静岡県会議員の遠藤栄先生が、1月9日にご逝去なされました。新年早々、あまりにも悲しい出来事でもありました。遠藤先生とは、私が大学時代に遠藤先生が県議に当選した時からの知り合いでした。養父は大昭和時代の上司でもあり、後援会の副会長まで勤めた間柄でもありましたので、養父の事を大昭和の教育センターの所長をしていたので先生と慕ってくれ、県議になってからも私の家にはよく出入りしていました。当然、私が議員に成ってからも様々な面で指導してくれた政治家としての師の1人でもありました。75歳で亡くなられた遠藤先生。
今考えると、娘が昨年の結婚をしたのですが、結婚式を挙げる1カ月位前に電話があり、「身体の調子が悪いが、あなたの娘さんの結婚式には、必ず出るから。ただ、元気な状態だったら、俺とお父さんの間柄を考えたら、あなたがダメだと言っても、挨拶の場を設けてもらったが、今の状況だと前に出て挨拶するような状態ではないから遠慮するよ」と身体の調子が悪いながら、出席してくれると養父も喜んでいました。しかしながら、結婚式の3日前に、また、電話が掛かり、「悪いな、結婚式に出たくても、急遽、病院に運ばれてしまって行けなくなったよ。娘さんにおめでとうと伝えておいてくれ」とありました。どんなことでも約束を守る遠藤先生からの電話はよほど状態が悪いのかと心配していました。ただ、12月29日、富士山女子駅伝の前日のレセプションには、姿を見せ、30日も閉会式に顔を出していたので、元気になられたと思いました。しかしながら、明けてお正月の1月2日に新年の挨拶に伺ったのですが、奥様の対応だけで遠藤先生は会う事が出来ませんでした。何となく気がかりのまま、突然の訃報の連絡があり、愕然とした訳ですが、娘の結婚式の頃には、かなり様態が悪く、女子駅伝には命を懸けて参加していたと感じます。
75歳、今の時代あまりにも早い死に、90を過ぎた養父はもちろん私もショックは隠せない事でありました。市議1期、県議9期人生の大半を地方自治の為に費やし、地元田子の浦港の整備はもちろん富士市の発展のために現職議員として、志半ばである中でご逝去された遠藤先生にとっては無念であると思います。私もまだまだ、教わらなければならない事があった中では、本当に残念でなりません。正しく「巨星墜つ」です。
あらためて哀悼の意を捧げ安らかなご冥福をお祈り申し上げます。
合掌