富士市のボーイスカウト、ガールスカウトでラトビア・富士市スカウト交流10周年の記念式典を社会教育プラザで開催されました。私は,富士地区ボーイスカウトの顧問でもありますので出席してきました。
式典では、北欧にあるバルト3国の1つであるラトビアとの交流事業はどのように始まったのか、経緯について、この交流事業の功労者である川島氏より話がありました。
(英語と日本語で説明をする川島氏)
内容としては川島氏が学生時代、シアトルで大変お世話になったラトビアから亡命していたラジン氏と友好関係を築いた中で、ラジン氏はボーイスカウトの最高賞であるシルバーウルフを受賞しており、ラジン氏が亡くなった後、家族より、シルバーウルフを遺品として託されていました。以来33年間、川島氏が大切に保管してきましたが、ラトビアが独立し、スカウト運動が、再開した事を聞き、祖国のラトビアへシルバーウルフの返還をしました。
かくして1993年に手渡されたウルフ章は、1940年代にラジン氏と共に戦乱のラトビアからドイツ、英国を経てアメリカに渡り、1974年、川島氏と共に日本に移り、そして2007年、奇しくもボーイスカウト運動100周年に当たる年に開かれた世界スカウトジャンボリーで返還式を行い、友情の証明を得て、富士地区代表団の手によって、ラジン氏の愛する祖国ラトビアへの帰還が実現しています。それをきっかけに、富士市とラトビアの交流が始まり10年が経ちました。その間、毎年スカウト達が相互に富士市とラトビアに渡り、民間外交を担ってきています。
(ラトビアのスカウトから、栄誉が称される川島氏)
川島氏がいたからこそ、この事業は成り立ちました。スカウト活動に携わる立場としても感謝しなければならない事であると思っています。
この10年の交流事業の間、私の娘もラトビアに行きましたし、我が家ではラトビアのスカウトも受け入れています。できる事なら、私も、元気なうちに一度、ラトビアに行って見たいと思っています。
あらためてこの交流事業が、今後、20周年、30周年、50周年と継続されていき、富士市とラトビアの絆が一層深まる事を、心から期待したいと思います。