義母の須津古墳群への想い。

私の義母は学校の先生をやっていました。
義父が校長になると先生を辞め、地域活動等に専念しだしました。
地域で民生委員も務めました。また、点字のボランティアや須津ふるさと愛好会も熱心に参加していました。年齢を重ねるごとに、思うような活動はできなくなり、孫の成長とひ孫と遊ぶことが楽しみに変わっていました。今年我が家に3番目の孫が産まれ、ひな祭りをやって帰る際に、玄関で転び、大腿部骨折で中央病院に入院しました。高齢であるので治りは遅いがリハビリをやってまた元の生活に戻ると思っていました。しかしながら、途中、リハビリ病院に転院したものの、7月に入り中央病院に再入院し、診断されたのが末期の胃がんでありました。訳が分からないまま、余命宣告がなされ、気が付けば、目はあけられない、口もきけないような状況になっていました。私の2番目の娘夫婦がお盆を前に帰ってきて面会しました。それから2日後、帰らぬ人になってしまいました。

かつてふるさと愛好会で須津古墳群の保存活用を進めるにあたって地域で署名活動や副市長の所へ行って意見交換をしたり、何より、私の古墳に係る7回の質問に関しては、全て傍聴をしてくれました。その事が新聞記事になって載るのを喜んでくれました。今年の3月に家に来た際にも、浅間古墳の発掘が始まる事をもの凄く喜んでいました。自分が関わってきたことの1つに須津古墳群の保存活用があり少しづつではありますが、確実に動いていることが何よりうれしい事であったと思います。



8月に入り、眼も開かず、喋れない中で、古墳ポロシャツや古墳の本、そして山崎教授と副市長と一緒に撮った写真が枕元にありました。
現在、古墳の発掘が行われています。
歴史が解明され義母が思っていた保存活用がされての周辺整備がされる時がいずれ来ると思っています。
安らかな寝顔を見ながら、天国から子供たち、孫たち、ひ孫たちと同様に古墳の行く末をしっかりと見守って欲しいと思っています。
合掌