行政対応の地域以外に宮城県名取市の中心部から約7キロほど離れた閖上地区の現状を確認に行ってきました。かつては赤貝の産地として知られ、約6000人、2100世帯が暮らす港町でした。しかし、東日本大震災で人口の1割を超える900人近い人が亡くなり、90%以上の家屋が破壊され今はほとんど誰もいない状況は、東日本大震災の津波でもっとも深刻な被害を受けた東北沿岸部の町の1つといえます。
町を襲った大津波の高さは、閖上漁港付近でおよそ8.5メートルに達したといいいます。津波は内陸部までさかのぼり、仙台平野に広がる平たんな町に逃げ場はほとんどない状況であったそうです。浜辺から500メートルほどの距離に位置する数少ない高台、「日和山」の高さは約6メートル。頂上には二つの神社が鎮座していましたが、
海を守る弁天様を祭る富主姫(とみぬしひめ)神社と、地域の氏神様として信仰があり、震災後に遷座した閖上湊(みなと)神社その上にあった富士主姫神社は、跡形もなく流されてしまいました。がれきの中から回収した木材で立て直され、犠牲者を奉ってあります。
津波被害が甚大だった閖上地区を一望できる日和山から眺めると、がれきは跡形もなく片付けられ、水平線が見渡せるほどです。見渡す限りの更地にわずかに残った家々の土台がむき出しになっている事が確認できます。
またすぐ近くの避難場所であった閖上中学校の時計は、地震のあった時間で時計は止まり、献花台がありましたが、その光景は改めて胸が詰まります。
その災害の大きさの記憶を忘れないよう更地になった場所にポツンと「閖上の記憶」と書かれたプレハブが設置されています。
津波祈念資料館でもあると共に失われた故郷をどうやって再建していくのかを考える施設であります。展示されている場所には、今年度の3月に作成された閖上地区のまちづくりについての行政資料がありましたが、2年2ヶ月経った今も本格的な復興まで道程の長さを感じました。
PS:閖上地区の事はまだ伝えたいことがありますので、ブログは続くと言う事で・・・・