昨年に続き、勝っちゃいました。

 

 毎年恒例の議員野球チームと市内中学の交流試合が開催されました。今年の対戦相手は田子の浦中学校です。

他にも用事もあり、日頃運動をほとんどやらない私にとっては、議会中ですのであまり無理をして怪我をするとみっともないと思い、欠席にしようか迷いましたが私の住む地域での東球場での試合でもありましたので、応援だけでも思い参加しました。
(市長の挨拶の後、ボール10ダースが進呈されました。)
(教育長の始球式)

議員の野球チームは、個々では運動をしたり、趣味でソフトボールや野球に参加したり、昔、野球を経験した人もいますが年齢的には高く、普段ほとんど集まって練習もしたこともないのでけっして強いとは言い難いチームでもあると思っています。ただ、先輩議員の大和田議員がピッチャーとしてそれなりに実力もある事と、試合になるように当局側から野球経験者の助っ人を入れて試合をするので毎回試合としては成り立っています。
 若くて動きの良い中学生には、本来ならとてもかなう訳はないのですが、昨年も須津中学校と試合をし、勝ってしまいました。
今年も、初回にいきなり3点入れられこれは一体何点取られてしまうのだろうと不安になりましたが、気が付いたら昨年に続き9対6で田子中に勝ってしまいました。
 中学生のチームは3年生が抜け、チームとして出来上がっていない状況の中では、練習を兼ねて点を取る事より、それぞれの場面での課題を練習しているようであまり勝負には固執していないような気もしましたが、議員チームとしてはやはり負けるより勝った方が気持ちがいいので素直に皆さん喜んでいました。

 昨年の須津中学校もそうですが、議員との試合に負けた後、しっかりと練習を積み、次の年には優勝をするほどのチームの強化に繋がりました。
 きっと、田子中も同じように議員チームに負ける事は来年、優勝が出来る縁起の良い負けと思い練習に励んでもらいたいものです。
 天気も良く、試合にも勝ち、祝勝会を兼ね、お昼は地元のうなぎやさんで食事をしましたが、ほとんどの人が車である為に、ビールでと言う訳にはいかず、ウーロン茶での祝杯をいたしました。
 試合に出る機会は少なかったのですが、怪我もする事無く、議員野球に参加する事は、会派を超えて交流をするにはとてもいい機会でもありました。

体の調子が悪い訳では・・・。

「荻田さん体の調子でも悪いの、ブログを掲載していない時があるけど・・・」とある方に言われてしまいました。
ありがたい事に私のブログを毎日チェックしているようで、1日でも抜けると何かあったのか心配してくれたようです。

原則、毎日ブログ更新を目指しているのですが、この3日間は夜遅く帰り、朝起きるとバタバタと出かけていくという状況ですのでどうにも掲載をしている時間がありません。

今週末は優先順位的にしなければいけない事として一般質問の準備や、イベントやお付き合いをする事が多く、いい訳ではありませんが、パソコンの前に座る事が出来ず、とてもブログを更新する事ができない状態になっています。
実際、ブログを書く材料はあるのですが、新聞も見ている暇もないほど、時間がありません。
本日も朝から、農協祭、消防祭り、技能表彰、葬儀とフル活動です。
ブログ更新に無理が生じていますので時間が出来たら、まとめて掲載します。
決して体の調子悪い訳ではありません。
ただ時間が無いだけです。
ご心配なく。

ジュークボックスがある店。

 

もう30年以上昔の事ですが、私の学生の時は、あちらこちらでジュークボックスが置いてあり、よく自分の好きな曲を選び、楽しんだ事を覚えていますが、今では見かける事は無くなりました。 

 かつては、喫茶店やボーリング場にもあったと思いますが、確か、吉原では、ラクロス吉原の前身のヤオハンデパートの何階か忘れてしまいましたが、置いてありました。学校の帰りに立ち寄り、他校の生徒と音楽を聴きながらたむろしていた事を思い出します。

 高校の先輩が吉原でPIP`Sという店をやっていますが、そのお店ではジュークボックスが置いてあり、飾りではなく、実際お金を入れて音楽を聴く事ができます。

 12日、福祉大会、議員研修を受けた後、夜は市長を交えた中での懇親会に出たのですが、その後、私の知人が結婚をするかもと言う事で、お相手を交え少しだけお酒を飲みました。なんとなく気分もよくなり、ついもう一軒という事で、行きついたお店が先輩のジュークボックスがあるお店でありました。

私の世代には懐かしいシングルレコードのジャケットが掲示されており、見ているだけも楽しくなります。
 先輩曰く
「今では、CDではなく、レコード盤の音のでるジュークボックスは富士市にはここ以外には無いと思うよ」
と言っていました。
管理も良いと思いますが音もいいです。

ジュークボックスのレコードが運ばれる所を見ながら、レコードを聴いていたら、気が付いたら、家に帰るのが遅くなってしまい、残念ながら、いつもの日課のブログの掲載が間に合いませんでした。
 ジュークボックスになじみのある私の同じ世代の人なら、感激すると思います。アナログ世代の古き良き青春時代を思い出せます。もしよかったらお立ち寄りしてやってください。

中小企業は淘汰の時代

「地域経済活性化のための中小企業の変革課題」のテーマで東洋大学経済学部の増田安良教授の講演を聞く事ができました。

主な内容としては、日本経済の現状・展望、民主党政権の経済政策と課題、成長産業は何か、中小企業の運営、金融の動向、地域経済活性化の為に、でしたが、大学の教授である為に、話の内容は資料が多く大学の講義のような感じでもありました。
 気になる点としては、政権交代により、「コンクリートから人へ」とし、公共事業の打ち切りを始めとした企業救済から個人救済へ変換され、企業経営を救う経済対策がない中では、企業が事業転換や高付加価値を付けた経営をしなければ生き残れないとしていましたが、わかっているけど簡単にはいかないのが中小企業の経営だと思います。
 また、亀井大臣が発表した返済執行制度は、既存の融資の借り換えを国の信用保証にするとか猶予期間は3年間とするとなどの検討中の項目はありますが、問題点として、民間の賃借契約に介入であり、財産権の侵害にあたり、新規貸し出しはかえって抑制され中小企業には逆効果とし、執行前には、リスクのある企業の貸し剥がしが始まるとしています。確かに、すでに私の知っている会社でも、銀行の貸し剥がし、貸し渋りによる倒産が現実に最近ありました。昨年にも増して、年末から年度末にかけて、中小零細企業の倒産は増える事は予想されます。
 今までの政治が悪いと言われればそれまでですが、不況下における政権交代により、中小企業は淘汰の時代に突入したのかもしれません。一体どうなっていくのでしょうか、大いに不安でもあります。
 企業収益が減る事は、今後、自治体財政も弱まる事は考えられます。
 

新市施行の記念日に、

11月1日は、昨年富士川と合併をした新市施行の記念すべき日でもあり、色々なイベントが開催されていました。あっという間に1年が経ってしまったのですが、記念すべき日に行われていた私が参加したイベントの掲載していない分を、ダイジェストでお伝えします。

 まず、富士市の26の地域においても、国文祭と連携した中で、文化祭が開催されています。すでに須津地区の文化祭に参加したのですが、一番東の地域の浮島地区の文化祭にも参加してきました。ありきたりですが、歴史、伝統、環境の中での風土が生み出す文化はその地域特有のもので、地域の大きさではなく、どの地域においても誇れるものであるというような挨拶をさせて頂きました。本年は、国文祭もあり、「ふるさと浮島を識る郷土資料展」がまちづくりセンターで開催されており、この地域の歴史、また、貴重なお宝があり、目の保養と勉強になりました。
(式典風景)(吉原自動車学校の高田さん)(須津地域の交通指導員の西山さん)

 次に、平成21年度富士市表彰式典では、富士市長表彰3名、富士市教育文化スポーツ奨励賞3名と2団体、富士市地域社会貢献者褒賞受賞10名が栄誉に浴されました。郷土の発展の為に限りない情熱と豊かな人間性を持って精励努力された方々で、ご功績に対し心から敬意を表すわけですが、その中でも、懇意にしている方や地域の方もおり祝福をさせて頂きました。

 
 
 ロゼでは、国文祭の美術展として写真展が11月1日まで開催されおり全国から応募された写真が展示されていました。また、外には盆栽も展示されています。
また、富士川の楽座では、国文祭に事業である漫画、出版フェスティバルが開催されていましたが、さすがに体が一つしかない為、残念ながらいけませんでした。
新市になって1年色々な事がありましたが、新たな1年の幕開けも多くのイベントが行われていました。

もうちょっと時間をください。

 母の葬儀があり、多くの行事への不参加は余儀なくされました。葬儀が終われば後はなんとかなるのかなと思い、最初は、私が所属している都市計画審議会の視察研修が葬儀終了後の翌日の22日、23日は行けるのかなと思っていました。

 しかしながら、葬儀終了後の翌日は、お礼を兼ねて病院やお墓へ行かなければならなく、その他にも自宅へ弔問の方が訪れる為に留守にできません。ですが、視察はキャンセルをさせてもらいましたが、考え方が甘く、家族に相談すれば、後からでも、視察に1日位参加できるのかなと思っていました。しかし、気持の整理や葬儀の整理も済ませる為にも時間が必要でもありましたし、結果的には断って正解でした。勝手に、葬儀が終わればと思っており、私が少しくらいいなくてもと大丈夫かなとも思っていました。それもそうではないと近親者からも諭され、ちょっとの間は出かけられそうにもありません。
 母が亡くなってから慌ただしく日が過ぎ、何をしなければいけないか良く考え、優先順位を間違えずやるべき事をこなさなければいけないのでしばらくはまだ迷惑をかけるのかもしれません。
 ブログにも活動が掲載できないので、本格的な活動再開までもうちょっと時間をください。

今回、行けなかった都市計審議会の視察は、新たなる都市計画事業等の情報を収集し、都市計画に関する見識を広める事を目的として、先進都市の視察を隔年で行っています。
 本年の視察先は、
 新潟県新潟市
「環日本地域の拠点づくりについて」
 新潟県村上市
「町屋・武家屋敷の再生によるまちおこしについて」
2か所でした。
(行ったつもりで記録として掲載します)
残念ではありましたが、視察報告を落ち着いたら確認をしたいと思っています。

ご迷惑おかけしてすみません。

 人の事だと何をやるのか分かるのですが、自分の事となると何をしていいのか分かりません。自分自身の事は、選挙の時もそうでしたが、いざという時に思うような行動がとれていません。

母の葬儀に際しても、施主として、母の葬儀を仕切らなければと思っていたのですが、結局は、葬儀屋さんに任せるしかありませんでした。多くの人の葬式も見てきたつもりですが、とにかくわからないことばかりです。
気ばかりは焦り、もっとスムーズに色々な事が出来ればと感じましたが、経験が無いので仕方がありません。しかし、身内の葬儀は、あまり積みたくない経験でもあります。
連絡がうまくいっていないところもあると思います。不手際もあると思います。ご迷惑をかけている人も多いと思っています。
やらなければいけない事や、伝えなければいけない事が抜け落ちているところがあり、やったつもり、言ったつもりで、しっかりとした事が出来ていない事には、本当に申し訳なく思っています。
自分のことながら思うような事が出来なく歯がゆく思っています。
どうかお許しください。

予期していた事が起こりました。

 こんな事を書いていいのか悩みましたが、
9月17日に予期せぬ事が起きました。
ちょうど1カ月経ち、10月17日予期していた事が現実となりました。

1か月前の予期せぬ事とは、私の母が、9月17日の朝、父の朝食の準備をしている時に突然倒れました。私も市役所へ決算議会へ出かけようとして準備をしていると父から母が倒れた事を聞き、駆けつけると床に倒れており、声をかけると反応がありました。しかしながら、父から頭を打ったと聞いていたので動かす事は止め、すぐに救急車を呼び、対応をして頂きました。残念なことに中央病院では受け入れてもらえず、その後、富士宮の脳研へ搬送されました。
 病院に着くとすぐに医師から、ひどい脳出血であり、すでに死の徴候である瞳孔が開き始めている1分1秒を争う状況であることが説明され手術室にはいりました。救急レベルが9段階あるうちの最高の9にランクされる状況である事は後から医師に聞かされました。手術は8時間余掛かり終わり、一命は取り留める事が出来、一応は脳手術は成功しました。しかしながら、呼吸はしているものの、脳へのダメージは脳幹まで及び意識と言語の機能を奪い、目をあける事も口を利く事も出来ない状況である事は医師から説明がありました。更に、今回の出血によりすぐに命にかかわる事は無くなりましたが、今後、意識は戻ることが無い事、また、肺炎などの合併症により心肺停止は考えられる事等説明されました。母はその日を境に病院で寝たきりになってしまいました。私達、家族にとっては本当に予期せぬ出来事で生活様式も変わってしまいました。
 金曜の夕方、夜、議長就任のお祝いがあり呼ばれていたのですがその前に、病院に呼ばれ、脳からの指令が心肺にも行きにくくなっている状況であり、老齢であるのですぐとは言いませんが、突然の心臓停止もあり得ると言われました。予期していた事とは言え、突然倒れ、脳死となり植物人間として1カ月過ぎた昨日、母はついに心臓まで止まってしまいました。
 いつかは来る事と予期していたものの、あまりにもあっけなく母は亡くなりました。予期していた事とは言え、ショックであり残念です。
 でも、本来なら1カ月前に亡くなっていたのかも知れません。母は1カ月の間には孫にも母の兄弟にも会え、そりなりに意識の無い中で懸命に生き、病院での生活を全うしたと思っています。
 今後、葬儀が終わるまで、色々と多忙となりますのでしばらくプログは休みます。
 
 

珍しい事

私はよくお付き合いで帰りが午前様と言う事は多いのですが、珍しく夫婦で会合に出席した後、その後2次会、3次会、4次会と夫婦で午前様の帰りとなってしまいました。

いつも帰りが遅いと言われている妻には、深夜まで一緒に付き合うと言う事は珍しい事なので酔いながら、これ幸いと思い「付き合いというのは帰りたくても帰れないものだ」と日頃の行いを肯定しようと言ったはものの、やはり妻が心配しているのは体の事で適当な処で帰る勇気も必要なことかもしれないと心の中では思っているのですがつい帰りが遅くなってしまいます。午前様を過ぎブログも掲載ができませんでした。
(昭和16年八幡さんの前で)(現在の八幡さん)

珍しい事と言えば、先日おひまちの席で区長さんが、私の地域の神社、八幡さんで昭和16年に出兵する人達を神社の前で撮った珍しい写真を持ってきてくれました。今は亡くなってしまった人が多い写真ですが、昔を懐かしみながら、今ある平和を感謝しなければと口ぐちに言っていました。

私はゲテモノ食いではありません。色々な処へ行っても馴染みの無いものはあまり食べる気にはなりませんが、ある集まりに行った時、ハチがだされました。今の季節ハチの巣が取れ、それを佃煮してあり、滋養強壮にはもってこいのものだそうです。
「議員さん疲れているようだから、これを食べれば元気になるよ」
と勧められましたが、幼虫はまだしも、原型をとどめている成虫はグロテスクで食べる気にはなりません。でも、しつこく勧められましたので、断る事もできず食べてしまいました。思ったよりも案外食べられるというのが感想ですが、やはり虫を食べていると言うのは抵抗があります。私にとっては珍しい事でした。

珍しいついでですが、昨日も偶然道路で蛇に遭遇してしまいました。道路に動かずいるので思わず写真を撮ったのですが、生きている蛇を写真の撮れるのも珍しい事だと思います。
他人から見たらたわいもない事ですが、私にとっては珍しい事が最近ちょっと多いです。

議会会期延長

 本来なら8日で9月議会終了でしたが、非常に強い勢力を持つ台風18号の接近に伴い、議会運営会議が開かれ8日本日を休会とし、9日まで会期延長を決めました。一般質問が5氏残っているので、9日午後1時より再開されます。

 議員になってから、天候によりの会期延長は初めての経験ですが、私の地域は特に水害常襲地として名高い地域となっていますので、当然、被害が想定され(1日の雨量600ミリと脅かされていますので)、もし何かあった時は、議会へ行けない事も考えられました。市自体も災害対策本部も立ち上げられ市長が本部長である上では、答弁者である市長不在では議会運営にも無理があるのは適切な処置であったと思います。9日に一般質問が延長された議員の方々は、台風の事もありましたが、自分の質問がいつやるのか、それにより、傍聴予定者に連絡しなければと言う事が気になっていたようです。私はすでに質問は終了していたので、台風上陸に伴い、地域において、被害が出た場合、対応できるよう朝から自宅待機をしています。
しかしながら、前日8日議会終了後、台風が接近する中で某組合さんの懇談会が吉原で開かれていましたので、心配はしながらもちょっと、1杯だけと思いましたが、つい2杯3杯となってしまいました。でも、台風上陸前夜でしたので、地域の危険個所を確認してから懇談会に出かけました。

市役所を出る時にも、富士山が見えていましたが、ほとんど雨も降らず、風も強くない状況で返って嵐の前の静けさと言う感じで不気味に思ってしまいました。
非常に強い勢力維持しての日本上陸で全国的に警戒が必要な状態であるコースを進行する台風18号ですので、被害が少ない事を祈るばかりです。

追伸
富士市では、午前10時過ぎには各種注意報の解除がされ、いい天気になってしまいました。用心には越したことは無いのですが、やればできたなとつい思ってしまいます。しかし、いい方に予想が外れてくれて良しとしなければと思います。
 

Face to Face


 
星野新聞堂さんが発行している「Face to Face」というコミュニケーションマガジンがありますが、新聞の折り込みに入っており、何気なく眺めると私が色々な処でお世話になっている方が一面に大きく取り上げられていました。

 思わず、びっくりですが、掲載してある「シトロエンのある風景」を読んでみて素敵な生き方をしている事が更に分かり羨ましく思いました。
 その方は大鳥機業者の鳥居社長です。JCの大先輩でもあり、法人会でもお世話になっていますが、議員になる時も何かと相談に乗って頂きました。ちょっとおしゃれで、車好きな事は知っていましたが、人生観についてはあまり聞いたことはありませんでした。
イベントがあると自慢のシトロエンを展示してくれ、車の自慢はされており、よくお酒を飲むと「車と女性は手が掛かるほどかわいいんだよ」(すいません。でも、奥様はすごく素敵な方です)と言いいます。そんな事を書くと鳥居社長には怒られそうなんですが、「生き方として、1+1=2的な発想ではなく、ヨーロッパ的に生き方として旨いものがあったら何時間でも車を飛ばして食べに行く。途中で故障しても苦にしない。マニャアル通りやっている人間は息詰まる。仕事も然り、仕事は仕事で一生懸命やらねばならないが、人生も楽しみながら長く続けていけたらいい。」また、健康でないと人生は楽しめないとし体を鍛えている事をしり、思わずいくつになっても、かっこいいなと思ってしまいました。

(家の犬のドクターである杉山先生)(手釣りの金目鯛用の仕掛け)

実は前日も、ミル動物病院の院長先生の釣りが趣味である意外な話を聞きましたが、先生は毎週、下田沖に出、自分で作った仕掛けで金目鯛を釣る事にハマっているそうです。彼は体も大きく、豪放磊落で遊びをする為に仕事をしていると言いきり、52歳で仕事をリタイアしたら、趣味である釣りを仕事とする漁師になると言っていました。目をキラキラしながら、趣味の話をしながら、自分の人生を話ができるのはやはりかっこよく思えました。

なんとなく今の私は余裕がなく、人生を楽しんでいるのかというと疑問に思う時もあります。また胸をはって誇れるような趣味もありません。今は、余裕がなく時間ばかり過ぎ焦っていますが、いつの日か仕事も趣味も楽しみながら出来るよう過ごしたいと思っています。

予期せぬ事が起こり・・・

 毎日忙しい日々が続いていますが、今週の出来事をまとめて1週間分記載します。予期せぬ事が起こり、もしかするとこれからあまりブログも書けない状態になるかもしれないので・・・

13日、日曜日に須津幼稚園の運動会がありました。幼稚園の子供達を見ていると、かわいらしさのあまり思わず微笑んでしまいます。私の子供も、須津幼稚園に通っていましたので幼稚園の運動会は懐かしく思い出されました。
開会式では、PTA会長さんの挨拶を聞きながら、私も11年前に須津幼稚園のPTA会長を務めさせて頂きましたが、当時、運動会で子供達の前で何を話したか思いだそうとしましたが、思い出せません。ただ、ビデオを片手に飛び回っていた事は覚えています。また、運動会のテントを見て思いだした事がありました。私がPTA会長の時に、役員さんと話し合い、毎月アルミ缶回収をし、売ったそのお金でテントの購入をし、また、環境教育としてアルミ缶ハウスを創った事がありました。その苦労をして購入したテントが運動会で使われており、嬉しく思いました。

かわいらしい園児の運動会を最後まで見ていたかったのですが、すどの杜の敬老会が開催されており、途中で抜けて、敬老会に参加しました。インフルエンザが流行している為、消毒をした後、マスクを渡され、マスクをしての厳戒態勢での式典です。マスクをしている為に来賓の顔が分かりづらい状態でした。すどの杜の入所者平均年齢は男性79歳、女性82歳で、最高齢は100歳の大竹フミさんでした。

14日の夜には、タクシー協会の米山会長の44歳の誕生日会があり、公共交通の利用促進で東田子から富士駅まで電車で行きました。多くの友人が集まりお祝いをしたのですが、米山会長は羨ましい事に体も大きいですが人徳も大きくある方です。


15日には私の地域の江尾地区で建設が延期されていた、マックスバリュー江尾店の建設説明会がありました。今月末より着工し来年の4月にはできあがります。江尾にあるコンビニ(ココストア)が15日で閉店いたしました。

16日、浮島地区の敬老会に出席しました。警察の寸劇で振り込み詐欺をやりましたが、面白く拝見できました。
その後、市役所へ行き、ヒアリングを済ませ、夜は私の親戚にあたる長谷川木材のご子息が10月1日より、静鉄ストアーの並びに長谷川耳鼻咽喉科を開院するにあたり、26日に内覧会があり司会を頼まれましたので打ち合わせをいたしました。

そして、17日企業会計の決算が始まりました。でも事情があって・・・・・行けませんでした。

 人生には突然の予想しない出来事が起こります。
 本日、私のこれからの人生に係る大きな出来事がありました。今の時点では詳しい話しは避けますが、しばらくは落ち着かない日々が続きます。

ゲートのバーが開らかない!

幼稚園の運動会が日曜に延期された為、急遽、用事があったので東京に行ってきました。土曜日でしたので、東名高速も1000円であり、それなりに混雑をしていましたが、料金所でちょっとしたアクシデントがありました。

ETCでゲートを通りぬけようとしたらゲートが開きません。バーに車がぶつかる寸前で止まりましたが、急に止まった為に、後の車に追突されそうになりました。通過出来るものとして進もうとしていたので、ゲートのバーにぶつかりそうにもなり、私も驚いたのですが後続車もさぞかし驚いた事だと思います。私のETCが故障していた訳ではありませんが、(他の処では受け付けていますので)料金所の機械が送信を受け付けなかったようです。係員が飛んできてカードを受け取り精算してくれましたがかなりの時間を要しました。 私が悪い訳で無いのですが、後続の車に乗っている人がものすごい顔をしている事がバックミラーでも確認できており、料金所をでると私の車を追い抜き様に睨みつけられてしまいました。追突されたら前方不注意で後続車が悪くなるはずなのにそんなに怒らなくても思いながら、私自身は面倒な事故にならなくて良かったと思いました。(出かけた処で事故を起こすと処理が面倒なので、また、事故は起こしても起こされても嫌な思いはしますから)結構ETCも便利なようで厄介な事もあるのだなと感じました。
 もし、料金所の機械が故障したら、通過出来なくなり、一体どうなるのだろうと不安を覚えました。しかし、こんな事は良くあるのでしょうか?土、日1000円と言う事になり、トラブルは多くなっているのではないのでしょうか?あまり、機会に頼るのは危険であると思い、そんな話を娘にすると、
「電車の改札なんかよく改札ストップするよ。切符を入れようとすると受け付けない事があり、急いでいる時なんかイライラするけどね。機械を当てにしちゃダメだよ。でも、高速道路も無料化だから、もう、ETCもいらないじゃない」
と言っていましたが、でも、高速道路の無料化も原則ですから、ETCが必要な処はある訳で、ETCの環境整備もしなくていい訳では無いと思いますし、無料化になるまでは、運転する方は、ETCで料金所を通過する時は減速し、いつでも止まる事が出来るようにしなければならない事を忘れないでください。

東名高速道路のサービスエリアすでに麻生さんから鳩山さんにシフトは変わっており、鳩山さんのお土産が積み重ねられていました。旬なお土産でしたが、でも、買う気にはなりませんでした。

西か東か、さてどっち!

議会が始まり毎日市役所へ行くのですが、9階までの会派室に行く時に必ず悩む事があります。

市役所西側駐車場から降りて、通常西側から市役所に入るのですが、現在、庁舎の耐震工事に合わせ、エレベーターの工事も進められており、西側エレベーターが1機しか動いていません。ですからタイミング悪く行くとかなりの時間待たされます。また、業者さんの搬入も西側エレベーターを使っていますので、場合によっては乗れない事があります。
(西口にはエレベーターが1機、東口には3機今日はさてどっち、)

 朝の急いでいる時など、エレベーターが行ってしまった後だと時間が間に合わなくなってしまう恐れが出てしまいます。たまたまタイミングよくちょうど来た時にエレベーターに乗れると嬉しくなってしまいますがほとんど、タイミングが合いません。東側エレベーターはすでに工事が終了しており、3機稼働している為に、待ち時間があまりなくエレベーターに乗れます。最近では、西側から入らずに東側から直接エレベーターに乗る事もあります。余裕を持ってくれば西側で待ち、エレベーターで上がっていけばよいのですが、時間ぎりぎりの事が多い為に東側利用が多い状態でもあります。ただ、西側エレベーターを利用しないと議会事務局を通らない為に、出席札のボタンを押したり出来ないことや、事務局からの連絡や書類置き場に目を通さないので、不都合が生じてしまう事もあります。
 早く工事終了が終わればと思いますが、まだ当分、西か東が悩みながらエレベーター利用をしなければなりません。今の処、市役所を利用する方は、東から入った方が、エレベーターは乗りやすいのでお勧めします。まあ一番はエレベーターを使わず階段で上がるのが良いのでしょうけど・・・
議会中ですので、普段より時間に余裕は持っていかなければなりません。でもなぜかいつもギリギリになってしまいます。

 それから、インフルエンザが流行している為に、エレベーターの乗り口には殺菌スプレーが置いてありますので手を殺菌をした方は必ず乾いてからエレベーターボタンを押してください。
ご協力お願いします。

議会開催と社長就任

 9月定例会が9日より開催され、2008年度の一般、特別、企業会計の歳入歳出決算認定など計21案件が上程されました。

一般会計の決算額は、818億9650万7千円歳出が779億8067万円となり、翌年度への繰り越し財源を引いた実質収支は27億4977万円7千円でした。また、企業会計では、水道事業は純利益2億750万8千円を計上し、病院会計においては、純損失2億3286万5千円が計上されました。財政部長、水道部長、病院事務局長の説明があり、質疑終了後、14日よりの委員会に付託され更に細かい審議がされます。本会議の初日と言う事もあり、議案が多い為、多分帰りは17時頃過ぎであると思っていたのですが、多少予定より早く終了してしまいました。それはそれでいいのですが、議会終了後の夜の予定が吉原であり、家に帰るには微妙な時間でもありました。
 

帰るかどうか悩みながらも、慌ただしく時間が過ぎてしまい、夜に開催された私の親戚にもあたる、平和建設の久保田君の社長就任のお祝いに参加しました。総合建設会社の平和建設さんは、鳩のマークでも知られる優良企業でもありますが、大変な不況での社長就任です。本人の希望で、今回集まった仲間は、久保田君がJCの時に理事長を務めた時の役員に限定されていましたが、和気藹藹と当時の昔話に花を咲かせながら、社長就任のお祝い会となり楽しいひと時となりました。10年以上前に役員をやり、声をかけると集まってくれる仲間の友情に感謝し、彼は社長として10年、20年先も笑顔で仲間と会える様に頑張らなければ言っていましたが、確かにその通りだと私自身にも言い聞かせました。
(最後の締めはエンチョーの社長でした。彼も同級生です)

 久保田君は、私と同級生であり、JCの仲間であり、親戚にもあたり、発起人としての挨拶もしましたが、能力の高い彼には偉そうなことも言えません。また、どうしてもお酒が入ると、気が大きくなってしまうようで、その後もお付き合いをし、帰りが夜中になってしまいました。議会が始まっているので、早めに帰り次の日の準備をしなければいけないのに、朝起きて、反省しきりです。
いずれにしても、市役所の決算も、会社の決算も健全である事が第一です。

流れ出す黒い液は?

「この黒い液は何ですか?」
「黒液ですよ」

「黒液はヒマワリの茎からもでてくるのですね」
「そうですよ、木と同じですからね」
「へーヒマワリの茎からは水分しか出ないのかと思ってましたよ」
「・・・・・・・。」

 

 用事があり出かけた商工会議所の地下駐車場に、今年も行っている富士ブランド推進会議の「花エコプロジェクト」のヒマワリから作るトイレットペーパーの材料となる回収されたヒマワリの茎が積み重ねられていました。その集められているヒマワリの茎から、木材から出るとする黒液がシートににじみ出ている状況でした。(これをみるとヒマワリはやはり草花というより、木と言った方が正解のような気がします)
 黒液は木材繊維から溶け出し出て来る液で、黒液の利用として、そのカロリーは重油の2分の1から3分の1程度あり、バイオマスエネルギーとしても使われます。昨年も菜の花プロジェクトを取り上げ、商工会議所と連携した事業も更に進められないか質問をいたしました。新しい政府の目標として、2020年までにCo2の25%削減がでていました。改めて、富士市独自のヒマワリや菜の花を取り入れて、バイオマスエネルギーを取り入れた循環型社会が構築できないか、流れ出てきている黒液を見て感じました。
 今年の夏は長雨で茎があまり太くならなかったそうですが、束ねられた茎は今後、吉原工業高校さんの生徒により花エコプロジェクトのオリジナルラベルで包まれる「ひまわりロール」が作られる予定です。
議会が明日(9日)から始まりますが、この夏を振り返ってみると、ヒマワリを見かけることも無く、また、ヒマワリも見る暇もなく忙しかったです。

練習でぐったり!?

 9月に入っても日差しも暑さも真夏のような中で、5日土曜日に議員野球部の練習が河川敷で行われました。

 というのも9月12日に清水で、県会議員の方々と親善試合が行われる為、日ごろ練習もしていないので、あまりみっともない試合はできないとし、試合前に少し球に慣れ様という事で急遽召集がかかりました。当然、議員の中ではまだ、若い衆なので率先して練習には出なければならない為、用事事は後回しにし、参加してきました。

常々言っていますが、議員になってから運動らしき事はしていない状況で、必要に迫られた時だけ、参加する感じです。ただ、最近、ソフトボールを2週間くらい前にやっており、多少、球の大きさは違えども、練習をしたような感じでしたので、いつもなら、走るのにもままならない状況であったと思いますが、少しだけ体が動きます。
 市の職員チームと練習試合をしたのですが、先輩議員が優先的に先発メンバーになる為に、市の職員チームに入り、試合をいたしました。いつもなら、打つ事ができない、大先輩の大和田議員がピッチャーですので、練習ですが、遠慮なく打たせていただきました。試合もし、練習としては、十分できたのですが、大変に暑く、水がいくらでも飲め、練習後お風呂に入った後、日に焼けたようで、体が特に腕がひりひりすると共に、足腰が重く感じ、ちょっと休もうと思って横になると、眠ってしまい気がつくと夕方になってしまいました。起きてみると、相変わらず、喉が渇き体のあちらこちらが痛いです。ちょっとした練習であったのも関わらず、ぐったりとしてしまい、用事も手に付かない状況で、これでは、続いてある、地域の運動会にも選手で参加するつもりでいますが、どうなるか多少不安です。
 議員野球の練習を終えて感じる事は、若いと思っていても、体は正直で、日に焼ければシミになるし、ちょっと動けば体が痛いという事を身にしみました。

資料の多さにボー然。

 
 いよいよ9日から9月議会が始まります。夏休みが終わり、新学期が始まった子供達と同様に休みボケしてしまったのか、2日に議運終了後の9月議会での多量の資料を渡され、ちょっとボー然としてしまいました。

 会期は、9月9日から10月8日までの30日間ですが、昨年までは9月議会で企業会計、11月議会で一般特別会計の決算を行っていましたが、財政健全化法に伴い、財政健全化指標の提出と連動し、今議会より一般会計・特別会計も前倒しで行われるようになり、9月が一括した決算議会となりました。

そのおかげでというか、資料のボリュームも多く、持って帰るのに躊躇してしまい、渡されてすぐには持ち帰らず、1日置いて、資料用としての持ち運びバッグとして我が家で使用しているエコバックを持参し家へ持って帰りました。会派での勉強会も予定されていますので、家での予習は必要な事でもあります。
この夏は色々な事があり、思うように自分の時間が取れなかった上に、9月議会がもうすぐ始まってしまうと言う状況に、焦っていますが、会社と同様に決算は非常に重要であり、決算がしっかり審議されなければ、予算を組むことはできない訳で、議員としての大切な役割としてしっかりとしたチェックはしなければいけません。いつまでも夏休み気分でボケてはいられません。
その他にも一般質問をどのようにするか考えねばなりません。(まだ何も考えていませんが)気合いを入れねばと思っています。

8月30日。

 8月30日。8月も残すところ2日、あっという間に過ぎ去った気がします。特にこの1週間は、自分の時間がほとんどない状況でした。「この夏を・・・考える」みたいな選挙公報がありましたが、私には、じっくり物事を考える暇がないような夏でもありました。

ただ忙しいながら、多くの場所や多くの人に会いながら色々な経験や勉強はさせて貰いました。時間の合間を縫って、勉強会や地域イベントにも参加しましたが、忙しい時の方が集中でき、多くの事柄がこなせるような気がしました。ただ、勉強しても、次から次へやる事柄が多い為に、頭に入らない状況でもありますが、余裕ができたら見直さなければとは思っています。また、忙しい時こそ、予定が入った時にすぐに手帳等に書き込み、確認をするしっかりとした、(書かずに頭で覚えていようと思っていても忘れてしまいます)スケジュール管理をしないと、日時の間違いやブッキングによって約束を守れない事が生じてしまう事を痛感しています。
とにかく後、2日しか8月はありません。子供達は宿題に追われていますが、私も、多くのやり残したことが残っています。この2日間で、出来なかった、やり残しを少しでも解消しなければと思っています。

 でも、その前に、今年の私の夏をあっという間に過ぎ去らした原因の一つでもある選挙の投票に、行ってからですが・・・。

朝9時に投票に行って、びっくりです。私の地域の投票場の増川氏子会館で今までになかったような、列ができており、外まで行列ができています。投票に来ている人も、車も止められず何でこんなに混んでいるのと困惑していました。今回の選挙がいかに関心が高いかわかります。おそらく投票率は高いはずです。
 2009年8月30日、いずれにせよ、何かが変わるような予感がします。
 解散後40日の選挙戦に入り、公示後12日間の活動は終わってみれば短かいのかも知れませんが、本日の8月30日はどの候補者にとっても長い1日だと思います。

くれぐれも、投票権は無駄にしないでください。
 

「ちょっと出かけてくる」

「ちょっと出かけてくるから」
「ちょっとっていつ帰ってくるの」

朝出がけに夏休みで家にいる娘にいつも確認されます。と言うのも私は外へでかけてしまうといつ戻ってくるかわからないのに、いつも「ちょっと出かけてくる」とすぐに戻ってきそうなニュアンスでそそくさと家を出ていき、帰りは夜中になる事が多いです。娘や妻も予定があるので食事を一緒に取るのか、自分がどこかへ出かけたいけど帰ってくるのか、予定が立てられなくて困ると言います。確かに、自分ではちょっとのつもりで出かけるのですが、予定が変更になったり、新たに予定が入ったりして、帰りたくても帰れない状況になったりする事が多いです。予め、予定が入って何があると言うのはカレンダーに書いているつもりですが、それでも、書き忘れなどがあり、出かけっぱなしと言う事もよくあります。議員という立場もあり、やる事も多いのですが、夜の付き合い等は、お酒が入ったりすると、気が大きくなり帰る時間を忘れてしまいます。今日は1日忙しいなと思っても、つい口癖のように「ちょっと出かけてくる」と言ってしまいますが、最近は、娘は私のことなど、最初からあてにしていない様子で、
「ちょっと」
と言うと
「お父さん、ちょっとじゃないでしょ、うーんと出かけてくと言って出ていってよ」
と嫌味を言われるようなってしまいました。ということで、今日もちょっとではなくうーんと出かけてきます。
今日の予定としては、
朝9:30〜企業で朝礼参加10:00〜会派で定例会13:30〜16:30沼津で沼川流域委員会へ出席17:00〜円照寺で地蔵祭り19:00〜富士を語る会と1日びっしりとあります。
しかしながら、相変わらず家を出る時には、
「ちょっと出かけてきまーす」
と言ってしまう状況です。
(チャンチャン)

毛虫、ミミズ、ウーパールーパー。

 

先日の駿河湾地震に伴い、災害時の危機管理を改めて見直さなければと思っています。かねてよりの要望されていた、増川地区の八幡さんの下に、現在、火事や災害時の為に防火水槽の建設が進んでいます。

八幡さんの下の防火水槽建設は、根方街道からだと道が狭く大型車両が入れないので、設置が難しいとされていました。第2東名建設に伴い、取り付け道路が出来たので、山側から車両が入れるようになり建設可能となったので、防火水槽工事が進められています。これにより根方街道より上は道が狭く、火事や災害に際しては、緊急車両が入りづらい状況であり、宅地分譲が進んでいる中では、家も増え始めているので、火事が起きた時の初期消火活動ができない為に心配されていましたが、出来上がれば災害時には一安心です。

地震後に工事がどのように進んでいるかを確認しに行ったのですが、行くまでの道で巨大な虫に遭遇いたしました。

なんのチョウチョになるのかわからない毛が無い毛虫、巨大なミミズ。大きさがわかるように腕時計を置いて見ましたが、蛇と見間違う位の大きさです。
奇妙な虫に出会い、何か異変でも起こらないか不安になります。

 奇妙な生き物つながりで、昨年の江尾夏祭りで、ウーパールーパーを手に入れたのですが、2〜3センチだったのが、1年経ち今では、20センチ以上に成長してしまいました。小さくてかわいかったのが、大きくなって、ちょっと気味が悪いです。一体どの位大きくなるのか不安になります。
 せっかく飼っているのですから、ナマズと同様に地震の際には、予知能力を発揮してくれれば良いのですが、どうなんでしょうか。

どれがお宝なの!??

 

ある会合に出席しましたら、会場には掛け軸が飾られており、物々しい雰囲気でした。聞いてみると掛け軸の話をする為に持ってきているとの事でしたが、その中には1億円のお宝が飾られているとの事で、どれがお宝かはわかりませんが、驚きました。

多分一番高いのは白隠禅師の掛け軸であると思われますが、果たして本物かどうかは私にはわかりません。

白隠禅師は臨済宗の僧侶で、駿河(現在の静岡県沼津)に生まれ、15歳で出家し、諸国を行脚し修行を重ねました。34才で京都の妙心寺の第一座となり白隠と称し、その後地元の松蔭寺に帰って布教を続け、衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで称されました。白隠は民衆に禅をわかりやすく伝えるため、書画や禅画を多数制作し、技巧にとらわれない豪放でユーモラスな書画は高く評価されています。また、白隠が好んで描いた達磨像は百数十点あり、このエネルギーは現代人が倣うべきかもしれません。
しかし、1億円と言われれば目の保養になった様な気がしましたが、1億円の価値があるのかどうかはやはりなんとも言えません。私の父の実家は平沼であり、白隠の近くでもあります。子供の頃、ダルマの掛け軸を父の実家で見た気もします。ですから、あまり価値を感じません。今回展示されている掛け軸も、実際、テレビのお宝探偵団でいくらなのか、鑑定してもらったらどうでしょうかと思ってしまいました。
 お宝の話をじっくり聞きたかったのですが、市役所で文教民生委員会の民間社会福祉施設長との懇談会があり、最後まで聞く事はできず、途中退席をしてしまいました。
 懇談会は富士市の民間副施設38施設中35施設が参加した中で、保育部会、児童施設部会、障害者部会、高齢者部会として多くの課題や要望を聞く良いチャンスでもあり、勉強になりましたが、実際の各現場を見なければ分からない事もあるので、一度じっくり視察に回りたいとは思いました。
 しかし、お宝というものは興味の無い人には、価値の無い無意味なものでもあるように感じてしまうのは私だけでしょうか・・・(持ってきた人には悪いのですが)

懇親会でサプライズ。

 

富友会の総会及び懇親会が開催されたのですが、戦没者追悼式や川尻地区の薬師祭典があった為に総会には間に合わず、懇親会からの参加が余儀なくされました。

お盆の最中の富友会は役員会で物議はあったのですが、帰省で帰ってくる人もおり、多くの方に参加してもらう為に本年も昨年同様お盆である15日に行われました。個人的には、議員と言う立場もあり、行事が重なる時期でもあるのでお盆と言うと出にくいなと感じますが、400人近い方が参加している事を聞くとお盆の最中に行った事は成功のような気もします。
(テレビが当たる前)

私の学年は、来年の担当幹事でもあるので来年の事も考えた中では、いつもより多くの参加者がありました。無理やり券を買わされ出席した仲間も参加すれば懐かしい顔を合わす機会となりそれはそれで良かったのかも知れません。
懇親会では多く方が参加しており、立食であったので一回りした後、ロビーでコーヒーを飲んでから会場に戻ると私の仲間の中で大きな事件(サプライズ)が起こっていました。
(テレビが当たった後、内田先生も祝福に)

なんと、抽選会において、一番良い商品であるテレビが当たったと私の選挙でうぐいす嬢を務めてくれた金子さんが大騒ぎしており、同級生の皆が自分が当たったのではないのですが、周りを取り囲んでいました。まさか、1等が当たると思っていなかったので壇上では何を言ったか覚えていないほど舞いあがってしまったと悔やんでいましたが、びっくりです。記念に恩師を囲み、テレビが当たった記念写真を撮りました。

 
私の仲間から当選者がでたので、来年の富友会には沢山の動員をするはずみになり良かったと思っています。また、テレビが当たった金子さんには来年は中心となり頑張ってもらわかなければいけない事が必然的に決まりました。ちなみに来年の富友会の開催は、役員会で承認はされては無いので決定はしていませんが、、8月21日(土)が開催予定で進められています。
 テレビが当たったからという訳ではありませんが、その後の2次会では大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

(富友会の前に川尻のお祭りで、鈴木英樹君と)

余談ではありますが、残念ながら、金子さんがテレビが当たり壇上に上がる姿を見る事が出来なかったのは、実は、懇親会の最中に抜け出して休んでいました。というのも、会場に来る前にすでに川尻のお祭りでお酒を飲まされ(結構飲みました)、出来上がった状態であった為に(真っ赤でした)、会場で立っているのがきつくなり抜け出していました。

元気でよかった。(江尾ふるさと祭りで)

 江尾ふるさと祭りは、私の地域のお祭りで毎年お盆の最中に開催される恒例のイベントですが、今年は天候に恵まれた中で盛大に開催されました。地域の絆を深める行事ですが、お盆と言う事もあり、里帰りしている人や地域に住んでいても普段は会う事が出来ない人に、会う事が出来る絶好の機会でもあります。

開会式で挨拶をさせてもらい、見学していると、学生だと思っていた子がもう子供がいて、驚きます。嬉しい事に駆け寄ってきて、声をかけてくれるのでつい、お酒も進んでしまいます。
会場をさまよっていると娘が
「あれ、村田さんに似た人がいるけど、えー違うかな」
「でも、やっぱりそうみたい」
「元気になったのかな」
「ちょっと声かけてみるよ」
と会話を交わしながら、声をかけるとなんと村田さん夫婦でした。

村田さん夫婦とは以前はよくお会いしていたのですが、今年になってから村田さんの旦那さんは災難に遭い、病院に入院してから会う事がありませんでした。村田さんは高校の先生でサッカーの指導者としても名の知れた方ですが、入院したと聞いた時は、本当に驚きました。村田さん本人も良く知っているのですが、実は、村田さんの奥様は私の高校の同級生で、飲み友達でもありました。村田さんが入院されてから、今まで2人とも会う事無く、どの様な状態であるかはわからなかったのですが、お祭りで元気な姿を拝見でき嬉しく思いました。村田さんと話をしましたが、まだ、完全には治っていないという事でした。でも、夫婦仲良くお祭りに参加するようになれて本当に良かったと思っています。情報があまり伝わっていなかった心配している同級生には伝えたいと思い、取り急ぎ元気な姿を写真に収めてきました。村田さんには更に元気になってもらいたいと思うと共に同級生の奥様も早く一緒に飲めるようになる事を期待しています。

ちょっとした出会いがあった江尾ふるさと祭りは今年で26回を迎えていますが、ステージでは色々な催しが繰り広げられ、やぐらの上での抽選会、最後は花火で締めくくられました。
実は、議員になる前はあまり参加した事がありませんでした。しかしながら、参加するようになってから、地域において、地域力を増すためにも大事な行事である事がわかります。江尾地域は、水害常襲地で、会場である江尾公園も浸水してしまいます。いざ災害になった時に、力を合わせなければならない地域である以上、このお祭りにおいても力を合わせ盛り上げる事は、大切なことである思っています。

でも、本当に村田さんが元気になりつつあってよかった!
  

さよなら、中山先生。

64年前、長崎に原爆が投下された8月9日、私の中学3年の時の恩師である、中山喜美子先生の通夜が取り行われ、参列してきました。当時の吉原3中の3年5組の生徒も駆けつけていましたが、中山先生は、私の人生において、大きな影響を与えてくれた先生でもありました。

1年前の8月15日に同窓会を開いた時は、元気で教え子に久しぶりに会い、大変喜んでいたのを覚えています。また、須津ふるさと愛好会へ参加しており、会うと声をかけてくれました。2か月位前の6月18日に葬儀があり参列した際に偶然会い、見かけた先生が帰りがけに「同窓会を開催してくれてありがとう、よかったよ」みたいな事を言われた時に何をいまさら急にこんな所で言うのかなと思いました。それが、私にとっては最後に交わした会話でしたが、今考えると、体の調子がおもわしくなく自分の死期を感じていたのかなと思ってしまいました。

中山先生に受け持たれた吉原第3中学校の3年5組は、当然、高校受験を前にした中学最後の1年でしたが、中山先生にとってもちょうど退職をなされる、教員生活にピリオドを打つ最後の年でもありました。私達、3年5組は中山先生が受け持った最後の生徒でもあり、学校を離れた後も何度か遊びに行った思いでもあります。小柄でしたが、音楽の先生でしたので、明るく声がとおる年齢の割には若く見える先生でもありました。
高校の進路と言うのは人生にとって大きな意味があったと思いますが、私の時代の高校入試は内申書重視でしたので受験する学校に対して、先生の意見が大分入っていたような気がします。私が高校受験で悩んでいる時も常に前向きなアドバイスをくれ、目指すべき進路を決める際にも背中を後押ししてくれました。もしかしたら今ある自分の原点はその時のような気もします。
そんな思い出もある先生が亡くなり非常に悲しく残念でもありますが、もっと長く生きて頂ければと思いましたが、行年87歳と聞くと、それなりに人生を謳歌してきたと思われます。

通夜の後、3年5組の生徒が集まり、祓いを行いました。その際に毎年この時期に先生を偲ぶ会をやろうと決まりました。多分、先生が集まる機会を与えてくれたのかもしれません。
8月9日通夜から帰ってきて1人部屋で思い出に浸っています。
中山先生どうぞ安らかにお眠りください。合掌