吉原第3中学校同窓会後の朝、偉大な先輩は不出馬表明。

ちょっと長くなりますが・・・

戦没者追悼式、川尻薬師祭り、吉原第3中学校のクラス同窓会と参加してきました。このところ同窓会については、お盆に合わせて開催するようになっていたのですが、今年は自分のクラス以外にもう1クラスを加えての2組合同で吉原の角山で同窓会開催となりました。

中学時代の3年生の時の3年2組と3年5組の2クラス合同での参加者は24名。私の担任の5組の中山先生は既に亡くなっていますので、2組の渡辺先生だけですが参加してくれました。

たまたま私の隣が渡辺先生でありましたが、驚いたことにお若くて、最初はクラスメートの誰かかと思っていました。よくよく考えれば、新任で配属されてきていたので、私達と10歳位の差しかありません。生徒も50を過ぎれば、10歳位はあまり歳の差を感じなくなっているのかも知れません。また、実際、先生より老けた生徒はいます。先生と生徒の区別がつかない状況でもありましたが、やはり、先生は先生です。
(渡辺先生、若くてきれいです)

それぞれの自己紹介や近況報告がなされましたが、昔話に花が咲き、時間があっという間に過ぎてしまい、名残惜しい中では2次会会場のカラオケ店に移動。更に帰りたくない人は3次会の中学の先輩がやっているお店(アーバンカウボーイ)へ移動、もっと帰りたくない人はその後ラーメン屋へ。私も忙しい、忙しいと言いながらラーメン屋までいてしまいました。(お盆だから久しぶりに羽目を外してしまいました)
午前3時位に帰ったと思うのですが、朝早く涼しい時間に除草剤を撒く仕事を言われていたので、ほとんど眠る事のなく作業に出かけました。大変きつかったのですが、家に戻り新聞を見ると、富士市長が4選不出馬のニュースが掲載されており、疲れと眠気が一気に吹っ飛んでしまいました。

実は、市長は私と同じ吉原第3中学の先輩、後輩の間になります。中学の同窓会でも市長には頑張ってもらいたいと言う話があったばかりです。その市長が正式に12月の選挙に出馬しないと言う報道には「え〜!!!!」と思うと共に、「やっぱり」と言う気もあります。市長は8月に入り何となく元気が無いような感じを受けていました。8月8日に卓話での際も、出処進退には一切触れませんでした。その事が逆にでない事に決まっているのかと言う感はありました。

ほとんど眠っていない状況で頭の整理が出来ていません。中学の同窓会の後、先輩の不出馬表明。お盆もありましたが、何となく因縁を感じます。
いずれにしても、私の生まれ育った原田での先輩であり、職業人としても、東部から輩出された議員としても、しっかりとした足跡を残してきた偉大なる先輩であります。複雑な気持ちはありますが、悩んでの決断だと思います。体調も決して良いのではないのかもしれません。この決断にある意味、お疲れ様と今までの功績には感謝は言わなければいけない事であると思っています。でもまだ、任期はあります。最後まで、全力で市長職は全うしてもらう事と、震災後遅れてしまった取り組み、課題に対しても引き継ぎはお願いしたい事であると思っています。
私自身は、新年号の荻田たけひと通信にも書きましたが、「誰が市長になろうと、東の事をやって頂きたい」これが基本です。