リテラシーとは?

 先週終わった一般質問ですが、会派で、質問内容を、相談した時に先輩議員に、あまり横文字の言葉は、議会においては、わかりにくいから使わない方がいいぞとご指導を頂きました。

 私の今回の質問において、青少年をとりまく情報環境整備についての中で、情報リテラシーとメディアリテラシーの取り組みの推進をとありましたが、その「リテラシー」という言葉がわかりにくいと言う事でした。リテラシーと言う言葉は確かに、最近、良く使われている言葉ですが意味がわからないと言う事でした。実際、私も、説明を求めらた時に、明確な答えができませんでした。
 リテラシーとはいわゆる読み書きの能力とか活用能力といい、情報リテラシーとは情報を活用する能力を意味します。
先日起こった、秋葉原での事件に関しても、舞鶴での殺人事件、また、硫化水素の自殺の広がりにしても情報社会においての問題であります。国においても、「青少年のネット規制」か採択され、有害サイトに対してのフィルタリングの規制も強化されましたが、「臭いものにはふたをする」的な施策、情報社会においての問題は、それだけで解決する事ではないと思われます。いずれにしても、ネットを舞台にして、発生している問題の本質は、それを使う現代の人間や社会にある情報社会を生きる人間の情報の受容や発信に関する能力の形成が問題であります。特に今回の秋葉の事件に関しては、情報社会における、人格形成や教育問題に帰するところが大きいと言われています。
 高校教育においても、「情報」という教科の導入が始まって、まもなく10年が経とうとしていますが、日々、進化する技術とのギャップに追い付いていけないという話も聞いています。
 富士の未来の教育について、IT時代にふさわしい生き方や考え方を次代を担う子供たちしていかなければならないことと歌われていますし、情報リテラシーの推進にも情報計画にも書かれています。また、本年の市の教育行政に関しても、情報活用の能力及びモラルを育てる情報教育の推進としての取り組みがされていますが、パソコンの整備は進められており、また、情報教育指導員及び情報教育サポート員が小学校、中学校においての、インターネットやパソコンの操作に困っている子供達の指導を行っていますが、機器の操作術だけではなく、本来、必要な情報社会の選択や情報表現に関する能力の形成という点についての取り組みが強化されるべきであると思います。
 リテラシーと言う言葉は、分りにくいかもしれませんが、今回あえて使わせてもらいました。この言葉が、もっと一般的に使われなければ、いけない時代になっている事を感じてもらいたいとも思っています。
 青少年の情報環境整備について、情報があり過ぎる社会であるからこそ、自分で判断できる能力や、言葉の表現力が必要となるのでこのリテラシーが推進されなければならない重要事項であると思っていますので。