キリスト教と浄土宗

 今日はクリスマス・イブです。イエス・キリストの生誕を祝うキリスト教の祭日であるクリスマスの前日で、多くの人たちが前日のイブにクリスマスを祝い、子供たちは、朝、サンタクロースのプレゼントに胸を膨らませています。
 家にも娘が2人いますが、大きくなるにつれて、サンタはお父さんであると決め付け、図々しく、プレゼントの要求をしてきます。娘も、小さな頃は、ワクワクしながら眠りについて、朝起きた時に、喜ぶ顔が見れて、プレゼントの用意のし甲斐があったのですが、夢も希望もあったものでない状況です。
 私は、7年位前から月に一回、気が向いた時に、キリスト教の勉強会に参加しています。新約聖書の福音を読んだり、聖書の読み方、また、それに係る書物の勉強を、いわゆる、聖書の言葉を引用すると、「味わう」という事を続けています。最近は忙しくて、会に参加できてない状況が続いていますが、会に参加すると気持ちが落ち着きます。
 実は、私が選挙に立候補しようと後押ししてくれたのもこの会での神父様の言葉からでした。
 昨年の6月中旬の勉強会に参加した時、当時、いろいろの話を頂いている中で、もんもんと悩んでいました。神父様は

「天に宝物をつみなさい。」
「人はお金や物で満足はしません。精神が満たされなければ、心はやすらがない」

 その時、私に神がおりました。自分がやりたい事をやろうと。家に帰って、妻に思い告げ、選挙にでようと決心をいたしました。
 神は見捨てずに私の思いを遂げさせてくれ、現在に至っています。

 でも、私はキリスト教徒ではありません。家は、南無阿弥陀仏を唱える浄土宗の法然上人を尊ぶお寺の檀家です。

日比住職と増田青壮年部会長

一昨日も、除夜の鐘の集いの話し合いがありました。31日はお寺で、108の煩悩を払う除夜の鐘をつきます。

 神様も仏様も頼るのではなく、尊ぶという事はどんな宗教においても大切な事で、その中から学ぶことがあれば拘る必要はないと思っています。

 だから、今日はメリー・クリスマスでいいんです。