確かな情報とは

 商工会議所の振興委員を現在、務めています。忙しいことが多く、ほとんど担当者と会う事がなく、いつも資料だけを目を通すだけです。商工会議所からすると、あまり協力的な委員ではないと思われていると思います。
 商工振興委員の役割は、地域においての会議所の会員促進と地域状況を会議所にあげ、それを取りまとめ会員情報として流しています。
 先日、会議所の担当者がきて、話をしたのですが、地域情報を吸い上げるという事で、私に尋ねてきました。

「近くに商業施設ができる話を聞いたのですが、それに伴い
○○が撤退すると聞いたのですが本当ですか?」

それに対して私は、

「噂は聞いた事はあるけど、確かかどうかわからないよ。逆に本当に、施設ができるのか聞きたいし、また、○○が閉店するって言ってるの?」

○○と書いているのは、私も商売をしているから名称を出してしまうと、今の私の立場からだと
「市会議員の荻田が言ってたよ」
と言われると、自分でも確認できていない事が事実化され、確定しない事まであるように話され、実際、決まってないのに噂で○○がおかしくなってしまう状況が出来てしまう可能性があると思っているからです。
 
 富士市においてあちらこちらで商業施設建設の話がでています。
 多くの皆さんが、
「あそこは何ができるよ」
「あの建物を取り壊し、何々ができるよ」
という話をする訳ですが、大抵が、人から聞いた話をしていると思います。
 先日も、某議員から、
「荻田さん、ドンキホーテができるって聞いたけどほんとう?」
「なんで?」
「確認されたもので、確かな情報かなと荻田さんに確認しようと思って」
「えー俺も聞いた話だから、確かと言われると困るから、ゼネコンの社長に聞いてみるよ」
とその場で電話を掛けると、

「うちの仕事じゃないからわからないけど、その話は、○○運送会社の○○社長が言ってたから、本当じゃない。」

と情報の伝わり方というのはけっこういい加減だなとつくづく感じました。

 結局、建築指導課へ行って、確認をしにいったのですが、
確認申請をだす窓口が市だけではなく、県や、民間でも受け付けているためにすべては把握はできていない状況がわかりました。
 確かな情報を伝えなければ、噂で仕事や商売というのは左右される恐れがあります。以前は、商工会議所が、商業施設建設に対しての受付をしており、何ができるかは商工会議所に聞けばわかっていましたが、確認申請の改正により、商工会議所でも把握できないようになりました。
 商工会議所で、その辺の情報を裏付けをとり、噂話ではない、確かな情報として会員に流す、システムを作って頂かないといけないと思いました。
 

 会頭を含めた意見交換会があったので、専務理事にはその旨を伝えました。

かわいい見学者

 先週の金曜日、委員会終了後、会議室を出ると、多くの小学生が列を作り、廊下に並んでました。
 何か尋ねると、小学生が議場を見学に来たとのこと。
鷹岡小学校の3年生が社会見学として、議場にて、議会事務局の説明を受けていました。
 先輩議員に、
「荻田君はあの中に入っても、分かんないじゃない」
とからかわれましたが、市民の多くは、議場に来る事はないと思います。議会中には、傍聴席から議場を見る事は出来ますが、議員にならなければ議場で座る事はないと思います。 私も議員になり、初めて議場に座る事ができました。議員以外は、議会や議場というものは、市民や子供にとっては、あまり縁のないところではないのでしょうか。
 多くの人が、議会について興味をもって頂く事が、まちづくりにも繋がると思います。少しでも、理解をして頂く為にも多くの見学者が来る事は望ましいことです。もっと、オープンに開放してもいいような気もしていますし、受け入れてることを市民に知らせるべきだと思っています。

 かわいい見学者の中から、将来の市長や議員、市の職員になられ、自分たちの住む、まちづくりに貢献する人たちが生まれてくる事を期待しています。
 私も子供たちの期待を裏切らないよう、がんばらなけらば。。。
 
 蛇足ですが、委員会の一般傍聴は、15名までと規定されていた事を、他委員会の傍聴で知りました。それ以上は、委員長の許可がなければいけないようです。というのも、15名以上の傍聴が先日、あった時、委員会開催の前に事前に報告されました。もっとも、あまり、一般の人は傍聴に来ませんが。

鬼はそと、福はうち

 2月3日は全国的に節分の日です。節分とは季節を分けるこ事を意味し、立春の前日を指しています。
 午前中は立正佼成会の節分祭、午後は三日市浅間神社の豆まき、夜は、我が家で恵方巻きを食べた後に家族豆まきと節分の日を十分に堪能いたしました。
 立正佼成会では、多くの来賓と信者の方が、集まり、豪華景品の当たる福引と来賓からの信者への豆まきが行われました。
 雨が降っていたので、室内で行われました。豆をまく来賓の人数が多く、一メートル間隔で豆をまいたのですが、豆をまくというより、自分の周りの人に豆を配るそんな感じでした。「鬼はそと、福はうち」の掛け声もなく、あっという間に終わりました。
 午後は、三日市の浅間さんでした、こちらでは紋付き袴で木の升に豆がはいっており、神事の後、神殿にて豆まきを行い、その後、外にで、一般参拝に来ている人たちに、豆をまきました。雨が降っているので傘をさしている方は、後方にまわってもらい、傘をささない人が前にきてもらうインフォメーションの後に一斉に豆まきを始めました。
 私は初めての参加で勝手がわかりませんでしたが、家を建てた時に行う、投げもちみたいな感じでした。
 豆まきを終えた後、自分の年の数だけ、豆を食べ、今年一年の無病息災を願いましたが、結構な数を食べなければならないので大豆が唾液を奪い、水がなくては食べきれない状況です。
 今年の恵方は南南東です。最近、急に「恵方巻き」なる巻き寿司を食べるようになりましたが、5年位前には何で節分に巻き寿司を食べるのか意味がわかりませんでした。
 大阪船場で行われていた「丸かぶり寿司」が起源であるとか海苔屋が海苔の需要拡大を考えて作られたとか言われていますが、バレンタインとかホワイトデイとか、日本人はマスコミに踊らされるのが好きのようです。

 私も南南東を向き、黙って、恵方巻きを食べました。一日縁起が良くなるように動き、ぐったりです。
 これだけやれば、今年は福だらけだと思っています。

 
 

新興美術院富士支部展

 私の母は、多趣味で色々な習い事をし、また、案外、芸術家です。
 私も子供の頃は、絵を描く事が好きで、小学校時代には、兄弟の中で唯一、図画のコンクールや写生大会で賞を貰っていました。手先が器用で、図工はいつも、5段階で5でした。
 私は、自分で言うのもなんですが、子供の時から、芸術肌だと思います。「誰に似たのかな」とスポーツマンだった父親に言われましたが、きっと母親に影響されたのかもしれません。

 母は、年を取って、時間があるのか、以前は、油絵を描いていましたが、最近では日本画を描いているようです。娘の絵を描いたりして、賞をもらったと喜んでいたのを、覚えてますが、今も元気に描き続けていたようです。

 今回も、ロゼシアターで開催されている展覧会に仲の良いお友達と共に、出展していました。中々、暇が取れずに忙しくしていたのですが、母親の作品を見るためと、目の保養をさせて頂く為に、久し振りに絵を堪能させてもらい、心の洗たくになりました。

 富士市は、文化芸術に対して、あまり力が入っていないとよく言われます。工業都市であるからこそ、文化が香るまちづくりを進めるべきだと思います。25万都市に美術館があってしかるべきだと思いますし、所々に文化の香るエッセンスをいれた、建物や彫刻等があってもいいと思います。

 文化芸術はお金ばかりかかかり、大変だと、言われますが、人々の住みたいまちの条件には必ず、文化芸術が挙げられます。心に余裕がもてる、まちづくりも大切なことだと思っています。

「バリ衣裳の花嫁」
母の絵の仲間の渡辺さんの作品。
 

手術結果は

 17日の17時30分に近視矯正施術をいたしました。一時間前に受付を済ませ、最終検査と術後の注意の説明を受けました。私の場合、すでに40歳を過ぎているために、近視は治っても、老眼は進み、老眼鏡は必要になることの説明が再度ありました。
 
 目が良くなると余計、老眼というものを感じやすくなるそうです。年を取るとすべてが改善されるという事はないという事がわかりました。いずれ、老眼になるのであるなら、せめて遠くのものはよく見えるようになりたいと思い、老眼は覚悟の上での視力回復の施術を受けています。

 この病院で唯一、気に入らないのは、あまりに多くの人が施術を受けているので、すべて番号で呼ばれます。私の場合は607番でした。
 6人一組で施術を受けるのですが、流れ作業のような感じで本当に健康診断を受けているような感じしかありません。
 会社帰りにちょこっと寄って、背広をきて、ネクタイをしたままの形で施術が受けられてしまいます。

 目の点眼麻酔をして、20分間位してか施術室に入ったのですが、最初の眼のふたをつける作業の時、私の場合あまり右目に麻酔が効いていなかったのか、器具を取り付ける時に違和感があり、麻酔を足していました。多少痛みはありました、眼圧の検査をする時のような感じだと思ってくれればいいと思います。

 そのあと、エキシマレーザーに照射による矯正が行われたました。こちらはあまり痛みは感じないのですが、レーザーを照射する時に、チーという音が聞こえると共に多少変な匂いがあります。これはたぶんなにかが焼けた時にでる匂いだと思います。
 施術直後から眼は開けられますが、なんとなく開けるのには抵抗がありました。でも、涙でにじんでいますが、字や景色はその時から見る事ができました。
 術後20分間休んだ後、最終確認をして、良好に施術が終わったことを確認できたら、終わりです。 

 目が乾かないようにと炎症止めと抗菌剤の点眼液を一時間ごとにやる事と、明日まで目の保護の為、サングラスをするように指示されました。

 すべては18時30分に終わり、娘と待ち合わせをしていたので、19時過ぎには娘と二人で銀座で串揚げを食べていました。
 お酒は一週間は飲めないため、ウーロン茶で施術の成功を祝い乾杯をいたしました。
 ただ、右目はあまり麻酔が効いていなくて、最初の時の器具を強く押し付けたのか、赤く充血しています。
 次の日の術後検診では、点眼液をつけていれば自然と治ることの説明を受けました。
 一週間後と3ヶ月後の検診に関しては、富士市の提携した眼科医で受ければよいとのことで、紹介状をもらい富士市の眼科医で受けることにいたしました。
 とりあえす、視力は1.2位までは回復しています。3か月位しないと視力は落ち着かないそうですが、視力は今より上がるそうです。今の現状は、痛みはあまりないのですが、コンタクトレンズを入れている時のような感じがしています。
 もう少したたないと、はっきりした事は言えないと思いますが、案外簡単なことだなと思いました。
 お酒が一週間飲めないのは辛いです!!
 
 

病院です。

 目の矯正手術の為、東京にいきます。目が疲れるため2日間はパソコンを使えないのでお休みいたします。
 結果は報告いたします。

 
 13年前の本日、阪神・淡路大震災がありました。その教訓が現在生かされるてる事とその時のボランティア活動がきっかけとなり、社会に大きく働きかけがなされ、NPOという名前と多数の団体が認知されました。
 東海地震がいつ起こるかわからない今、また改めて、戒め警戒をおこたらないような危機感をもちたいです。
 

視力回復治療「レーシック」とは

 
 目の矯正治療の為の適応検査に東京に行ってきました。エキシマレーザーによる屈折矯正手術ができるかどうかの適応検査でしたが、結果は、良好という事で施術をする事になりました。
 検査時間には4時間位かかりましたが、驚いた事には、検査室というか検査会場というような場所には、人、人(外人も多くきています)で順番待ちをしており、流れ作業で検査工程を行い、さながら学校で身体検査をするような感じでした。
 レーシックとは。角膜にエキシマレーザーを照射し、光の屈折力を調節することで近視・乱視・遠視を矯正し視力を回復する施術です。レーシックではまず角膜の実質層を出す為にふたを作成します。その実質層にエキシマレーザーを照射し光の屈折力を調節して視力を回復させます。照射後はふたを元の場所に戻しますので、目への負担が少なく副作用や感染症の発生率も非常に少ない安全な治療法です。
 とはいえ、目の施術なので不安はのこります。ですから、世界一に症例実績を持つ、病院で行う事にしました。
 ここでは、眼科医だけも93人おり検査員、スタッフを含めると530人が従事している、病院というより企業という感じで、目医者に関しては、ここでは医師不足という言葉は当てはまりません。富士の市立病院より人数は多いです。毎日、この病院だけでも300以上の施術が行われています。
 近視矯正治療の歴史は古代エジプトにさかのぼります。実際に組織的に行われたのは、1950年に日本の順天堂大学の佐藤教授による角膜前後面切開手術が初めてでした。ただ、矯正の予測精度が低く、当時、予想できなきなかった角膜内障害のために結局コンタクトレンズの競争に敗れてしまい、この教訓から日本では近視矯正手術は眼科医の間では久しくタブーとなってしまいました。
 厚生省の認可もそうですが、すべての治療行程がコンピュターの自動制御によるレーザーで行うレーシックの出現により飛躍的に認知されはじめています。
 レーシックの人気の理由としては
 設備向上により、安全な施術ある。
 施術時間が20分位で終了する。
 施術中や施術後の痛みがほとんどない。
 施術後に視力回復をする。
等が挙げられますが、受けた人よりの口コミで現在、急速に普及しているようです。
 まっるきり、リスクはない訳ではないと思いますが、メガネをかけない生活をしたいのと、人の顔が良く見え、遠くの人にも挨拶ができるようになりたくて施術をいたします。
 施術経過はまたご報告いたいしますが、たいした施術ではないと思い、気持ちを落ちつけてトライしてきまーす。
 百聞は一見にしかず、です。自らが体験してきます。
仕事、会合を済ませてから出かけますので本日の17時30分からの施術となります。

 終わった後、銀座のネオンがどうかきれいに見えますように!

一大決心を致しました。

 かねてより悩んでいた事があったのですが、今日、思い切って決断をいたしました。
 私は、25歳位まで目が悪くなかったのですが、成人した後に段々視力が低下し、1.5の視力が今では0.2位まで下がってしまいました。現在はメガネをかけたり外したりしています。
 学生時代は眼の検査をすると2.0あり、良く先生にもっと目が悪くなるくらい勉強しろといわれました。
 目が良かった時はなんの不自由も感じなかったのですが、メガネをかけ始めてから、何度も壊したり、失くしたりし、また、気温の変わる所に行くと曇って見えなかったりして不便で困っていました。議員になってから、メガネをかけないと顔が見えにくく、遠くの人など判断しにくくて、挨拶をしなかったりし、怒られることも度々あるのでなんとかならないか悩んでいました。ブルーベリーも良く食べてますけど効果はないようです。
 一度悪くなると、治らないと思っていましが、近視端正手術を受ければ改善できる事を知りました。
 プロ野球選手やプロゴルファーも、最近では施術をし、広告に載っていますが、私もレーシック手術を受けるための検査を本日申し込みました。
 予定では、今月16日に検査、良ければ翌日17日に手術を受けるつもりです。
 多少不安はありますが、近年では技術も機械も発達し、年間4万人以上の人が受診しており、不自由さを回復させる為にも勇気をもって、挑戦いたします。
 メガネをかけない生活を目指し、一大決心を致した事を報告いたします。

ナナとランです。

 
 夕方、柴犬のナナとランを連れて、浅間古墳まで、散歩をいたしました。

 途中、11月に通学路の整備を道路維持課にお願いしていたのですが、階段が作られ直さていていました。こんなところが通学路かよ、と思うかもしれませんが、根方街道が狭く車の往来も激しいため、山道を通学路に使っています。
 

改修前、危険な状態です。
 しかし、近年は暗い為、山道の通学路はあまり使われなくなってきましたが、荒れ果てた状態で雨が降るとすべり危険な為、区長さんと相談の上、整備をお願いしていました。
 通学路の補修はやはり、工事の優先順位が高いのか早い対応をしていただけたようで、犬と散歩をしながら、良かったなと思いました。
 山道のお茶畑も開発により分譲化も始まってます。

 浅間古墳から、夕日が見えましたが相変わらず煙突から煙がモクモクでています。工業の街、富士市ですが、夕日の中の煙はなんとなく不気味です。

 浅間古墳まで、ナナとランも無事到着!
お祈りをして帰ってきました。

マンションからみた風景

 お正月があけて、今日より本格的に仕事に取り掛かっています。挨拶も早々に切り上げ、市役所で自分なりの仕事を片付け始めました。今年もやることは沢山ありそうです。


 
 お正月中に 今泉にできたマンションにお邪魔する機会がありました。
郊外に住んでいる人が、バリアフリーの住居と将来的に便利な場所での生活をする為に、購入したとの事です。
 
 最上階ですので景色はいいのですが、気になることがありました。最近は、あまり気にはしていなかったのですが、マンションのベランダに出た時に異臭がするのです。
 景色を見てみると暗闇の中にモクモクと煙が立ち上っているのが見えます。水蒸気にしては煙の帯も長く、異臭の原因ではないかと感じずにはいられません。
 昨年、大手製紙会社での煤煙の改ざん問題がありましたが、本当に改善されたのか疑問に思ってしまいます。
 煤煙問題があってから、なんとなく大丈夫かな思ってしまう訳ですが、当局の説明ではしっかりと監視体制を整え、指導をしているという見解ですので信じるしかありません。
 しかしながら、異臭が漂うのは街のイメージとしては大きなマイナスであると思われます。窓をあけると臭いから開けられない環境はいただけません。せっかく、便利な場所に引っ越してきても、なんとなく快適ではないような気がしました。なんとかしなければいけない問題だと思います。
 

愛する人がいなくなるのは

 愛する人を失う悲しさは、言葉で表す事はできません。まして、我が子が突然いなくなる状況を受け止めることは非情な思いだと思います。
 本日、市消防職員である、小口貴裕君の通夜が執り行われました。まだ、志半ばの27歳の若さです。彼は2日に、富士山において登山訓練の最中に滑落し、死亡いたしました。
 私も何回かお会いはした事はあるのですが、直接的に本人と親しい間柄ではありません。しかしながら、彼のお父様、また、伯父さんとは非常に懇意にしている仲です。訃報の知らせを聞いた時、二人の思いを考えたら、どのように、なんて声をかけていいものか思いもつきませんでした。
 彼は、幼い時に父に連れられて、富士登山を経験し、父が高山病にかかった彼を支えながら富士山の頂上まで連れていった思い出の富士山で彼は亡くなりました。
 21歳の時に、親子で手を取り合い進んできたスノーボードにおいて、父の誕生日に日本チャンピオンをプレゼントした、父にとっても最高の息子でした。
 家族は愛すべき彼が突然いなくなる、自分達より先にいなくなる、受け入れたくない、信じたくない、もしかしたら、夢をみてるのかと思うような感じにとらわれているのでないか、そんな思いがあるのではないのかと思います。
 私にも子供がいます。自分がそのような立場になったらどうなんだろうと考えると、胸が詰まります。
 普段はきれいに見える富士山が、今日は一日きれいに見えることがありませんでした。
 小口貴裕君、安らかに眠りたまえ。
 合掌。

元気がある会社

 
 懇意にしている会社の新年会が長岡で開催されました。
景気低迷が懸念される幕開けの中で、元気を頂いてきました。
 この会社は、清掃用品のリース、飲料のベンディグ、灯油販売等、昨年実績は200%、本年度に関しても、120%の売り上げアップを掲げ、本日の会において、必ず達成させる決意を発表いたしました。
 社長の話には、景気が悪かろうが成長がないのは努力が足りない事を指摘し、結果を出すことを促しました。
 また、数値目標を各々の責任者に言葉として、皆の前で発表させました。それが達成できたものには、評価をし見合った報酬を出すことも約束しています。
 結果をだせば、学歴など関係なく引き立てるまさしく成果主義を取り入れています。夢を与えています。

 社長は、社長の収入を減らしても従業員に還元することを考え、また会社の雰囲気を常に明るくしよう思っています。
 中小企業に元気が、感じられないような気がしていましたが、元気のある会社は存在しています。待ちの商売ではなく、攻めの商売を実践していく事を、直に感じさせてくれ、私にも気合が入りました。

 元気のある会社が、もっともっと増える事が、元気な富士市になると思っています。
 

不安なスタート

 正月三が日過ぎ、役所も仕事始め、でもまだ多くの企業はお休みみたいです。

 東証急落、新年最初の取引である大発会を迎えた東京市場は、原油高、米景気の後退を懸念して、戦後最大の大幅な下げを記録しました。お年玉相場とはならず、1万5千円を割り込む、波乱の幕開けであります。今年はどうなるんだろうと不安になります。
 

 新年度より、町内の組長になります。順番でなるのですが、町内集会が開かれ、各役員の選出をしました.仕事始めの人もあったようで集まりが悪く、役員選出に難航をしていました。段々、役員の成り手がなく、地域の運営にも暗雲が立ち込めている状況ですが、なんとしても早々にすべての役員を決めなければいけません。


 経済状況も不安ですが、地域の役員選出も決まらないのは切実な悩みでもあります。
 

 そんな中、新成人になるアルバイトの女の子が挨拶にきました。成人を迎える彼女は夢や希望がいっぱいだと思います。素敵な着物姿を見ると不安な幕開けを忘れさせてくれました。
 夜、気持ちをリフレシュする為に、お風呂に入りにいき、足裏マッサージとドクターフィシュでの足の掃除を体験してきました。
こそばゆいです。

旧友集まる。

 富士高31回卒の3年I組の有志による、毎年恒例の同窓会?があり、出席しました。
 同窓会とは名ばかりで、普段からよく見かけ、懐かしさとかは一切なく、何か理由をつけては、飲みに出かけたい仲間の集まりのような気がするのは私だけでしょうか。でも、毎年、楽しみにしている一人です。
 
 40人以上のクラスでしたが、集まった人数は8名、もっと沢山の人が来るといいんですが、少ないのは少ないなりに盛り上がります。
 
 学校を卒業して、30年近く経つのですが、つい最近の出来事のような感じがします。しかしながら、皆、子供が大学に行きはじめたり、それなりの地位で頑張っているのを聞くと年を感じずにはいられません。また、なにを勘違いしているのか、未だに学生の時よりかわいいと思い込んでいる図々しいおばさん(自称セレブ)がいて、年をとるたびにパワーアップされていくので結構楽しめます。この、写真には写っていませんが、話を聞いてるだけでも飽きません。

 
 本日来れない同級生から電話があり、今日の様子を教えて欲しいという要求に応えるため、あえて写真を掲載いたします。


 

今年は、年男、年女ですので、
いい事があるように、皆でお祈りをいたしました。
 みんな元気に頑張ってますよー

一富士、二鷹、三なすび

 新しい年になり、挨拶回りをするのにも、天気に恵まれ良い年のスタートがきれました。 
 
三日市の浅間さんには、用があった為、続けて通っています。直接、私は参拝はしてないのですが、多くの参拝客が列をなしてお祈りをしています。並ぶのも面倒なのでお賽銭をいれずに手だけ合わせていますが、お賽銭も払わずに遠くから拝むのでは、ご利益はあまり期待できないかも。
 
初夢はいつ見るのが初夢なのでしょうか?
元旦の朝に最初に見るのが初夢なのか、それとも年が明けてからの夜に見るのが初夢なのか、はたまた年が明けてから何日かして、初めて見る夢を初夢というのかふと疑問に思いました。しかしながら、ほとんど大晦日から元旦にかけては寝ておらず、一日中、動きまわって、夜はお酒を飲むと夢も見ている暇もなく、朝を迎えています。したがって私はまだ、初夢を見ていない状況ですが、もしかしたら、すでに初夢を見るチャンスを失っているのかもしれません。
 
縁起の良い初夢は、「一富士、二鷹、三なすび」と言われてますが、徳川家康にあやかった言葉と言われています。また、縁起の良い語呂で、富士(無事)鷹(高く)なすび(事を成す)という意味で、おまじないのような形で知られているのかも知れません。
 

天候が良い為に富士山の撮影に東部土地区画の中里付近に多くの人が集まってきています。車のナンバーを見ると香川、神戸、浜松とかなり遠くからきていました。
 富士山がきれいに写せるポイントとして、けっこう遠くまでに知られている場所だと改めて感じましたが、このように人が集まる場所をもっと有効に使う手立ても考えなければいけないと思いました。
 

初夢はまだ見ていませんが、富士山はきれいに新年そうそう私には見る事ができました。富士山を写真を撮りながら鷹の撮影もでき、家に帰ってから、ナスの漬物を食べましたので、初夢はみていませんが、かってに縁起が良いと思い込んでいます。
 

 

明けましてオメデトウございます!

 明けましておめでとうございます。
 

 今年もよろしくお願いします。議員として資質向上を図り、富士市の為に、地域の為に、年男ですので、こまめに頑張ります。

 

 

 

   円照寺の除夜の集い、 八幡さん、 毘沙門さんの御祈祷、 お念仏・
 

31日より1日にかけて、体は一つしかないのですが、あちらここちらを回ってきましたので、正月そうそうの縁起のよさそうな写真を、一早く掲載いたします。

一年間ありがとうございました。

皆様へ

 本年、4月22日の富士市議会選挙におきましては、皆様のお力を頂き、議員にさせてもらい感謝申し上げます。
 無我夢中で一年間過ぎました。今年の干支であった猪のごとく、猪突猛進をしたつもりです。めまぐるしい変化もありましたが、自分なりに充実した年でもありました。多くの人に支えられている事を胸に止め、今後、自分の思いを遂げる様にしていきたいと思います。
 

 私は議員として、主に3つの事をがんばります。

その1、地域問題個所の早期解決
その2、チェック機関としての議決権、発言権の行使
その3、市民の立場からの政策立案、条例制定
 
 3つの事に対して、自分の資質向上を図った中で、皆さんの声をしっかり反映し、地域発展の為に、フットワーク良く動くつもりです。
 
 
 一般質問項目(発言権の行使)
 6月 東部地域の活性化とコンパクトシティについて
 9月 東部地域の水害問題の早期解決について
    情報インフラ(光ファイバー等)の整備について
11月 農地・水・環境保全向上事業について
    地上デジタル放送の移行に伴う問題について
議会において、3回登壇し、それなりの評価もいただいております。

 *日々の活動及び自分の思いをブログに載せ始めましたが、継続は力なりの通りできるだけ続けるつもりです。
 引き続き温かく見守って下さい。見てください。がんばります!

今年を振り返ると

 色々な整理をし始めていますが、とても手がまわらない状態です。でも、今年一年を振り返ってみようと思います。
 今年の自分なりの5大ニュースを発表いたします。
本当は10大(重大)ニュースにしたかったのですが、ちょっと書いてる時間がないのでハーフにさせてもらいます。
 
 1、統一選挙において、市議会議員に初当選
 2、長女が4月より大学生になり、一人暮らしを始めた。
 3、6月で私の仕事が20周年を迎えた。
 4、7月に妻が手術で入院。
 5、10月13日よりプログを書き始めた。

 以上が私の今年を振り返った中での大きな出来事です、今年は特別、節目の年であったような気がします。仕事を始めて20年、子供が大学へ入学、気がつけば私も47歳になっていました。
 仕事を始めて20年を迎えたのですが、今後の自分の人生を考えた上で、仕事だけではなく自分が出来る社会奉仕を考え、出した結論が議員になる事でした。選挙の成績は決して良いものではありませんが、票を取ることよりまずは議員になることが目的でしたので、今後結果をだすよう努力をしていくつもりです。
 
 また、若い若いと思っていましたが、妻は体に異常が見つかり手術をしましたが、私も選挙が終わった後、人間ドックへ入り、検査した中では、脂肪肝、肺に影があると言われ再検査、結果は良かったのですが、体にも変調がある年でした。
 娘も東京に行き、寂しいなと思いましたが、日々の生活があまりに忙しく寂しいと思っている暇もないような状況です。 
 そして、今書いているプログもなんだかんだと言って、やり始めてから今年一杯は、毎日書き続けています。決して暇な訳ではありませんが、やろうと思えば結構できるものだと実感しています。

 細かい事は一杯ありましたが、振り返ると、今年は自分にとって、大きな災害も事故もなく、それなりに有意義で良い年だったような気がします。

 地域では、水害があり大変な年でしたが、それも、解決できるように取り組んでいきます。議員にさせてもらったのですから・・・・・

経済展望

 東証の大納会の取引が終了し、1万5307円と5年ぶりに前年度末を下回る形になりました。
 年初には、1万7千円をつけており、イノシシ年だけに、猪突猛進での急伸が期待され、本年末には、1万8千円から2万円で取引が終わるであろうと多くの方が予想していたのにもかかわらず、大幅にあてが外れた状況です。
 株価だけでの判断だと、景気は決して良くない状況であると私は感じます。全体的にも、今年の中で、「実感なき景気回復」と言われましたが、景気が良くなっていると思えず、本当に景気が回復していたのか疑問を持っています。
 来年は、子年です。実は私は1960年のねずみ年生まれですの年男です。ねずみは12支の中でも、経済に関連付けた格言において、特に縁起が良いとされています。ねずみは子沢山で「神の使い」ともいわれ、ねずみ算的に財産形成には良いとされています。

 しかしながら、あとちょっとで新しい年になる訳ですが、内外景気、国内政局と懸念材料をすべて持ち越し、不安定な
なままの年明けとなります。

 「袋のねずみ」状況にならないよう、「百ネズミは大黒天の使者」の故事の中の、大黒天の金持ちのイメージ通り経済が発展し豊かな年になることを期待しています。
 
 

もういくつ寝ると・・・

 もういくつ寝るとお正月、お正月には凧あげて、コマを回して、遊びましょう。早く来い来いお正月。
 子供の時、よく唄った覚えがありますが、市役所も本日で御用納めです。いつもよりあわただしく毎日が過ぎていきますが気がつけば、あと4日、新しい年になる準備をしなければいけません。やり残している事が多いのであまり、お正月に来てもらいたくない状況ですが、あと少しでお正月です。
 お正月を迎えるにあたり、私は10年位まえから門松を自分で作っています。PTAで役員をやった時、3世代交流事業として、家族で門松を作ることを行いました。それ以来、須津小学校では門松作りが。毎年恒例事業で行われています。 
 私の娘は小学校を、すでに卒業をしていますので、小学校の事業には参加していませんが、役員でいるときに、せっかくの機会ですので、指導してくれる人がいなくても自分一人でできるよう、杉山造園さんまででかけ、縄の縛り方を取得してきました。
 
 材料さえ揃えば、難しいところは、縁起の良い、姫結びという縛り方さえマスターしていれば、それなりの門松はできます。
 本年は、忙しくて作るかよそうか悩みました。毎年やっていることをやめるのはなんとなく、気が引けていました。
 妻は、
「忙しいんだから、お金をだして作ってもらったら」
と簡単に言うのですが、自分で作る事が大事である、私の意義が分かっていないみたいです。
 なんとか、今年も門松を作り終えました。一年に一回のことですが、一度覚えた事は結構、忘れないものですね。
 来年も良い年であることを願い、お正月が迎えられうよう飾り付けました。
 

 

 出来上がった門松、いかがですか。
結構立派でしょ。自画自賛してます。
 
 門松職人になれるかも!

水害対策報告

 クリスマスが過ぎると、来年まであと僅かになってきたような実感がします。でも、いつもより色々な事がちっとも進んでいかない状態です。何かをしようと考えていても、用事がでてきます。何から手をつけていいのか、少しパ二くっています。議員という仕事には、クリスマスも年末も関係ないようです。
 でも、役所の御用納めが28日ですので、年内に片付けなければいけないことを早急に確認をして、年を越したいと思っています。
 
 昨日の夜、江尾地区で毎月25日に開催されている、今年最後の水害対策会議があり、進捗状況も把握したいと思い、出席をいたしました。
 主に、江尾江川調整地と万騎沢の調整地への取り付け道路による水や、それ以外の水も流入できるような工事の説明が当局よりされました。来年の梅雨前には、完成するよう進めるそうです。進展はしているのですが、実際、雨が降らないと、どのようになるか判断しにくい状態でもあります。
 これで、すべて、良くなるといるわけではありませんが、できる事を取り組んでくれている姿勢やクリスマスの夜でも市の職員が来て、対応してくれている事は評価できると思っています。こらからの課題としては、県の淡水防除事業の推進です。
 江尾地区の水害問題は、私の9月の一般質問でも取り上げましたが、議員になってから、重要な課題となっています。

 新しい年を前にして、少しでも進展している事は、地域の人にとってもなによりの事と感じています。
 

ケーキ(景気)は!?

 クリスマスでケーキを食べるのは何故なんでしょうか?多分、お誕生日にケーキを食べる事と同じような理由でしょうかね。
 
 コンビニでも、ケーキを売っていますが、近年では、クリスマス等のイベントにおいて、盛り上がりがなくなってきています。また、ケーキも景気良く売れなくなってきています。
 これは、生活様式や環境が変化する中では、いつでもケーキは食べれる時代になり、なにも改めてクリスマスだからといって、ケーキを食べなけらば食べられない訳ではなく、ケーキが貴重だと思える時代ではなくなってきているのでしょうか。
 
 とはいえ、売れなくなっているとはいえ、売る努力をしていくのが商売です。ムードを盛り上げ、声掛けや試食をし、売り込んでいます。
 
 今年は、休日という事もあり、高めのケーキが売れていました。
 
 
 ケーキを食べながら思うのですが、景気は良くなってると言うのでしょうか? ガソリンや生活関連商品の値上げが消費者心理の悪化につながり、景気は下降気味であると思います。
 地方格差という言葉が使われ、久しいのですが、私自身、景気回復の実感が得られにくい状況であると思っています。今後も、原油高、建設投資の減少等で一段と厳しさが増していくと思われ、基幹産業である製紙業界も未だ明るさは見えづ、中小企業の多い富士市は大変であると思っています。
 本当は、クリスマスを心から、楽しめれるような経済的安定が求められているのではないでしょうか。
 
 

キリスト教と浄土宗

 今日はクリスマス・イブです。イエス・キリストの生誕を祝うキリスト教の祭日であるクリスマスの前日で、多くの人たちが前日のイブにクリスマスを祝い、子供たちは、朝、サンタクロースのプレゼントに胸を膨らませています。
 家にも娘が2人いますが、大きくなるにつれて、サンタはお父さんであると決め付け、図々しく、プレゼントの要求をしてきます。娘も、小さな頃は、ワクワクしながら眠りについて、朝起きた時に、喜ぶ顔が見れて、プレゼントの用意のし甲斐があったのですが、夢も希望もあったものでない状況です。
 私は、7年位前から月に一回、気が向いた時に、キリスト教の勉強会に参加しています。新約聖書の福音を読んだり、聖書の読み方、また、それに係る書物の勉強を、いわゆる、聖書の言葉を引用すると、「味わう」という事を続けています。最近は忙しくて、会に参加できてない状況が続いていますが、会に参加すると気持ちが落ち着きます。
 実は、私が選挙に立候補しようと後押ししてくれたのもこの会での神父様の言葉からでした。
 昨年の6月中旬の勉強会に参加した時、当時、いろいろの話を頂いている中で、もんもんと悩んでいました。神父様は

「天に宝物をつみなさい。」
「人はお金や物で満足はしません。精神が満たされなければ、心はやすらがない」

 その時、私に神がおりました。自分がやりたい事をやろうと。家に帰って、妻に思い告げ、選挙にでようと決心をいたしました。
 神は見捨てずに私の思いを遂げさせてくれ、現在に至っています。

 でも、私はキリスト教徒ではありません。家は、南無阿弥陀仏を唱える浄土宗の法然上人を尊ぶお寺の檀家です。

日比住職と増田青壮年部会長

一昨日も、除夜の鐘の集いの話し合いがありました。31日はお寺で、108の煩悩を払う除夜の鐘をつきます。

 神様も仏様も頼るのではなく、尊ぶという事はどんな宗教においても大切な事で、その中から学ぶことがあれば拘る必要はないと思っています。

 だから、今日はメリー・クリスマスでいいんです。

ブロカント・カフェ

 私の学校の後輩でもありますが、日頃よりお世話になっているパパキッドの社長さんのお姉さんが、富士宮でお店をだしたので寄ってみました。舌を噛みそうな名前ですが、ブロカント・カフェさんです。星稜高校の入り口付近にあります。
 パパキッドさんは、写真屋以外に時代の変化に合わせ、いろいろな事に今、取り組んでいるようです。カメラが珍しかった時代は過ぎ、デジカメで何処でも現像が出来る中では、写真以外のビジネスも取り入れなければいけなくなっているのかもしれません。今年になって、お弁当屋さんもチェーン店開しています。
 中小零細企業は、環境変化により、仕事が大変な時代になっています。変化や風を読んだ中で、新たな事にチャレンジしなければ生き残っていけないのです。
 私は今回の一般質問で、あえて、2011年の地上デジタルの移行問題についてとりあげたのは、市としても変化や風を事前に読み、分かっている変化にしっかり対応して頂きたい為に、質問をいたしました。民間企業はみんな必死に努力しています。行政も民間レベルの努力をしてほしいと思っています。市長も行政の社長ですので経営感覚を全面にだし、市政運営をすべきであると一般質問でも述べました。
 
 ブロカント・カフェさんのコンセプトは、蚤の市の帰りに立ち寄ったモンマルトルのカフェ、パリジャン達が友達と囲む食卓をイメージさせる雰囲気を作り、気軽に肩が凝らない食事を提案することだそうです。

 お店は丸太作りの一軒家で、富士山が非常によく見える場所に建てられています。ちょっとわかりづらい場所ですが、逆に見つけつる喜びがあるかもしれません。

 新たにお店を作ることは、大変なエネルギーがいります。
でも、オーナーのにこやかな顔を見てたら、家族もつれてこようと思いました。

 
 偶然JCの仲間の奥様が来ていました。

 

 

 富士宮で、焼きそば以外の食事をゆったりと取りたいときには感じのいいお店だと思います。

 
 

週末は大忙し。

 議員になってから、週末になるといろいろな行事があり、あちらこちらに顔をだす事が多くなりました。地域の事、行政が行っている行事、各種団体の行事等、次から次へあり、週末は結構忙しいです。
 ブログを、始めて書く事がないかと思いましたが、行事だけでも話のネタにつきません。どこへ行ってきましたという事より、それについて一言、言えるような話がしたいなと思います。でも、初めて出る事や初めて見る事が多い為、偉そうなことも言えません。しかし、見たり、知ろうと思って参加する気持ちを持って出席をしていますので、得るものも以前より多くなっていると思っています。
 
 朝、消火栓のマンホールを開け、消火栓のチェックをしました。初期消火活動に役立てます。

 代議士の遊説部長さんが、田子の纏として参加しているのに気がつきました。イベントを行うときは相談に行きますのでよろしくお願いします。

本日も、パーティー招待、コンサート出席と大忙しです!