お盆前のお墓参りに行った際のお寺に掲示されていた言葉。
いつも、掲示された言葉をお寺での教えとして参考にさせて頂いています。ただ、恥ずかしながら今回、悉くの字が読めませんでした。悉くの読み方を調べたら悉く(ことごとく)です。読み方がわかったのでありがたいお言葉は、「人々是れ悉く道器 日々是れ好日」中国唐時代の雲門宗の開祖である雲門文偃禅師の言葉です。言葉の意味は、「人々悉く道器なり」とは、あらゆる人々はお釈迦様のみ教えを備えるに足りる器を持っている」という意味だそうです。また、「日々是れ好日 」この言葉を文字通りに解釈すれば「毎日が平安で無事なる日である」、「楽しく平安な毎日が続く」と言う意味ですが、単に「毎日がよい日である」というのでは禅的解釈にはなりません。多くの人は「来る日も来る日もよい日でありますように」と願い、無事を願っています。しかし現実は、その願いの通りにはいかず、毎日好き日が続くわけではありません。雨の日、風の日があるように様々な問題が起きます。しかし、どんな雨風があっても、日々に起きる好悪の出来事があっても、この一日は二度とない一日です。かけがえの無い一日であり、この一日を全身全霊で生きることができれば、まさに「日々是れ好日」となるのです。言い換えれば、常に今日という日をかけがえのない大切なものとして過ごすことが重要だというお示しだそうです。
私の好きな言葉「人生とは今日一日」と同じ意味であると思いました。
限りある人生、悩みも尽きませんが悔いなく生きなければ・・
あらためて、ご先祖様に手を合わせてきました。



