ニューまれにあう会 in NUMAZU

私は今から14年前の1999年に青年会議所の理事長を務めました。
当時、静岡県には25の青年会議所があり、各青年会議所の理事長が集まり、静岡ブロックとしての会合が定期的にありました。その当時の県内理事長の集まりとしての同期会が沼津のリバーサイドホテルで開催されたので参加してきました。

同期会の名称は当時、新しい1000年を前にした2000年を迎えるに当たり「ニューミレニアム」にひっかけて、毎年と言わないまでも、たまには会えるようにと「ニューまれにあう会」として各地域で開催しようとしたのは覚えています。ただ、最初の何年かは、熱心に連絡もありましたが、ここ数年は連絡もなく忘れかけていた会の開催でもありました。懐かしさと久しぶりの開催に一体何人集まるのと思いながらも、それでも、集まった同期の理事長は12名、その他の会員も入れ、24名での開催となりました。

また、当時、三島青年会議所で理事長セクレタリーをしていた入会間もないかわいかった女性(稲村氏)が次年度静岡ブロック会長に選出されており、当時の仲間としてゲストとして参加してくれていました。
気が付けば青年会議所も卒業して13年経ちます。集まった仲間もそれなりの歳を取り、白髪や頭の毛が薄くなったり、太ったり体の変化もあります。でも、青年会議所を卒業した後の近況を含めた一人一人の挨拶は、歳を重ねることによっての人を引き付ける話術は素晴らしいものを感じます。姿、カタチさえ見ず目をつぶっていれば、熱くまちづくりや未来を語っていた14年前にタイムトリップした感じにもなります。何となく、当時の想いを思い出し、元気になります。本当に楽しいひと時を過ごせました。
県内青年会議所は1999年には25あったのが、現在20となってしまいました。今回の参加者の中には既に消滅してしまった青年会議所の理事長もいました。また、会員数も当時に比べどの青年会議所も三分の一となってしまっています。私の時代と経済環境もそうですが、経済人活動が青年会議所以外にも多くあり、その存在価値にも変化が生じてきていると感じます。

次年度静岡ブロック会長の稲村氏は大変な時期に会長を担います。良い時代も悪い時代も知った中での、変化に対応した組織としてしっかりとした存在意義を示していっていただく事を期待しています。

身体の調子は今一つですが、久しぶりの再会に深夜まで沼津の夜を楽しみました。