今は、会社の敷地内に、祖父の銅像が建っています。
富士市では、大昭和製紙の故斉藤知一郎氏は有名ですが、その斉藤知一郎氏と同じ位、偉大な経営者であったと思っています。その昔、大昭和製紙の前身である、昭和製紙を斉藤知一郎氏と共に祖父は起こしました。その後、手を引き、違う製紙会社を立ち上げた訳ですが、色々な事情があって大昭和のような上場企業になれませんでした。(成らなかったのかも知れませんが)
しかし、今も堅実に中小企業としてはそれなりの会社として頑張っています。それは、亡くなられた叔父さんや今の会長が頑張って経営してきているからですが、祖父が、もっと長生きしていたら、もしかしたら、私も今頃、紙の関係の仕事をしていたかもしれません。今は、景気は非常に悪い訳ですが、、製紙工場も全国にわたり増え、わが国の製紙業は大きく発展し、世界の製紙大国となりました。また、文化・経済の先進国にもなりました。今も紙は進化していますが、紙関係の仕事も産業構造の変化に伴い大変な時代になっています。変化に対応し、生き残る努力をしなければいけない時でもあります。
富士市では私のお祖父さんは、製紙業界の草分け的存在でもあり、私自身、祖父を経営者として尊敬をしていますが、新ためて製紙工業の発祥の地、王子へ行き、祖父を懐かしく思い出しました。