50歳を迎えて

いつまでも若いと思っていましたが、恥ずかしながら、7月15日で50歳になりました。人生50年と言う言葉通り、子どもの頃は、周りにいる大人で50歳と言うと、定年間際のもうおじいさんと言うイメージがありました。50歳になる事は嫌でしたが、しかしながら、時間は嫌が上でも過ぎていきます。

論語の有名な文章で学生の頃、勉強したのですが、人生の節目になると思いだします。
15歳を「志学(しがく)」、30歳を「而立(じりつ)」、40歳を「不惑(ふわく)」、50歳を「知命(ちめい)」、 60歳を「耳順(じじゅん)」、70歳を「従心(じゅうしん)」としていますが、30になって独立した立場を持ち、40歳にしてあれこれ迷わず、50になって天命をわきまえ、60には人の言う言葉を素直に聞く事が出来るとしていますが、40になった時も迷いっぱなしであり、50になっても、天命など知る事も出来ない状態であります。
人生は日々勉強と思っていますが、人生は50年でもないし、50にして天命を知るには早すぎる歳であると思っています。現在の社会に置いては、昔に比べ、実年齢に7掛けで歳を計算するとも言われていますので、それからすると、まだ、35歳であると考えられ、ようやく自分の立場が何となく見え始めた頃であり、まだまだやらなければいけない事も沢山あります。
議員としても、富士市議会では若い衆と呼ばれていますので、老けこんでいる場合でもありません。
50歳を迎えましたが、超高齢化社会に置いては、まだまだ、若い世代であると思い、50と言う言葉に迷わせる事無く、自分の思う道をしっかり進んでいこうと決意を新たにしました。
でも、やっぱりこれから、人に歳を言うのも50と言うと抵抗があります。(チャンチャン)

*思いがけずに多くの方々に、お祝いをして頂きました。「男は50からだよ。まだまだひよっこ」と励まされ嬉しかったのですが、ケーキのろうそくを吹き消すのは、ちょっと恥ずかしかったです。
感謝です。