もし、戦争が無かったらと想いながらも・・・

72回目の終戦の日。富士市戦没者追悼式に参加してきました。私も市内の戦没者3697柱に対して、英霊の冥福と恒久平和を祈念し献花を行っています。先の大戦での惨劇では300万余の方々が祖国を想い、家族の生末を案じながら遠い異国の地で命を落としています。献花をしながらも、もし、72年前の戦争が無かったら、今、日本はどんなであったのだろうかと思います。

 

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≪春吉お祖父さんと彰一伯父さんどちらも立派な方でした)

実は、私の母の実家は富士市比奈にある春日製紙でありますが、その春日製紙の初代、久保田春吉は私のお祖父さんにあたります。そのお祖父さんの長男である久保田彰一は東京商大(一橋大学)の学生の時に学徒動員令で招集され、フィリピンルソン島で終戦の年、昭和20年4月24日に戦死し靖国神社にも祀られています。ですから、彰一伯父さんにはあった事はありませんが、私は靖国神社にはたびたび行きます。
母は彰一兄さんの話を良くしますが、兄弟の中でも一番優秀で自慢の兄であったと言います。生きていれば恐らく長男である彰一伯父さんが春日製紙を継いでいたと思われますが、母は彰一兄さんが戦死しなければもしかしたら会社の歴史は大きく変わっていたのかも知れないと言います。その事を考えただけでも、私の関係するところでも戦争が無ければ、違う状況があったのかも知れません。あの戦争が無かったら、どんな今があるのだろう・・・・ただ、言える事は、今ある平和は貴い犠牲があっての事である事は間違いありません。
あらためて、「たら、れば」、の話しでなく戦争という不幸に対して、2度と同じ過ちを侵してはいけない事であると思っています。