愛する人がいなくなるのは

 愛する人を失う悲しさは、言葉で表す事はできません。まして、我が子が突然いなくなる状況を受け止めることは非情な思いだと思います。
 本日、市消防職員である、小口貴裕君の通夜が執り行われました。まだ、志半ばの27歳の若さです。彼は2日に、富士山において登山訓練の最中に滑落し、死亡いたしました。
 私も何回かお会いはした事はあるのですが、直接的に本人と親しい間柄ではありません。しかしながら、彼のお父様、また、伯父さんとは非常に懇意にしている仲です。訃報の知らせを聞いた時、二人の思いを考えたら、どのように、なんて声をかけていいものか思いもつきませんでした。
 彼は、幼い時に父に連れられて、富士登山を経験し、父が高山病にかかった彼を支えながら富士山の頂上まで連れていった思い出の富士山で彼は亡くなりました。
 21歳の時に、親子で手を取り合い進んできたスノーボードにおいて、父の誕生日に日本チャンピオンをプレゼントした、父にとっても最高の息子でした。
 家族は愛すべき彼が突然いなくなる、自分達より先にいなくなる、受け入れたくない、信じたくない、もしかしたら、夢をみてるのかと思うような感じにとらわれているのでないか、そんな思いがあるのではないのかと思います。
 私にも子供がいます。自分がそのような立場になったらどうなんだろうと考えると、胸が詰まります。
 普段はきれいに見える富士山が、今日は一日きれいに見えることがありませんでした。
 小口貴裕君、安らかに眠りたまえ。
 合掌。