お世話になった方がまた一人・・・・

富士山世界遺産登録一周年でもあり、富岡製糸場が新たに世界遺産に登録決定しておめでたい事です。ただ、残念なことして、私的な事ですが私の高校の先輩でもあり、青年会議所での歴代理事長であった親愛なる吉川先輩がご逝去されました。

私にとってはJC,法人会青年部、商工会議所青年部と大変、お世話になった先輩でもあります。
JC時代は理事長も務め、声の大きな方でとても元気な方でした。3年ほど前から肺がんを患い病気との闘いをしながらの生活をしていました。様々な場面で会う事はありましたが、苦しみながらも最後まで気丈に元気に振る舞う先輩は立派でした。
私も病気である事を知っていましたので、いつかはこのような時が訪れる事は予期していましたが、年齢は58歳、あまりにも早い黄泉への旅たちであると思っています。
葬儀委員長は小長井市長でありますが、先輩と市長とは高校の同級生でもあります。市長選の際には、病気でありながらも、私に語った事は、「JC時代は、小長井と同級生であってもあまり仲の良いような事を周りには言ってなかったかもしれないが、実は、高校卒業後は同じように浪人して苦労し、励まし合った仲間であり、大学卒業後も東京で就職をした際には一番よく悩みを相談しあう親密な交際をしていたんだ。あいつとはホント、良く飲んだよ。その小長井を何とか市長にしなければ」と富士宮市民であっても一生懸命に小長井さんを応援していた事を覚えています。その意味では、親友の葬儀委員長は、市長にとってはやらなければいけない事であっても、やりたくなかった大変辛い役でもあったと思います。また、通夜には韓国からもJC時代の同期の理事長夫妻を始め、親交のあった仲間が多数駆けつけました。先輩がいかに多くの人と関わり築いてきた軌跡は弔問に訪れている人達の多さを見ればわかります。才能のある方であるだけに悔いはあると思っています。天気の晴れた日が先輩のイメージでありますが、雨が降ってきました。先輩を慕う多くの人達の涙がそうさせているような気がします。
ただ、笑顔で寝ている姿を見て、今までの辛い闘病生活から解放された事だけはせめてもの救いであります。
吉川先輩、大変お世話になりました。

どうか安らかにお眠りください。
合掌