忠霊廟が建設されてから、50年の記念事業において、昨年、忠霊廟に係る、旧吉永、須津、原田、元吉、浮島の地域にある中学校に学校図書が寄贈されました。すでに、目録が渡され、各学校で欲しい図書が納入されています。
その記念事業の後の慰霊祭として、先週末に桜吹雪の舞う中で、遺族を含む多くの関係者が参加し執り行われました。
私は、中学は吉原3中に通っており、よく、比奈にある忠霊廟まで、体育のサーキットや部活動の練習場所として使用していた事を覚えていますが、何となくお墓であるようなところであるとは思っていましたが、何のお墓なのか知りませんでした。馴染みある場所でしたが、どんな意味合いのある場所なのか気にも留めていませんでした。また、忠霊廟奉賛会という会がどのようなものか知る由もありませんでした。
忠霊廟には、富士市の旧吉永、須津、原田、元吉、浮島地区出身の明治以来の戦没者936柱がまつられ、昭和33年3月に故斉藤知一郎氏が中心となり建設されました。
恥ずかしながら、非常に、意味深い場所であるというのを知ったのはつい最近でした。
忠霊廟が建設してから50年がたち、936柱の英霊に平和を誓い、平和の大切さを感謝し御霊に手を合わせる慰霊祭でした。
本年は記念の年でもあり、本を寄贈された学校を代表して、須津中吹奏楽部が廟に入って演奏を披露してくれました。さくらが舞い散る中での演奏は幻想的で、936の英霊もさぞかし喜んでいると思います。
今ある、私たちの平和は、先人達により築き上げられてた事を感じ、将来に渡り、同じ過ちを繰り返さず、恒久の平和が持続できる社会を構築することを忘れてはならないと思っています。