どげんかせんといかん!!

タレントのそのまんま東さんが県知事に就任し所信表明で「宮崎をどげんかせんといかん」と言ったのは、私が議員になる前の平成19年の2月でした。
その年の4月に私も市会議員になったのですが、私も「富士市を、地域をどげんかせんといかん」と言う気持ちはあり、1度、東国原知事には会ってみたいと思っていました。ですから、私は議員になってから、3度宮崎県に行っています。
その度に県庁の前を通り、東国原知事に会いたいと思っていましたが、・・・・

いずれの時もお会いすることは出来ませんでした。(アポイントも取ってはいませんから、会えないのは当然だと思いますが・・)でも、遠くまで行っても達せられなかった事が1月15日に富士市で達することができました。と言うのも東国原知事の1期4年の宮崎県知事任期があと数日で終わり、その後の進路が取り沙汰されている状況の中で富士市において「このまちをどげんかせんといかん〜自分が変われば未来は変わる〜」と題した講演会が青年会議所の主催で開かれたからです。

今までに知事に会いたいという思いもありましたが、なぜ、宮崎をどげんかせんといかんと言っておきながら、現在も口蹄疫問題もある最中に知事を辞めてしまうのか気になる所でもありました。当然、進路についてはマスコミで取り上げられてしまうと騒ぎが大きくなるので現在は語られないと思っていましたが、どのような心境の変化があるかは聞けるのかなと思っていました。しかし、残念ながら、進路については未定であるとしていました。

講演は、ユーモア交えた聞きやすい内容であり、あっという間に1時間半は過ぎてしまったのはさすがであると感じました。会場では始終笑いがあり、さながら、漫談ショーのような感じです。自分でも言っていましたが、中高年のおば様のアイドルとしての綾小路君麿と同様に、中高年の女性にこれだけの笑いをとれる県知事は東国原知事以外にはいないと感じました。
随所に政治の話もありましが、ピンチをチャンスに変える、挫折を挫折としない生き方も語られタレントそのまんま東の生き方の方が興味を覚えました。なぜ、政治家になったかという事には、子どもの時の夢として「政治家とタレントになる」としていたので、タレントをしている時に挫折があり、もう一つの政治家を目指したそうです。どんな状況であっても夢を実現させていることは立派です。このまちをどげんかせんといかんと言うテーマには、まちを元気に、元気にするには笑いが一番であるとしていました。

政治に対して物足りない部分は、ラジオナビゲーターの佐野智恵子さんが5つの質疑として、商店街対策、工業振興、公共交通等について投げかけていました。その中ではDMVの有効性を認めた上での問題点やマニュフェストにある企業誘致100社を実現している事、宮崎ブランドの立ち上げ等を話してくれました。
知事として宮崎にもたらした功績は大きなものであったと思います。
まだまだ頑張ってもらいたい県民の思いはあると思いますが、どんな形であれ、今までの経験を活かし、知事が思う地方分権を進め、「日本をどげんかせんといかん」として、汗を流してもらいたいと思っています。
私も、苦しくても、忙しくて、大変でも笑いがあるように心掛け「どげんかせんといかん」という気持ちで頑張りたいです。