東部水害問題の行き着く先は

 東部の水害問題については、私が議員となってから、取り組んできている事柄ですが、根本的な解決はというと・・ 

 5月に入ってから、浮島地区からも水害に対しての対応として、大雨になると農業水路が溢れ出し、家に流れ込んでいる状況の改善として、浮島土地改良区の洪蓋の撤去をしてほしいという事に対して、区長、土地改良の役員さんと農政課の職員で現地での打ち合わせをさせてもらいました。

 実際、現地で色々な意見を交わした中で、最終的に試験的に洪蓋をとり、様子を見る事になったのですが、その際にも、言われた事が、沼川の浚渫、放水路の整備そして田子浦の石水門の拡幅がされなければ、下が出ていかない分、いくら、田圃の地域をいじっても効果が薄いと言う地域の声が反映されていないと参加している方よりのお叱りも受けました。
私も十分その事については、分かっていますが、この事については市の問題だけではなく、県、国の問題でもあり、議会においても強く要望している事でもあります。多くの対策(堪水防除や護岸工事等)も進んではいますが、東部水害問題の行きつく先の簡単には進まない大問題に対して、改めて、沼川から田子の浦の石水門まで、連休中に見て回ってきました。

 沼川の水はほとんど流れているような感じではありませんでした。よくみると大きな鯉が悠々と泳いでいるのがわかります。浚渫をするには大変な作業とお金が掛かる事は予想できます。

田子の浦港には、沼川石水門の記念碑があります。記念碑には
 「昔の沼川は、暴風雨のたび港から高波が押し寄せ、川の水が逆流して増水し、あたり一面の作物に甚大な被害を出しました。そのため、江戸時代末期から村人が何度も防波堤を築造しましたが、暴風雨で破壊され続けました。苦労の末、明治18年、静岡県で初めてセメントを使ってつくった石水門が完成をさせました。この六連型アーチ状の石水門のその美しさは愛称で「六ツ眼鏡」と呼ばれ、どんな波浪に耐える当時としては画期的なものでした。その後、田子の浦港が開港して、沼川防潮水門が建設により昭和41年12月に「六ツ眼鏡」が撤去され80年に渡る役割を閉じています。」
と書かれています。

その石水門の拡幅工事が最終的に求められて要る訳ですが、現状を見てみるとこの拡幅には莫大なお金(200億以上が予想されます)が掛かるとされ、また、道路もそうですが、JR線が通過しており、拡幅をするには、電車を止めるわけにはいかず簡単な問題ではない事が分かります。
(田子の浦の整備の一環に拡幅工事も入れてもらいたいです)

市会議員の力では難しい事かも知れませんが、出来る事として、行政へのパイプ役として、今後とも地域の人と要望もしくは陳情と言う形を取りながら、水害対策についての根本的な解決を進めたいと思っています。