議員活動を知ってもらう為に

 

新しいリーフレットを作成するにあたり打ち合わせをしましたが、今回、選挙にあまり興味のない若い人達に対してのアピールが出来るよう、大学生の梶野君を交えて若い意見を取り入れた形で作成しようと思っています。

大学生の梶野君からは政策も大切だけど、あまり政治や議員に関心が無い若い人には、議員活動そのものが一般的に何をやっているか分からないので、分かり易く知ってもらう為に、実際に議員の(ある1日)を例として載せたらどうだろうかと言う意見がでました。

確かに何をやっているかを載せるのは良いアイディアだと思いました。
議員として、議会以外に様々なお付き合いも活動としてある事は知ってもらいたい事でもあります。一般的に「議員って何をやっているの?」言う素朴な疑問はあるようですが、私自身は毎日それなりに忙しい日々を送っています。

例えば、今週末の活動はこんな具合でした。

2日、土曜日、
午前中の一般質問の原稿作成
午後2時から、ヴァイオリニスト田島優子さんのホームコンサート
午後4時かりがね祭りに行き、各種団体の出し物を見学、(母親がアロハをおどっていまいした)
午後6時かりがね祭りの開会式参加、その後、投げたいまつに参加
午後9時帰宅、

3日、日曜日
午前8時    須津川渓谷の桜ともみじの下草刈りを町内会長と共に大棚の滝へ行きました。(なれないカマを持ち疲れました)
午前11時   地区父親ソフトボールに行き、各チームを応援
午後0時    父親と母親が参加している青葉台の区民大会に参加
午後3時    リーフレット作製の打ち合わせ
午後6時    後援会女性部会の会合
午後10時   帰宅、その後ブログ作成
        
午前0時    お風呂に入ってから、明日以降の議会開催の準備をし就寝

特別今回だけ忙しいのでしょうと思う方もいるかもしれませんが、同じように日々いろいろな行事や用事が舞い込んできます。そんな活動をしていると言う事を、リーフレットに盛り込む事が出来たら、分かり易くていいなと思っていますが、でも、一体いつの日を(ある1日)にすればいいのか、またどのように載せればいいのか悩む所です。
前回とはちょっと違うリーフレットは作成するつもりでいますのでお楽しみにしてください。

出来上がるのにはまだ時間はかかりますが・・・・

 

戦没者追悼式で思う事

 8月15日、65回目の終戦記念日に私は、議員として毎年開催されているロゼシアターでの戦没者追悼式に参加しました。毎年同じような内容のブログを掲載していますが、この追悼式で、自分自身の心にも刻み込まなければいけない事でもあり、忘れてはいけない事とし掲載し続けなければいけない事でもあると思っています。

富士市での追悼式は例年とは違い、ロゼシアターの大ホールから中ホールで開催されました。この事は、戦争が終わり65年の歳月は遺族の方々も高齢となり、遺族会の方が少なくなっている現状を表しています。しかしながら、どんなに遺族が少なくなろうとも、どんなに年数が過ぎようとも、戦争があった現実は風化させてはいけないことであり、今ある平和がどのようにして成り立ってきたのかと言う事は語り継がなければいけない事でもあります。戦争で散って行った人たちへの追悼は勿論の事、今ある平和に感謝すると共に、これからの恒久の平和は守り続ける義務があると思っています。また、戦争と言う悲劇を再び起こしてはならないという遺族の願いは基より、すべての人が平和について考える機会でもあると思っています。
  

政府主催の全国戦没者追悼式に合わせ、会場には中継放送が流される中、正午の時報と共に、黙とうを捧げ、市内3796柱の慰霊をしました。この事で、戦争を知らない私を含め参加している人たちが、しっかり次世代に引き継い出く事は、大切な事であると思っています。

平和とは何かを感じて貰いたいと思い、私の娘達も、ロゼシアターで開催されている「平和のための富士 戦争展」に行かせました。
(2人3脚産の前で)  (国宝級??薬さん)  (花火大会)

 その後、境にある特別養護施設の2人3脚さんの夏祭りと川尻の薬さんのお祭りに顔を出し、夜は子供たちとバーベキューをして花火大会と忙しいとはいえ、改めて今ある、生活がいかに幸せであるのか感じずにはいられませんでした。

田子の浦港の深刻な問題

 富士市の田子の浦港の深刻な問題となる事があります。
それは、8月3日に正式発表されると思いますが、全国に103ある重要港湾の内、42の重点港湾が選定されるのですが、富士市の田子の浦港がその絞り込みから外されています。

この事は何を意味するかと言うと、政権交代がされた中で、前原大臣は選択と集中を掲げており、公共事業費削減の中でも投資先を絞り込みが行われました。これは、重点港湾の国際競争力を強化するのが狙いとしていますが、選定から漏れた重要港湾では、今後、国直轄の新たな新規岸壁など整備事業が実施されません。
静岡県の重要港湾は、御前崎港、清水港、田子の浦港であり、重点港湾となったのは御前崎港です。清水港は特定重要港湾である為に今回の選定にはもともと含まれていない為、静岡県の重要港湾の中で田子の浦港だけが、国直轄の事業は無くなると言う事です。

 田子の浦の整備は工業都市として必要不可欠な重要な課題でもあるにも拘らず、選定からはずされた事は富士市にとって大変な打撃である事は間違いありません。
選定から漏れたのはどうしてなのでしょうか?
今後は、新たな振興策として、国の「国際バルク戦略港湾」の指定を目指すとしていますが、非コンテナ貨物港となれば、国際港として生き残れるのでしょうか?
この事により、富士市の企業・経済への影響はないのでしょうか?

不安は募ります。

この事態に関して、選挙区の国会議員はどのように考えているのか聞いてみたいです。

太ってきたのは、もしかして・・

最近よく言われる事があります。
「あれ〜太ったね〜楽してるの。」
「お腹が急にでてきたんじゃない。良いもの食べすぎだよ」
確かに体重が増えています。
中には
「貫禄がでてきたね」
と言われる事もありますが、褒められている訳ではありません。

言われた人達には笑いながら、
「ストレス太りだよ」
と言っていますが、恥ずかしながら、自己管理不足か見るからに太ってきたようです。正直、この3カ月で3キロ体重が増えています。実は5月に精密検査を受けた時に脂質検査において、コレステロール値、中性脂肪値が高く、糖尿になり易い脂質異常症であり、超音波検査によっても高等度の脂肪肝と診断されました。メタボと言って笑っていられる場合ではありません。
また、検査終了後に先生から、
「イビキをかきませんか?昼間眠くなりませんか?」
と言う質問をされ、
「イビキもかきますし、昼間も睡魔に襲われます」
と言うと
「睡眠時無呼吸症候群の疑いがあります」
と言われてしまいました。
どうやら、体重が増え,肉付きが良くなり呼吸器官系まで支障をきたし、その為にしっかりとした睡眠が取れていないのかもしれません。
病院の先生から、一度、時間がとって、ちゃんとした検査をしに8月に来なさいと言われていました。
現在、運動もしない脂肪肝で、忙しい事もあり十分な睡眠が取れていない(その上、眠りが浅い睡眠時無呼吸症候群の可能性)状況であるのですが、昨日、「寝ないと太る」と言う事をニュースで知りました。
睡眠が不足するとある種のホルモンの分泌状況に変調をきたし、その結果、食欲が高まり、食後の満腹感を感じなくなり、糖分の摂取に体の反応が変わってしまい、睡眠時間が短いと長い人に比べ肥満率が2.5倍と言う検査結果もでているそうです。しっかりした睡眠を取れば、ホルモン値は戻るそうですので、ダイエットをと考えていたのですが、それよりも検査の時に言われた通り検査をし、睡眠無呼吸症候群であるなら、ダイエットをしようとしても、睡眠が出来ず更に肥満になって行ってしまう事が考えられ為に、早急に治療をしなければと思いました。
いずれにしても、かなり体重が増えており、体にとっては良い事はありません。
取りあえず、7月はもう終わりなので8月になり早々に病院に行かなければと思っています。
寝る子は育つと言いますが、寝ないと太ってしまうそうです。太りたくない人は、よく寝まりましょう。

とにかく、この夏5キロ体重を落とそうと思っています。

50歳を迎えて

いつまでも若いと思っていましたが、恥ずかしながら、7月15日で50歳になりました。人生50年と言う言葉通り、子どもの頃は、周りにいる大人で50歳と言うと、定年間際のもうおじいさんと言うイメージがありました。50歳になる事は嫌でしたが、しかしながら、時間は嫌が上でも過ぎていきます。

論語の有名な文章で学生の頃、勉強したのですが、人生の節目になると思いだします。
15歳を「志学(しがく)」、30歳を「而立(じりつ)」、40歳を「不惑(ふわく)」、50歳を「知命(ちめい)」、 60歳を「耳順(じじゅん)」、70歳を「従心(じゅうしん)」としていますが、30になって独立した立場を持ち、40歳にしてあれこれ迷わず、50になって天命をわきまえ、60には人の言う言葉を素直に聞く事が出来るとしていますが、40になった時も迷いっぱなしであり、50になっても、天命など知る事も出来ない状態であります。
人生は日々勉強と思っていますが、人生は50年でもないし、50にして天命を知るには早すぎる歳であると思っています。現在の社会に置いては、昔に比べ、実年齢に7掛けで歳を計算するとも言われていますので、それからすると、まだ、35歳であると考えられ、ようやく自分の立場が何となく見え始めた頃であり、まだまだやらなければいけない事も沢山あります。
議員としても、富士市議会では若い衆と呼ばれていますので、老けこんでいる場合でもありません。
50歳を迎えましたが、超高齢化社会に置いては、まだまだ、若い世代であると思い、50と言う言葉に迷わせる事無く、自分の思う道をしっかり進んでいこうと決意を新たにしました。
でも、やっぱりこれから、人に歳を言うのも50と言うと抵抗があります。(チャンチャン)

*思いがけずに多くの方々に、お祝いをして頂きました。「男は50からだよ。まだまだひよっこ」と励まされ嬉しかったのですが、ケーキのろうそくを吹き消すのは、ちょっと恥ずかしかったです。
感謝です。

民主党敗北、サッカーは?

 昨年の総選挙後の大きな国政選挙として、参議院選挙が行われ即日開票が行われました。どのような結果になるのか気になる所です。朝の新聞では静岡選挙区の開票確定は午前0時半と比例代表は午前4時と出ており、また、サッカーのワールドカップの決勝も深夜未明でありますので、今夜は眠れないなと思っていました。

投票は午前中に済ませたのですが、私の地域の投票所に、用があった帰りがけの投票締め切りのちょうど夜8時に車で通ると片づけを始めようとしていました。これから投票箱を持っていき開票作業が始まるんだなと思いながら、8時過ぎに、家に戻ると市の広報がされ始めたので何事かと聞くと、参議院選挙が8時で閉まりますので選挙に出かけてない方は選挙に行くようにとの促しでした。「えー8時を過ぎているのに、今更、何言ってるの」の言う感じを受けましたが、この事で、私の住む地域は東のはずれに位置している為に、時間的に広報が遅れて来る事が良く分かりました。「8時を過ぎて、こんな用を足さない放送をするなんて」と文句を言いながら、テレビをつけると、出口調査の結果で、静岡選挙区で「岩井、藤本当確」が放送されました。まだ、8時になったばかりなのに驚きです。前回の衆議院選挙の時もそうですが、開票前にすでに当確が出てしまっているような状況に、直ぐに結果が判ってしまう事は、なんとなく選挙のワクワク感が無くなり味気ないです。選挙事務所で待機している人達にとっては、待機時間が短くていいのですが・・・
8時20分には、すでにテロップでは、民衆党過半数割れも出ており、出口予想結果として、民主47・自民50という数字まで、発表されています。かなりの信憑性はあると思いますが、やはり、この選挙では、政権与党になってからの民主党に対しての批判としてこれ以上の民主党の暴走はさせてはいけないと言う表れが出たようです。この結果は、前の政権が悪かったと言い続けてきた民主党の方たちは真摯に受け止めて頂きたい事だと思います。
生活第一と言いながら、選挙第一とした民主党は敗北。
また、ねじれ国会になり、はたして国は、生活は良くなっていくのでしょうか、
国民が総選挙で期待したのはこのような事ではなかったような気がしますが・・・・
何となく結果も分かってしまったのでひと寝入りしてから深夜のサッカーを見る事に致します。
サッカーは、オランダか、スペインか、出口調査が無い分最後まで見るつもりです。

*最終結果 民主党44・自民党51・公明9・共産3・社民2・改革1・たち1・国0でした。

サッカーは白熱の中、延長後半、スペインが得点、
1対0でスペイン初優勝!!!
(朝6時まで観戦してしまいました)

多分しばらくは、この話題が続くんだろうな・・・・・

ラジオ出演での話は・・・・

リーマンショック後の急激な景気後退は、新卒者にとって深刻な就職難をもたらしています。県内の有効求人倍率は0,4倍台で推移し、15月間連続で全国平均を下回っていますが、富士市においての求人倍率はそれより低い0.3倍台です。

先日もハローワークで来年3月の新規学卒者の説明会が開催されており、今年の新卒者の就職内定率が、中学、62,2%高校、97,6%であった事が説明されました。そのような中で昨年より、いくらかではありますが回復の兆しはあると言う事も話されていましたが、厳しい状況はかわりません。
現在、大学への進学率が50%を超える時代になっており富士市のおいても多くの方が大学へ進学していると思いますが、富士市での大学生の就職の受け入れる会社はどの様になっているのか気に成ることでもあります。

私の娘も就職活動をしていますが、東京の大学に通っている為に、市内の就職状況や情報は分かりにくく、大学においては富士市の企業求人は無いそうです。商工会議所等で開催されている説明会に行ったようですが思うような会社は少ないとし、その上、男女雇用均等法により、男女の採用の明記はされてはいませんが、実際、説明を聞くと女性の採用は無い会社が多いようです。富士市では特に大卒の女性の働く所がないと訴えていました。
私の学生の頃も、富士市への就職先と言えば真っ先に「市役所か銀行」であったような気がします。でも、みんなが「市役所と銀行」で働ける訳ではありません。仕事を選ばなければ就職はできるのかもしれませんが、大学へ進学しても多くの方が、富士市で働きたくても働けない現状は、富士市へ帰りたくても帰れないと言う事であり、経済が後退している時にその問題をどのように解決したらいいのか難しい問題でもあります。
(各種団体の会長と佐野アナウンサーと)

6月25日にラジオエフの「市議会議員と語ろうふじまちとーく」において、「もっと元気で住みやすいまち」と言うテーマで出演するのですが、最初に地域での住みやすいまちについて語った後、ゲストに青年経済人である、商工会議所青年部会長、岳南法人会青年部会長、富士青年会議所理事長を予定していますので、ゲストを交えて特に、まちの元気と言う点において、経済の活性化や雇用について話が出来ればと思っています。
ちなみに、商工会議所と市の主催でふじさんめっせにおいて、市内を中心とした26社による企業ガイダンスが開催されます。娘も参加してみると言っていました。

水害の無い事を望みます。

 

平成22年度の富士市水防訓練が富士川のかりがね堤で開催されました。私の住む東部地域は水害常襲地として有名な地域でもありますので、水防団組織は地域住民にとって大雨が降った際には、大変に心強い存在でもあります。

水防訓練は、「出水期に当り、水防団の士気を高めると共に、水防活動の指揮系統の徹底、および水防技術の向上を図る為、水防訓練を実施する。これにより水防体制の整備を図ると共に市民の水防に対する理解と協力を求める事を目的とする。」事を目的に富士市の10水防分団が一同に集結し開催されています。

今年は天候に恵まれており、開会式での勤続表彰も想定訓練もスムーズに行われましたが、昨年の水防訓練では雨が降られ実戦さながらの訓練ではあった事を思い出しました。
昨年度に関しては、水防団の出動回数は3回、51名が出動していますが、大きな被害はありませんでした。また、2月27日に起こったチリ地震の影響により、海岸部で津波警報が出され、2月28日には、河川の氾濫も予想される為に水門の開閉作業を行われた事が報告されました。(地震による津波の被害も無かったようです)
地球温暖化に伴う異常気象により、集中豪雨、ゲリラ豪雨と想定外の雨が降る事も予想されています。いつどのような状況においても、最小限の被害になるよう水防団の皆様には頑張ってもらわなければなりませんが、問題箇所の解消に私も議員としては今後ともしっかり取り組まなければと改めて水防訓練を見ながら思いました。

水防訓練の後、地域の問題箇所が気になり確認に行きましたが、梅雨を前に、予てより要望をしていた浮島の春山側の浚渫工事も進んでおり、ちょっとだけ安心しています。
叶うことなら訓練した事が活かされなくても今年も、水害の無い1年になる事を心から期待しています。

余りにもブレまくる発言

 昨年の9月に政権交代をし、多くの期待を担った上で首相の座に就いた鳩山首相。
私も少しでも政治が経済が生活が良くなる事を願っていました。その中での政治と金についてもそうですが、首相になってからの余りにブレまくっている発言には期待外れの感はあります。でも、歴史的な政権交代後の舵取りは確かに大変であると思っていました。

しかしながら、今回のゴールデンウイーク中の沖縄訪問においての、鳩山首相の発言にはあまりに酷いとしか言いようがないと思います。本当に自分の言っている言葉に首相としての責任を取って欲しいと強く思います。
普天間移設問題に関して5月決着を明言している中では、それなりの考えを持っていると思っていました。県外移設の公約を守ってもらいたいと言う県民の声に、この場に及び、今更、昨年の衆院選で「最低でも県外」と約束したことについて「党の考え方ではなく、私自身の代表としての発言だ」と述べ、党の公約ではないとの認識を示した事については、呆れて物が言えません。確かに民主党のマニュフェストには基地の県外移設と言うのは載ってはいないのかもしれませんが、選挙においても代表と言う立場であれだけ公の場で県外移設を述べてきた事に対して党の考えでは無いと言う事は許されない事であります。選挙に勝つためだけのその場その場を取り繕うような発言だったら、本当に首相として相応しくないと強く感じてしまいます。
同じように支持率が高くスタートし、支持率が更に高くなった小泉首相は、良い悪いは別として、変人と言われながらも、話は分かり易く、そして、自分の言った事を曲げない、また、人の言う事は聞かないと言う点において、明らかに皆にいい顔をしたい八方美人的な宇宙人の鳩山首相とは違いました。
政権発足時に7割近くあった内閣支持率が20%台に急落したのは、それこそ自業自得であり、政治への不信を募らせている状況は正に首相自らが招いた事でもあり、政権交代した中での首相の責任は重いと思います。
毎日テレビや新聞を見ている限りでは、せっかく政権交代したのにも拘らず、今の首相を見ていると一体政治はどこに向かっているのか不安に思います。

上海万博開催で思い出す事。

5月1日は上海万博の開幕です。
今年の10月31日までの半年間で1億人の来場者を見込む今回の万博は、世界経済の足元がふらつく中、地下鉄や空港などインフラ建設や都市整備などを含めると4千億元(約5兆5千億円)もの資金が投入されており、世界に先駆けて立ち上がる中国の勢いを象徴しています。

また、過去に参加した事が無い北朝鮮も出展した事で注目を浴びています。
(2008年10月24日の万博会場風景)

しかしながら、オリンピックと同様に世界の大きな祭典ではあるものの、私は開催前の1年8か月前に上海に行きましたが、メイン会場付近の建物はほとんど建てられて無く、果たして開催できるのかと思っていました。国の威信をかけて、ものすごい突貫工事で何とか間に合わせたようですが建物自体は恒久的な物で無い為に半年持てばいい的な感じでの建設は安全面でも不安はあります。
その他にも、PRソング・マスコット・パピリオンの盗作問題、ホテル不足やリニアモーターカーの未接続のインフラ問題、偽造、偽物販売問題、果ては唾を吐かない・パジャマを着て外出しない・ニラニンニクを食べない等のマナー問題と多くの問題がメディアで流れる中でのスタートでもありました。
私は万博と言うと、子供の時に開催された大阪万博の記憶が蘇ります。ものすごい列をつくりながら何時間も待ってアメリカ館やソ連館に入った事や日本のパピリオンで確か日立館であったと思いますが、今ではゲームセンターへ行けば当たり前の先進的な飛行シミュレーションに驚き、これからの時代の変換を子供心に感じました。現在の物が溢れ、情報が氾濫している時代と違い、皆が万博へ行く訳でもなく、情報も少なく、決して裕福では無かったと思いますが、なんかワクワクする明日への希望や日本の未来を感じる事ができるイベントであったような気がします。

中国は格差や多くの問題がある国でもありますが、上海の都市自体は、高層ビルが立ち並び、日本以上の先進的な風景があります。この万博が開催された事により、ハード面もそうですが、ソフト面も飛躍的な進化を遂げる国に変わって行くと思われます。
今の所は予定がありませんが、チャンスがあったら、上海万博へ行ってみたいです。

杉尾パパの「これからの日本」

娘の通う学校の保護者でもあった杉尾パパこと、TBSテレビ報道局 解説 専門記者室長杉尾秀哉氏の「これからの日本〜テレビ体験記と皆さんに期待する事」と題した講演会を娘の父の日参観で聞く事が出来ました。

私も議員と言う立場上、やはり、「これからの日本」がどの様になるか気になる所です。1時間30分の講演でしたが、「日本がどうなるのか」という本題に入る前に、講演場所が学校という事であったのか、副題の部分にかなりの時間を割いて、自分が何を志して仕事をしてきたのか、また、30年間報道の仕事しながらどのように感じてきたのか、そして娘を含む子供達に何を伝えたいかという事をじっくり話してくれました。
内容としては、報道と言う仕事上、社会で起こるさまざまの場面に居合わせる事が出来た中で、印象に残る場面としては、1983年のホテルニュージャパンの火災現場・1985年の日航ジャンボ墜落事故・1995年阪神淡路大地震・地下鉄サリン事件とありますがどの現場においても死が向い合せにあり、その凄惨な現場独特の匂いはテレビでは表現できない報道の難しさ、特に自分の思い出深い土地での震災は、中継をしながら仕事ではあるものの涙が止まらなかった思い出を話してくれました。また、世界40カ国以上の訪問をしていますが、その中には、カンボジア、パレスチナ、北朝鮮、イラクもあります。
仕事を通じて感じたのは、「人の生死は紙一重である」とし、いつ何が起きても驚かない。明日の運命は分からない。だから、一日一日を最善を尽くして生きる。と言う事。
メディアの仕事をする中では、少数意見を活かす。弱者に光をあてたい。強者の論理が成り立たなく少数意見にも正しい事もある事。
テレビとは森羅万象を取り扱う仕事であるとしていました。
また、子供達には、どういう仕事に就くか解らないが、今やっている事は必ず後で役立ち、つまらないかもしれないが無意味な勉強は無いし、やっている事には1つも無意味な事は無く、その蓄えた知識や人間関係が重要でその引き出しを多く持つ事が大切であり、その為には色々な経験をしてもらいたいと本題の「これからの日本」はいつ話になるのかと不安になるくらい熱く語っていました。

本題の「これからの日本」についても時間をオーバーしながら話してくれましたが、価値観や豊かさの変換がおきている中での日本は衰退国家に進んでいるのかと言う事には、大転換期の3つの矛盾を挙げ、今までの成功体験にすがるべきでは無く、日本をリセットし、チャレンジ精神を持った若い人達に期待したいとしていました。
 多くの話題がありましたが、その中での1つとして、普天間の事に関しては、あのまま現行案でやるべきであったとし、自民党の事を引き継いだ中で自分達の本来、目指すべき事をしなければいけなかった点を挙げ、もうすでに鳩山・小沢の時代ではないと感じていると言う意見には肯けました。
政治も改めてリセットが必要なのかもしれません。

話す引き出しが多いのか、多少早口でしたが、勉強になりました。

日本一子供を産みたくなる町

先日、ある女性週刊誌に「静岡県長泉町は日本一子供が産みたくなる町!」と記事が載っていました。長泉町は全国の多くの場所での地価が下落している中でも上昇しており、人口も増加しています。

また、出生率1,84と県内1位であると言う状況を調査した結果、その週刊誌においての結論は「日本一子供を産みたくなる町だった。」としています。

その条件としては、施策としては中学生までの医療費無料、第3子以降の公立・私立の保育料と公立幼稚園無料(私立は一部有料)、認可外保育施設の利用料の一部助成等が挙げられ、医療機関の充実としても10万人に対しての医師の数も県内で1位と子供を育てる環境として整っている他、最寄りの新幹線三島には始発と終点があり、都内への交通の利便性がある事が、長泉に引っ越してまで、子供を産みやすいまちとして評価されていると言う事でした。
(県立がんセンターの存在は大きいとしています)

富士市でも「日本一子育てししやすく・・誰もが安心して子供を産み育てる事が出来る環境整備」を謳っています。

先日のラジオエフでの「ふじ・まちとーく」に出演した時にも「日本一子育てしやすいのか?」と聞かれたのですが、
「施政方針で言う日本一子育てしやすいまちとして、国が行うこども手当の対応は勿論の事ですが、安心してこどもを産み育てることができる環境づくりとしての子育て支援策として
・「ふじ子育てほっとステーション」の整備
・子供に対する医療費助成の拡大やインフルエンザの予防接種助成拡大・ヒブワクチン接種助成事業。また、子供が通う施設の支援拡充として、認可外保育施設に補助制度を創設・放課後児童クラブの運営支援等が主な施策です。」
と答えた後に「富士市はお母さんに優しいまちなんですね、でもそれが日本一なのでしょうか?」と言う問いかけに対して
「他の自治体に比べても、子育てしやすい環境整備は進みますが、しかしながら、日本一と謳う以上、行政が言うのでなく、市民や他から見て日本一と感じられるような更なる充実がされる事を求めなければいけない事だと思っています」
と答えたと思いますが、女性週刊誌を見ながら、改めて行政が言うのではなく、他の人達に評価され、初めて日本一と言う言葉を使うべきではないのかと言うのは感じました。

就学支援金制度と幼稚園問題

私には高校生の娘がいます。4月より公立高等学校の授業料無償化・高等学校等就学支援金制度がスタートしており、先日、学校より授業料の支払いについての説明がありました。

公立高校は無償化であるものの、私の娘は私立の高校へ通っている為に、無償では無く、授業料の一部を支援して頂ける、就学支援金が学校に支給されます。ですから、支払う金額が前年より違う事が説明書に書いてありました。

また、文科省から、高等学校等就学支援金制度の趣旨説明が書かれた「社会全体であなたの学びを支えます」と言うチラシも配布されました。
書いてある趣旨としては、
「現在、高等学校の進学率は98%に達し、国民的な教育機関と言う位置づけの元、家庭の状況に関わらず、社会全体で支え、すべての意思ある高校生が安心して勉学に打ち込める社会をつくる為、国の費用により国立、私立高校等の授業料に充てる高等学校等就学支援金を創設し、家庭の教育費負担を軽減します。
高等学校等就学支援金の支給額は、月額9,900円(年額118,800円)です。また、保護者の所得によって、更に加算される場合があります。」

私の娘の学校の授業料は月額25,000円でしたので9,900円支援され、15,100円になりました。なんにせよ、景気の状況が良くない中での支援は助かります。
小中学校は義務教育で卒業後の高校は自らが選んで入学しており、私立と公立で授業料が違う事は分かります。しかし、子育てをしている中での教育機関として、高校と同じような位置づけに幼稚園がありますが、幼稚園での授業料についてはちょっと事情が違う様に思っています。幼稚園にも公立と私立があり、当然、幼稚園も公立の方の授業料が安い訳です。富士市においても授業料が2倍以上の格差はありますが、安い授業料の公立幼稚園に通いたくても、地域においてなければ私立幼稚園に通わなければ成りません。保護者からすれば、授業料は高くても地域に近い幼稚園に通いたい事は言うまでもありません。そのような公立と私立幼稚園が混在する中での問題や保育所との課題等多くあります。
格差の是正はもとより、今後、少子化が進む中では、学校間の統合も考えなければいけない事でもあると思っていますが、幼稚園経営が厳しくなっていく中での、高校と同様に私立幼稚園の存在意義を踏まえた上で、更に社会全体で支える事も考えなければいけない事でもあると思っています。

その人らしく 美しく楽しく ヴィラージュ富士

 

私達会派では、市内にある介護老人福祉施設を訪問し、説明及び意見交換を交わした後に施設見学させて貰い、その上で実情を把握した中で課題や問題点を探っていく視察を進めています。すでに6箇所視察は済ませていますが、その中の1つの厚原にあるヴィラージュ富士さんは私が報告担当になっています。

(ヒアリング風景)

ヴィラージュ富士さんの施設概要としては、2003年11月1日オープン。
コンセプトは「その人らしく 美しく楽しく」です。
*入所定員 
特別養護老人ホーム (指定介護老人福祉施設) 80名
*職員数  
102名(内正職員70名)
*居室及びユニットの特徴 
1ユニット10名で8ユニット
自分の生活とグループの生活を調和させ、プライベートを尊重した家庭に近い機能を持つ全室個室型ユニット。各ユニットには居室と食堂、台所、トイレ,風呂場、居間及びテラスを備えています。

入所者定員は80名で、全室個室対応施設であり、職員数は102名、正社員が70名、国の配置基準は3人に対して1人だが、1,8人に対して1人であります。入居者の9割が富士市内の方であります。現在の入居待機数は120名であり、2カ月に1回、民生委員を含めた入居検討委員会が開催され、介護度・事情を加味した上で優先順位を決めているそうです。(収入が有る無しの金銭的な事情は関係しません)
※静岡県内の特別養護老人ホームの平均入居待ち人数:約 151 人ですそれから比べると若干少ない状況です

施設的には比較的新しく、かなり充実しており、また、新富士病院系列の施設と言う関係上、医療機関との連携はしっかり取れているようでした。1ユニット10人と言う共同体において、さんさん町が4丁内、ゆうゆう町が4丁内の8丁内が組織されて町内会ごとに色々な催しもされており、富士山も見え、居酒屋「なごみ」や理美容室も完備され、「その人らしく美しく楽しく」のコンセプト通りの快適な施設であると感じました。利用料金に関しては、個室利用と言う事もあり、多少割高で、目安としては、要介護1で142,320円程度、要介護5で150,500円程度ですが、所得の低い方には軽減制度はあるものの国民年金の受給者では金額的な負担は大変であると思われます。

また、視察して見て、介護職は人数合わせでは出来ない仕事である為に人を育てる間の保障もした中での職員待遇の改善は県や国へ求めなければいけない事は感じました。

女房が優しくなる時。

伊豆の長岡に行ってたのですが、温泉に浸かりながら、突然、同級生の友達が
「あのさ〜、最近、妙に女房が優しいんだよね」

「え〜、前は相手にされないって言っていたじゃん。いつから?」
「う〜ん。それが、下の娘の大学が決まって、引っ越した頃からかな」
「なんで、どうしたの?」
「上の娘も大学でいないし、ついに下の娘も大学生になり、気が付いたら、今、家の中は2人きりなんだよね」
「いいじゃん。2人きりなんて、夫婦水入らずじゃん。」
「だけどね。話す事があんまりないんだよね」
「そんなことないでしょ?」
「今まで女房は子供に掛かりきりだったから、俺の事は、ほったらかしで、こっちも好き勝手にやっていたんだけど、なんか、優しくされるんだけど戸惑っちゃうんだよね」
「そう。羨ましいけどね」
「女房に優しくされるのに慣れてないから、困っちゃったな〜」

露天風呂に入りながら、真剣な顔をして打ち明けてくれました。
結婚して、仕事をしながら、子育てを夢中でしてきた中では、気が付いたらいつの間にか子供が大きくなり、家からいなくなった時に、夫婦間の変化を聞いた訳ですが、それが悩みなのかどうなのかはよくわかりませんけど、私達の世代は、これからそのような事態になる事は考えられます。実際、私の家も下の子どもが高校3年生で、来年になれば、恐らく家からいなくなります。
あんまりそんな事を考えた事は無かったのですが、家の女房も2人きりになると優しくなるのかな〜?と思ってしまいました。
今でも十分優しいけど・・(なんちゃって)
どうでもいいような話なんですけど、友達には「逆に女房に優しくしてやればいいじゃん」と言っときました。幸せな悩みですね。ジャンジャン!

子ども手当が始まりました。

私の家ではすでに子供が中学を卒業しているので関係が無いのですが、新たに4月から始まった政府の大きな施策の一つとして少子化対策としての子ども手当については、富士市においても当初予算が増加した事もあり、ある会合で説明を求められました。

子ども手当につきましては、政府与党が次世代の社会を担う子ども1人ひとりの育ちを社会全体で応援する観点から中学校終了までの児童を対象に創設されました。マニュフェストでは26000円でしたが、本年度に関しては、1人につき月額13000円の子供手当を支給する事に決まっています。
あくまでも支給事務の主体は市である為にそれに対応した中で、主な概要としては、所得制限を設けないとしています。
制度開始は4月から来年の1月までの10カ月間で支払月は6月10月2月の年3回で前月分までをまとめて振り込みます
その他の支給要件等は基本的には児童手当と同様であり、すでに3月31日において児童手当の受給者であって4月1日に子供手当の支給要件に該当する事は子ども手当に掛かる認定請求が合ったものとみなす事にして、新たに認定請求を行う必要はありません。
新たに認定請求が必要人は予測として8000人から10000人としています。
4月1日においてこども手当の支給要件に該当するものであって申請猶予期間(平成22年9月30日まで)中に認定請求があった場合は4月分から支給はいたします、
富士市のこども手当受給見込み数は約24000世帯で受給見込み数児童数40000人です。
平成23年度のおける子ども手当の支給については平成23年度予算編成過程において改めて検討しその結果に基づいて平成23年度以降の支給の為の所要の法律案を平成23年度通常国会に提出されますが、ちなみに26000円の受給になった時には富士市では124億円が子ども手当としての予算計上が試算されています。

4月中旬に対象者と思われる人へ申請書が郵送されますが、申請書が届かない場合は子育て支援課に問い合わせてください。

私は個人的には財源の捻出の仕方や子育て支援の目的を考えると如何なものかと思う部分もありますが、新たに創設された子ども手当です。
対象となる人は忘れずに手続きして下さい。

ボーイスカウト育成会総会

ボーイスカウト第2団の育成会総会に出席したのですが、ボーイスカウトの総会はスカウトは制服を着ており、議題に入る前に国旗儀礼・3本指を立ててのおきての唱和・歌として連盟歌「花はかおるよ」と独特のスタイルをとっているセレモニーがあります。

初めての人だとちょっとびっくりすると思われますが、私はおきての唱和を読むと子供の頃の私はいたずら小僧で良く隊長やリーダーに怒られて、おきてやきまりを守るようにみんなの前で唱和させられた事を懐かしく思いだします。
今年はボーイスカウトの大きな祭典でもある日本ジャンボリーが富士宮の朝霧で39年ぶりに開催される年でもありますが、ボーイスカウトなら誰でもか参加できる訳ではありません。小学5年生より中学3年生がボーイスカウトと呼ばれる年代になりますが、スカウトとしての2級以上の技能・知識そして地域での奉仕活動をし取得していなければ参加資格は貰えません。受験勉強や塾通い、クラブ活動と忙しい中でのスカウト活動は難しくなっている状況で資格取得は困難になっていると思われますが、私の所属するボーイスカウト第2団のボーイスカウト12名中11名が参加する事が総会で団委員長から報告されました。参加率は91,6%ですが、これは、それだけ在籍している隊員が名前ばかりではなく、しっかりとした活動をしている証拠でもあります。実際、他の団では、在籍数に比べ参加者が極端に少ない所もあり20%と言うような所もある事を聞くと立派でもあります。
(湧水が出る田宿川)(なんでも突っ込む鍋)(鉄板は多少汚れていても調理します)

総会終了後に田宿川のほとりの湧水が湧き出ている広場でバーベキューをやりながらの懇親会が開催されました。会費は1000円で安いのですが、設営からすべて手作りでやらなければいけなく、体を使いながら皆で作業をしながらの懇親会も、スカウトらしくてこれはこれで楽しい懇親会でもありました。

私は今議員をやっていますが、振り返ってみると社会教育としては勿論ですが、おきてやきまりを守っての団体行動や人や自然に触れあう機会を与えてくれ、年上の方からの人間教育をして頂けたスカウト活動が、もしかしたら私の原点なのかもしれません。

ラジオエフの「ふじ・まちとーく」に出演

議員が出演するラジオ番組「富士市議会議員と語ろう ふじ・まちとーく」が4月から8月まで計5回毎月最終金曜日の夕方の4時から4時28分まで始まります。
チラシも作成して頂きました。

議員が出演する番組と言っても、全員では無く、昨年の暮れ、ラジオエフさんからの提案で議員が出演する番組を企画したいと言う投げかけがあり、それに応える形で、会派の小長井議員・小池議員・そして私の3人の議員が申し込みを致しました。
番組構成としては、第1回目は3人が座談会方式で語り合いますが進行役ナビゲーションとして佐野アナウンサーが担当してくれます。2回目以降は各人がテーマを掲げ、ゲストを招いての番組で5回目の最後にまた座談会を開催しますが、次のような日程とテーマです。
4月23日 「議員3人寄れば・・・・」(座談会) 
 小長井・荻田・小池
5月28日 「賑わいと潤いのあるまちに」      小長井義正ほかゲスト
6月25日 「もっと元気で住みやすいまちに」    荻田丈仁ほかゲスト
7月23日 「水辺をいかしたまちづくり」      小池智明ほかゲスト
8月27日 「再び全員集合!未来を熱く語る」(座談会)小長井・荻田・小池
先日も1回目の内容について打ち合わせをしたのですが、私も他の先輩議員に迷惑をかけない様しっかりと準備をしなければと思っています。でも、自分の担当の内容については白紙状態でこれから考えるつもりですが、まずは第1回目の番組を成功させる事に力を注ぐつもりです。
私は今回の取組みについては、ブログもそうですが、議員として、色々な形で情報発信は必要な事であると思っています。
よろしかったら聞いてください。

結構、忙しい日々を過ごしています。

一般的に、接する機会が無い人には、議員は日々何をしているのか疑問に思われてる事なのかも知れません。
よく
「議員は毎日、市役所へ行くの?」
「議会の無い日は、議員さんはいつも何をやっているの?」
とか聞かれます。
毎日必ず市役所へは行く必要はありませんが、当然、議会の無い日でも市役所へ行きます。

また、市役所へ行かない日でも、地域活動や各種イベントへ参加し朝から夜まであっちへ行ったり、こっちへ行ったりしています。

例えば4月6日の私の活動の1日を例に挙げると
A.M 6:00 起床
A.M 7:00 春の交通安全運動出発式参加及び街頭指導
A.M 9:00 須津中学校 入学式出席
A.M11:00 トヨタL&Fさんへ会社訪問
P.M 1:00 須津小学校 入学式出席
P.M 2:30 商工会議所にて商工振興委員委嘱式参加
P.M 3:30 市役所へ行き会派室へ
P.M 4:00 長谷川木材さんへ会社訪問
P.M 7:00 某会合へ出席
P.M10:00 自宅へ帰宅し遅い夕食
と言うような感じで動きます。
議員の活動は、日頃何をしているのか見えにくいのですが、議会が無い日でも、日々、結構忙しい1日を過ごしています。
もし、議員は議会開催以外の日は何も無くて楽でいいなと思っている方がいるようでした、そんなことは無い事をご理解ください。

時代は変わる。名前も変わる。

「高山アドバンスビューティー専門学校にご入学おめでとうございます」
(えーいつから名前が高山美容理容専門学校から名前が変わったんだよ〜)と内心思いながらも、次に回ってくる私の挨拶で学校名を間違えてはいけないと焦ってしまいました。

実を言うと、高山アドバンスビューティー専門学校の入学式で挨拶をしたのですが、本当に失礼な事に会場に入り高山校長の挨拶を聞くまで、高山美容理容専門学校だと思っていました。案内をもらった時に気がつきませんでしたが、入学式で高山校長の話を聞いている内に、本年度の入学者は美容25名エステ9名合計35名であり、理容の生徒申し込みは無く、理容部門の廃止に伴い、美容理容の理容を省かなければならない中で、名前変更が余儀なくされた事がわかりました。

時代が変わってきているのか、美容やエステを希望する人達は増加しているのですが理容師の成り手が無いと言う状況でもあります。今後ディスカウントの床屋チェーン店は増え、個人の床屋も無くなって行く時代でもあると思います。最近では、男性も美容院に行きますが、実を言うと私も娘が通う美容院で髪を切ってもらっています。
新たに入学し、これから2年間美容やエステのプロになる為の技術や知識を得ながら、国家資格の取得を目指し、社会に巣立つ前の準備をこの学校で過ごしますが、其々に夢や希望の実現に向けて取り組んでいきます。ぜひとも2年間の限られた期間ではありますが有意義に過ごし、明確な目標の下で将来の礎をつくって行く事を心から期待いたします。
(新入学生に知り合いの女の子がいました)

高山校長からは、富士市の駅前をもっと賑わいのある場所にして欲しいと強く要望されました。民間での専門学校も高山アドバンスビューティー専門学校と富士調理技術専門学校(こちらも名前が変わっていました)富士リハビリテーション専門学校だけしかなくなってしまった状況は、若い人達が市外へ流失しており、市内には少なくなっている事を指摘し、ビジネスをしていく上でも非常に厳しい事を憂いていました。

時代が変わる中で、帰りがけにイトーヨーカードーが取り壊されている現場を見て、この後何ができるのか分かりませんが、買い物ができ、市民の利便性が図られ、人が集まる集客施設の誘致を期待しています。

桜は日本の文化

年度末から新年度にかけて、色々なイベントがあり参加しているのですが、どこに行っても桜の花が見る事が出来ます。今年はいつもより少しだけ桜の開花が早いようです。落ち着いて花見と言う訳にはいきませんが、あちらこちらの見かけた桜風景を報告します。

3月末に出かけた、有料老人ホームを視察した帰りに岩本山のラテラスで食事をしたのですが岩本山でも桜が見頃でした。まだ、夜桜を見るには少し肌寒かったです。でも桜もいいですが、ラテラスからの岩本山の夜景は最高でした。

新年度になり、県庁にも出かけたのですが、桜祭りの前ではあるもののお堀の桜は8分咲き位でした。帰りに、楽座で今年初の生しらす丼(1050円)を食べました。生しらすを食べると春を感じます。

東京に出かけた時に立ち寄った中井のP.Aではまだ、いくらか寒いのか桜は5分咲き位でした。

春の台風が吹き荒れた後、夜桜を見に広見公園に行ったのですが、ちょうど仲間がお花見をしていました。

比奈の忠霊廟では、吉永、須津、原田、元吉、浮島の戦没者936柱がまつられていますが、慰霊祭が元吉原中学校の吹奏楽の演奏が流れる中、開催されました。毎年この時期に開催されるのですが、風はあまりない状態ではありましたが桜が散り始めています。吹奏楽を聞きながら見る桜はまた格別な風景でもあります。
お花見やさくら祭りも多くありますが、桜は街路樹としても植えられている所もあり、車で移動中に桜は見る事ができます、これからの入学式においてもですが、どの場所においても、桜が見る事が出来る風景は、桜は日本の文化でもあると感じます。

富士市から世界チャンピオンを

富士市に4月4日よりボクシングジムが開設されます。そのジムは「TMC SHIZUOKA ボクシングジム」ですが、場所は国久保で、分かり易く言うと富士インター下、大月線沿いの中華料理の北京さんの隣のビル2階です。

新たにジムを開いたのは、三ツ沢に住む元プロボクサーでもある前島氏(選手時代リングネーム駿河男児)で、今後、プロでの経験を生かし、指導者として選手を育成し、富士市から世界チャンピオンの輩出を目指したいと熱い志の中で夢の実現に取り組んでいくそうです。

ジムの広さは、県内最大規模でもあり、トレーニング室やリング・サンドバッグを備えた本格的な施設整備がされていますが、プロを目指す人は勿論の事、初心者や子供達、フィットネスとしての女性の利用など幅広く対応をしてくれるそうです。

また、ジムの開設に当たり、祝賀会がホワイトパレスで開催され多くの関係者が集まったのですが、私も地元市会議員と言う立場で参加しました。

参加者の中には、来賓として中日本ボクシング協会会長の元WBC世界チャンピオンの畑中清詞氏を始め元WBCミニマム級世界チャンピオン星野敬太郎氏等多くのボクシング関係者もいましたが意外な所では、元バレーボールの全日本代表でもあり、北京オリンピックを最後に引退した、身長2メートル5センチの「ノブコフ205」と言われた斉藤選手もいました。(現在は三島の東レ建設株式会社で営業部で活躍しているそうです)祝賀会でも、ジムの前島会長は「ボクシングを通じての青少年の健全育成を進めながら、日本一の富士山の麓から、日本チャンピオン、世界チャンピオンを育て上げたい」と力強く決意を語っていました。

ぜひとも、富士市から世界チャンピオンを輩出し、富士市の情報発信をして頂きたいと心から期待しています。

市政報告会終了


 市政報告会を、議会終了後の20日、土曜に開催いたしました。今回は、22年度の地域の予算決定等の映像を取り入れた中で、言葉だけではなく分かりやすいような報告会にしようとプロジェクターが借りられるまちづくりセンターでの開催としましたが、肝心の資料作成が、議会中でもあり、ぎりぎりまで出来ていない状態でもありました。

パワーポイントの作製もありもう少し余裕をもって、日程を後にしたかったのですが、すでに予定がぎっしりと入っており、やむをえなくの日程設定となってしまいました。その上、議会終了後には行政懇談会、また、市政報告会開催の昼間には、娘の学校の歓送迎会に出席と非常にタイトな日々でやりたくてもやれないと言う状況の中で焦りながら、ぎりぎりまで資料の作製をしていました。ですから、内容についてもぶっつけ本番と言う形で市政報告会に望んだ為に話す内容も時間配分がどの様になるか不安でもありました。お彼岸の最中の連休の入りで、開催前から、欠席の連絡が相次ぎ、事前にも様々な会合があると聞いていたので人が来るのか多少心配にもなりましたが、人の事より自分の話す事の方が重要であると思い、例え、少ない人数であれ、言いたい事が分かる市政報告会に心掛けようとそちらに集中させて頂きました。

幸いなことに用意した席はほぼ一杯となり、報告会に関しても、パワーポイントを使っているので、話も脱線する事も無くそれなりの時間内で終了する事ができました。
今回、良かった事は、議会終了後の一番新しい情報としての予算を含めた話が自分なりに地域で出来た事と私の話の後には質疑要望がかなり活発に出され、勝手な解釈かも知れませんが、私に対しての期待があるように感じられました。

今回、せっかく資料も作製して出来ていますので、更に改善した中で、もう少し多くの方に聞いて頂けるよう、細かい単位での集会があれば話す機会を頂こうと思っています。でも、議会が終了、取りあえずの市政報告会が終了、何となく安心したのか、終わった後、一杯飲んだら、バタンキュウと言う感じでブログも掲載出来ないまま寝てしまいました。
ちょっとの間、体と心に休養を与えなければ思っています。

お世話になりました。

平成22年度の人事異動の内示が出されました。4月1日より誰がどこに行くのか、非常に気になる所で人事内示書を隈なく見させて貰いました。

新年度は大きな組織改正が無い為に、移動者は例年に比べ、少ないようですが、とは言えそれでも、567人が異動しています。しかしながら、昇任数は前年の110人から13人上回った123人と多く、団塊世代の退職後を見据えた、退職部課長の補充とこれに伴う各職位に置いた移動となっているそうです。
19日で議会が終了し、本年度退職なされる部長を始め、議会に関わる部課長を交えた行政懇談会が開催されました。本年度は、総務部長、市民部長、福祉部長、都市整備部長、建設部長と5人の部長が退職なされます。お話を聞くと、38年から42年を役所で過ごされ、其々の思いの中で退職を迎えられたようで行政懇談会では、議場で答弁と違う本音の部分も聞けました。どうしても内示が出ると新しい人事に目が行ってしまい、今までお世話になった各部長の事を忘れがちですが、私も議員になってからの関わりであるとはいえ、議会において向かい合って座る関係の中では、今までいた部長がいなくなるのは、変な感じもしますし、寂しい気もします。また、思うような答弁も頂けなかった事もありますし、それなりの答弁もありいい思い出でもあります。その他にも、多くの課長級の方も退職なされますが、お世話になりました。
いずれにしてもまだ31日までは職務が残っています。残りわずかとは言え、思い残す事無く、退職をして言って頂きたいと思っています。
本当に、ありがとうございました。お体に気をつけ、まだまだ、頑張ってください。

退職ではありませんが、日頃より身近な存在としての須津まちづくりセンターの私と同い年のセンター長がついに移動となりました。こちらもお世話になりました。
でも、センター長は資産税課に移動と言う事で、「これで議員さんとあまり接点が無くなる」とうれしそうな顔をしていましたが、遊びに行きますの知らない顔をしなでください。お願いします。

沼川を歩いてみて感じた事

私の住む所から近い、JR東田子の浦駅から今泉の田宿川まで沼川水系の川沿いを歩く「春のお花見ウォーク」に、午後から用があったので午前中だけ義母と参加してきました。

これは、そうだ!沼川プロジェクトの一環の事業で、NPOの環境クラブが主体となり、実行委員会組織に元吉地区のまちづくり推進会議が協力し開催されましたが、500人以上の人が東田子の浦駅に集まり、大分綺麗になった水辺に沿って自然を堪能しながら目的地を目指し歩きます。
沼川沿いの工業団地南側の土手に桜並木もありますが、残念ながら早咲きの河津桜はすでに散ってしまい、ソメイヨシノの開花までは後2週間くらい掛かりお花見は満喫できませんでした。新年度4月5日に全面供用開始予定の浮島ヶ原自然公園にもより、自然観察会の方からの説明を受けながら歩きました。でも、貴重植物も黄色いヒキノカサが少し見えるだけであまり見る事はできませんでした。(時期的に早かったのかも、ちょっと残念でした)

天気の良い中で、富士山も見え歩くにはもってこいの日でもあり、多くの方が参加し楽しいイベントでもありました。多くの人が参加したイベントとしては大成功であったと思います。

でも、歩いていて気になった事は、浮島ヶ原自然公園の周りや沼川沿いにはゴミが散乱しています。富士山もきれいに見える中でのせっかくのウォーキングが台無しです。歩きながらゴミを拾おうと思いましたが、あまりの多さに拾いきれないと感じました。多くの方が参加しどの様に思ったのでしょうか。残念ながら、お花見ウォークの前に、ゴミ拾いウォークも必要で会ったような気がしました。私の地域の須津川渓谷まで歩くふれあい遠足も必ず下草刈りやゴミ拾いを事前に実施した上で開催しています。私も途中で用があり、最後まで行かなかったので、偉そうなことは言えませんが、次に開催する時には、出来ればそのような事も考えて頂ければと思っています。
田んぼの中を横切って歩く人もいました。(一応、田んぼは私有地です)また、沼川沿いから見える景観として富士山があまり美しく見えない所もあります。(環境クラブの渡井会長は、挨拶から交通整理まで大変です)

私の地域には水害問題がありますが、最終的には沼川の改修がされなければ解決できない事でもあります。このようなイベントが開催され、多くの方が訪れ光が当たり、進んでいく事を期待しています。
でも、私にとっては、天気も良く、富士山も見えて、少しだけ健康的にもなり、歩くことによって普段見えない事も感じる事が出来有意義なイベントでもありました。