経営形態の変更が成された女川町地域医療センター

定期購読をしている今月号のガバナンス12月号を目にすると「特集 地域のいのちを守るためにー医療崩壊を乗り越える」と題した私にとって大変興味深い記事が掲載されていました。特に、取材リポートとして被災地の地域医療はいまの現状として宮城県女川町の事が書かれています。

実は、先月宮城県にボランティアを兼ねた視察をして来たときに女川町にも行ってきました。その時に立ち寄った先が、今回記事になっている、女川町地域医療センター(旧女川町立病院)です。

女川町は、今回の震災で町民の1割弱が死亡、行方不明となり7割の世帯が津波による被害を受けました。高台にある町立病院は標高16メートル。どんなに高い津波が来てもここだけは大丈夫と誰もが信じて疑わなかった場所でもありましたが、実際は、1階の天井まで浸水する被害を受けました。それでも、水没した周辺一帯の避難者を受け入れながら、被災者の治療に当たった場所でもあります。その、高台にある町立病院が10月1日より経営形態を変え指定管理者を公益社団法人地域医療振興協会とする女川町地域医療センターとして再スタートを切ったことが取り上げられています。
(町を病院が立つ高台から眺めると、町役場の最上階まで津波は来ており、3階建てのビルは横倒しです)

実際に現場に行っても分かりますが、まち全体を見回して、ひときわ高い所に位置する病院は、何の被害も無かったような感じを受けます。しかしながら、よく見てみると、駐車場のポールは曲がり、フェンスは流されてしまっています。安全な場所であると思っていたところでも、車は流され、波に呑まれて亡くなられた方もいらっしゃった様でした。(花が飾れています)病院はある意味女川町の津波の高さを物語っている場所でもあります。

被害の甚大さはその病院の立つ高台にいると津波の凄まじさが目に浮かぶ場所でもありました。
被災地治療をしている現場を確認してきましたが、その女川町地域医療センターの転換に関する記事を読み、被災した為に経営形態の変更が余儀なくされたと勘違いしていましたが。あくまでも、総務省が進める改革プランに則った中で、改革に取り組んでいたそうです。医師数が施設基準数を充足しない状況が続き、常勤医が足りない分を東北大学から派遣で補ってきており、慢性的な赤字であった為、経営形態の変更を震災前から予定していた事であったそうです。(恐らくの国の3セク起債法を利用しての変更であると思います)
今回の女川町の指定管理者への経営形態の変更はもともとの変更ではあったものの、災害地での医療は、生活再建の前提として、何よりも健康管理が重要である点では、「待つ医療」から「出ていく医療」を打ち出している体制は良かったのではと感じます。成果が出るまでは、時間はかかるかもしれませんが、行政の使命が命を守る事として成り立つようにしなければいけないと言う決断だったと思います。
今回の質問でも中央病院の経営形態のあり方は質問しますが、環境は違う話かもしれませんが、経営形態の変更はたとえ災害が起きようともどのような場所に置いても検討されている事であることは改めて認識しました。