富士山百景写真コンテスト

 富士市は富士山がきれいにみえるまちです。写真で見ると、また、格段と素敵に芸術的に楽しむこ事ができると思っています。富士山百景写真コンテストの写真展に行き、富士山は絵になる山だなと改めて感じました。カメラを通して、見る景色とは肉眼で見るものと違う景色があり、こんな風に撮れるんだと感心させられます。写真でみる、富士山も色々な姿があり、また、撮る人により、個性があり同じには見えない事が良く判ります。
 富士市では、富士市らしき富士山の見る事ができるエリアを96選定しており、このエリアに多くの人が訪れ、富士山の眺めや魅力を知って抱く為に、富士山を題材にした、「富士山百景写真コンテスト」を開催しています。今回が3回目のコンテストでしたが、市内はもとより、全国各地より、359人の人の1,829点の作品が寄せられました。今後、この写真コンテストは全国屈指のコンテストとして定着させ、富士市を全国へ紹介していく手段と考えているようです。その意味では、市でも力を入れており、コンテストに際しても、多くの費用をかけてると思っていますので、有効にこの写真展の優秀な写真を、情報発信のツールとして利用して行く事を進めてく行くものと考えられます。
 
 グランプリを受賞した、作品は、それぞれの思いが伝わる作品ですが、人々と富士山部門でのグランプリを受賞した、井沢さんは埼玉の方で、11年間、富士市に通い続け、富士市の人より、富士山がきれいに見える場所に詳しいとコメントがありました。毎日、目にすることができる富士市民より、実際、他市から来ている人の方が、富士山に対しての感動があるのかもしれませし思いも強いのかもしれせん。

 でも、家の地域においても、富士山を撮り続けている、東部地域では有名な、片岡さんが入賞していました。富士山に対しての思いが強い方で、朝早い時間に、良くカメラを持って出かける姿を目にしますが、本当に熱心な方で、素人写真家というより、セミプロという方がよく、アートな写真を撮り続けています。

 「富士山百景」は富士市から見る、富士山の美しさを発信することと、多くの人にこの富士市に来て頂けるように、最大限利用し役立ててもらいたいと思いました。

 素朴な疑問として、96のエリアとしているのですが、百景という以上、100のエリアにした方がいいんじゃないかと感じたのはわたしだけ。
 

神谷不動尊

 毎年3月28日に、地域の神谷において、お祭りの神谷不動尊が開催されます。朝から花火の音が聞こえ、いつも、「今日は何かあったっけ?」と考えると、「あー白蛇祭りだ。」というようにこの時期の恒例のお祭りです。

 神谷不動尊は、白蛇が不動尊の使いだと言われ、毎年お祭りの時に、岩の割れ目から、白い蛇が見る事が出来た人には、近い内に何か良い事があると言い伝えられています。
 一般的に、白蛇は財宝の守護人である弁財天の使いとされ、白い蛇を用いて財を成すといわれるように偉大なる富と財をを受けると言われています。
 大変暖かな日ですので、割れ目から白蛇が陽気に誘われて出てきているかな思いましたが、見る事はできませんでした。何度も何度も目を凝らして見たのですが、見えません。毎年来ているのですが、見たこともありません。いないじゃないかなと思ってしまいます。もっとも簡単に見る事ができたら、価値はないのかもしれません。
 地域の小さなお祭りですが、人の出方がだんだん少なくなっているような気がします。神谷神明宮の天然記念物のムクノキが近くにあり、不動尊が奉られ、鎮守の杜のお祭りという感じですが、昔のように、お祭りが開催されても、ありがたみを感じなくなってきているのでしょうか。
 地域のお祭りですので、お祭りを通じて、地域の人達の地域力の強化に役立てる機会だと思いますが、なかなか平日開催日のお祭りとなると、仕事を持っている人には参加しづらいかもしれません。
 毎年、楽しみにしている私にとっては、賑やかなお祭りになること期待しています。

卒業証書授与式

 卒業式というのは正式には、卒業証書授与式という事を改めて知りました。本日、須津小学校、須津中学校の卒業証書授与式が開催され、議員になり来賓という立場で初めて参加させていただきました。

 最近の卒業式には、男の方の姿も見られ、夫婦で参加なされる方が大分多くなってきたようです。私の子供の時などは、父親が学校に来ると言う事は、ほとんどありえない時代でしたので、随分、様変わりしてきたと思います。学校行事に父親がくるというか、子供の教育に関わるという意味合いから多く方が色々な物に参加し始めているのかもしれません。通りで、子供たちが、私に何か事あるごとに、学校へ来いという意味がわかりました。
 小学校と中学校の卒業式にでで、比較することができて、これはこれで、結構、楽しいというか、勉強になりました。
12歳と15歳と3年間という年の差は、大きな違いがあり、体格的にも、行動においても、明らかに違う事が、はっきりとわかり、成長していくと言う事はこういう事なんだな、と一人納得してしまいました。
 校長始め、PTA会長さんの話も比較でき、話し方や内容もそれぞれに興味深いものがありました。その中でも、
「夢は見るものでも、夢は追うものでもなく、夢は叶えるものである。必ずできると言う思いを持ちつづけ、実現させてほしい。」
という話は、良く聞く話ではあるのですが、自分自身にもちょっと忘れかけてた気持ちに奮起をかけてもらえ、なんか得した気分になりました。

 中学の答辞をしたのは、私の親戚の子でもあり、自分の子供が読んでいるような錯覚になりました。上手にでき、安心するとともに、多くの人への感謝の気持ちが伝わってきて、とても感動しました。
 小学校、中学校の卒業を迎えられた、生徒の皆様また、ご父兄の皆様本当におめでとうございます。
 

お祝い事、2題。

 YEGの例会において、本年卒業される2名のお祝いが催されました。YEGは50歳になると嫌がうえでも卒業しなくてはなりません。2人の内の一人は、JCの理事長を務め、法人会青年部会長をやり、YEGの会長を務めた後、県連の会長までやり遂げた、Y川さんです。
 Y川さんと言っても、誰だか分らないと思いますが、一部では、大変有名な方だと思っています。仕事も熱心、遊びも一生懸命、何でも熱く取組、熱血漢だと思っています。そのY川さんがようやく、青年と名のつく団体から、すべて手を引く時がやってきました。やり残した事はないと思いますが、これからやる事がなくなり、寂しいと感じているのではないでしょうか。
 どこの団体においても名物男はいると思いますが、まさしくY川さんは、属してきた団体で、この人ありと言われた人でした。きっと卒業した後も、じっとしていられないでしょうから、何かを探して活躍はなされると思っています。人生50年と言われた時代は終わっています。50から、更に好きな事を思う存分やってもらいたいです。とにかくご卒業おめでとうございます。

 おめでたいと言う事では、割烹料亭のN井さんは、YEGのメンバーですが、3月1日に、晴れて、おかみに就任いたしました。おかみになる事は、あらゆることを仕切らなければいけない立場となり、責任重大になったと本人はいっていましたが、しっかり者のN井さんだから、きっと素敵なおかみになる事は間違いないとおもっています。

N井さん、おめでとう、そしてがんばって!

 明日は(19日)、娘の卒業式がありますが、議会がある為、残念ながら、出席できません。議員になるまでは、子供の入学式も卒業式もすべて出ていたのですが、今回は、でたくてもでれません。公務優先です。娘よ、ごめん!

議員一年を振り返って。

 もうすぐ議員になってから、一年が経ちます。あっという間に過ぎ去っていく感じがしますが、振り返ると色々な事があり、取り組んできました。
 議員になってから、生活も変わり、無我夢中で毎日が過ぎ気がついたらもう一年経つという気がします。
 一年がたつ中で、市政報告会を開催しました。地域の人に議員として、この一年の経過を報告する機会を頂きたいと思い、市政報告会を開催してもらいました。一時間以上話したのですが、調子が出る前に、巻きがはいり、喋り足りないと言うか、思いが伝いきれないような気がして消化不良気味です。今回は、What‘s 議員!というような感じでしゃべりたかったのですが、どこまで伝えられたかは、疑問です。でも、帰る時に、
「また、聞きたたいよ。」

「今度はいつやるの。」

「今まで、こんな話聞いたことなかった。」

「こういう事がたいせつよ。」

お世辞でも、ありがたい言葉です。

思ったより、好感触でした。
喋ろうと思っていた事が半分も喋れませんでしたが、
多くの人に、議員の役割や取組を聞いて頂く機会を今後ともあれば、自分の思いを伝えたいと思います。

後援会長さん、連合町内会長さん、区長さん、生涯学習会長さんおせわになりました。

新幹線新富士駅

 JR新富士駅開業20周年の記念イベントが開催されています。入り口では茶娘が、お茶のサービスで出迎えてくれ、つい寄ってしまいました。
 新富士駅ができて新幹線利用が増えました。首都圏への通勤、通学が可能となり、私の知り合いも結構、東京、横浜に仕事や学校に通う人がいます。新富士駅がなかった時には、三島まで行き、新幹線を利用していましたが、新富士駅ができ、本当に便利になったと思います。
 新富士駅は、昭和63年3月に地元の請願により設けられた駅であり、自治体が建設費を負担した請願駅です。こだましか止まらないので、私は以前より、朝昼夜の3回位は、ひかりも止めてもらいたいと要望を投げかけたことがあります。「静岡駅との距離が近すぎるためにできない」という返答でした。
 新幹線の駅ができて、便利になったのは言うまでもありませんが、交通施策がなかった事が、新幹線の単独駅にしてしまい、鉄道路線と接続がないという、今の、新富士ー富士駅の接続問題に発展してきたことです。今回のイベントが開催されましたが、いうなれば、20年間、在来線と接続がなされなかったという時間の経緯を改めて感じさせられました。


フジコウジさんが地元物産品として、味噌や金山時を販売していました。酒屋組合の役員さんなので、何か買わなければと思い立ち寄ると、きゅうりのスティックを進められ、買い求めましたが、駅の構内で、きゅうりに味噌をつけ、歩いて食べるのは、チョコバナナなんかと違い、オシャレじゃない
し、おやじまるだしだなと思いながら、食べてしまいました。

まちづくりとは!?

 本日、青年会議所が主催する、まちづくり推進事業としての、「まち未来創造図」という、パネルディスカションにパネラーとして参加いたしました。
 JCは、50周年に、エリア構想と言う形で中期ビジョンとして、提言書を策定し、現在推進しています。周年に掲げた取り組みを実現化する為に、いろいろなアクションを起こし始めている中で、本日のパネルディスカションも開催されていると思っています。
 提言は、素晴らしいものだと思いますが、ただ、言っているだけでは、中々、実現化しない実情だと思います。実現化する為には、どうしたらいいかが、大きな課題だと思います。細かい事は、いいませんが、自分達のまちは、自分達でつくる。という思いは貫き通してほしいと思います。
 ひとつの事を言いつづける事も必要だと思いますし、行政とは、相反する気概も必要だと思います。
 まちづくりとは、英語で言うと。CD(コミュニティデベロップメント)と言われますが、アルファベットで言うと、CDの前に、ABがあります、かって、JCにおいて、CDの前のABは、あほ、ばか、である。と言われました。CDを進めていく上では
アホ、と呼ばれようと、馬鹿と罵られようと、一つの事を必死、に一心不乱に取り組んでいかなければ、変化は起らないような気がします。JCだから進める事もあるはずです。

JC本来の姿でまちづくりを進める事を期待します。

JCの雰囲気を感じ、久し振りに血が騒ぎました。

富士山を世界文化遺産に

 富士宮で、静岡第3分区インターシティ・ミーティングが開催され、富士宮での設営の為、富士山世界遺産へ向けての話で終始しました。
 ご存じの通り、富士山世界文化遺産に2007年1月に暫定リストに登録されました。その後、世界文化遺産に登録する為に、歴史、文化、振興、自然等様々な面から価値を検証し、その価値が認められたものを構成資産といいますが、64件の構成資産が承認され、登録推進にむけた作業が進んでいます。
 64件の構成資産の内、静岡県が25件、山梨県が36件あり、静岡県側の25件の内、13件が富士宮で、富士市には1件も登録がありません。(くやしいです!)
 
 富士宮は世界遺産に向けて、燃えています。まちづくりに対しての取組姿勢が富士市より、熱いような気がします。多くの団体が、世界遺産にむけて、イベントやシンポジウム等を開催してます。本日もその一環だとおもいます。各種展示や富士山検定のイベントを行い、世界遺産への後押しをする活動が全面に出してきます。

 先日も、桜で彩る富士山の名所づくりのシンポジウムでも多くの市民団体が参加し、桜の100万本運動の話や、白糸周辺の雁宿の下馬桜の連携したさくらの名所づくりとすべて世界遺産へむけて、取り組もうという雰囲気が感じられます。
 浅間さんの祭りにしても、焼きそばにしても、まちづくりは、富士市より1歩も2歩もリードしているような気がします。

 まちづくりに対しての姿勢はどのようにして、創られるのか教えてもらいたいです。
 
 気になる富士山世界文化遺産への登録の予定は、4,5年は掛かるそうです。  世界遺産への申請が多くなりすぎ、
審査が厳しくなってきたことと、事務方の処理が大幅にに遅れ始めているとの説明がありました。富士市も構成資産はないにしろ、富士と名がつく以上、全面的バックアップをする姿勢をださなけらばいけないと思います。

 帰りがけに、うみゃー富士宮焼きそばを食べながら、がんばらにゃーあかんと思いました。

5日午後1時

 一般質問の日時が、昨日の議運で確定いたしました。私の出番は、3月5日午後1時に決定をしました。決まった以上、皆さんに知らせようと思ったのですが、次から次へ、用ができます。ですから、質問内容を煮詰める暇がないのが実情で、とてもそこまで手が回りません。 
 質問内容も落ち着いて、考えてられないのに、ブログなん書いている場合じゃないと思いますが、これはこれで、やらないと落ち着きません。また、質問内容を考え始めると、色々な疑問が生じてきて、関連事項として広がっていき、収拾がつかなくなりそうです。
 先日、沼津議会で、発言通告以外の質問をして議会が空転した記事が載っていましたが、やはり、発言通告をしている以上、それ以外の質問は、議会ルールに反する行為なので、してはいけないと思っています。私も、質問内容が本来の内容からも一脱しないよう気をつけようと思っています。
 時間はありませんが、最大限の努力はするつもりですので、3月5日午後1時、発言項目は2項目
「桜で彩る富士山」名所づくりの推進について
 富士市育英奨学条例の見直しについて
を質問いたしますので、興味がある方は、ぜひ傍聴にきて、意見をきかせてください。

 お腹がへったので、コンビニでメガプリンを買い、食べました。途中嫌になってきたのですが、もったいないので食べてしまいましたが、後でちょっと気分が悪くなりました。何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし、と言うように欲張ってはいけないと思いました。

議員野球

 小学生時代、地域のソフトボールを熱心にやってた時がありました。体は小さかったのですが、運動は好きで、剣道やサッカーもクラブに入り勉強そっちのけで、取り組んでた時が懐かしいです。
 色々、スポーツはあるのですが、私の時代はやはり、野球でした。ソフトの練習をしていても、王だ長嶋だ、足が速いのは柴田、高田だの守備は黒江だよななんて、好きな選手の名前を言って、守備位置や打順を取り合ったことを覚えています。
 

 昨年10月に雨で、中止になっていた富士中の野球部と議員団の野球チームの試合が昨日行われました。前日は大雨でまた、中止かなと密かに思っていたのですが、天候は回復し、暖かな日の中で開催されました。
 私の背番号は1番です。ピッチャーという訳ではなく、ただ単純に、議席番号が1番という理由でなりました。

 最近は運動という運動をした事がなくて、中学生と野球の試合をやると話すと
「よせ、よせ、どうせ敵いっこないんだから、急に体を使ってアキレス腱を切るのが関の山だぞ」
 と冷やかされましたが、私を含め、中年以上の年配者の集まりなので、実際、冗談ではない話です。皆で無理をしないよう心掛けました。

 教育長の華麗な始球式の後、市長の激励を受けてから試合は始りましたが、結果は、11対1で、負けました。当然の結果ですが、でも、それなりのプレーもあり、点数も取れ、怪我をしたものもいなかったので善戦をしたと思っています。
 野球をやりながら、体が自由に動かないもどかしさと子供の頃を思い出し、また、変な緊張感があり、それなりに楽しい時間を貰え、良かったです。でも、中学生からしたら、野次がうるさいおじさんとの試合に付き合わされて迷惑だったかもしれません。
 もっと、練習になるよう議員野球団も日頃より練習をした方が良いかも・・・・・
 でも、時間がないから仕方がなく、各自がバッテングセンターで練習をするのが精一杯です。
 

天空の世界へ

 昨日、後援会の地区役員会の席で、後援会でゴルフをやろうかという話が出た時に、
「ゴルフも寒いと体が言う事が効かないし、俺の腰の治療をしてくれるのが、1月2日に息子が亡くなっちゃって、腰の治療が延期になっちゃてんだ。」
 なんか聞いた事があるような話だなと思いきや、私の知り合いの小口さんの事でした。
 
 小口さんは本業のコンピュターの仕事以外に写真家として、また体の筋を矯正したり、街づくりプランナー、料理家だったりその他にもマルチな才能を持った人です。
 その小口さんの愛する息子さんが1月2日に富士山で滑落事故で他界しました。息子さんも消防に勤める傍ら、父親同様、写真を愛し、展覧会で賞を貰うほどの才能をもっていました。
  亡くなるまで、撮り続けた写真の遺作写真展が本日より、中央図書館で、開催される事を聞き、さっそく出かけてきました。心優しい努力家であった息子さんの作品を展示することにより、多くの人にその才能と生きてきた証が、心に刻み込まれる遺作写真展です。

 息子さんを亡くされて、小口さんは悲しくて、苦しくて、仕事も手につかない中でも、亡くなられてから2週間で遺作集として、「天空の世界へ」を出版しました。愛する山への思いが伝わる写真集です。本当は、生きている中で才能を開花させ、本人自らが、写真集を出版させたかったと思います。
 父として、小口さんの思いは必ず、天空の世界の息子さんに届いていると思います。
 改めて、息子さんの貴裕君のご冥福を心よりお祈りします。
 

 素晴らしい写真展です。11日まで開催してますので、足を運んでください。
 

いよいよ合併

 富士市は、富士川町と本年11月1日に合併を致します。その為の、合併協定調印式が28日の16時よりホテルグランド富士で取り交わされました。
 ある意味、富士市の歴史の1ページとして、重要な日であったと思います。多くの報道陣も詰めかけていましたが、調印の瞬間に立ち会いたくて、私も参加いたしました。
 地方分権の時代において、生き残りをかけた合併というものが騒がれて久しいのですが、ようやく、富士市にとって第一歩が踏み出された気がします。富士川町との合併を進めるのも多くの諸問題がありましたが、これを機会に、富士市に住む人たちにとっても、よい結果をもたらす合併として頂きたいと思います。
 これからは、富士川がある富士市として、発展を進めていきますが、これで終わりではなく、これを継起に、中核市、政令市への移行について、多くの議論を進めていく段階に入ったと思っています。
 街が大きくなればいいという訳ではないのですが、将来、自分たちの住む町が、少しでも、住んでいたい、住みやすいまちになる為に、必要ならば、推進していく課題だと思っています。
 ちなみに、合併することにより、11月以降に富士川町で、3名選出の市会議員選挙が行われ、次の選挙まで39名体制で議会が運営されます。3名加わる事により、今後の議長選にからんでくるので会派の引き合いが始まると思います。また、次の選挙において、39名から、36名の選挙となり実質的定数削減が図られます。

 暫定的に新たな人が加わる事により議員が増えますので、プラスになる議会運営と富士市の為になるよう協力をした中で頑張るつもりです。

ムクノキの工事始まる。

 神谷神明宮の樹齢500年のムクノキの木霊祭が、18日より、延命措置の工事が入るため、氏子、区長が集まり開催されました。
 以前にも報告しましたが、市の天然記念物である、ムクノキの延命を図ることが、昨年末に決まり、11月補正予算に組み入れた中で工事が執行されることになりました。
 

 

 あまり、知られていない天然記念物の木ですが、富士市の大切な財産です。文化振興課の職員も立会に来ています。一度見てください。
 

 菌が入り込んでいるためにどれくらい延命できるか分りませんが、500年以上生きてきた歴史のある木が一日でも長く延命できる事を望みます。

新年会2題

 一月中は、新年会があちらこちらで開催されています。
東部酒販組合と江尾悠容クラブの新年会が本日も開かれ、参加しました。
 酒屋さんは、今もこらからも大変な商売になってきています。規制緩和が進み、かっては酒の免許は、限られた人にしかなかった免許が届け出により、あらゆるところで手続きをとればお酒が扱えるようになりました。
 時代の流れでは、お酒の安売りが始り、量販店、24時間販売のコンビニ、大型スーパー、距離既定の撤廃による環境変化、街の酒屋さんの利用が減少しています。それと同時に、飲酒運転の取り締まりの強化により、お得意様の飲み屋さん酒量の激減、お酒の売り上げが伸びる要素がないのが実情です。
 東部においての酒屋さんも10年前の三分の一に減ってしまっています。組合もあってもかっての力は持っていない状態です。小泉改革の後、中小零細の商売が成り立ちにくい環境がますます進んでいきます。昔からの地元の商店も次々に閉まっていく状況は、はたしていいのか疑問に思います。
 酒屋さんの新年会ですが、毎年集まる人が減っていくのはさみしい限りです。

 
 江尾地域には悠容会という名で、60歳以上の人たちの集まりが3つあります。須津地域においても、悠容クラブがありましたが、次々に解散していき本年に関しては、江尾地域3つの悠容クラブしか存在しません。
 高齢者社会と言われる割には、組織が無くなっていくのも不思議な感じがしますが、会を取り仕切る役員がいないのが一番の解散理由のようです。

鈴木会長    アトラクションのフルート演奏
 江尾地域は、本日も100人以上に方が参加していました。地域において、年配の方が色々な事業に参加してもらうためにも、悠容クラブの存在は大きいと思います。
 一年でも長く会が存続できる事を望みます。

出初式と成人式

 大変寒い中、消防出初式が開催されました。一糸乱れぬ規律にのっとた式典は、寒くてシビレたのですが気持ちの良いものでした。
 

 表彰から始まり消防演技まで3時間の時間を費やしての出初式は、富士市の安心・安全を守る消防団の存在意義が再確認できました。
 

 消防演技には、カラーガード隊、消防音楽隊、消防救助演技、ポンプ操法、普段見る事ができない演技が披露され、見に来た市民からも多くの歓声が上がっていました。
 
 消防祝賀会が行われた後、引き続き成人式がロゼシアターで行われ、新成人のお祝いに参加をしました。


 艶やかな振袖姿の女性、羽織はかまをきた男性、新成人の多くのみんながロゼの式典への参加の為に集まってきていました。
 出初式の凛とした雰囲気とは違い、騒然とした中で成人式は行われました。同窓会を兼ねた形では、市長が話そうが来賓が話そうが話は止むことはありませんでした。自主性にまかせているのかあえて指摘することもありませんでした。でも、荒れた成人式と言われますが、話声は止みませんでしたが、荒れている訳でもなく、喧嘩もなく、野次や進行を妨げる訳でもなく、普通こんなものかなというのが感想です。
 ただ、気になったのは、市長が始終にこやかに話され、まるで幼稚園児にでも話しかけているかのように諭すような話をしてるように感じたのは私だけでしょうか。

 司会の女性はうちのお店でアルバイトしている看板娘のこでした。気がつかなくてすみません。

 アトラクションで呼ばれた、タイガー・リーがリンリンしてるのギャグで新成人を祝ったのですが、会場のノリはいま一つでした。最後の一言として、「髪の毛は、金色でも赤色でも染めてもいいが、自分の心だけは自分色にそめてくれ、リンリン」と言って閉めていました。
 新成人になられた皆様が、これからの富士市にとっては、非常に重要で将来の富士市を担う存在にならなければいけないと思ってます。多くの物事に積極的に参加し、夢と希望をもって頑張ってもらいたいです。

 成人式の記念品の電波時計です。

新年賀詞交歓会

 平成20年度の富士商工会議所賀詞交換会が、県知事、国会議員、市長、、県・市議会議員、行政、各種団体及び経済界の多くの皆様が一同に集まり盛大に開催されました。
 商工会議所も昨年、遠藤会頭になり、本年は会頭としての所信を兼ねた年頭の挨拶をしました。
 経済界は言うまでもなく、本年の幕開けから厳しいものが
あり、原油高騰、インフレ懸念がされるところ、中小企業にとっては大変な年になると予想されますが、会員一同の奮起を促しました。
 来賓も多かったので、挨拶も長かったのですが、特に、県知事からは、来年開港の静岡空港による、経済効果や街の活性化が進むことを始めとし、富士市においても第2東名のハイウエイ構想の推進、また、田子の浦の浚渫土、新々富士川橋の実現など、毎年のことながら、積極的に取り組んでいく話を聞く事ができました。
 また、地元選出の2人の国会議員は、選挙も近い事を予想させるがごとく、野党と与党のせめぎあいを挨拶に盛り込み、目に見えない火花が飛び散っていました。
 選挙は今年、ありそうです。濃厚なのは4月、10月位があやしいです。

 賀詞交歓会をそうそうに切り上げ、挨拶をしにロータリーに参加しました。
  

 
珍しく、知ってるかどうかはしれませんが、かって、国民的美少女で、F1レーサと結婚したゴクミのお父様が、参加しており、本日、誕生日のお祝いをされていました。

真ん中が後藤さんです。なんとなく似ています。

 結構身近に有名人の関係者がいるのには驚かされます。
注:デジカメを忘れ、携帯での写真の為、多少見難い事はお許しください。

ニューマレニアウ会

 
 新人議員の勉強会であるチャレンジ7の今回の研修は、財務についてでありました。企業においても、財務内容が把握できてない経営者は、企業として伸びないと同様に、富士市の財政状況については、議員も理解しないとしっかりしたチェックもできないので、何度も勉強をしていかなければならない重要な課題です。
 しかし、年末の忙しい時期に何もやらなくてもと内心は思ってました。
 事前に質問事項を投げかけた中で、午後1時より4時過ぎまでみっちりレクチャーを受けました。
 
 夜、ニューマレニアウ会が沼津で開催されたので、JRを使い参加してみました。
 ニューマレニアウ会とは、私が所属してた団体であるJCを、ちょうど2000年に卒業をしたのですが、当時、同期の東部11JCの理事長が、毎年、集まる会をやろうと始めました。
 会の名前を、新しい2000年、ニューミレニアムにかけてニューマレニアウという親父ギャグの丸出しの名前をつけて集まっています。
 すでに、7年の月日が経ち、各々が色々な立場に立ち、いそがしい中、沼津の橋本さんの幹事で、6名のメンバーが近況報告を兼ねて一杯やりました。
 今回参加の熱海、下田、三島、沼津、富士宮、富士と広域で情報交換をしながら、馬鹿話に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごしたのですが、気がついたら最終電車に乗り遅れ、タクシーで帰宅をしました。


橋本幹事と共に

 沼津から家まで、電車だと230円なのにタクシーだと5000円もかかるのは考えものです。もう少し遅くまで公共交通機関もあるとありがたいです。年末だけでも、時間を気にせず飲めるようにしてもらいたいものです。

富士リトルリーグ

  
富士リトルリーグの卒団式が、雨が降った為、日本製紙の富士体育館で開催されました。7名のリトル、16名のシニアリトルのメンバーが今日、卒業いたしました。
 リトルリーグは少年野球と違い、硬式球を使用しています。子供たちの体力に合わせ、ベース間の距離や投球間隔、盗塁また危険防止の道具等をもちい、子供たちの発達段階を考えた中で試合が行われています。
 リトルリーグは9歳から12歳まで野球を愛する子供たちが集まり、いろいろな大会において、日頃より練習を積んで、試合に出場しています。富士リトルは河川敷のグランドで練習を積んでいます。
 年齢が12歳までとアメリカ発祥の為、日本では、卒業が中学一年の途中でちょうど今頃の、クリスマス近くに卒団式が開催されています。
 富士リトルリーグは、JCが31年前、青少年の健全育成の為、市より河川敷にJCグランドを借受、子供たちの為にグラウンド整備をし、リトルリーグを立ち上げ支援を続けている経緯があります。本日も理事長始め青少年系の役員が、卒団式のお祝いに駆けつけていました。
 富士山がきれいに見える河川敷のグランドで、日々練習を積んできた、リトルのメンバーは、中学生になっているので、すでに中学の部活動等で活動を始めています。
 会長からは、どんなことがあっても野球は止めないでもらいたいという事と多くの人が支えてくれている事の感謝の気持ちを持ち続けけてもらいたいとはなむけの言葉が掛けられました。
 リトルの卒団者は、経験を活かし、それぞれの道でしっかり活動をしていくとは思います。しかし、私の子供の頃は、野球小僧がごろごろしていましたが最近では野球をやる子も少なくなってきているような気がします。 

 会長はじめ保護者の方と

 卒団をする富士リトルの子供たちの中から、将来、プロになって活躍する子が出現するかもしれないと期待をしています。
 

アートな須津山百景

芸術の秋です。(冬かな)公民館事業のデジタルカメラ教室の須津川渓谷の撮影会に参加しました。

ただ写すのではなく、デジタルカメラを駆使して、光やアングルを考えてアートな作品を写したいと思いました。

深まる秋の中、2週間前に参加したふれあい遠足の時に比べさらに紅葉が進み、景色が変わっていました。

今年は、じっくりと季節の移り変わりを感じることがないまま、時が過ぎてきたように感じます。

 目で見る景色と写真となる景色は違うのですが、心に余裕を持つ必要性をカメラを握りながら感じました。

なぜかチャボがいました。野生のチャボですか?


須津地区生涯学習の永瀬会長もカメラを握り、傑作作りに挑戦中でした。

地域防災の日

 
 12月第1日曜日は地域防災の日です。県下一斉で自主防災会が中心となり防災訓練が行われています。富士市においても、285の自主防災が公会堂などを会場に町内会で防災力を高めています。
 
 増川地域においては、氏子会館にて、各家一人の要請をし、中学生を交えた中で、増川に在住の市の消防に勤務している、大塚さんと栗田さんが講師となり、三角巾を使っての応急処置の仕方を指導してくれました。
 また、行政の立場から、防災に対して、考え方、地域力の強化を求め、災害にたいして、日頃からの準備を心掛けることが促されました。
 
 東海地震がくるといわれ続けていますが、いつ来るかわからない状況の中で、あっては困るのですが、なんとなく、くるくると言われ、他の地域に地震は訪れているのですが、このまま来ないじゃないかと危機感も薄れているような気がします。
 気がゆるんでる時に、突然襲ってくるのが災害です。災害は忘れた頃にやってくる。という標語もあります。
 災害が起きた時に、いかに冷静に行動ができるか大切で、その行動いかんでは大きな違いがあると思われます。初期行動の動きにより、火事においては、隣家への火の広がりを抑えられたり、突然の心疾患に襲われた人に遭遇した時にも、応急処置を施すことにより命も助かる状況もあります。
 災害に際しては、自分をまもる、人を助ける、自助、互助、扶助の3助の精神をもって行動する努力が必要だとおもいました。

 我が家で防災ラジオを先日買ったのですが、緊急放送が受信できません。他ではどうでしょうか?電波状況の調査も必要だと思われ、緊急放送が有効活用できるよう望みます。

須津ふれあい遠足

 
 素晴らしい天気に恵まれた中で、500人以上が参加した須津ふれあい遠足が行われましたので、最近、運動不足とメタボが気になる私も、大棚の滝までの片道6キロ往復12キロの歩け、歩けを堪能してきました。
 

 運が良い事に親子の猿に遭遇、みえるかな?
 また、途中で鹿の死骸をはっけんしました。野犬にたべられたようです。

 途中のお汁粉休憩所に私のちいさな、支援者のまゆかちゃんとゆいこちゃんがいました。最後まであるけるかな?

犬を連れて参加の田中さん、犬もメタボ対策中!

大きな鍋でトン汁を作っていますが、大人気でてんてこ舞いです。

大棚の滝の素晴らしい景色、空気もおいしく、食事もおいしいです。

 多くの人が参加しましたが、まちづくり推進会議の皆さん、各種団体の役員さん、町内会長をはじめ地域の皆さんの力を合わせていることが今日の楽しい行事につながっています。
 須津地域は自然も素晴らしいですが、地域力があることはそれにもまして誇れることだと思います。
 来年は家族で、犬もつれて参加しようかな!

YEG創立20周年記念大会

 
 私が属している商工会議所青年連合会の20周年記念大会がホテルセンチュリー静岡で開催されました。
 記念式典、記念講演、記念パーティーと記念一色です。
 大会スローガンとして「友誼・相伝・破顔一笑」です。読むのにも苦労するスローガンですが、わかりやすく言えば、友情、受け継ぎ、笑顔でにっこり笑おうそんな意味ではないかと思います。できればわかりやすいスローガンがいいなと感じました。


 記念講演は「F1日本GPを開催して語る 静岡に何が必要か」です。平成21年に静岡空港開港も控え国際社会の一員として、静岡のあるべき姿を実現させていくための戦略を経営者として、地域貢献の仕方や事業のチャンスを掴んだトヨタ基幹一級職視点から、また、富士スピードウェイのトップとしてF1の苦労話をしていただきました。
 昨日、結婚式に出席し、その後も会合があったため、睡魔が遅い、大切な部分を聞き逃してしまい、もったいない感じがありました。
 余談ですが、結婚式での話ですが、11月22日は(いいふうふ)の日で昨日の23日(ふみだす)は22日、23日で(11−22いい夫婦が23ふみだす)結婚式には最適な日だそうです。
 しらなかったーー23日に結婚された、市川商事の息子さんお幸せに!

富士市技能者表彰

 
 勤労感謝の本日、ラ・ホールで平成19年度富士市技能者表彰が行われました。受賞者には技能功労者表彰者として、22名、これは同一職種に30年以上従事し、年齢60歳以上、極めて優れた技能を有し、他の人の模範となり、引き続きその職種に従事しながら指導的な立場である方です。
 15職種の方が選ばれ、平均年齢は66歳、平均経験年数45,8年と今も現役でバリバリ働いてらっしゃる方々です。
 
 
 また、優秀技能者表彰には、10職種13名が選ばれました。こちらは20年以上の経験と年齢が40歳以上50歳未満と一番の働き盛りの技能業界でもコアとなる人たちの表彰です。
 この中には、須津地区の江尾で造園業を営む杉山社長、また、JCでお世話になった原田の飯田板金の飯田社長と、知り合いの方が受賞され、私もうれしく思うと共にこの道、20年以上とやはり継続していくことにより技術が研ぎすまさり、技となるのだと思いました。
 
 
 祝福にいくと、飯田社長は「それしかできないから」と謙遜していましたが、どんなことでも、続けることが大切で、一つのものを極めていくことがプロであることの証であると思います。         
 これからも、ますます匠の技を磨き富士のマイスターとして活躍していただきたいと感じました。

須津悠容クラブ 演芸大会

 
 肌寒い曇りの天気でしたが富士山はくっきりみえる日でした。本日、第11回須津悠容クラブ 演芸会が東部市民プラザで開催されました。初めて参加したのですが、歌あり踊りありの芸自慢の皆さんがあつまっていました。
 
 一曲目に替え歌で、「ことわり音頭」を訪問販売や詐欺商法にひっかからない、だまされない、断ることをおもしろくうたっていました。
 悠容クラブの前身は、老人クラブでした。長寿社会においては60歳という年齢はまだまだ若く、また老人という聞こえもあまり歓迎しないことで悠容(おおおらかなようす)というような語呂が良い名前に名称変更したようです。
 須津悠容クラブは中里永楽会、中里三楽会、川尻万寿会、江尾悠容会で組織されているようです。増川、神谷は組織がなくなってしまったそうですが、来年には他の地域も抜けるような話もででいました。
 高齢者社会になり、生き甲斐をもち、元気に生活することが何よりの幸せであるとおもいます。また、趣味があり、人と交流を続けることは年をとればとるほど大切な事だとおもいます。 
 現在どの組織も弱体化してきています。悠容クラブも例外ではないと思いますが、なんとか存続し、今後もみんなが笑顔で集える役割をはたしてもらいたいです。
 途中で決算委員会の傍聴があった為、帰らしてもらいましたが、来年も盛大に開催されることを期待しています。
                
 東部プラザから見える富士山は、富士市の中でもトップクラスにきれいに見える場所だとおもいます。

鷹岡商工フェア

 第2東名建設に伴い整備された富士西公園で、鷹岡商工会が初めて開催するイベントで「鷹岡商工フェア」が天気の良い中、盛大に開催されました。
 東のはずれから大分離れていますが、村松実行委員長には以前たいへんお世話になった関係上出席させていただきまし
た。
 地元商工業者をはじめ、地域住民と一体となる、イベントを目指し、紙のまち・鷹岡をアピールをする為にも、段ボール紙による巨大迷路、トイレットペーパーの積み上げ、食材を紙に見立てた創作鍋「ひらひら五千人鍋」等地域性を考えたイベントでした。フリーマーケット、防災啓蒙としての消防車の展示、盛りだくさんの催しで、市長をはじめ行政の職員も沢山参加し、ひらひら鍋を食してました。
 私がおいしいとおもったひらひら鍋は、キノコひらひら鍋でした。
 元気ある富士市はやはり商工業者が元気でなければなりません。鷹岡商工会が、ますます頑張っていただく事を本当に願います。

 地元の大村君に案内をしてもらいありがたかったです。