先日、尊敬すべき私の伯父である春日製紙工業株式会社の前会長であった故久保田元也氏「生きた証し」と言う冊子を読む機会がありました。伯父さんは私のお祖父さんの会社を受け継ぎ、戦後そして高度成長期の激動の時代の中で経営危機を乗り越えながら会社を発展させた有能な経営者であり、その功績は亡くなった後でも高く評価されています。その人生の証を綴った冊子の中で第2章に「青春の詩との出会い」が書かれていました。富士市の小長井市長も好きな「青春の詩」とは、アメリカの詩人サミュエル・ウルマンが書いた『青春の詩』で、戦後日本に進駐していた連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が愛誦していたことから、日本に広められ、岡田義夫氏の名訳により格調の高い日本語の詩として、なかでも、多くの日本人の魂を揺さぶり、感動を与え続けました。故宮澤次郎氏(当時トッパン・ムーア株式会社会長)は、この詩から得た感動を1万人の方々に分かち与え、自らが先頭に立って「青春の会」を組織し、詩の普及に努めました。
「青春の詩のとの出会い」の伯父さんのエピソードはやはり、当時懇意にしていた凸版ムーア会長の故宮澤次郎氏から「青春の詩」を頂き、その詩を詠んだ時に魂が揺さぶられ感動を覚えて以来、座右の銘として、また会社のスローガンにも掲げ、結婚式の祝辞や会社の決意披露で何度も引用したとしていました。
富士市の小長井市長が目指す都市像は、「生涯青春都市」です。市民が常に青春を謳歌できるまちづくりが市長の理想の姿であると述べられています。市長も事あるごとに青春の詩について語っていますので青春の詩が座右の銘であると思います。
冊子にも書かれていましたが、常に伯父さんの心に刻まれていたことは
「信念と自信を持ち、希望を忘れずに生きていたい」
です。
亡くなってしまいまいましたが私の伯父さんも想いが同じである市長の志を応援しているような気がしてきました。