休みに入り、どんどん焼き、消防出初式、成人式、一色愛鷹神社新年式、江尾区役員会、増川ソフトボール新年会、知人のライブ鑑賞、また、合間をぬって後援会活動と朝から晩まで出かけています。ただ、動きながらも辛い想いがあります。と言うのも,私の後援会に女性部のゆうこうの会がありますが、そのゆうこうの会の会長が12日に亡くなった連絡が12日夜にはいりました。
ちょうど外出先で、急に雨が降り始め傘を持っていなかった事もあり、ものすごくショックで雨と涙が頬を濡らしました。
私が最初選挙に出た時に、地域に組織がありませんでした。議員になって女性部を立ち上げる際に、当時、食推協の会長であった今の会長さんに頼みました。依頼、後援会活動も含め親身に活動してくれ、私にとっての地域での母であり、姉のような存在となっていました。ゆうこうの会で3年前にボーリング大会をやった後に病院に行くと癌であることが分かり治療をし始めていましたが、いつもニコニコ明るく、病気になった後も地域の行事やゆうこうの会で行った料理教室、カラオケ大会やブリザードフラワーの講習会等で会うと「元気だよ」と声を掛けてくれました。私が2年前に身体の調子を悪くした際にも、自分の事より私の身体の心配をしてくれたのを覚えています。
(クリスマスリースの集まりが最後の写真となってしまいました)
年末の12月9日にはゆうこうの会でクリスマスリースをつくる会でも、「来年は選挙だから頑張るよ」と元気そうにしてくれていました。多分、その頃は調子が悪かったのかもしれません。帰り際に、私の処に寄ってきて手を握り「次はカラオケに行こう」と声を交わしたのが最後のお別れの言葉でありました。
その後、後援会の忘年会は欠席されており、ちょっと心配しながらも年が明け、挨拶に行こうと思っている矢先の訃報は、あまりに悲しすぎます。
結局、八重子さんとは次はなく、一緒にカラオケに行く事は叶わない話となってしまいました。
いつも笑顔で、チャーミングでしっかりものの八重子さんの訃報は信じたくはありません。お悔やみに行きましたが、せめてもの救いは、ほほ笑むかのように安らかな顔で寝ていた事です。
連休中、忙しく動き回りながらも、悲しくてしょうがありません。
何も手につかない想いはありますが、今まで、八重子さんが本当に気にかけてくれた想いを形に変える為には悲しくても動くしかありません。
「次はカラオケに行こう」は忘れられません。
私もいつかはゆっくりとカラオケができるようになる時が来ると思います。
いつになるか分かりませんが待っていてください。
あらためてお悔やみ申し上げます。
合掌