娘の高校の教育理念に、「賢明な女性の育成をめざします」と掲げられていますが、その「賢明な女性」というテーマで校長先生を交えての話し合いがロゼのレセプションホールでありました。
土曜日にあった地域の運動会が延期され、大変な良い天候に恵まれた中で開催されていたのですが、自分の娘の教育についてもやはり親である以上、出来るだけ関わりたいと思い、地域の運動会は午前中だけの観覧とさせてもらいました。
(テントの前を姪のまゆかちゃんが一番で走りぬけ、思わずびっくり!)
娘の学校では、一年に一度ですが、夫婦で校長先生や先生を交えながら、共通のテーマでテーブルごとに意見交換をし、発表しあいます。学校の事は勿論のこと、自分の子供以外の状況を聞く機会でもあり、比較もできて大変参考になりますが、本年度は「賢明な女性」が学校の目標でもあり、テーブルで侃々諤々の話し合いをしてきました。
賢明な女性とはどのような人を言うのでしょうか?
校長先生が考える賢明な女性とは
*愛情豊かである。*使命感を強く持って、それに応えるように誠実に努力する。*知性、教養がある*言葉やたち振る舞いに品性がある。*決して放漫でならず、どんな人にも敬意をもって接する*弱い立場の人にやさしい眼差しで手を差し伸べる*困難に直面してきちんと受け止め忍耐強く克服していく知恵と意志をもっている*未来に希望を持って行動する等々が挙げられており、「賢明な女性」は人間性の根底に欠かせない事は、想像力と感性であるとしています。
私自身は、あまり使わない「賢明な女性」という言葉のイメージとしては、知性的で判断力があり、テキパキと仕事をこなす出来る人と言うように思っていましたが、ちょっと違っていたようでした。校長先生が言われている事は、本当に立派な事であると思いましたし、話し合いの最後には、相手の立場になって物事や考え方ができる女性らしい相手に対しての気遣いを持ち合わせ、心の持ち方や想像力な豊かな女性かなと思いました。
私も娘(妻)には表面的な事よりも内面からあふれ出るような賢明な女性になるよう望みます。反抗期の娘に、そう言ったら、「わかってる。でも、わかっているけどやれない、なれない自分がいる」と娘は苦悩していました。「これからじゃん。失敗や挫折も含めて色々な経験や色々な所へでかけて、実体験をもっともっと積んできっと少しずつでも思っている人になればいいよ」と父親らしい事を言いました。返事をしたようなしないような感じでしたが、彼女なりに理解は多分しています。幾つになっても子供には変わりは無いのですが、私が考えている以上にずーと大人でしっかりしていると周りから言われていますし・・・・・
でも話し合いでは、個人的には、賢明な女性とは、なんでも一生懸命にやる人でそれにかけて、一生賢明(懸命)生きている女性なら、賢明な女性であると勝手な自論を展開はして来てしまいました。