会合というのは重なる事が多いです。本日も、浮島地区まちづくり推進会議の総会が、19:00よりありました。
その前に、18:30より須津児童クラブの運営会議があり、中座して、浮島まちづくりセンターに、時間ぎりぎりで席に着きました。
議員になり、初めての浮島地区まちづくり推進会議の総会でしたのでどんな風に進めているのか、勝手がわかりませんでした。市民憲章唱和は一緒でしたが、その後「里はうきうき」の合唱とあり、「いったいこれは何なんだ?」と思ったのですが、全員で次の歌を歌いました。
1、なにもいわない、それなのに サテ
心と心 近づいて
いつのまにやら 通じてる
愛鷹麓 春うらら
むかし芦原 いま美田
うきうきします うきしまは 愛の里
2、それはよかった 愉快だね サテ
うれしい事は おすそわけ
倍にふくらむ 幸せが
茶畑青々 夏来る
先祖のくろうの そのおかげ
うきうきします うきしまは 弾む里
4番まで歌詞があり、総会の次第に、書いてあったので、回りを見ながら、初めて、歌いましたが、郷土を愛する歌詞に、なんかほのぼのとした感じに包まれました。その後、直ぐに、会長挨拶及び来賓挨拶でしたので、私自身、歌を歌ったら、喋る事を忘れてしまい、
「うきうきします、浮島になるまちづくりをすすめます。」
で話し始めてしまい、次に出てきた言葉は
「私の父は、平沼の生まれで、かって、根古屋から境までを浮島といった時代だったので、多くの知り合いや仲間がいる地域なので、議員になったら、浮島地域(境、西船津、船津)の発展に尽くすように言われた。」
と話したのですが、実父の話ですので、聞いている人が、「あれ、親父は増川の人間じゃないの」、とおかしいと思う方がいたかもしれません。誤解された方がいたかもとちょっと不安に思っています。(話したい事が歌で狂ってしまいました)
父の話は別としても、私は、東の浮島地区の、1番身近に住む議員ですので、浮島地区の人達にも、関わりを持った中で、頼りにされるような活動も考えていきたいと思います。来賓挨拶が終了すると、来賓は退場になってしまい、思わぬ早さで会場から出る羽目になってしまいました。せっかく早く終わったので、予定していなかったのですが、間に合いそうなので、19:30からの須津地区でやっている保護者総会にも出席をしました。
分刻みの移動で3つの会議、総会、総会への出席をしました。
行ったり来たりで芸能人並の忙しさです。