あれから、2年、地域でも防災講座。

2011年3月11日14時46分頃、三陸沖で発生したM9.0の巨大地震と津波は宮城県、岩手県、福島県を中心に青森、茨木、千葉、東京まで広範囲に戦後最大の被害をもたらしました。
地震が起きた時、議会中でもあり、委員会審議の最中でしたが、まさか、これまでの大惨事になるとは思っていませんでした。

多くの方が亡くなられました。まだ見つからない方もあります。原発事故の処理は時間がかかっています。復興はまだまだ先の話でもあります。でも、あれから2年が経ちます。決して、忘れてはいけない事であります。

そのような意味も含めて、私が住む増川区でも3月11日を前に防災講座—災害に対する備えーが開催されました。朝から静岡がん会議2012に参加しており、帰って直ぐの防災講座でもありましたが、地域での防災意識の向上は大切な事であり出席してきました。内容としては、新想定を踏まえた津波対策、情報収集体制、防災訓練(増川区)富士山火山噴火対策について2時間近く防災管理課の佐野氏が話してくれました。自助、共助、公助と言われる中でも、自分の身は自分で助ける、また地域で助けあう事は改めて言うまでもない事でありますが、いざその時にどうかと言うと継続的な意識づけと行動は必要でもあります。また、事前の対策をとる事により被害軽減が成されることは重要で、家具等の固定をする事は進めなければと思います。(実はまだ、私の家では固定されていません)
富士市においてはすでに津波避難タワーの建設もされ、ビルの指定、看板設置、津波避難も進められマップの作成、配布等様々な災害対策も行われますが、第4次被害想定が6月頃に発表されますので、それを受けて防災計画の大幅な見直しが行われます。
いずれにしても、2011年3月11日を境に、大きく災害に対しての考え方、物の価値観は変わりました。
私も自分自身に言い聞かせるためにも、日本の自然災害写真集を見直しています。

減災に向けてまだまだやらなければいけない課題は多いと思っています。